第5話 放課後は


 翌日の放課後。学校が終わり、廊下が少しずつ人の気配を失っていく。俺も教室で友達と軽く談笑したあと、鞄を手に席を立った。教室の窓から差し込む夕陽が眩しくて、一瞬目を細める。昨日の時音との会話が頭をよぎり、ほんの少し胸が高鳴った。


 ふと廊下に出ると、窓の向こうに見覚えのある銀色の髪が揺れているのが見えた。時音だ。どうしてここにいるのかはわからないが、彼女の姿を見つけると、思わず足が止まった。どこか遠くを見ているようで、少し切なげな表情をしている。


 「時音?」


 俺が小声で呼ぶと、彼女ははっとしてこちらを向いた。その表情が一瞬驚きに変わり、やがて優しい笑顔に戻る。


 「あ……悠真くん、今日も会えたね」


 その柔らかな声に、俺の心が少しほぐれる。彼女の嬉しそうな笑顔を見ていると、昨日までの奇妙な違和感や不安が少しずつ消えていくような気がした。


 「なんでこんなところにいるんだ?」


 俺が問いかけると、彼女は少し困ったように眉を下げた。そして、ほんの少しだけ恥ずかしそうに目を逸らす。


 「えっと……悠真くんに、今日も会いたくて来ちゃった」


 その言葉に、俺の胸がどきりと跳ねた。あまりに素直すぎる告白に、どう反応していいのかわからず、思わず視線を逸らしてしまう。


 「そ、そうか……まあ、別に迷惑ってわけじゃないけど」


 俺が照れ隠しにぼそっと言うと、時音は嬉しそうに笑った。小さく頷いて、俺の近くに歩み寄ってくる。その仕草がなんとも可愛らしく、心の中で変に意識してしまう自分がいる。


 「ありがとう、悠真くん。じゃあ……一緒に帰ろう?」


 時音がそっと手を差し出す。その手は少し小さくて、握るのに一瞬ためらってしまったが、結局俺は彼女の手を取った。柔らかく温かいその手の感触が、じわりと伝わってくる。


 二人で並んで学校の廊下を歩いていると、他の生徒たちがちらりとこちらを見ては小声で話し合っているのが聞こえる。どうやら時音の銀髪が珍しいらしく、目を引いているようだ。


 「時音、みんな見てるぞ。珍しいから仕方ないけどさ」


 俺が少し恥ずかしくてそう言うと、彼女はふわっと笑って、気にしていない様子で肩をすくめた。


 「大丈夫。私は悠真くんと一緒にいられればそれでいいから」


 その言葉に、またしても心臓が大きく跳ねる。彼女の真っ直ぐな想いが、俺の胸に響いて、言葉を失ってしまった。


 校門を出て、ゆっくりと歩きながらも彼女と何を話せばいいか考えていたが、時音が先に口を開いた。


 「ねえ、悠真くん」


 彼女は俺の方を見上げて、少し真剣な顔つきになった。その瞳の奥に、何か伝えたいことがあるのを感じた。


 「ん? どうした?」


 俺が問いかけると、彼女は一瞬言葉に詰まったような表情を見せ、やがて小さく息を吐いた。


 「未来のこと、もう少し話してもいいかな?」


 その言葉に、俺は少しだけ身を引き締めた。これまで断片的に聞いてきた未来の話だけど、彼女が自分から進んで話してくれるのは珍しい。


 「もちろん、話してくれるならぜひ聞きたいよ」


 そう答えると、彼女は少し微笑んで、軽く頷いた。


 「ありがとう。実は……未来では、こうして誰かと一緒に穏やかな時間を過ごすことが少なくなっているんだ。人々は忙しくて、会話を楽しむ時間さえも失われつつある」


 時音の言葉が、どこか重く響いた。未来が彼女にとってどれだけ過酷であるか、その一端を垣間見た気がする。俺はただ黙って彼女の話を聞いた。


 「だから、こうして悠真くんと一緒にいる時間が……すごく大切に感じられるの」


 彼女は少し恥ずかしそうに視線を逸らしながらつぶやいた。その言葉が胸にしみるように響いて、俺も同じように感じ始めている自分に気づく。


 「そっか……俺もさ、こうやって君と話してると、不思議と落ち着くんだよな」


 俺がそう言うと、時音はぱっと顔を上げ、嬉しそうに微笑んだ。その笑顔が、いつも以上に輝いて見えた。


 帰り道の途中、時音がふと立ち止まった。俺もその場に足を止め、彼女の顔を覗き込む。


 「どうした? 何か忘れ物でもしたか?」


 俺が尋ねると、時音は小さく首を振り、少し照れたように微笑んだ。そして、小さな声でつぶやく。


 「ううん、ただ……この景色、未来では見られないから。だから、少しでも長く見ていたいの」


 その言葉に、俺は思わず彼女の顔を見つめてしまった。何気ない夕焼けの風景に、彼女はどこか懐かしそうな表情を浮かべている。俺も同じ景色を眺めながら、彼女と一緒にいるこの時間がどれだけ特別なのかを少しずつ感じ始めていた。


 「そっか……それなら、もう少しゆっくり歩こうか」


 俺がそう言うと、時音は嬉しそうに頷き、また俺の手を取った。その小さな手が、いつも以上に温かく感じられる。


 「ありがとう、悠真くん」


 その一言が、まるで未来へのささやかな感謝のようで、俺は心がじんわりと温かくなった。


 その後、俺たちは並んで夕暮れの街を歩き続けた。隣にいる時音が、未来からやって来たこと、そして俺を守るためにここにいること。まだ全てを理解しているわけじゃないけれど、彼女のそばにいると、それが自然に思えてくるから不思議だった。


 そして、俺たちは静かに家の前までたどり着いた。


 「今日は、ありがとう。悠真くんと一緒に過ごせて、とても嬉しかった」


 時音がそう言って微笑んだ。俺も照れくさい気持ちを隠しきれず、少し笑いながら彼女に答えた。


 「こちらこそ。君のおかげで、なんだか特別な一日になったよ」


 その言葉に、彼女の笑顔が一層輝いた。時音が未来から来た理由、そして彼女が抱える使命——それを少しでも支えたい、そんな気持ちが胸に湧いてきた。


 「じゃあ、また明日も会えるよね?」


 彼女が少し不安げに聞いてきたので、俺は安心させるように頷いた。


 「ああ、もちろんだよ」


 彼女の顔がぱっと明るくなり、再び微笑む。その笑顔を胸にしまいながら、俺たちは静かに別れを告げた。

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