第26話:死神デュクス、その過去は
「途中はどうなるかと思ったが、なかなかいい仕事をしてくれた」
アバルは、依頼証の木札にサインをしながら笑ってみせる。このサインが、依頼達成の証だ。別の方法もあるらしいが、そちらの方は別料金がかかるらしい。
デュクスが木札を懐にしまうと、アバルは「こいつは心づけだ。とっておいてくれ」と、小さな袋をくれた。中には黒々とした丸薬のようなものが、いくつか入っている。
「怪我をしたときには、それをほぐして水で溶いて、当て布に染み込ませて使うといい。いざという時には、傷に擦り込むだけでもいい。怪我が膿みにくくなる。とりあえず、そっちのチビに使ってやりな」
うん、やっぱり傷がたちまち治るとか、病気を治すとか、そういう「ゲーム的な」薬なんてものはないらしい。でも、だからこそ、こういった「薬」は貴重なのだろう。商品だろうに、それをもらえるのはありがたい。
「でだ、ものは相談なんだが……。うちの用心棒の怪我が治るまで、また機会があったらあんたらと仕事がしたいが、いいか?」
「その時はよろしく頼む。また声をかけてくれ、デュクスと、カズマだ」
「よろしくお願いします」
アバルの言葉に、デュクスと二人で礼を言う。
「じゃあな、また次も、女神様のお引き合わせのあらんことを」
「女神様のお引き合わせのあらんことを」
アバルとデュクスはそう言って、手のひらを向き合わせるようにした。なるほど、あれがこの世界の「さようなら」なのだろう。
「……さて、帰るか」
デュクスが笑いながら、コップを傾けるような仕草をした。
「ご苦労さん。ま、これからも励め」
宿代、二泊分。
これが、今回の報酬だった。
ギルドのスキンヘッドスケベオヤジから受け取ることができたのは、小さな銅貨が数枚と、大きな銅貨一枚。
それだけだった。
「ま、これがオレたち冒険者の報酬ってやつだ。命の危険と引き換えに手に入れる報酬として、高いか安いか、お前さんはどう思う?」
「……ええと、安い……ような?」
「ああそうだ。安い。こうした護衛は、自分の
「……割に合わなくて、冒険者を辞めるとか?」
「まあ、割に合わねえと感じるのは確かだな。で、魔獣退治に手を出して……そして死んでいくのさ」
死んでいく……!
今回、狼に制圧されそうになった自分を思い出す。あの時、シェリィが割って入ってくれなかったら、どうなっていたか。
「ま、今回は鹿の肉と肝、胆嚢、骨が手に入ったから、思わぬ臨時収入になったのはありがてえ話だが」
あのとき、シェリィは何もしていない、というようなことを言っていたけれど、彼女はきっと、何かをしている。それで、あの狼たちと和解できた。その証の、丸々一頭の牝鹿。
恐ろしい目には遭ったけれど、同時に、野生の奇蹟みたいなものにも立ち会うことになったわけだ。
アバルは鹿の肝臓と胆嚢について、特別報酬としてそれらを買い取ってくれた。デュクスに言わせると、薬屋に売るような相場より高く買ってくれたらしい。そりゃそうだろうな、なにせ鮮度が違う。
おかげで今、それなりに美味い料理を食べることができているんだから、ありがたい話ではある。
シェリィなんて、今もまた、顔中を脂まみれにして、串焼肉にかじりついている。なんとも幸せそうな顔が可愛いらしいけど、おかげで先日買ったばかりの服の裾まで脂まみれだ。洗濯機もないのに、どうしてくれよう。
「でも、今回は狼に襲われたけど、そういうことがよくあるから、護衛が雇われるんだろう? 襲ってきた奴を倒して、それを売れるなら、そっちで稼ぐことだってできるんじゃないのか?」
「護衛任務に限っていえば、そいつはあまり期待できねえな」
デュクスは、つまみの豆を口に放り込んだ。
「例えば隊商護衛なんかがそうだな」
串焼肉の串で空中に何やら描くようにしながら、彼は続ける。
「襲ってきた獣や魔獣の死体は、街道から離れたところに捨てに行かなきゃならねえし、できるだけ速やかにその場を離れなきゃならねえ。だから、解体して売れるものを選別するような時間は与えてもらえないからな」
「捨てにいく? 獲物として持っていけばいいじゃないか」
「馬鹿野郎。お前さん、本当にどこで育ったお坊ちゃんなんだ?」
デュクスは、ジョッキを飲み干してからため息をついた。
「屍肉のニオイを撒き散らしながら移動するなんて、魔獣どもに襲ってくれと宣伝して歩くようなもんだ。街道から離れた場所に捨てるのも、街道が手強い魔獣の餌場にならないようにするためだ」
「でも、捨てにいくなら、捨てた先で解体するくらいできるだろ?」
ゲームでも、よく肉や骨などを手に入れる。その感覚で聞いたら、またため息をつかれた。
「言っただろ。屍肉の臭いを撒き散らしながら、悠々と解体なんかしていられると思うか? そうしている間に、別の魔獣に襲われかねない。角とか牙とかひづめとか、そういうものを切り取ってくるのが精一杯だな。あまり血のニオイをつけて戻るわけにもいかねえしな」
「じゃあ、今回は……」
「まあ、仕事の邪魔にならない時間帯だったからじっくりできたっていう話だ。
「においをつけてきた?」
首をかしげると、シェリィが顔を上げた。
「あのとき、あのひとたちの狩り場になってた。ほかのケモノ、寄せ付けないように、まわりに、においをつけてまわってたと思う」
「……そんなこと、するのか?」
「してた、と思う」
……なるほど。色々な意味で、今回はラッキーだったってことか。
「じゃあさ、護衛じゃなくて、自分で薬草を取って来るっていう依頼なら?」
「もちろん、自分で薬草採集をするなら、目当ての薬草以外にも採集できれば、それを売れば自分の報酬になる。ただし、昨日お前さんが触りかけたモノみたいに、毒を持つヤツも色々ある。下手したら、触っただけとか、近くを通っただけで毒を喰らうこともある。そうした知識を持たずに森に入ることは、お勧めできねえな」
「詳しいな、経験があるのか?」
「あるから言ってるんだよ」
デュクスは俺の皿から串焼肉をつかんで、当然のように食べ始める。
「また……! おい、それ……!」
「授業料だ、ケチ臭いこと言うな」
「それが大の大人のすることか?」
「お前さんもオトナだ、問題ない」
そう言って瞬く間に肉を平らげて、串をポンと皿に放り投げる。
「さて、カズマ。お前さん、今回は木刀に助けられたが、いつまでも木の棒で戦えると思うな。明日、また稽古をつけてやるから、覚悟しとけよ」
言われて、俺はテーブルに立てかけた剣に目を落とした。ずっと竹刀や木刀を振ってきたから、片手で扱う剣というのに、まだ慣れていない。今回も、それでまともに戦えなかった。
でも、今回、あの狼と木刀で戦って、感じたのだ。
命を奪うかもしれない行為への、恐れ。
早く退いてくれと、どれだけ願っただろう。
「よう、デュクス。また子守りか」
突然、後ろから声をかけられた。振り返ると、白髪まじりの髪を短く刈り込んだ大柄な男がいた。
「オリムか。久しいな。とうに死んだと思っていたぞ」
「抜かせ。てめえこそ王都から逃げ出してから、野垂れ死んだとばかり思っていたぜ」
オリムとかいう男の言葉に、デュクスが顔をしかめる。どうやら知人のようだけど、あまりいい関係ではないようだ。
「このガキが今度の弟子か。ずいぶんとヒョロいが、こんなガキ、使い物になるのか?」
「お前よりは役に立つ冒険者になるだろうよ」
「へっ、よく言うぜ」
オリムは手にしたジャーキーのようなものを食いちぎりながら、俺をじっと覗き込むようにして、そしてニヤッと笑みを浮かべる。
「カワイソウに、今度はお前が死ぬんだな」
オリムはそう言って、さも憐れっぽく肩をすくめてみせた。
「どういう意味だ?」
「そのままだ」
オリムは首を振ってみせながら続けた。
「いずれお前は、死神デュクスの盾になって死ぬって言っているのさ」
「死神……デュクスが?」
「そうさ」
オリムは、体をゆすって笑う。
「こいつはな、昔、王都で新兵を鍛える
「オリム、やめろ。昔の話だ」
オリムは、デュクスの方をチラリと見たあと、ニタリと笑う。
「こいつが特に目をかけたヤツは、みんな冥王の元に行っちまったってわけだ。ついたあだ名が『死神』──」
オリムの言葉が止まった。
デュクスの剣が、奴の喉元に突きつけられていたからだ。
……いつの間に抜いたのだろう!
「……そんなに怒るなよ、事実を言っただけだぜ?」
ヘラヘラ笑ってみせるオリム。
俺は立ち上がると、おっさんに向き直った。
「おっさん、言いたいことはそれだけか?」
「おっと、麗しい師弟愛か? 自分の死神となる男のことを何も知らずに師を庇う弟子。泣けるねえ」
「お前──」
思わず言い返そうとすると、デュクスが「やめろ、カズマ」と声を上げた。
「お前さんは、このデブとは関係ない人間だ。放っておけ」
「だけど……!」
「関わるなと言っている」
デュクスの語勢が強くなる。
「オリム。オレたちは今日、ひと仕事を終えていい気分なんだ。その気分が続いているうちに、シマを変えるんだな」
「へっ、死神を怒らせちゃ長生きできねえって言いたいのか? おお、怖い怖い」
オリムは肩をすくめてみせたあと、「おいガキ、せいぜい死神の踏み台にされねえように気をつけるこったな」と低く笑いながら、宿になっている二階に上がって行った。
「……気分の悪い思いをさせちまったな」
デュクスが、舌打ちをしながら席に着く。
「せっかくの気分が台無しだ。おい、カズマ。飲み直すぞ」
「飲み直すって……」
「オレが奢ってやる。まったく、酒の一つも飲まずに、お前さんは何やってんだ。いいかカズマ、イイ男ってなぁ、一に腕っぷし、二に酒、三に女を悦ばす……」
何か無理やり話題を変えようとしているような気がする。今日はもう、お開きにした方がいいかもしれない。
「い、いや、いいよ。それより、今日は疲れたんだ、今夜はもう、宿に戻る」
「なんだ、付き合いが悪いな。……まあいいさ、明日またギルドに来い。剣を忘れるなよ?」
俺の父親は酒を飲んでは醜態を晒し、その度にじいちゃんにしばかれていたから、酒なんてものは一生関わり合いたくないと思っている。それに、シェリィの腕のケガについても、せっかく薬をもらったのだから、早めに手当てをしてやりたい。
「ごめん、デュクス。お休み、また明日、稽古をつけてくれよ」
デュクスは笑いながら、手のひらを向けた。俺もそれに倣って、右の手のひらを向ける。シェリィが、俺の左手をきゅっと握ってきた。俺もその手を握り返し、ギルドを出た。
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