第三部 異世界剣士と血塗れの聖女

第70話:楽しくて、かけがえのない

「よう、『まな板ブレード』のカズマ。精が出るな」


 夕暮れ時の街の門をくぐった時、笑い声と共に声をかけられた。

 その相手に、俺はとびっきりの笑顔を返してみせる。知り合いの冒険者だ。


「ああ。これも『仕事』だからな」

「仕事ねえ……もっと冒険者らしい仕事を選んだらどうだい」

「俺を必要だって言ってくれる人がいるんだからいいんだよ」


 俺は、背中に背負った、薬草の束の入ったかごを背負い直す。


「そうそう。カズマはよく働いてくれるからな。実に助かる」


 依頼主のアバルさんは上機嫌な様子だ。以前、「薬草採集の護衛」を引き受けて以来、時々世話になっている。


「カズマは素直で見どころがあるヤツだ。人間、こういうのが将来的に伸びるってもんだ」

「薬草採りなんて、さっさと卒業するべき駆け出しの仕事だぜ?」

「そんなことないさ、いろいろ勉強になる。自分で薬草とか、食べられる草とか、見分けられるようになってきたし、いざって時に役に立つだろう?」

「だから、そういうのを身に着ける段階にいるっていうのが『駆け出し』だって言うんだよ」


 あきれられてしまったけれど、実際、まだこの世界に転移してきてから三か月と経っていない。俺は冒険者というだけでなく、この世界の人間としても、まだまだ駆け出しだ。


 日本に還る──そんなことも考えたこともあったけれど、とりあえずそんな手掛かりなんて簡単に手に入るはずもない。まずは今の環境で生き残るサバイブするのが第一だった。もう季節は冬。この世界にも四季がある──当たり前のことなのかもしれないけれど、冬支度も大事なのだ。


「実際、まだ駆け出しで勉強中だからさ。……シェリィ。そこの屋台で果実水スークスを買ってきてくれよ。味は……任せる」


 小銭を渡すと、「うん、まかせて! ボク、ぶどうがいい!」と、しっぽをぶんぶん振りながら駆け出す。この世界での「獣人はしっぽを隠さなければならない」というマナーから、彼女のしっぽは、彼女が気に入っているレースの布で覆われている。隠さない方がふわふわで可愛いのに……とは思うが、隠すのが常識なのだから仕方がない。


「やれやれ。しかし、あのおチビちゃんも元気だな」

「すごく役に立ってくれてます。彼女の鋭い感覚には、いつも助けられてるんで」

「確かに、あの子が薬草採集に加わってくれるおかげで、ワシですら見逃していた薬草が見つかるからな。獣人の娘ってのを仕込むのは、案外、悪くないかもしれん……が、それにしてもあのおチビちゃんの鼻はよく利く」


 そりゃ、本性は、今のケモ耳しっぽの女の子、というよりも全身ふっかふかの野性的な種──原初のプリム・獣人族ベスティリングって奴らしいからな。より野性的な力が強いんだと思う。


「じゃあ、カズマ。今日も世話になったな。ほら、コイツを持っていけ」

「ああ、いつもありがとうございます。……これは?」

「そっちの包みは化膿止め。そっちはケモノ除けだ。……で、コイツは、ホントは商品なんだが、いつも世話になってるからな。あの嬢ちゃんを喜ばせてやれ」

「シェリィに渡せばいいですか?」


 小さな瓶を振ってみるとチャプッと音がした。


「なんで嬢ちゃんなんだ。お前が飲むんだよ」

「え? シェリィを喜ばせるためじゃないんですか?」

「バカ、そいつを飲んで夜、たっぷり可愛がってやれと言ってんだよ」


 ……少しの間フリーズしてしまった。つまりあれか、この中身はバ〇アグラみたいな、精力剤みたいなもの……?


「いや、あの、俺とシェリィはそーいう関係じゃなくてですね」

「何言ってる、今さら隠すこっちゃないだろう? じゃあな、ワシは品をさばいてくる。しっかりやれよ」


 笑いながらアバルさんは雑踏の中に消えていった。いや、素直に化膿止めのような傷薬はありがたいし、たいていのケモノに有効な、芥子からしのような刺激物であるケモノ除けも便利で助かる。だけど、精力剤なんてもらっても……。


 誰かに売り飛ばしてやろうか、と思っていたら、「ご主人さま! 買ってきたよ!」と、シェリィが木のカップを二つ持ってきた。


「ご主人さまもぶどうで、いい?」

「ああ、いいよ。ありがとう」


 受け取りながら言うと、実にうれしそうに三角の耳を伏せてしっぽを揺らす。


 ──ああ、可愛い。


 ほのかに甘く、ぶどうの香りのする水を味わいながら、今回も無事に帰ってこれたことを喜ぶ。これでも初めて遭った時には、彼女に「こないで!」と牙を剥かれ、噛みつかれたんだ。

 あれからいろいろあった。お互い、助けたり助けられたりしたものだ。


「なあ、シェリィ」

「んう?」


 こちらを見上げる彼女に、俺は精一杯の感謝の気持ちを込める。


「これからも、よろしくな」

「……うん! ボク、ご主人さまのおそばに、ずっとずっと、ずーっといるから!」


 目を細める彼女の頭をなでる。しっぽがばっさばっさとよく動く。


「おーい、カズマ!」


 聞きなれた声がした。デュクス──俺が世話になっている、ベテラン冒険者だ。今回の仕事の時には、所用があるとかで一緒には行動しなかった。……のだけれど。


「ふふ、久しぶりね。カズマくん……だったかしら?」

「はい。カズマです。お久しぶりです、マーテルさん」


 大きな草皮紙かみ袋をいくつも持ったデュクスの隣にいたのは、少し派手め……というか、そのまんま「夜の女性」のドレスを着ているマーテルさんだった。この街に来たばかりのころ、古着屋でシェリィの服を買うときに手伝ってくれた女性だ。多分、デュクスの恋人……もしくは、それに近い人。

 それにしても、二人そろっているのは久しぶりに見る。いつも、どちらかというとデュクスの方が避けている気がするんだ。


「それにしても珍しいですね。マーテルさんとデュクスが一緒だなんて」

「見れば分かるだろう、買い物に付き合わされているんだよ。それよりカズマ。何でコイツは『さん』付けで、師匠のオレは呼び捨てなんだ」

「え? だってデュクスだし」

「よし分かった。あとで覚えてろよ」


 すごんでみせても、デュクスがそんな心の狭い男ではないことぐらい、百も承知だ。俺はわざと肩をすくめてみせてから、先に宿に向かうことにした。あの買い物の量なら、彼がギルドに来るのは遅くなるだろうから。


 ……いや、今夜はマーテルさんと一緒に過ごして、ギルドには顔を出さないかもしれないぞ? だったら先にギルドによって今回の報酬をもらって、デュクスを待たずに夕食を食べてから宿に帰った方がいいかな。


「デュクス! 俺、これからギルドに寄るんだけど。俺たちだけでメシ食って、帰っていいかな?」

「なんだ、せっかく師匠が帰ってきたのに、飲みに付き合わねえだと? ……まあいい、そのナリなら『仕事』帰りだな。さっさと手続きを済ませてこい」


 別れ際に、マーテルさんがそっとウインクをしてきた。俺も小さくうなずき返す。


「ご主人さま、今夜は、デュクスと食べないの?」

「ま、そういうことだ」

「わふう! じゃ、ボク、今日、ずっと、ご主人さまとふたりきり!」


 シェリィのしっぽが、いつも以上にばっさばさと揺れる。

 ……可愛い。




「さて、と……。カズマ、ほら。受け取れ」


 スキンヘッドスケベオヤジことギルド支部長が、カウンターの背後の棚から布袋を取り出し、その中身をカウンターに広げる。


「ひぃ、ふう、みぃ……うん、ありがとう、支部長」

「カズマ、お前、こんな安い仕事なんざやってないで、魔獣退治とかに行ったらどうだ」

「今回はデュクスと一緒じゃなかったから、少しは安全度の高そうな仕事を選んだだけだよ」

「何言ってやがる。お前さんがいつも肌身離さないまな板・・・には特別な細工があるんだろ? なんたって、初陣で『ケイオスの魔物』をほふったってんだからなあ。ソレがありゃ、並みの魔獣もひと打ちなんだろ?」


 支部長が笑いながら言う。確かに、俺が背負っている木刀はボートのオールみたいにでっかくて「まな板ブレード」なんて揶揄されるほどのサイズだし、これで「ケイオスの魔獣」と呼ばれる強力な変異種の魔物をぶん殴って追い払ったけど、あくまで追い払っただけで、ほふってはいないのだ。

 けれど、支部長はやっぱり笑うだけだった。


「なに、撃退したんなら倒したも同じだ。早く活躍して、ウチの看板を背負える冒険者になれよ」


 そんな簡単に言われても──俺は苦笑いしながら、ギルドを出ようとした。すると支部長が、「そうだ、デュクスはどこにいる?」と聞いてきた。


「人と会っているようです。今日は来ないと思いますよ?」

「なんだ、そうなのか。……じゃあ、明日だな。デュクスと来い、ヤツから聞いた案件の、正式な依頼が来た」




 だいぶ暗くなってきて、市場でも店じまいをするところが多く、食べ物の屋台では残り物を半値くらいで安く買うことができた。


「えへへ、お肉、いっぱーい!」


 シェリィがほくほく顔で、串焼肉の入った草皮紙かみ袋を持っている。俺の方は揚げ野菜だのふかした芋などを入れた袋だ。まともな医療が期待できないこの世界だから、あえて野菜をたっぷり食べないとな。

 そんなことを考えながら、いつもの宿に帰ってくる。


「いらっしゃい……ああカズマか、おかえり。湯は沸かしてあるぞ?」

「ありがとう。半刻(約30分)あとに持ってきてくれるかな」

「ああ、いいぜ」


 本当は、アパートを借りるべきなんだろう。その方が節約になるに違いない。

 でも、暖炉のたきぎ代は部屋賃に含まれてて、もちろん薪割りをする必要もない。おいしくはないけれど朝食付き。夜にはみ用の湯が準備される。おまけに、硬いとはいえキングサイズ並みのベッド。もちろん外出中にベッドメイクをしてもらえる。


 俺としては「自分でやらなくてもいい」という時点で好条件。なにせ俺とシェリィは日中、二人一緒に行動しているんだから、どちらかが家事を分担して、なんてことはできず、だから役割分担して相手を迎える準備をしておく、ということもできないのだ。


 そんなわけで、家政婦さんが雇えるならアパートもいいけど、だったら今の宿でよくね? ってことになってしまい、今に至る。


 しかも「これだけ長期にあの部屋を使ってくれるのは、こっちとしてもありがたいんでな」と、割引までしてくれる宿の店主。だから当分はここを利用するつもりだ。


 買い物をテーブルに置き、鎧だのなんだのを外すと、二人そろってベッドに身を投げ出す。


「今日も疲れた」

「つかれたー!」


 今回は山の中で二泊し、ちょっと遠くの山まで行ってきた。だから正直、汗臭いと思うんだけれど、シェリィはうれしそうに、俺の耳の後ろからうなじにかけてのにおいをかいでくる。


「ふんふん……ふんふん……。わふぅ、ご主人さまのにおい……いいにおい……」


 恥ずかしいからやめてほしいと言うとひどく悲しそうな顔をするので、もう好きにさせている。


「シェリィ、湯が来るまでに、食事にしないか?」

「はあい! えへへ、お肉、お肉!」

「芋も揚げ野菜も食うんだぞ」

「……はぁい」

「あと、甘橙シトゥスもな」

「はあい! はいはいはーいっ!」


 耳が立ったり寝たり、しっぽが揺れたりしおれたりと、実に現金だ。その分、好みが分かりやすくていい。


「じゃあ、食べようか」

「はあい! 『イタダキマス』!」

「いただきます」


 本当は、神に祈りを捧げてから食べるのが正式だそうだけれど、二人きりなら別に構わないだろうと、俺たちは日本式の儀式──「いただきます」で食べている。


「わふぅ、おいしーい!」

「シェリィ、揚げ野菜もな」

「わかってるもん!」


 シェリィの口の周りのソースを拭いてやりながら食べていると、ドアがノックされて「湯、持ってきたぞ」という声。思いのほか、早く持って来たようだった。


「お風呂、お風呂! ご主人さま、洗ったげる!」

「だからいいって」

「でも、ボク、初めて会ったとき、ご主人さまに洗ってもらったもん。まだ、おかえし、できてないもん……!」


 あの時は全身モフモフの姿だったじゃないか、女性の体というより単に犬を洗うノリだったんだよ──とは言えない。彼女はあくまでも誇り高い獣人であって、犬ではないからだ。同一視すると傷つくんだ。


「じゃあ、またいつかな。シェリィ、先に湯を使いなよ」

「う〰︎〰︎……。ご主人さま、いつも『またいつか』ばっかり。『またいつか』って、いつ?」

「……いつかは、いつかだよ」

「う〰︎〰︎〰︎〰︎……!」

「……なんだ、信じてくれないのか。そうか、シェリィは俺のことを……」

「ぼ、ボク、ご主人さまのこと、信じてるもん! だから、だからいつか、ぜったい、ぜったい……!」

「分かった分かった。湯が冷めるから、早くしなよ」


 こんな、何気ないやり取りが、当たり前なんだけれど、楽しくて、かけがえのないものに思える。

 日本にいるときに、どうして気づかなかったんだろう。




 俺の懐に顔をうずめるように、シェリィが寝息を立てている。

 最近は、夜中に突然起き出して泣くようなことはなくなった。

 彼女には、克服できていないトラウマがいくつかあるらしい。

 いつか、昼間の天真爛漫な姿そのままの心になれたらと思う。


「シェリィ、お休み……」


 そっと頭をなでると、もぞもぞと身をよじったあと、さらに体を寄せてきた。

 目を閉じる。


 そういえば、デュクスがギルド支部長に掛け合ったという仕事の内容って、なんなのだろう。彼の取ってきた仕事なのだから、きっとやりがいのある、いいもののはずだ。無茶な内容でもあるまい。ただ、デュクスがいなければ教えてもらえないということは、それなりに重要な仕事なのかもしれない。


 どんなことをするのだろうか。

 どんな人に会うのだろうか。

 どこに行くのだろうか──

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