2・2 「像」、確定のしようがないもの

○前段


2 : Was der Fall ist, die Tatsache, ist das Bestehen von Sachverhalten.

事実、事実は、事態の存在です。


2.02 : Der Gegenstand ist einfach.

アイテムはシンプルです。


2.1 : Wir machen uns Bilder der Tatsachen.

事実を写真に撮ります。


……


2.19 : Das logische Bild kann die Welt abbilden.

論理的なイメージは世界を描写することができます。



○派生図


2011

|……

├11

|……

└201

 |├2

 |└3

 ├1

 └21

  ├2

  ├3

  ├4

  └5



2.2 : Das Bild hat mit dem Abgebildeten die logische Form der Abbildung gemein.

絵は描かれているものと共通のイラストの論理的形式を持っています。


2.201 : Das Bild bildet die Wirklichkeit ab, indem es eine Möglichkeit des Bestehens und Nichtbestehens von Sachverhalten darstellt.

画像は、事実の存在と非存在の可能性を表すことによって現実を描写します。


2.202 : Das Bild stellt eine mögliche Sachlage im logischen Raume dar.

この絵は、論理空間内で起こり得る状況を表しています。


2.203 : Das Bild enthält die Möglichkeit der Sachlage, die es darstellt.

画像には、それが表す状況の可能性が含まれています。


2.21 : Das Bild stimmt mit der Wirklichkeit überein oder nicht; es ist richtig oder unrichtig, wahr oder falsch.

画像が現実に対応しているかどうか。それは正しいか間違っているか、真実か偽かです。


2.22 : Das Bild stellt dar, was es darstellt, unabhängig von seiner Wahr- oder Falschheit, durch die Form der Abbildung.

イメージは、真偽に関係なく、イメージの形式を通じて、イメージが表すものを表します。


2.221 : Was das Bild darstellt, ist sein Sinn.

画像が表すものはその意味です。


2.222 : In der Übereinstimmung oder Nichtübereinstimmung seines Sinnes mit der Wirklichkeit, besteht seine Wahrheit oder Falschheit.

その真偽は、その意味が現実と一致するか不一致であるかによって決まります。


2.223 : Um zu erkennen, ob das Bild wahr oder falsch ist, müssen wir es mit der Wirklichkeit vergleichen.

画像が真実か偽かを知るには、それを現実と比較しなければなりません。


2.224 : Aus dem Bild allein ist nicht zu erkennen, ob es wahr oder falsch ist.

写真だけでは本当か嘘かを判断することはできません。


2.225 : Ein a priori wahres Bild gibt es nicht.

アプリオリな真のイメージは存在しません。




 世界、すなわち「「実際に存在していること・もの」の様々な関わりを集積した事態」の総合体を感得したもの、それが像。そのありようが写像。ではそれが感得者にとってどのようなものであるかと言えば、ってほんとに色・受の段階踏んできてんなこれ。


 論理空間でどのようなことが起こっているのかについて、それまで感得者が感得してきた様々な写像の集積から、「自分なりの論理形式に基づき」いま目の当たりとしている現象への写像を生み出す。しかしこれが本当に正確に事態やこと・ものを感得している保証はない。実際にそれと比較するよりほかない、という。いや、けどどうやって?


 誰が何を見てみたところで、その認識は「こと・もの」を感得した写像でしかなくて、では誰の感得している像が本当に正しいなどと言えるのか。無理ではないか。


 というわけでの2.225。「アプリオリ」は、あまりにも一言で片付けるには無茶な表現のようである。Wikipedia を覗いた上では「演繹的証明の必要のない自明的な事柄」と言うことになり、これはもう荘子斉物論の


以指喻指之非指,不若以非指喻指之非指也;以馬喻馬之非馬,不若以非馬喻馬之非馬也。天地一指也,萬物一馬也。

指を「これは指ではない」と論じるのには指でないものを用いるより指を用いたほうがまだ言い表しやすく、馬を「これは馬ではない」と論じるのは馬でないものを用いるより馬を用いた方が言い表しやすい(「このようなものではないものが指ではないもの、馬ではないものである」と表現できるから、ただし本質的に指や馬そのものを解説しきることは出来ない)。同じようなことが天地にも、万物にも言える。


 と、自分にとってはまったく同じ事を言っている感覚である。指、馬、天地、万物という「こと・もの」についての説明は、結局どれもが視覚的空間にて感得された「象」に基づいてしか語れない。「そして自分が感得した像こそがどれよりも、何よりも正しいと言えるはずがない」。


 我々の主観のあやふやさを徹底的に暴き出した上で、ヴィトゲンシュタインは次のステップに進む。ではそうした確定的と決して言えるはずのないあやふやな論理像しか抱くことが許されない我々は、どのように思考しているのだろうか?


3 : Das logische Bild der Tatsachen ist der Gedanke.

事実の論理上の像が、思想である。


 茫漠としたあやふやさの中から、それでも確かに言えるものを懸命にかき分ける旅に出るわけである。

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