第27話:俺は必ず彼女を守れる男に

 日が沈んだ街は、日本と比べて随分と暗い。昼間には見られなかった種類の客引きが道にあふれ、道行く人を店に引っ張り込もうとする。

 俺はシェリィの手を握る手に力を込めて、道を急いだ。化粧の濃い、けばけばしいドレスに身を包んだ女性の声を無視しながら。


「ご主人さま?」


 シェリィが戸惑うような声を上げる。なんというか、早く通り過ぎたかったんだ、どうにも居心地が悪くて。


 重厚な石造りの、見慣れた宿の前に立つと、俺は息を整えてドアを開けた。


「いらっしゃい……よう、おかえり」


 宿の店主の声をきいて、ホッとする。我が家、というわけじゃないけれど、帰ってきたという実感が改めて湧いてくる。


「ちょうどいい、湯浴みの湯が沸いているところだ。持っていけ」

「すんません、ええと……洗って干したばかりの綺麗な手拭いってありませんか? 新品じゃなくていいんです。汚れますんで、売ってもらえませんか」

「手拭い?」


 店主はシェリィの腕を見て気がついたみたいだった。


「そうか、ケガの手当てに使うんだな。分かった、こいつを持っていくといい」


 そう言って、棚の中から手拭いを三枚、出してくれた。


「ありがとうございます。ええと、お代は……」

「部屋代にツケておくから、またその時に払ってくれたらいい」


 礼を言って手拭いを三枚受け取り、そしてみ用の手桶を借りる。店主は、いつもよりも多めに湯を入れてくれた。重くはなるけど、ありがたかった。


 部屋に入ると、重かった手桶を床に置いて、俺はベッドに倒れ込む。シェリィも、歓声を上げてベッドに飛び込んできた。こういうとき、やっぱり広いベッドってのはいいと感じる。


「ご主人さま、おふろ、おふろ!」


 スカートがめくれ上がるくらいの勢いでしっぽをぶんぶん振り回すシェリィに、苦笑するしかない。最初はあんなに怖がっていたのに。


「シェリィ、腕、見せてくれるか? 湯を浴びるときに、丁寧に洗いたいんだ」

「うん、分かった」


 早速、アバルからもらった小袋から丸薬を取り出そうとすると、丸薬の他に、小さな容器が入っていた。中を開けると、ラードのようなものが入っている。しばらく何に使うのか首をひねっていたが、ワセリンみたいに使うってことじゃないだろうかと閃いた。多分、これを使って、丸薬を軟膏にするってことなんだろう。


 丸薬は、ちょっと力を入れてつまむと簡単にほぐれた。ラード状のものに混ぜ合わせるようにすると、ペースト状になった。これはちょうどいいかもしれない。


 血が染み通って赤黒く固まっている当て布を外そうとすると、彼女は急に顔をしかめた。

 ……ああ、かさぶたが布に張り付いている!


「……ごめん、シェリィ、痛むけど……」

「うん……。ご主人さまがしてくれることなら、ボク、どんなことだってがまんする」


 シェリィが、きゅっと目を閉じる。これから痛いことをされる、という覚悟を決めたんだろう。心の中でごめん、と言いながら、当て布を剥がす。


「ひぐっ……!」


 ブワッと膨らんだしっぽが跳ねて、その小さな体がびくんとそりかえった。かさぶたが剥がされて、赤い血が滲んでくる。狼に噛みつかれて裂かれた肉がささくれているのが痛々しい。


「……シェリィ、ごめん。俺があの時、うまく戦えなかったから……」

「そんなこと、ない……よ?」


 シェリィが、目を固く閉じながら、でも、はっきりと言った。


「ご主人さま、ボクのこと、助けてくれたもん。ボク、ご主人さまのお手伝いできて、よかったって思ってる」

「……そっか。でも痛い思いをさせて、ごめん」

「ボク、平気。ご主人さまがすること、なんだってがまんできるよ。だって──」


 シェリィは目尻に涙を浮かべ、それでも笑った。


「だって、ボク、ご主人さまのシェリィだもん」




 治りかけていたシェリィの腕の傷を再び開かせてしまったってこともあって、その日のみは、俺も手伝った。


 なるべく見ないようにしながら、それでも、湯が滑り落ちていく、上気してほんのり紅色に染まる白い肌のなまめかしさに、心臓が口から飛び出しそうだった。でもってシェリィのやつ、あまりにも自然な態度でこっちに体を向けてきたりするものだから、目のやり場に本当に困ったんだよ。

 ……俺、男として見られてないってことなんだろうか。


 湯浴みが終わったあと、赤黒い傷口に、さっき薬草の丸薬とラード状のものを練り合わせて作った軟膏を塗りつける。


「きゅうううっ……!」


 しみるのだろうか。目を閉じて、耳を後ろに向けるようにして伏せて、体を震わせながら、それでも歯を食いしばり、手を振り払ったりせずに耐えている。


 もう、とにかく早く終わらせてやろう、という思いしかなかった。宿の主人からもらった手拭いを包帯がわりにして、ぐるぐると患部を包む。傷が早く治りやすくなる、というアバルの言葉を信じるしかない。


「……よし。シェリィ、よくがんばったな」

「う〜……。ボク、がんばった?」

「ああ、がんばったよ。早く治るといいな」

「うん……!」


 うれしそうにしっぽをぶんぶん振ってみせるのがまた、可愛らしい。

 彼女と、今回もなんとか帰ってくることができた。彼女にも、また助けられた。

 でも、今度はこんな怪我をさせてしまった。申し訳ない思いで、いっぱいだった。


 もっともっと強くならないと。

 大切なひとを、守れるように。




  ◆◇────・  ⚔  ・────◇◆




「使命?」


 自分に求められたその内容に、思わず聞き返す。

 それ・・は、微笑みながらうなずく。

 そこにいた誰もが、顔を見合わせた。


 暗い表情を変えない三十代くらいのスウェットを着た女性。

 驚いて食って掛かっている二十代くらいのスーツの男性。

 妙に嬉しそうにしている中学生くらいの学生服の少年。

 ほかにも何人かいるけど、だれもが日本人に見えた。


「それは困る! 帰らせてくれ、俺には仕事があるんだ! 仁天堂にんてんどう夫妻の家の設計を、やっと完成させたところなんだぞ!」


 正体も分からないそれ・・に食って掛かっている人の名札を見ると、どうやら設計事務所の人のようだ。


「帰れないだって⁉ そんなバカな、あんたがここに連れてきたっていうなら、帰る方法だってあるんだろう⁉」


 さっきから、設計事務所の人がひどく取り乱している。よっぽど大事な仕事だったんだろうか。


 この、果てしなく続くように見える真っ白な空間。

 どう考えたって、もう、常識で量れるような話じゃない。

 この取り乱しているおっさんには悪いけど、俺はなんだか、どうでもよくなっていた。

 誰もいない孤独な白い空間で、死ぬほど人を、出口を求めて走り回り続けて、どうしようもなくて、虚無の領域に達してしまっていたからかもしれない。


「……すんません。ちょっといいですか?」


 俺は、聞いてみた。


「その『使命』って奴を果たしたら、どうなるんですか?」


 素朴な疑問。

 俺の問いに、それ・・は、にっこりとほほ笑んだ。


 その、やけに赤い唇が、ひどくなまめかしく、そして──




 ──ひどく、禍々しく見えた。




  ◆◇────・  ⚔  ・────◇◆




 目を覚ましていた。

 ひどく寒々しい。


 窓からはもう、月は見えない。おそらくもうすぐ夜明けなんだろう。

 目の前には、シェリィが小さく丸まるようにして、俺の懐に収まるようにしている。こう見ると猫みたいにも見える。

 金色のふわふわの毛に覆われた、先が垂れた三角の犬のような耳が、彼女のトレードマークだ。


 ……やっぱりここは、日本じゃない。夢でもない。

 俺は、この、日本ではない世界にいる。


 そっと、シェリィの頭をなでてみた。

 ふわふわの金色の髪は、ただの髪の毛ではないようだ。自分の頭と比べても、ずっとボリュームを感じる。


 彼女の背にそっと腕を回してみた。

 ……ああ、温かい。

 ちゃんと生きている。


 彼女が狼に腕を噛まれたとき、心底、肝が冷えた。

 あの時は、本当に自分の無力さを痛感させられた。


「んう……」


 彼女が身をよじった。しまった、起こしてしまっただろうか。

 そう思う間もなく、彼女の瞳が開く。透き通るように美しい、青紫の瞳。


「……やあ、おはよう……」

「ご主人、さま……?」


 しばらく、言葉もなく見つめ合う。

 シェリィの目が、だんだん大きくなってくる。

 髪もなんだか、逆立つように膨れてくる。


「きゃふううううっ⁉」


 素っ頓狂な悲鳴を上げるシェリィ。

 顔を押さえて隠し、そしてそこから目だけ出して俺を見て、そしてまた顔を隠す。


 俺はその時初めて、自分が彼女の背に腕を回したままだと気づいて、慌てて手をどけて起き上がった。


「ご、ごめん! 勝手なことをした、悪かった!」


 シェリィは顔を真っ赤に染めている。毛布に顔を半分うずめて、でも俺を見上げながら、蚊の鳴くようなか細い声で聞いてきた。


「ぼ、ぼ、ボク……ご主人さまに、また、抱かれたの……?」


 抱かれたかどうか。

 ……まあ、うん、確かに今、彼女の背中を抱いてた。

 ごまかすのは男らしくない。ちょっと後ろめたい気持ちもあったけど、うなずく。


「わふ……!」


 毛布の中に顔を隠してしまった。


「もう二夜も……ボク、ボク……やっぱりもう、ご主人さまは、ボクのこと……!」


 なにやらぶつぶつ言っている。

 でも、毛布の中でしっぽがばさばさといっている。


 ……なんか俺、またやらかしたみたいだ。

 いったい何をやらかしたのか聞いてみたかったけれど、なんだか気まずくて、聞きそびれた。


 聞きそびれたけど、彼女は結局、俺の懐に潜り込んできて、二人で二度寝をした。

 シェリィが頬を染めて、けれど俺を見上げて、幸せそうにずっと、俺の懐で顔をこすりつけるようにしていた。


 彼女を守りたいと思った。

 守れる男になりたいと思った。

 ずっと一緒にいたいと思った。

 ずっと一緒にいたいと思ってもらえる男になりたいと思った。


 ……で、俺は起きる前に、ひどく寝汗をかくほどの夢を見たような気がするんだけど、どんな夢だったのか、忘れてしまった。




「おう、カズマ。早かったじゃねえか」


 ギルドの食堂兼酒場で、デュクスがジョッキを持ち上げてみせる。

 朝から酒かよ。まあ、人の自由だけどさ。


「よろしく、デュクス」

「ああ。一刻も早く、剣に慣れてもらわなきゃ戦力にならんからな」

「ご主人さま、そんなのなくても強いもん!」


 俺の左腕にぶら下がるようにして、シェリィが頬を膨らませる。


「そういうわけにはいかないからさ。大事なひとを守れる俺になりたいし」

「大事な……ひと?」


 とたんに、シェリィの顔が真っ赤に染まる。


「ぼ、ボク、だいじょうぶだよ? ううん、ボクがご主人さまをお守りするの」


 いや、女の子に守られてばかりじゃ、オトコとしてどうだって話だ。


 俺はこの世界に落っこちてきた。

 帰るめどはたっていない。

 でも、剣道の腕はそこそこ役に立っている。

 今よりももっと強くなってやる。

 強くなって、生き延びてみせる。


 必ず、彼女を守れる男になるのだ。


「おやっさん。木剣を貸してくれ!」

「威勢がいいな、カズマ。デュクスから剣を学べるのは幸せモンだ。精々励めよ」


 スキンヘッドスケベオヤジ──ギルド長に木剣を借りると、俺はデュクスと共に、中庭に向かった。


 ──強くなるために。

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