№Ⅱ ヘルベレム王国陥落



――ユーリシカ辺境伯の縁談を断ってから三日後、朱歴しゅれき1189年9月7日



 朝起きると、城の中が慌ただしく揺れていた。

 城内に居る人間が一斉に右へ左へ右往左往しているのだろう。私は状況が読めず、すぐ側を通った騎士を呼び止める。


「待ちなさい。これは何事かしら?」


「こ、これはシャーリー様……えっと、これは。ぶ、舞踏会の準備でございます! 陛下のご指示で今夜あたり、その……」


 目を逸らす騎士。明らかになにかを隠そうとしている。


「へぇ、舞踏会。だったらドレスを選ばなきゃね。そうだ、ドレスに似合う髪飾りも買わなくてはいけないわ。あなた、暇ならちょっと買い出しに付き合ってくれない?」


「い、いけません! 今、外に出るのは……」


「外に出ると、なにかまずいことがあるのね?」


「いや、その……」


 私が睨むと、騎士は観念して事情を話しだす。


「実は、昨夜ユーリシカ辺境伯が帝国兵を連れ、反乱を起こしたのです」


「ユーリシカ辺境伯が!?」



――まさか。



 と私は三日前の選択を思い出す。


「私が、縁談を受けなかったから……」


「いえ、それが直接的な原因かどうかは……しかし、陛下はシャーリー王女が責任を感じるだろうから伝えるなと」


「……呼び止めて悪かったわね。仕事に戻りなさい」


「はっ! 失礼します!」


 ユーリシカが反乱……しかも帝国兵を連れて。


 兵力の程は知らないが、我が王国の騎士団を用いて勝てない相手などいない。おおよそ数日と待たず決着はつくだろう。だから父上も裏で解決しようと考えた。


 だがこの落ち着きの無さはなんだ? 圧倒しているとは到底思えない。なにか異常なことが起きたに違いない。


「いま、父上母上は忙しいはず……私にできることは――」


 とにかく、寝間着から着替えなくては。

 私は部屋へ戻り、動きやすい服を引っ張り出す。すると、


「シャーリー王女!」


 いつも冷静なヘレンが珍しく、扉を乱雑に上げ部屋に立ち入り、私の前で膝を付き有無を言わせず報告を始めた。


「ユーリシカ辺境伯が反乱を起こしました! 現在、南東部戦力を吸収しつつ、この王都〈ガルテン〉に向かっております!!!」


「それは聞いたわ。で、敵軍の戦力は?」


「敵軍の数は計り知れず、ユーリシカ辺境伯がおさめる領地の王国兵も加わっている模様! 進軍速度は一日で百里を超えるほどです!」


 百里!?


「落ち着きなさい! 人間が軍団で、そんな速度で動けるはずがないでしょう!」


「で、ですが……確かに」


「王都の四方にはそれぞれ鉄壁の砦があるのよ! それに母上自慢の騎士団も……慌てることは彼らへの不義に当たります! 冷静にことに当た――――」





 大砲の音が私の言葉を遮った。




 耳を疑った。城の大砲が火を吹いたのだ。それの意味することはすでに城の周辺に敵軍が居ると言うこと。


 ありえない。そんなこと、あるはずがない。一夜でここまで進軍するなど使、そんなこと――



『……ここに居たか、シャーリー王女』


「はっ――――?」



 一度だけ、私はユーリシカに会ったことがある。

 蛇のような目をした大男。声はねちっこく、重厚。頬には歪んだ星の痣がある。その男が今――私の前に居る。


「ユーリシカ……!?」


「一体どこから……シャーリー王女から離れなさい!」


 ヘレンがナイフを持って彼に襲い掛かる。だが、まるで時間が飛んだかのようにヘレンは一瞬で首を飛ばされ、気づいた時には地面に落ちていた。


 ヘレンの首から溢れた血が、私の靴を濡らす。


「へ、れん……?」


 恐怖が体に追いつかない。理解が体に追いつかない。

 びくびくと震える私を見かねて、ユーリシカは指を鳴らす。


「クク……の前のウォーミングアップにもなりはしないな」


「せい、せん?」


「あれほど恐れた王国軍が、ここまで……ここまで脆いとは……!」


 ユーリシカは嘲笑う。その嘲りは、王国軍に対するものではなく自分に向けているようだった。


「一の奇跡は千の努力を踏みにじる、とはよく言ったものだ」


――どうして?


――物音は無かった。なんの予兆も無く私の部屋に……?


――城の中に居た兵士たちはどうした? 父上は、母上は!?


「怯えることは無い。すぐに君の恐怖は快楽へと変わる」


 ユーリシカの背後から帝国兵が次々と現れる。ユーリシカは社交の笑顔で、部下に指示する。


「捕えろ。殺すなよ……今日から私の玩具になるのだから」


 反抗はできなかった。

 一人相手でも力負けするのに、それが十を超えている。だから私は、目を細め、唇を噛み、忌々し気にこう吠えるしかなかった。


「ユーリシカ……!!! これで勝った気にならないことね! 例え砦が落ちようとも、城が落ちようとも! 私達には死神様の加護が付いている!!! 絶対に、最後に笑うのはグリムの血だ!!!!!」


 その後知ったことだが、ユーリシカ率いる帝国兵は砦を数分で攻略し、母上自慢の騎士団は数秒と足止めできず敗れ去ったらしい。



――朱歴1189年9月7日午前9時32分



 千年の歴史を持つヘルベレム王国は陥落した。

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