第32話:とんでもない置土産の惨劇
「──毒だな」
デュクスの様子をみた熟年の冒険者は即答した。
荷馬車のなかに運び込んだデュクスは、苦しそうにうめき続ける。彼は苦痛に耐えているみたいだけど、それでも口から漏れる声はどうしようもない。
そして、彼を苦しめているものが毒だなんて!
「毒なんて、いつの間に!」
「アレが投げていた、刃がノコギリみたいになっていた短剣があっただろう。おそらくあの刃に、毒が塗ってあったんだ。とんでもない土産だぜ、まったく」
──あれに、毒が⁉︎
ゾッとして、自分の鎧を引き裂いたあの短剣の恐ろしさを感じる。
「じゃ、じゃあ、俺は……」
例の短剣が鎧に突き刺さったとき、俺はただ引き抜くことしか考えていなかった。そっと肩を見てみると、引き裂かれた鎧の下にある、革の服が見える。
──そうか。俺、バフコートを着ていたから、それがギリギリ、体を守ってくれていたのか! バフコートにはカネをかけろ、というデュクスのアドバイスのおかげで、俺はいま、毒を喰らうことなく生きている……!
万が一、バフコートがなく、さっきの短剣によって体が傷ついていたら……!
もしあの男みたいに、首から上にかすり傷でも負っていたら……!
「そ、そうか。奴が撤退したのは……!」
自分の得物によって自分が傷つけられた──つまり、できるだけ早く解毒しなければならなかったからじゃないだろうか。
俺の言葉に、熟年冒険者はニヤリと笑う。
「そうだな。おそらく小僧の言う通りだ。毒遣いが格下の相手から、自分の毒を喰らわされたんだ。そりゃあ、屈辱だったろうぜ」
そうだそうだ、よくやった小僧、などと、皆で称えてくれたけれど、けれど俺が皆を呼び集めるために奴を引き受けてくれたデュクスがいま、毒で苦しんでいる……!
「そんなことを今さら気に病んでも仕方あるまい。この男の、運のよさと毒に耐えうるだけの体力に期待するよりほかはあるまいよ」
「毒に耐える……! そうだ、『毒消し』の薬はありませんか⁉︎ これだけの規模の商品を扱うんだから、『毒消し』だって……!」
「毒消し……解毒薬のことか?」
「は、はい! それです!」
正直に言えば、現金なんてほとんど持ち合わせがない。だけど、デュクスがこのまま毒で衰弱死してしまうようなことになったらと思うと、俺は
だが、答えは無情だった。
「解毒薬って簡単に言うがな、解毒しようにも、どんな毒を使われたのかも分からんのだ。お前さんの言う『毒消し』ってものがどんなものなのかは分からんが、どんな毒にも効くような夢のような薬なんてものは、無いんだぜ」
……そんな。
「まあ、アレだ。即効性の毒ってのは、効き目が早い分、峠を乗り越えたらなんとかなることもある。この男が毒に耐えることを信じるしかないな」
熟練の冒険者はそう言って、馬車を出て行った。
「ぼうず、この男はわしの荷車を守ってくれたのじゃろう?」
そばにいた商人が、俺の肩をポンと叩く。彼は自分のことをフマニスと名乗った。
「わしも腹の中は真っ黒な商人じゃが、義理には応えるのが商人というもの。なぁに、この
そう言って、デュクスに水を飲ませる。
「様子ならわしが見ておいてやろう。お前さんは、自分のなすべきことをしたまえ」
俺のなすべきこと……護衛の仕事。でも、こんな状態で続けるべきなんだろうか。離脱して、街に戻った方がいいんじゃないだろうか。そう思った時、デュクスがかすかな声で言ったのだ。
「そうだ……。カズマ、お前さんは、この仕事をやりきれ。……なんのためにオレが、わざわざ、こうして付き合ってやってると思ってるんだ……」
汗びっしょりの顔で、けれどデュクスは、わずかに微笑んでみせたんだ。
「お前さんは、お前さんの、やるべきことをやれ……。お前さんは、この隊商を守るんだろう……? オレは大丈夫だ。……ちっとばかり歳を食っちまってるだけだ……」
デュクスの言葉に、俺は何も言えなかった。
俺の仕事は、この隊商の護衛。俺が働いていれば、バディのデュクスだって看病してもらえるはずだ。やるしかない。
「……分かった。行ってくる」
「おう……。オレがのんびり、寝てられるよう、頼まァ……」
それ以上、言葉が続けられなかった。俺はフマニス爺さんに頭を下げて礼を言うと、馬車を降りた。
「あ……。ご、ご主人、さま……」
馬車の外では、なぜかシェリィが立っていた。
どこか、気まずそうな顔をしている。その目はふちが赤いうえに、どこか腫れているように感じた。何があったのだろう。
「あの……」
「シェリィ」
二人同時に口を開いて、互いに口を閉じてしまう。
「……いいよ、シェリィが先に言ってくれ」
「ぼ、ボクは後でいいの、ご主人さま、お先に……」
結局譲り合いになってしまい、仕方なく、俺から口を開いた。
「さっきの戦いで、デュクスが毒を喰らった。しばらく動けない、と思う」
すると彼女はひどく驚いたようだった。
「ご、ご主人さまは⁉︎」
「俺は平気だ。それよりデュクスが心配だ」
俺の言葉にシェリィは「よかった、ご主人さま、ご無事で……」と胸をなでおろした。どこか、うれしそうに。
良いわけないだろ、デュクスは今、毒で──言い知れないモヤモヤが胸に湧き起こってくる。しかし何かを言う前に、「おい、カズゥマ! こっちに来い!」と、冒険者に呼ばれた。さっき、戦いがあった場所だ。
「……シェリィ、話はまたあとだ。俺はあっちに行ってくる」
駆け出そうとした俺の手を、「ま、待って……」とシェリィがつかんできた。
「あの……ぼ、ボクも一緒に……」
シェリィの顔は、ひどく不安そうだった。だけど呼ばれたのは俺だ。緊張感ある場で、意味もなく女の子連れなんて、どう思われるか分からない──デュクスの言葉だ。確かにそうだと思う。
「いや、いい。シェリィは寝ててくれ」
そう言うと、彼女は目を見開いた。手を握る力が弱まる。口元がわずかに動いたけれど、声にはならなかった。再び、俺を呼ぶ声が聞こえる──急がないと。
「──じゃあ、俺、行くから」
手を引くと、もう一度つかもうとするような様子はなかった。彼女の小さな手からするりと手を抜くと、俺を呼んだ男たちのところに走った。
「カズゥマ。お前やデュクスが戦ったヤツは、何をしていた?」
冒険者たちに問われて、俺が見たものを全て話す。といっても、俺もそばで見ていたわけじゃないから、憶測を交えて話すしかない。けれど冒険者たちは、それを聞いて、周りに何かおかしな仕掛けや破壊工作の跡はないか、手分けをして探してくれた。
俺も一緒になって、車軸や車輪、連結具などを見て回った。けれど、何かが見つかるようなことはなかった。声をかけたタイミングは、あの凶刃の男が何かを仕掛けようとする直前だったのかもしれない。
そう思って、横殴りに差してきた朝日が車体の下を照らし始めた頃だった。
「──ん? ……なんだろう?」
朝日によって照らされた車輪の側面で、何かがわずかにきらりと光った気がしたんだ。けれどその時、声を掛けられた。
「おい、カズゥマ! もういいって話だっただろ、気負いすぎだ。メシを取りに来い」
「ありがとうございます。でも、ちょっとすみません、気になることがあって!」
俺は、場所を覚えてからパンを配る男のもとに走ると、パンをもらいながら、見たものについて報告した。何人かの冒険者たちが、俺の言葉に呼応して、一緒について来てくれた。
「これなんですけど、何か分かりますか?」
来てくれた男たちは、代わる代わるそれを見る。
それは、何かの紋様のようだった。光の加減で、見えたり、見にくかったりする。誰かの影が重なると、もう見えなくなるほど、薄く描かれていた。あるいは、もともとそういう塗料なのかもしれない。
「すみません、俺、魔法──ええと、法術ってやつに詳しくないんで分からないんですけど、車輪の強化をするとか、そういうことをするためにこうやって書き込んで──ってこと、ありますか?」
初めてこの世界に来たとき、赤髪の男が、手に何か呪符みたいなものを持って、魔法のような力を発動させていたのは見た。この世界の魔法は、もしかしたら何かを描いて発動するものなのかもしれないと思ったのだ。
「──いや、聞いたことがない。そんなこと、するか? というか、できるのか?」
「商人なら、荷車も大事な商売道具だ。ワシも聞いたことはないが、そういう何かをすることもあるかもしれん」
皆が首をかしげる。俺は、デュクスが寝ている馬車まで走ると、そこで彼を看てくれている商人──フマニスに事情を話して来てもらった。
フマニスは話を聞くと、やはり首をかしげていた。「そんな仕掛けは付けていないし、そんな方法があるなど、聞いたこともないが……」と言いながら来てくれたけれど、紋様を見せても、やはり首をひねっている。
「──なあ、ひょっとして、これはよくないモノなんじゃないか?」
誰かが言い出し、もしこれがよくない法術の痕跡なら──襲撃者が残した企みなら、削るなどして破壊しておいた方がいいという結論になった。
「カズゥマ、よく見つけたな。おそらく何かの法術の刻印だろうが、これを仕掛けたヤツも、まさか見つかるとは思わなかっただろうよ」
白髪の目立つ初老の冒険者が、顎ひげをなでながらニッと笑う。
「これを仕掛けたヤツの悔しがる顔が目に浮かぶ。まさか見つかるとは、なんてな」
「いえ……。俺も奴を取り逃しちゃったんで」
「なあに、企みを破ることができただけでも上出来だ」
白髪の目立つ冒険者が、ブーツの中からナイフを抜いて車輪の前に立つと、紋様らしきものが描かれているところにしゃがみ込む。
「カズゥマ、お前はよくやったよ。ヤツを撃退し、そして今もこういう怪しい仕掛けを見つけてくれた。いい働きをした。あとはわしがやっておく。メシを食ってきな」
そう言って、そのひげ面を歪めるように笑みを浮かべる。
「ほれ、お前さんには、あの金色の
俺は頭を下げて、シェリィの元に向かうことにした。
そういえば昨夜、彼女と変なケンカみたいな状態になってから、まともに話をしていないことに気づく。
さっきだって、なんだか様子が変だった。彼女の分の食事は支給してもらえなかったけれど、このパンを半分ずつにして、少し、話をしよう──
そう思ったときだった。
背後で、もう一つの朝日が「生まれた」──そう感じたと同時に爆音、そして熱風!
体が浮いたような感覚がしたと思ったら、次の瞬間には地面に叩きつけられる!
「いっ──つつっ……! な、何が……」
身体中が痛む。
足を引きずるように無理やり体を起こして振り返る。
そこには──
「ひっ──⁉︎」
たった今、メシを食ってこいと、シェリィの元に行けと、そう言ってくれた、白髪混じりの初老の冒険者。
その上半身はなく、赤い液体が、肉や骨の破片が、車輪が破壊され傾いた馬車を、周りの土を、赤く染めるように飛び散っている……!
「な、なんだ今の音は!」
「何があった──う、うわあああっ!」
駆けつけた冒険者や商人たちが、その惨状に絶句する。
「くそう! これもさっきのヤツの仕業か⁉︎」
「法術刻印を傷つけたからこうなったのか⁉︎ くそっ、とんでもない置土産を置いていきやがって!」
「いや、どうせ遅かれ早かれこうなっていたはずだ! おそらく、本来は峠越えの時を狙っていたに違いない!」
「荷が崩れるぞ! 近寄るな!」
現場は大混乱になった。片付けと馬車の修理を余儀なくされた俺たちは、結局、この日の峠越えを諦めざるを得なくなった。
てんやわんやの中で、俺は結局、朝飯を食いそびれてしまった。昼前、ふと気づくと、誰のものかわからないパンが、踏みつぶされて地面で泥まみれになっていた。
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