第二部 異世界剣士と屍蝕の魔女

第28話:俺たちを頼る人がいるなら

「はあ、はあ、はあ……」


 肩で息をする俺に木剣の先を突きつけながら、デュクスが笑って汗を拭く。


「今日のところはこれで終わりだ。また明日だ」

「……分かった」

「片手剣にもだいぶ慣れてきたな、カズマ。それに間合いの取り方が上手い。まだお前の木刀の間合いの意識が抜けきらないが、それも慣れの問題だからな。いずれつかめるようになるだろう」

「ありがとう、デュクス」

「なあに。お前さんの力を頼るしかない人々がいるなら、お前さんは痛みに耐えて勝利するよりほかの道はない。だったらお前さんが強くなるしかないのさ。励めよ」


 デュクスはそう言って、中庭から空を見上げた。俺もつられて上を向く。

 もうすぐ夕焼けが空を染めるだろう。すでに青い月と銀の月が、空に見えている。赤い月は暗いためか、まだはっきりとは見えない。


「ご主人さまっ!」


 金色のふわふわの髪から頭の上に、犬のような三角の耳が飛び出している獣人の少女──シェリィが、スカートの下のしっぽをぶんぶん振り回しながら走ってくる。


「わふーっ! ご主人さま、おつかれさまでしたーっ!」


 飛びついてきた彼女を抱き止めると、手拭いを受け取り、汗を拭く。髪から滴る汗が、床の石畳に染みを作る。


 俺がこの世界にやってきてから、十日ほどが過ぎた。いきなり巨大な熊と戦って死にかけたり、狼に食われかけたり……。

 それを、俺は愛用の木刀をぶん回すことでなんとか生き延びてきた。でも、この世界で生きていくなら、木刀ではなく、鋼の剣で戦う術を身につけなければならないとデュクスは言った。確かにそうだと思う。


「ご主人さま、お水、お水!」


 シェリィが差し出してきた筒の栓を抜き、水を飲む。火照る体に、ちょうどいい冷たさの水が染み通っていく。


「……ふう、ありがとうな」

「ボク、お役に立てた?」

「ああ、とても」


 頭をなでてやると、本当にうれしそうに目を細める。


「おうおう、毎度毎度、見せつけるねえ」


 デュクスが笑いながら近づいてくると、「こいつも片付けておけ」と木剣を投げてきた。受け取ると、「メシだ、メシにするぞ」と言って、中庭からギルドの建物の中に入っていく。


「飯にするか」

「うんっ! ボク、おなかすいた!」


 きゅっと左腕にしがみついてきたシェリィを連れて、俺もギルドの建物の中に戻った。




「それでだ。今度、隊商が出る。そいつに参加するぞ」


 デュクスが、山盛りの素揚げの肉を口に放り込みながら言った。


「隊商護衛って、あまり魅力のない仕事って言ってなかったか?」

「ああ、確かにそうだ」


 デュクスはニヤリと笑ってみせる。


「隊商護衛ってのはあまり旨味のない仕事だ。だが、実績にはなる。その他大勢ではあるが、商人に顔を売ることができれば、個人的な護衛を頼まれたりすることにもなるだろう」

「つながりを作るためにってことか?」

「そうだ、自分の顔を売るためだ。そういうのは、駆け出しのお前さんにとって、得られるカネ以上の価値があるってことだな」

「……分かった、やってみる」


 シェリィと顔を見合わせる。「ご主人さま、ボクもがんばる!」という元気な彼女に、俺も「よろしくな」を笑い返す。

 ところが、デュクスはあまりいい顔をしなかった。


「カズマ、そいつはちょっと控えた方がいい」

「え? どうしてだ?」

「カズマ、そこは察してくれよ」


 デュクスは苦笑いだ。


「なんだよ、それ。シェリィが獣人だから駄目だっていうのか?」

「……それだけじゃないんだが、まあ、それに近いってこった」


 デュクスの言葉は、いつもと違って歯切れ悪く感じる。


「今回の仕事は、隊商護衛だ。ただの害獣退治や魔獣討伐、この前みたいな個人護衛とは違う。多くの目に触れる仕事だ。そういう場で、名が売れているわけでもない若造が、獣人族ベスティリングの、それも働くでもない女を連れているのを見た商人どもは、どう考えるだろうな?」

「働くでもない女って……! シェリィはちゃんと、俺と一緒に戦って……」

「ああ、分かってるさ。オレが言っているのは、『周りの人間がどう捉えるか』だ」


 デュクスは、ため息をついてバリバリと頭をかくと、素揚げ肉を口に放り込んでから俺たちを指さして言った。


「お前ら、ベタベタしすぎなんだよ。さっきも言っただろう? 見せつけるんじゃねえ、見苦しい。そんな姿を見せられていたら、まじめに仕事をしているように見えるわけがないだろう」


 再び大きなため息をつかれて、俺は戸惑うしかない。


「……ええと、俺、そんなにベタベタしてるのか?」


 隣のシェリィを見ると、「んう?」と首をかしげる。

 俺の左腕に、しっかりと右腕を絡めたまま。

 「シェリィだってしっかり働いてみせるよな?」と聞くと、「ボク、ご主人さまのためならなんだってするよ!」と元気に答える。それが頼もしくてわしゃわしゃと頭をなでると、シェリィは目を細め、頬を染めた。


「そのざまを見せられて、それでも『こいつらはベタベタしていません』なんて言うバカがどこにいるんだ」


 デュクスが、うんざりした様子でまた、ため息をついた。


「お前さん、ひょっとしてわざとやってるのか?」

「わざと? なにをだ?」


 わしゃわしゃと頭をなでると、ぴこぴこと動く耳の柔らかくふわふわな感触がたまらないんだ、これが。

 わしゃわしゃ、わしゃわしゃわしゃ……。


「あふぅ……ご主人さまぁ……」


 目を細めて体をもじもじさせるシェリィが、また可愛い。


「……分かった、もういい。お前さんはお前さんの道を行け。ソレが止められねえっていうなら、今回の話は無しだ」

「え、ちょ、ちょっと待ってくれよ!」


 俺は慌てて手を止めたのだった。




 デュクスから隊商護衛の話が来てから数日後。

 俺はデュクスと共に騎鳥シェーンを駆り、隊商の護衛に就いていた。

 こういう仕事にすんなりと潜り込めるあたり、「ギルド」という集団に属することのメリットを強く感じてしまう。ギルドが、俺の身分を保証するのだ。


「身分を保証するっていう言い方は確かにそうだが、つまり裏切者やギルドの名誉を故意に傷つけるようなヤツには、ギルドからの『死ぬよりも恐ろしい』制裁があるからな。そこは覚えておけよ?」


 ……なにそれこわい!


「当たり前だろう。俺たちは互いに互いのために命を懸けてるんだ。それを穢すような輩なんぞが迎える明日など、存在していいと思うか?」


 死ぬよりも恐ろしい制裁って言ったけど、やっぱり死ぬんじゃないかっ!


「分かってねえな。死は、一度は仲間であったソイツへの、最後の慈悲なんだよ」


 ひいいいっ⁉


「バカ言ってるんじゃない。それよりカズマ、定位置からずれすぎだ。戻れ」


 デュクスに言われ、必要以上に彼に並ぶようにしていたことに気づいて、俺は騎鳥シェーンの歩みを緩めさせ、定位置に戻る。


 隊商の擁する五台の荷車。それを、甲角獣ライノセロスが引いている。見た目はサイに近く、鼻先の短い角は鋭く、硬い皮膚は鎧のようだ。


「それにしても、たくましい動物ですね。初めて見ました」

「そうか、坊主は初めて見るか。すごいだろう。コイツにはわしらの生活がかかっとるからな。投資は惜しまん」


 御者台に座る商人の男が、得意げに答えた。


「力が強く、丈夫で、扱いやすい。脚はあまり早くないが、荷車を引くにはちょうど良い。それがこの甲角獣ライノセロスだ」


 ゴトゴトと音と立てる荷車のサイズは、2トントラックほど。荷物が山となって積まれているそいつを、たった一頭で引いている。たしかに、この甲角獣ライノセロスって奴は頑丈で強いのだろう。


「それにしても坊主、腰に剣をいているのは分かるが、なんで木剣なんざ背負っておるんだ?」

「俺のお守りみたいなもんです」

「お守りねえ……。えらくでかいお守りだな。まな板に使えそうだ」

「よく言われます」


 俺は笑ってみせる。高校でもよく「竜殺し」だの「バスターソード」だの「まな板ブレード」だのと冷やかされた。


「そんなでかい得物、振れるのかい?」

「もちろんです」

「頼もしいねえ。頼もしいが、騎鳥シェーンに二人乗りで、速く走れるのかい?」

「ええ。なにせこいつは丈夫なんで」


 商人は後ろに乗っているシェリィのことが気になったらしいが、俺は胸を叩いて笑顔を作る。

 下手に言い訳するより、堂々としていればいい。


『ただし、人前でチビの髪をなでるな。従者としての振る舞いを徹底させろ。それができないならこの話は無しだ』


 デュクスに約束させられた。だからシェリィの首には、「従属者セルブ」と刻印された首輪が付けられている。すこし窮屈な生活になるが、これも俺の経験のためだ。


 そうして、商人たちと談笑しながら、ちらちらと、視界の端の、隊商に合わせて一緒に歩く貧しげな身なりの人々を見る。

 彼らは、一人では旅することが難しい人たちだ。


 俺は、この世界に来た時に、たまたま全滅した冒険者パーティが乗っていた騎鳥シェーンを手に入れて、以後、こいつを使わせてもらっている。足が速いこの鳥は、旅にはもってこいだ。もし山賊に襲われたとしても、こいつの脚力なら逃げ切れる気がする。


 でも、貧しい人たちは、この騎鳥シェーンを手に入れることは難しい。一応、街にはレンタルの騎鳥シェーンが整備されていて、たとえば次の街で乗り捨てていくこともできる。


 しかし、そもそも貧しい人は、騎鳥シェーンに乗る訓練をする機会すらないのだ。そんな人は徒歩で行くしかない。そうした人々が、自分たちの身の安全を守りつつ、旅をする手段──それが、「隊商についていく」だ。


 隊商を守ることが俺たちの今回の仕事。

 でも、万が一の時には、この貧しい人たちも守らなければならない。

 それは大きな負担になりそうだ。


 だけど、護衛である俺たちの力を頼るしか移動することができない人たちがいるのなら、この人たちを守るのは俺たちの使命だと、騎鳥シェーンの手綱を握りしめた。

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