第68話:ポペル村の災厄と魔女の罪

 エルとイーディの家が見えてきたころだった。「ご主人さまあっ!」と、すごい勢いで走ってきたシェリィが飛びついてきた。腹に気合を入れて受け止めたけど、肺の空気が一気に押し出されてむせる!


「……ご主人さま、あの女のにおい、いっぱいする」


 飛びついてからふんふんと鼻を鳴らしたシェリィが、口をとがらせる。いや、なんだよその言い方。


「シェリィ、それは……」

「いいの。ご主人さま、ボクのところに帰ってきてくれたから」


 そう言ってさらにジャンプしてしがみついてくると、俺の首筋に顔をこすりつけるようにしてくる。く、くすぐったい、特にふわふわな毛で覆われた耳が!


「ご主人さまのにおい……いいにおい。でも、ボクのにおいもつけてあげる。ボクのご主人さまって、だれにだって分かるように」

「分かった分かった」


 頭をなでてやると、それでとりあえず満足したのか飛び降りて、俺の左腕にぶら下がるように腕を組むと、引っ張るように歩き始めた。

 道の向こうにはデュクス、エル、イーディが待っていた。


「まったく、いつまでも戻ってこないからひやひやしたぞ。あの魔女に魅入られちまったかとな」


 デュクスの言葉に、俺はあえて「リィダさんはいい人だよ」と返事をすると、シェリィがすかさず「でも、ご主人さまはボクを選んだんだよね?」と見上げてきた。

 拗ねているようにも、不安そうにも見えて、「リィダさんは俺の恩人なんだ。シェリィは俺の相棒だ」と答えると、首をかしげてみせた。


「……よく分かんない、けど、ご主人さまがおそばに置くのは、ボクってことで、いいの?」

「まあ、それでいいよ」

「わふぅっ!」


 ばっさばっさとしっぽを振りながら、うれしそうに腕に顔をこすりつける。

 ……ものすごく歩きにくい。




「……そうですか。お墓まで。ありがとうございました」


 村のおさが、おいしそうにシチューを食べるエルとイーディの方を見ながらため息をついた。


「しかし、あそこで開拓を続けたい……ですか」

「ええ。それが本人たちの希望です」


 デュクスの言葉に、おさもうなずく。


「キァンドルくんとランプさんご夫妻は、立派な開拓精神を持ったお二人でした……。エル、イーディの二人は、その精神を受け継いでいるんですね」

「それは分かりやすがね。ただ自分は、しばらくはこちらの集落のどこかで厄介になった方が、いいようには思いますが」

「私も同じ考えです。ただ、なにぶんにも余裕のない村なので、とりあえず自分のところで面倒を見ようと思いますが……」

「それがいいかと。いくら志は高くとも、まだ子供ですからな」


 そう言って、デュクスはエルとイーディに笑いかけた。


「大変だったろうが、お前さんたち、よく踏ん張った。これからしばらくはおさの言うことをよく聞いて、いずれはお父さん、お母さんに負けない、立派な開拓者になれ」

「はい!」


 エルの返事に、イーディもうなずく。


「おじちゃんも、お世話になりました!」


 俺の方を向いて、頭を下げるイーディ。……おじちゃんって、俺?

 思わず聞きそうになってしまうが、ぐっと我慢だ。

 確かに、小学校低学年くらいのイーディには、俺がおじさんに見えることもあるかも……しれない。

 ……いや、俺がきっと大人に見えるんだ。悪いことじゃない、はず。


「でもおじちゃん、おねーちゃんを泣かせちゃだめだよ?」


 ちょっと待て、なんでシェリィがお姉ちゃんで、俺がおじちゃんなんだっ!




「さて、カズマ。行くぞ」


 騎鳥シェーンにまたがったデュクスが拍車をかける。

 やや遅れて、俺も拍車を入れた。俺の騎鳥ヴィントが、デュクスの鳥を追うように走り始める。


「やれやれ。割に合わなさすぎる仕事だったな、まったく」


 デュクスの言葉に、俺は苦笑いするしかない。


「カネにならない仕事に付き合ってくれて、ありがとう」

「なに、弟子の仕事を見届けるのも師の仕事だ」


 そう言いながら、デュクスは「ただし、ありがたいと思ったのなら、布施は募集中だ。というわけで帰ったら酒を奢れよ?」と笑った。


 見事な穂を実らせる麦畑の中の道を走り、キラキラと輝くせせらぎを渡り、風渡る丘を駆け抜け、森をくぐる。

 森の川べりの小屋で、その日の日程を終えて休んでいた時だった。


「カズマ。お前さん、あの魔女のこと、何をどれだけ知っている」


 暖炉でチロチロと燃える火を眺めながら、デュクスがつぶやいた。


「俺が知ってることなんて、大したことないよ。あるとすれば、あの人は悪い人じゃないってことだけさ」

「なぜそう言い切れる?」

「悪い人だったら、そもそも見ず知らずの俺を助けたりしないだろ」

「お前さんのようなお人好しを利用して、手駒にするつもりだったのかもしれないぞ」


 俺は、ため息をついて答えた。


「じゃあデュクス、あの人がどんな悪さをしたっていうんだ?」

「聞きたいなら聞かせてやるぞ」


 そう言って、デュクスは彼女が引き起こしたとされる厄災や疫病の話をし始めた。

 でもそれはどう考えても自然災害の類で、彼女がそれを起こしたとはとても考えられなかった。はっきり言ってしまえば、中世ヨーロッパの魔女裁判レベルの言いがかりとしか思えなかった。


「ほう? カズマ、お前さんはなぜ今の話を言いがかりだと言える?」

「むしろ逆に聞きたいよ。そんな天災だの疫病だの起こして、あの人になんの利益があるんだ?」

「そんなの知るか。ただ一つ言えるのは、ヤツが死体をもてあそんで毒を作り出しているということだけだ」

「あの人はむやみに死体をどうかしてるんじゃないよ。必要に応じて、必要なものを、野山の獣の死骸から集めてるだけで──」

「カズマ」


 デュクスは、俺の言葉を遮るように言った。


「ポペルって村を知っているか」

「……昼間に、リィダさんに聞いてた村だろ? ……分からない」

「そこはな、まるで月のように綺麗な円を描く、ぐるりと山に囲まれた美しい湖のほとりにある村だったんだ」


 昼間に、リィダさんに聞いていた村だ。

 小さく貧しいけれど、羊毛が特産の村だったっけ?


「そうだ。よく覚えていたな。いい村だった」

「だった……ってことは」

「察しがいいな。一度滅びている。今は、別の地域から入植してきた人間が住んでいる」

「戦争か何かか?」


 領土の取り合いの末、村人が追い出されたり虐殺されたりして、そっくり土地を奪われる、という話はあり得ない話じゃないだろう。そう思って聞いたら、違ったんだ。


「気が付いたら全滅していたんだ。人も羊も、全て死んでいた。美しい森も湖も、何も変化がなかったのに、ヒトも家畜も、森の獣も、鳥さえも。なにもかも、死んでいたんだ」

「え……? そんなこと、あるのか?」

「夢であってほしかった。だが実際にあったんだ」


 無表情に語るデュクス。……ひょっとして、彼の身内に関係するのだろうか。


「それが、リィダさんと……」

「立ち寄った行商人がたまげて、何かの疫病かもしれんと報告してきてな。オレはまだそのころ騎士団の所属で、とりあえず動けるヤツを引き連れて駆けつけたが……地獄絵図だった」


 駆けつけたデュクスの見たものは、寝台で眠ったまま亡くなったと思われる死体のほか、喉をかきむしるような苦悶の跡が見られる死体、柵の中で折り重なるように死んでいる大量の羊たちなどの沈黙の世界だった。

 夏の盛りだったためもあってか、村を覆う腐敗臭はすさまじかったという。


「誰一人血を流していなかったのに、青く澄んだ水をたたえていたはずの湖が赤く染まっていてな。地獄がこの世に現出したらこんなものだろうとすら思えた……。そうした死が支配する村にいたのが、ヤツだったのさ」


 死が横たわる村にあの巨大狼と共にいたのが、リィダさんだったという。死体の胸を切り開き、臓器を収集していたそうだ。それも、人間、家畜、死んだ鳥獣、さまざまな死体から。


「リィダさんが……?」

「そうだ。あの魔女は血走った目で、多くの臓器を瓶に詰めていた。実におぞましい光景だったさ。何より許せなかったのは、ヤツはあいつの服をはぎ取って、胸を切り開いて辱めて……」


 デュクスは言いかけて、ハッとしたように口を閉じた。


 ……そうか。

 リィダさんが臓器を抜き取っていた死体の一つに、デュクスの大切な人がいたんだろう。口ぶりからすると、女性だったのかもしれない。


「……ヤツは、百数十年にわたって目撃例がある化け物だ。村一つを滅ぼすほどの災厄をまき散らしたあの魔女を、その罪を、オレは絶対に許さん」


 デュクスはそう言って、鞘から剣を半分抜く。


「今回はお前に譲ったが、いずれ必ず、この剣で滅ぼしてみせる。カズマ、次はお前ごと両断することになったとしても、ヤツを滅する」


 暖炉の炎の光を、ギラリと弾く刃。

 リィダさんが、そんな恐ろしいことに関わっていたなんて、信じがたいことだった。だけど、デュクスは、あの巨大狼と共にいる彼女を見たというのだ。


 あの穏やかで優しい彼女と、デュクスの話が、どうしても俺の中で噛み合わない。デュクスが誤解をしているのか、それとも俺が彼女に惑わされているだけなのか……。

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