第69話:すべては、生きていてこそ
さらさらと流れる森の小川のほとりの小屋は、静かに夜が更けていく。
俺の太ももを枕にするようにして眠っているシェリィの寝息が可愛らしい。
暖炉の中で、パチパチと小さな音を立てながら燃える炎を見つめながら、俺は尋ねた。
「デュクス、教えてくれ。そのポペルって村で何があったのか、最終的には分かったのか?」
「魔女が村ごと滅ぼした、それ以上のことは分からん」
「本当にそうなのか?」
俺はどうにも納得しかねていた。あのリィダさんが、ポペル村とその周辺の生き物全てを殺し尽くした?
彼女は一日じゅう森を歩き回って、ようやく見つけた動物の腐乱死体に大喜びし、大切そうにその臓器を切り取っていくっていう、常人離れした感性の人ではあった。でも、自分から殺すのはあくまでも食べるためで、それも俺に肉を食べさせるためだった。
それにあの森にはたくさんの生き物がいたはずだ。だったら、腐乱死体を探して回らなくたって、自分で殺して腐るまで待てばいいだけだ。それをわざわざ探して回るってことは、彼女は基本的に、むやみに命を奪うことをしない証拠と言えるんじゃないだろうか。
「生き物だけが全滅し、湖が毒々しい赤色に染まっていた。魔女の仕業でなければ、誰が何のためにそんなことをする必要がある。別に国境地域でもなかった。温泉があちこちに湧く、のんびりとした辺境の村に過ぎなかったんだ」
デュクスが、半分ほど出していた剣をパチンと
「……温泉?」
「そうだ。いい村だった。オレの故郷だったんだ」
……過去形。つまり、ポペル村自体は今でもあるけれど、もう、一人たりとも、デュクスの家族も、知人もいない──生まれた土地ではあっても、もはや故郷とは呼べない場所になってしまったということなのだろうか。
建物などには被害がなかったのだから、きっと今も、村の家々や畑はそのままで、温泉の湯気がところどころで立ち上る、デュクスの記憶にある頃の村と変わらない風景なのだろう。
けれどそこには、誰一人として見知った人がいない……それは、とても悲しいことに思えた。ましてやさっきの話だと、デュクスにとって大切な人も、かつてはそこにいたのだから。
「騎士団にも、何度も掛け合った。だが、あの魔女の討伐には動かなかった。それで、オレは騎士団をやめたのさ。騎士団が動かないなら、オレが動くしかない、と思ってな」
……そういえば、シェリィの服を買うときに一緒に付き合ってくれたマーテルさんが言っていたっけ。かつては王都で、武技教官をしていたとか。それをやめてでも、復讐を誓ったということなんだろう。デュクスが冒険者になったきっかけを作った事件でもあった、ということか。
「今さらの話だ。今も昔も、ポペルの村はそのままだ。湖だって、しばらくして青さを取り戻した。だが、オレの故郷ではなくなった──それだけに過ぎない」
そう言って、デュクスは手にしていた
「オレはあの魔女を許さん。死を撒き散らし、生ける者たちを毒で
デュクスはそう言うと、「オレはもう寝る」と床にゴロリと横になった。俺もそれに倣って横になる。シェリィが起きかけたけれど、俺が横になると、もぞもぞと俺の懐に潜り込んできて、すぐにまた寝息を立て始めた。
今回、理不尽な「死者」にまつわる仕事だったから、シェリィの温もりが本当に愛おしく感じられる。頭をなでると、少しだけ身をよじって顔を俺の胸にこすりつけたあと、再び静かな寝息を立て始める。それがまた、可愛い。
デュクスの故郷を襲った、恐るべき災い。
それは、確かにデュクスにとってこの上ない不幸だったと思うし、彼が復讐を誓うのも分かる。
でも、デュクスの話がどうしても気になった。災害列島と呼ばれるほど、毎年大災害に見舞われる日本出身だからこそ、だろうか。地理や歴史、理科の知識を総動員して、いろいろと考えてみた。
温泉がある──ということは、活断層か火山が近くにあるということなんだろう。もしかして、噴火したとか?
いや、でも死んでいたのは生き物だけだったという話だった。村も森もそのままだったというから、古代ローマのポンペイを一夜で滅ぼしたような、火砕流や溶岩などは無かったはずだ。当然、地震でもないのだろう。
疫病が流行った? だとしても、ある日突然全滅、ということは考えられない。感染っていうのは、徐々に広がっていくはずだからだ。
日本でも新型コロナウイルスというパンデミックを経験したけれど、それだって、徐々に広がっていった。仮に発症から死亡まで極めて短いエボラ出血熱のような病気だったとしても、間違いなく、異変を察知して逃げ出そうとする人たちがいたはずだ。
青い湖が真っ赤に染まっていたということは、何かの毒が発生し、湖を水源とする川の水を飲んだ人たちが死んだんじゃないか、という可能性も考えた。
でも、それこそ水を見たら異常だと思うだろうし、飲んで死んだ人たちを見てパニックを起こした人々が逃げ出したり、そこまでしなくても川の水を使わないようにしたりすることくらいできたはずだ。突然、村の住人も羊たちも、森の動物たち、鳥でさえも全滅、なんてことがあるはずがない。
……分からない。
デュクスは、完全にリィダさんを元凶だと信じている。
でも俺には、どうしても納得できなかった。
森で見つけた腐乱死体から、にこにこしながら臓器を切り分け、瓶に詰めていたリィダさん。確かに相当に変な人だと思うし、初めて見たときは正直、ビビった。
ただ、そんなリィダさんだからこそ、彼女が目を血走らせて臓器を集めていたというのはおかしいんだ。もしリィダさんがその惨劇を引き起こした張本人だというのであれば、嬉々としてサンプルを集めていたはずだからだ。
……分からないことだらけだけれど、でも俺はリィダさんを信じたい。
いずれまた、彼女に会うことがあったら確かめよう。
シェリィのぬくもりを感じながら、俺は目を閉じた。
「……ほらよ。しかし、持ち出しの方がよほど多かっただろうに。よくもまあ、こんな仕事を引き受けたもんだ」
街に戻った俺たちは、真っ先に冒険者ギルドに向かった。
今回のパーティの主体は俺だったから、俺がスキンヘッドスケベオヤジことギルド支部長に報告をする。そして、彼から渡された、あまりにも軽い袋の中身。
「いいんだよ、これで」
支部長に向けて笑う。これも、俺の実績の一つになった。でもって、これからデュクスに、このわずかな報酬を使って酒をおごらなければならない。
「誰かがやらなきゃならなかった。俺ができてよかったんだ」
「ヒトのいいこったな」
「
背中に背負った木刀の
「なんだカズマ、やけにすがすがしい顔をしやがって。冒険者のくせに、自分が正義にでもなったつもりか?」
「俺が正義なんじゃないよ。俺はあくまでも、正義の味方だ」
「同じじゃねえか」
「違うよ」
俺が行かなくても、誰かが行ったかもしれない。だけど、俺以外の人間が行っていたとき、リィダさんは来てくれただろうか。もしそうだったとき、あの父親の完全破壊以外で、事を収めることができていただろうか。
俺にできたことは、あの父親をぶん殴ることだけだった。だから、本来なら、やっぱり父親の破壊でしか問題を解決する手立てがなかったんだ。だから今回の件は、リィダさんが来てくれたという「運の良さ」に頼っただけなのかもしれない。
それでもリィダさんのおかげで、あの父親と兄妹は、最期のお別れができた。そして、そこに立ち会うことができた。俺はあの解決こそが、最高かどうかはともかく、あの場では最善の方法だったのだと思う。
幸せな結末とは言えなかったかもしれないけれど、それでも、悲しみを増やすことは無かった。それこそが、俺にとっての正義に
「ご主人さま、なんだかうれしそう」
デュクスの待つ席に戻る途中にそんなことを言ったシェリィも、なんだかうれしそうだ。そう言うと、彼女はますます笑顔になった。
「だって、ご主人さまがうれしそうなの、ボク、うれしいもん」
絡めた腕にきゅうっと力を入れてくる。
「俺も、シェリィが元気だとうれしいよ」
俺の言葉に、シェリィのしっぽがスカートの下でばっさばっさと忙しく揺れる。
今度の仕事はいろいろ考えさせられたけれど、まずは俺の身近な人を幸せに──それが一番だと思う。
「おいカズマ、遅いぞ。あんまり遅いんで、お前さんたちの分も注文しておいたからな。もちろんカズマ、お前さんが払うんだぞ」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! なんだよこの料理の山! これ全部、俺が払うのか⁉」
「後見人への感謝はどうした。当然だろう?」
「いや普通、年上とかベテランがおごるよな⁉」
「何言ってやがる、『お世話になりました』の気持ちを形で表すべきだろ」
「にしても量が多いって!」
「お前さんも食うんだ、遠慮するな。さっさと座れ、食うぞ」
「俺のカネなんだぞ、あんたが遠慮しろよっ!」
言いながら席に座る。こんなバカなやり取りができるのも、すべては、生きていてこそだ。
──生きてこそ。それをかみしめながら、俺は皿に山盛りにされた肉に手を伸ばした。
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第二部 異世界剣士と屍蝕の魔女 ─了─
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