第6話 二人きりの教室で

 放課後の教室には、少し冷たい静けさが漂っている。窓の外から差し込む夕陽が机の上にオレンジ色の光を落とし、時間がゆっくりと流れているように感じられる。


 今日は掃除当番だったから、他のクラスメイトが帰った後も俺はまだ教室に残っていた。誰もいない教室で一人きりで窓の外をぼんやりと眺めていると、ふと、教室のドアがそっと開く音が聞こえた。


 「……悠真くん?」


 ドアの隙間から顔を覗かせたのは、見慣れた銀色の髪の少女——時音だった。彼女の瞳が俺を見つけると、ふっと笑顔がこぼれ、なんだかホッとしたように教室に入ってきた。


 「どうしてここに?」


 俺が尋ねると、時音は少し照れたように頬を赤くして、視線をそらした。


 「えっと、悠真くんがまだ帰ってないって聞いて……心配になって」


 そんな風に言われて、俺はちょっと驚いた。心配なんてされるようなことをしていたわけじゃないのに、彼女がわざわざ様子を見に来てくれるなんて思ってもみなかった。


 「そうか……ありがとな」


 照れ隠しに軽くそう言うと、時音は少しだけ嬉しそうに笑って、俺の隣の席に座った。二人きりの教室に、なんとなく心地よい空気が流れ始める。


 しばらくの間、時音は机に肘をついて、窓の外をじっと見つめていた。夕陽の光が彼女の銀髪に反射して、ふわりと優しい色合いを浮かび上がらせる。その横顔が、なんとも言えないほど綺麗で、思わず見とれてしまった。


 「ねえ、悠真くん」


 ふいに彼女がこちらを振り向く。その瞬間、目が合ってしまい、俺は少し動揺した。彼女の瞳がまっすぐに俺を見つめている。


 「何か、考えごと?」


 俺が少し戸惑いながら聞くと、時音は小さく頷いて微笑んだ。


 「うん。未来では、こうして誰かとゆっくり話す時間なんてあまりなかったから……なんだか新鮮で、嬉しいんだ」


 彼女の言葉が静かに胸に響く。未来から来たという彼女の背景には、まだ多くの謎がある。だけど、その言葉に込められた寂しさが、どこか俺の心に触れるようだった。


 「そうか……だったら、こうやって一緒に過ごす時間を大事にしようぜ。せっかくこうして会えたんだしさ」


 俺が軽く笑いかけると、時音は驚いたように目を見開き、それからふわっと微笑んだ。その笑顔が、どこか儚くて美しい。


 「ありがとう、悠真くん」


 小さな声で礼を言われ、俺は思わず視線をそらしてしまう。どうしてこんなにも、彼女の一言一言が心に響くのだろう。未来から来たという話の非現実感はまだ残っているのに、彼女といるとそのことさえも忘れそうになる。


 しばらくして、時音がふと立ち上がり、窓辺に歩み寄った。彼女は窓ガラスに手を添え、じっと校庭を見つめている。


 「悠真くん、この夕陽……本当に綺麗だね」


 時音がつぶやく声には、感慨深さがにじみ出ている。その声に引き寄せられるように、俺も窓のそばに立ち、彼女と並んで校庭を眺めた。


 「そうだな。いつも見てる景色なのに、君が言うと特別なものに見えてくるよ」


 俺がぽつりと言うと、時音は少し驚いたように俺の顔を見て、それから照れくさそうに微笑んだ。その微笑みが、胸に暖かく広がるようで、なんだか言葉が出てこない。


 「悠真くん、未来の世界にはね、こうしてゆっくり夕陽を見ることも、ほとんどできなくなってるの」


 時音の言葉が、少しの寂しさを伴って耳に届く。未来という言葉には、俺たちが知らない現実が詰まっているんだと、改めて感じさせられる。


 「そうなのか……じゃあ、ここに来てよかったのかもな」


 俺の言葉に、時音は小さく頷き、ふわりと笑った。


 「うん、そうかもしれない。悠真くんと一緒にいると、未来のことを一瞬でも忘れられる気がするの」


 彼女がこちらを見上げるその瞳には、まっすぐな信頼が込められていて、俺はその視線に動揺を隠せなかった。何かを伝えたいけれど、言葉が出てこない——そんな彼女の気持ちが、俺の胸にも染み込んでいく。


 教室を出て、夕暮れの校庭を歩くことにした。時音と並んで歩くと、心が不思議と穏やかになっていく。彼女の隣で感じる安心感が、俺にとっても特別なものになっている気がした。


 「悠真くん、ありがとう。私、悠真くんと一緒にいると……自分が特別な存在みたいに感じられる」


 彼女が静かにそう言ったとき、胸の奥が少しだけ温かくなった。


 「特別って……そりゃ、君は未来から来たんだし、俺にとっても特別な存在だけどな」


 俺が少し照れくさそうにそう言うと、時音はふっと笑った。その笑顔が、なぜか心に深く染み込んでくる。


 「ありがとう、悠真くん」


 その言葉に、俺もまた微笑んで彼女を見つめた。彼女の存在が、俺の日常に少しずつ溶け込んでいくのを感じながら、俺たちは校庭をゆっくりと歩き続けた。


 やがて空は深い藍色に染まり、夜の静寂が少しずつ辺りを包んでいく。校庭のベンチに腰掛け、二人で夜空を見上げた。星がいくつか瞬いているのが見え、夜風が少し肌寒く感じられた。


 「ねえ、悠真くん」


 時音が小さな声で話しかけてきた。俺が隣を見ると、彼女がじっと俺を見つめている。その瞳には、言葉にならない何かがこもっていて、俺はその視線に引き込まれる。


 「なんだ?」


 声を出すと、時音は少し照れたように視線をそらし、それからゆっくりと口を開いた。


 「……私、悠真くんのことを守りたいって言ったけど、本当は……守られるのも悪くないなって、思ってるんだ」


 その言葉が俺の胸に響き、少し照れながらも俺は彼女に向き直った。未来のことも、彼女の使命もまだわからないことだらけだけど、俺にできることがあるなら、守ってやりたいと思った。


 「じゃあさ、約束するよ。君が俺を守るって言うなら、俺も君を守るから」


 そう言うと、時音は小さく驚いた顔をして、それから嬉しそうに微笑んだ。その笑顔が、どこまでも温かくて、俺もまた笑顔になった。


 「ありがとう、悠真くん」


 彼女の小さな声が、夜の静寂に溶け込んでいく。この瞬間が、どれだけ特別なものかを感じながら、俺たちは夜空を見上げて、ただ静かに過ごした。

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