4・2 命題の要素たる要素命題

○前段


1 : Die Welt ist alles, was der Fall ist.

世界は全てである。あらゆる何か、その現象がそこにあるに依る。


2 : Was der Fall ist, die Tatsache, ist das Bestehen von Sachverhalten.

何が提示されているのか。事実・現象とは事態が実在することである。


3 : Das logische Bild der Tatsachen ist der Gedanke.

事実の論理上の像が、思考である。


4 : Der Gedanke ist der sinnvolle Satz.

思考は意味のある命題である。


4.001 : Die Gesamtheit der Sätze ist die Sprache.

命題の全体が言語です。


4.01 : Der Satz ist ein Bild der Wirklichkeit. Der Satz ist ein Modell der Wirklichkeit, so wie wir sie uns denken.

この命題は現実を描いたものです。この命題は、私たちが想像する現実のモデルです。


4.1 : Der Satz stellt das Bestehen und Nichtbestehen der Sachverhalte dar.

命題は事実の有無を表します。


4.2 : Der Sinn des Satzes ist seine Übereinstimmung und Nichtübereinstimmung mit den Möglichkeiten des Bestehens und Nichtbestehens der Sachverhalte.

命題の意味は、状況の存在または非存在の可能性に対する同意または不同意です。



○派生図


4001

|……

├211

|├211

|├3

|├41

||├2

||└3

|├5

|├6

|├7

|└8

├31




4.21 : Der einfachste Satz, der Elementarsatz, behauptet das Bestehen eines Sachverhaltes.

最も単純な命題、つまり要素命題は、状況の存在を主張します。


4.211 : Ein Zeichen des Elementarsatzes ist es, dass kein Elementarsatz mit ihm in Widerspruch stehen kann.

要素命題の兆候は、いかなる要素命題もそれと矛盾できないということです。


4.22 : Der Elementarsatz besteht aus Namen. Er ist ein Zusammenhang, eine Verkettung, von Namen.

要素命題は名前で構成されます。それは名前のつながり、連鎖です。


4.221 : Es ist offenbar, dass wir bei der Analyse der Sätze auf Elementarsätze kommen müssen, die aus Namen in unmittelbarer Verbindung bestehen. Es fragt sich hier, wie kommt der Satzverband zustande.

命題を分析するとき、名前が直接関係している要素命題に到達しなければならないことは明らかです。ここで問題となるのは、命題の関連付けがどのようにして起こるかということです。


4.2211 : Auch wenn die Welt unendlich komplex ist, so dass jede Tatsache aus unendlich vielen Sachverhalten besteht und jeder Sachverhalt aus unendlich vielen Gegenständen zusammengesetzt ist, auch dann müsste es Gegenstände und Sachverhalte geben.

たとえ世界が無限に複雑で、すべての事実が無限の数の事実で構成され、すべての事実が無限の数のオブジェクトで構成されているとしても、その場合でもオブジェクトと事実が存在するはずです。


4.23 : Der Name kommt im Satz nur im Zusammenhange des Elementarsatzes vor.

名前は要素命題の文脈でのみ命題中に現れます。


4.24 : Die Namen sind die einfachen Symbole, ich deute sie durch einzelne Buchstaben (»x«, »y«, »z«) an. Den Elementarsatz schreibe ich als Funktion der Namen in der Form: »fx«, »-(x,y,)«, etc. Oder ich deute ihn durch die Buchstaben p, q, r an.

名前は単純な記号であり、個別の文字 (「x」、「y」、「z」) を使用して示します。私は、「fx」、「-(x,y,)」などの形式で名前の関数として基本文を書きます。または、文字 p、q、r を使用してそれを示します。


4.241 : Gebrauche ich zwei Zeichen in ein und derselben Bedeutung, so drücke ich dies aus, indem ich zwischen beide das Zeichen »=« setze. »a=b« heißt also: das Zeichen »a« ist durch das Zeichen »b« ersetzbar. (Führe ich durch eine Gleichung ein neues Zeichen »b« ein, indem ich bestimme, es solle ein bereits bekanntes Zeichen »a« ersetzen, so schreibe ich die Gleichung - Definition - (wie Russell) in der Form »a=b Def.«. Die Definition ist eine Zeichenregel.)

2 つの文字を同じ意味で使用する場合は、文字の間に「=」を入れて表現します。 「a=b」は、文字「a」を文字「b」に置き換えることができることを意味します。 (すでに知られている文字「a」を置き換えるように指定して、新しい文字「b」を数式に導入する場合、(ラッセルのように) 数式 - 定義 - を「a=b Def. «」という形式で書きます。定義は符号規則です。)


4.242 : Ausdrücke von der Form »a=b« sind also nur Behelfe der Darstellung; sie sagen nichts über die Bedeutung der Zeichen »a«, »b« aus.

したがって、「a=b」という形式の表現は表現の補助にすぎません。彼らは文字「a」、「b」の意味については何も述べていません。


4.243 : Können wir zwei Namen verstehen, ohne zu wissen, ob sie dasselbe Ding oder zwei verschiedene Dinge bezeichnen? - Können wir einen Satz, worin zwei Namen vorkommen, verstehen, ohne zu wissen, ob sie Dasselbe oder Verschiedenes bedeuten? Kenne ich etwa die Bedeutung eines englischen und eines gleichbedeutenden deutschen Wortes, so ist es unmöglich, dass ich nicht weiß, dass die beiden gleichbedeutend sind; es ist unmöglich, dass ich sie nicht ineinander übersetzen kann. Ausdrücke wie »a=a«, oder von diesen abgeleitete, sind weder Elementarsätze, noch sonst sinnvolle Zeichen. (Dies wird sich später zeigen.)

2 つの名前が同じものを表しているのか、それとも 2 つの異なるものを表しているのかを知らずに理解できますか? - 2 つの名前が同じ意味か異なる意味かを知らずに登場する命題を理解できますか?同じ意味の英語の単語とドイツ語の単語の意味を知っている場合、その 2 つが同じ意味であることを知らないことは不可能です。それらを相互に翻訳できないということはあり得ません。 「a=a」のような表現、またはそこから派生した表現は、基本的な命題でも、その他の意味のある記号でもありません。 (これは後ほど判明します。)


4.25 : Ist der Elementarsatz wahr, so besteht der Sachverhalt; ist der Elementarsatz falsch, so besteht der Sachverhalt nicht.

初等定理が真であれば、現状は存在します。初等定理が偽であれば、その状況は存在しません。


4.26 : Die Angabe aller wahren Elementarsätze beschreibt die Welt vollständig. Die Welt ist vollständig beschrieben durch die Angaben aller Elementarsätze plus der Angabe, welche von ihnen wahr und welche falsch sind.

すべての真の初等命題の記述は世界を完全に説明します。世界は、すべての基本命題の記述と、それらのどれが真でどれが偽であるかの記述によって完全に記述されます。


4.27 : Bezüglich des Bestehens und Nichtbestehens von n Sachverhalten gibt es Möglichkeiten. Es können alle Kombinationen der Sachverhalte bestehen, die andern nicht bestehen.

n 個の事実の有無については可能性があります。他には存在しない状況のあらゆる組み合わせが存在する可能性があります。


4.28 : Diesen Kombinationen entsprechen ebenso viele Möglichkeiten der Wahrheit - und Falschheit - von n Elementarsätzen.

これらの組み合わせは、n 個の基本命題の真偽の可能性と同数の可能性に対応します。


4.3 : Die Wahrheitsmöglichkeiten der Elementarsätze bedeuten die Möglichkeiten des Bestehens und Nichtbestehens der Sachverhalte.

要素命題の真理可能性とは、事実の存在または非存在の可能性を意味します。




 じわじわと大テーゼ6に出てくる謎の関数に近付きつつある。ひとまず解説を先に読んだので、「ここのいわなんとしていること」はなんとなくわかった、のだが、それにしたって本文にじかに当たると死ぬ。日本語でおk。いやドイツ語か。まぁドイツ語でもなに書かれてるかさっぱりわからんでしょこんなん。


 以前に指の話を持ち出したが、ここでもそれを掘り起こしておこうと思う。上のほうに出てきた「要素命題」だが、これはたとえば指について様々なありようとして書き出せると書いたとおり、様々な「定義」の集合体である、と言える。手足の先につく、棒状、骨と腱と肉と皮でできている、節がある、等々。つまり指ひとつですら様々に分解可能な要素の集合体であり、その中のひとつを取りだしてみてもまた様々に分解可能となる。こうして分解に分解を重ねた「いちばんはじめの要素」が要素命題である、のだそうだ。つまりものを分解していったらやがて原子に行き着きますね(けどその原子を構成しているものってなんなんだろうね)みたいな話で、要は人間には知覚しきれないくらいの小さななにか。そしてヴィトゲンシュタインの話を掘り起こしてみると、「こと・もの」と1や2、3の辺りで散々語ったやつは、どうもこいつのことを指しているようだ。だからこそヴィトゲンシュタインは「こと・ものは単純である」と言い切った。なるほどーとなるし、じゃあはじめからそう書けや! ともなるのだが、しかし一方でいきなりそんな話を振られて理解できるかと聞かれれば、絶対に理解できない。なんつーかさぁ。


「ここに指がある」という命題は、指を定義しうる様々な要素命題に、一見無限にしか見えないのだけれども、それでも「一応」有限個で構成されている。そしてそれら「一応」有限個の要素命題が全て真であるからこそ「ここに指がある」という一命題が真とされる。ちなみにこのとき指を前にして「ここには指がない」は偽だ、みたいな話もあとから出てくる。そしてこの両命題において「指がここにあると言うこと」がいったいどういうことなのか、が既に了解されている(でないと真偽判定ができない)みたいな話も出てきたりする。


 なんでこんな七面倒くさいことをしているのか。「我々がどこまでなら語り得るか」を、演繹的に最大化しなければならないためである。ゲマインシャフト的に、と言ってもいい。一個人から神の領域にまでたどり着こうという場合に帰納法は許されない。許されないはずなのに荘子は平然と帰納法でしゃべくるんだよなあ。なんだあいつ。ともあれ、このため地歩を「最小限の場所」から築き上げねばならない。最小限の場所は我々の実感としては理解のしようがないからモデル化する。そう言う話のようである。無限に近い、とある命題を構成する要素であるとは言っても、結局は「その一個」の連なりでしょ、と言うわけだ。ならその一個一個がどう連なりうるかを見れば、あとはその繰り返しだよね、というわけで、いよいよ4.3以降でこわいやつが出てくる。


 ヴィトゲンシュタインはこれより先の数式たちを示して「ほら! これではっきりわかったでしょう!」ととても嬉しそうである。それを見るぼくの目は死んでいる。

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