第33話:嫁にするならこういう子!
「──なるほどな。全く、ひどい話だ……。しかしケイオスの魔獣といい、今回といい、お前さん、なかなか稀有なクジばかりを引くじゃないか。素晴らしい経験が積めているな。実に運がいい」
デュクスが、力なく笑う。いつもなら背中をバシバシ叩きながら言うところだろうが、まだ本調子ではないのだ。でも、それでも、起き上がって冗談を言えるくらいには回復した。
「勘弁してくれよ。デュクスの毒のことだって、本気で心配したんだぞ」
「すまんな。オレももっと若い頃には、あの程度の毒でやられることはなかったと思うんだが……歳だなあ」
「あの程度って……。やたら体は冷たくなるし、動けない、つねっても痛みを感じないなんて言い出すし、しまいには痙攣しだすし……。ほんとに死ぬかと思ったんだからな!」
「ははは、心配をかけちまったな。で、荷車の修理は終わったのか?」
「修理は終わったよ。というか、完全に壊れちゃってたから、車輪の交換だったけどさ。車軸が折れていなかったのが、不幸中の幸いだったそうだよ」
「そうか……じゃあ、明日には動けそうなんだな」
デュクスは頭をかきながら小さく笑った。
「やれやれ。今夜には歩哨に立たねえとな。休みは一日だけか」
そんなデュクスに対して、眼鏡を磨きながらあきれ顔なのは、破損した二番台車のオーナーである商人、フマニスさんだ。
「かろうじて命を拾ったばかりだというのに、無茶を言うもんだ。まったく、冒険者というものは自分の命を粗末に考えすぎる」
「それを言うならフマニスさんよ。あんたらこそ、たかが銅貨一枚のために地獄の果てまで追っかけてくるじゃねえか。おんなじだよ、おんなじ」
「商売は信用問題だからな。たかが銅貨一枚、なんて言えちまうお前さんたちのようにはなれん」
軽口を叩き合うデュクスとフマニスさん。今日一日でだいぶ回復してきたけれど、一時は本当に危うくて、様子を見に来た冒険者の中には、「この状態から持ち直すようなヤツは見たことがない、覚悟しておけ」なんて言う人もいた。だからこそ、今こうして、軽口を叩けるようになったのを見るのが、本当にうれしい。
「そうだ、カズマ。お前さんこそ、ロクに寝てもいないだろう。今夜の見張りのために、今のうちに寝ておけ」
言われて、この一日、結局まともに食べたり寝たりもしていないことに気が付いた。それなのに、いくらでも、なんでもできそうな、妙な高揚感がある。よほど気が張り詰めていたのかもしれない。
「……分かった。寝ておくよ。病み上がりで寄る年波に勝てないデュクスに、見張りをさせるわけにもいかないしな」
「言ったな? あとでたっぷり稽古をつけてやる。泣いたり笑ったりできなくなるくらいまでな」
ニヤリと笑うデュクス。ああ、こんな冗談をかわせるって、本当にうれしい。
「まあ、それはともかくとしてだ。カズマ、お前さんが見張りに立つときには、あのチビも一緒だろう? そっちの方は大丈夫か? ……というかお前さん、チビはどうしたんだ?」
「シェリィ? ああ、あいつは……」
デュクスに問われて、今さら気が付いた。今日一日、シェリィとほとんど会ってすらいないじゃないか!
「……お前さん、言っといたよな? 機嫌を取っとけって。オンナって生き物はな、なにかあっても口では不満を言わずに、腹に溜め込んでいくモンなんだ。それであるとき火を噴いて、以後、突然いなくなる……」
「いや、シェリィと俺はそんな……」
「いいから行って来い、手遅れにならんうちにな」
デュクスに追い出されるようにして、俺は馬車から出た。
「……で、シェリィはどこだろう?」
昨夜の持ち場のあたりに行ってみたけれど、シェリィの姿はない。近くにいた男たちに聞いてみたけれど、見ていないとのことだった。
昨夜、彼女が潜り込んでいた台車の下も見てみたけれど、いなかった。
一台一台、その周りを探してあるいたけれど、やはりいない。
「どこに行ったんだ?」
だんだん焦りがつのってくる。
『オンナって生き物はな、なにかあっても口では不満を言わずに、腹に溜め込んでいくモンなんだ。それであるとき火を噴いて、以後、突然いなくなる……』
デュクスの言葉が重くのしかかってくる。
まさか、あの喧嘩のあと、俺に愛想を尽かしてどこかに──あの、初めて遭った森にでも、帰ってしまったのだろうか。
そんなことはさすがにないだろう、いや、ないと思いたい──そう自分に言い聞かせながら歩く。だけど、彼女の姿は見当たらない。
──そうだ。忘れていた。
彼女はあくまでも「恩返し」のためにいるんだった。
たとえ俺のことを「ご主人様」なんて呼び方をしていても、だ。
「まさか、本当に……」
どうしようもない焦燥感にさいなまれる。あの不機嫌だった時から、もっと彼女の話を聞いておけば……。でも、じゃあそんな時間が、いったいいつあったっていうんだ? だけど……。ぐるぐると頭の中で思考を堂々巡りさせながらシェリィを探していたときだった。
「護衛のみなさ~ん。夕食のスープですよ! これで体を温めて、今夜も頑張ってくださ~い!」
女性の声だった。どうやら、さっきのスープができたらしい。見ると、エプロンを付けたビール樽のような恰幅のいい女性たちが、それぞれに声を張り上げている。
「そこの子! そうそう、あんただよ、頭を真っ黒に染めた変な頭の子! あんたも冒険者なんだろ、食べな!」
「頭を真っ黒に染めた変な頭」って、そんな言い方はないだろ……そんなことを思いつつ、俺は朝からほとんどまともなものを食べていないことに気が付いた。突然、腹が減ってくる。というか、腹が減ったことも忘れたように走り回っていたんだな、俺は。
「妨害なんかに負けてたら商売になりゃしないからねえ! あんたらもあったかいものを食べて、力をつけてキリキリ働いておくれよ!」
さすが商人、たくましい根性だ。俺は苦笑いしながら、鍋の前に陣取る女性たちの前に行った。
「若いんだからしっかり食べなよ!」
そう言って、器にぎりぎり一杯のスープを盛りつけられる。パンはやっぱり黒パンだ。おそらく、あの豆かす入りのようなボソボソ触感の上に味も妙に酸っぱい、いつものアレだ。だけど、どうしようもない空腹感に襲われている今だったら、なんでも美味しく食べることができそうだった。
シェリィはいま、どこでどうしているんだろう。
俺は今、食べ物をもらえた。でも、これまで彼女の分の食べ物を隊商からもらえたことがない。
「あ、あの……俺、仲間がいて。そいつのぶんももらえたら……」
「仲間? どこにいるんだい?」
どこに。
答えが示せない。
声がのどにひっかかる。
彼女はどこに行ってしまったんだ。
「みんながそう言いだすと足りなくなっちまうからねえ。申し訳ないんだけどさ、そのお仲間を連れてきておくれよ」
そう言われて肩を落とす。仕方がない。何とか冷める前に、シェリィに会えたら……そう思ったときだった。
「おかみさん、ボク、おいも、切り終わったの」
「ああ、ありがとう。……うん、さっきよりずっと上手にできてるじゃないか。上出来だよ、そっちの鍋に放り込んでおくれ」
「うん。分かった」
思わず振り返って二度見した。
頭には白い三角巾をかぶっているが、そこから伸びる金色の長い髪。
レース編みの
見間違えるはずがない。
シンプルなエプロンに身を包んだ彼女は、間違いなくシェリィだった。
「シェリィ! ここにいたのか!」
「ご、ご主人さま……?」
「探したよ、どこに行ったのかって」
すると、そばにいたビール樽的体型のいかにも元気そうな女性が、「……シェリィちゃん、アレかい? あんたが言ってたオトコってのは」とシェリィをつつく。
それに対してぎこちなくうなずくシェリィ。
すると周りの女性が一斉に口を開いた。
「ああ、そうかい! あんたがシェリィちゃんの、ねえ……!」
「いい子だよ、この子は!」
「家事の一つも知らなかったみたいだけど、よく覚えてよく働いてくれるよ!」
「このパンだって、この子が練って焼いたんだよ!」
「パンだけじゃないよ! スープの具も、この子が皮をむいて切ったんだよ!」
「ちっとばかし働いてみせてあとはぐぅたらしてる、どこぞの男よりもよっぽど働いてるんだよ!」
俺を囲むようにして、機関銃のごとく一斉にしゃべり始める女性たち!
「あ、あの、ぼ、ボクは……」
シェリィが困った様子で止めようとしているみたいだけど、女性たちの口は一向に止まる気配がない……!
「いままでは働き方を知らなかったみたいだけどね、シェリィちゃんはちゃあんと仕事を覚えて働こうとする、とってもいい子だよ!」
「しばらくこの子はこっちで預かるからね! どこぞの
「そうさね、嫁にするならこういう子だよ! ちっとばかしの失敗ぐらい、なんだってんだい!」
ものすごい勢いでまくしたてられ、返事をする暇すらも与えられなかった。
シェリィはシェリィで、顔を真っ赤にして女性たちに何か訴えていたのだが、オバチャンパワーズには敵わなかった。
それどころか、「オトコに泣かされるだけがオンナじゃないんだよ! これはあんたの幸せのためなんだよ!」と黙らされて、そのまま引きずられていくと、イモの皮むきをオバチャンたちと一緒にやらされ始める。
結局、彼女に声を掛けることもできなかった。
デュクスに事の顛末を話したら、ものすっごく深いため息を吐かれた。いや、アレはもう、どうしようもなかっただろ⁉
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