第2話 彼女の秘密

夕焼けに染まる帰り道。俺は自転車を押しながら、隣で歩く銀髪の少女——時音をちらりと見た。彼女はさっき「未来から来た」とか「俺の恋人だ」とか、あまりに突拍子もないことを平然と口にした。信じるべきかどうかもわからないまま、なんとなく並んで歩いている。


 「ねえ、悠真くん」


 時音が俺を呼んだ。彼女の視線は夕空に向けられている。オレンジ色の光に染まった横顔が、なぜか少し寂しげで、俺の胸に小さな痛みを残した。


 「な、なんだ?」


 声が少し上ずってしまったのは、隣の彼女が妙に近くに感じられたせいだ。時音は振り返ってにっこりと笑い、その仕草がなんとも可愛らしい。彼女がこんなにも自然に隣にいることに、俺はまだ慣れないでいる。


 「ねえ、私、未来から来たって信じてる?」


 まっすぐ俺の顔を見つめてくる。冗談半分で聞いているのではなく、真剣そのものの瞳に、俺は一瞬言葉を失った。信じていないはずなのに、彼女の真剣な表情が、俺を惑わせる。


 「……正直、まだ信じられない。だって、未来から来たとか、そんな話、普通じゃありえないだろ?」


 俺が少し戸惑いながら答えると、時音はうんうんと頷いた。少し控えめな仕草が可愛らしく、俺の心がまた揺れる。


 「そうだよね。でもね、信じてほしいな。私には、悠真くんを守るためにやるべきことがあるんだから」


 「守るためにやるべきこと……?」


 なんだか話がますますわけがわからなくなってくる。でも、彼女の真剣な眼差しを見ていると、少しずつでも話を聞いてみようかなと思えてくるから不思議だ。


 「うん。悠真くん、君には近い未来に大きな危険が迫っているの。それを回避するために、私はここにいる」


 「危険って……」


 俺は思わず口ごもった。何のことかわからないが、彼女がそう言うと、本当にそんな気がしてくるから怖い。まるで彼女が知っているのは、単なる予感や思いつきじゃないような、確信めいた口ぶりだった。


 「大丈夫、私が守るから」


 時音は少し頼もしい表情で言い切り、俺の手をそっと握った。手のひらがひんやりしているのに、どこか温かさが伝わってくる。俺はその手を引っ込めようか迷いつつ、彼女のまっすぐな目を見つめていた。


 「……本気なんだな?」


 俺の質問に、彼女は頷いた。その瞬間、心の中に小さな信頼が芽生えたような気がした。意味不明な話でも、彼女の真剣さだけは疑えなかった。


 「じゃあ、まずは俺がどういう危険に巻き込まれるか、教えてくれよ」


 俺がそう言うと、時音は少しだけ顔を曇らせた。そして、まるで何かを言いかけては飲み込むように唇を噛む。


 「それは……まだ全部は教えられない。でも、約束するよ。悠真くんを守るって決めたから」


 不安げな目をしている。何か言いたいことがあるけど、言えないような、そんな顔だ。俺はその表情に少し胸が痛むのを感じながらも、今は彼女の言葉を受け入れるしかなかった。


 しばらく二人で歩いていると、彼女がふいに空を見上げた。夕焼けが深くなり、夜の帳がゆっくりと下りてくる頃合いだ。彼女の横顔が、夕闇の中で神秘的に映えている。


 「ねえ、悠真くん」


 また俺を呼ぶその声が、なぜかいつもより少し柔らかい。俺は彼女の顔を見て、微笑んで頷いた。


 「何か聞きたいことでもあるのか?」


 彼女は少し首を傾げて、小さく笑った。その仕草がなんとも言えず可愛くて、俺は思わず視線をそらした。


 「うん。今、私たちこうして歩いているけど……未来での私たちも、こんなふうに歩いたりしたのかな?」


 彼女がポツリとつぶやくその言葉に、俺はドキリとした。未来の恋人だと言われても、まだ実感なんて湧いていない。でも、その言葉の響きに、どこか懐かしさを感じる自分がいる。


 「そうだな……わからないけど、もしかしたら、そうだったのかもな」


 俺がそう答えると、時音は嬉しそうに頷き、また歩き出す。彼女の笑顔が、夕焼けの中でますます輝いて見えた。


 「私、未来のこと、たくさん覚えているけど、こうやって悠真くんと一緒にいると、何だかその未来がすごく遠くに感じるの。不思議だね」


 彼女はふと立ち止まり、俺の顔をじっと見つめる。その瞳が、どこか切なげでありながらも温かみがあり、俺はその視線から目をそらせなかった。


 「……遠くに感じるって、それってどういうことだ?」


 俺の問いに、彼女は少しだけ視線を逸らし、肩をすくめた。


 「うーん、私もよくわからない。でもね、悠真くんといると、なんだか普通の女の子でいられる気がするの」


 その言葉に俺は意外な気持ちになった。彼女の肩の上に背負っている「使命」や「未来」といったものが、彼女の素顔を隠しているように見えたからだ。


 「そうか……じゃあさ、そんなに深刻になるなよ。俺はこうして歩いてる君と話してるのが、割と楽しいしさ」


 少し照れくさくなって口元を隠しながら言った俺に、時音は驚いたように目を丸くして、そしてぱっと笑顔を浮かべた。その笑顔が、どうしようもなく心を掴んで離さない。


 「ありがとう、悠真くん」


 彼女が小さな声でそう言った瞬間、俺の胸がふっと温かくなった気がした。まるで彼女が、本当に俺を大切に思っているかのように——いや、きっとそれは俺の勘違いかもしれない。でも、そう思わせるだけの何かが、彼女には確かにある。


 その後も、俺たちはしばらく無言で並んで歩いていた。時音の銀髪が夜風に揺れて、月明かりを浴びてほんのりと輝いている。そんな光景が、なんだか幻想的で、俺はしばらく見惚れてしまった。


 「……悠真くん、明日も一緒にいられるよね?」


 ふと彼女が立ち止まり、不安げな目で俺を見つめてきた。彼女がこんなにも不安そうにするなんて、初めて見る表情だったから、俺は少し驚いた。


 「……まぁ、君がそこまで俺のことを守りたいっていうなら、しばらくは付き合ってやるよ」


 俺がそう答えると、彼女はふっと息をつき、また微笑んで頷いた。その笑顔が、どこか安心したようで、俺は少しほっとした気持ちになった。


 「ありがとう……私、悠真くんと一緒にいると、すごく安心できるんだ」


 彼女の言葉が心に響いて、俺は少し照れくさくなったが、なんとなく嬉しかった。


 こうして、俺たちはまた並んで歩き出した。

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