第25話:ミッションコンプリート!

 血みどろの朝を迎えた。


 なにせ牝鹿一頭丸々の解体だ。ただ、「動物」を「肉」にするためには、いろんな工程があるってことを思い知らされた。その一つが「血抜き」。肉は赤い、つまり血の色だから、解体中は血まみれになる、と思ってたら、全然違った。


 まず「血抜き」と言って、血を可能な限り抜いてしまうんだ。もちろん狼に「血抜き」の概念なんてあるはずがないから、最初は首の動脈部分を掻き切って、血を抜くところから始まった。


 毛皮を剥ぎ、胸を割り裂き、臓物を取り出す。

 特に消化器官の扱いは、怒鳴られながら慎重におこなった。万が一、腸を破ってしまったら、「中身」が周りの肉を汚染するからだ。

 大腸から糞が撒き散らされたら食えなくなる、という意味だと思ったら、デュクスに怒鳴られた。


「野生のケダモノの腹ん中には虫がいるんだよ! 絶対に破るんじゃねえぞ!」


 要するに寄生虫がいるっていうことだ。ちゃんと火を通せば問題ないんだろうけれど、それを保存用に加工し、持ち帰るとなったら、寄生虫に汚染された肉を持ち帰ることになるわけで、もちろん、アウト。


 それから、俺、全然知らなかったんだけど、腸ってただの肉のホースがぐるぐる適当に収まっていると思ってたら、お腹の膜にくっつくような形で、一応、動かないようになっていた。いろんな臓器も、収まるべき場所に収まる形で収まっていることがわかった。


 最初こそ生き物を解体するってグロい、と思ったんだけれど、機械的な構造物と考えれば、なかなか興味深かった。


 泉から流れ出す川を利用し、肉を洗い、まとめ、今食べる分は火力を強めたたき火であぶり、保存するものはたき火の近くで乾燥を早める。ただ、やはり俺たちは薬草を採りに来たんであって、肉を獲りに来たわけじゃないから、持って帰るにも限界がある。


「デュクス、もう、食べる分と持ち帰って売れる分以外は、狼たちに返すのはどうかな」


 デュクスは苦笑いをして、「お前さんへの貢ぎ物だ、お前さんがしたいようにすればいいさ」と答える。だけど、アバルは「そんなことをすると、追剥狼ベナトループがここを餌場にしかねない!」と猛烈に反対してきた。


「……なあ、シェリィ。そこらへん、狼たちに分かってもらうことはできそうか?」


 ダメもとで聞いてみたら、「いいよ?」とあっさり答えたシェリィ。ひょいひょいっと崖の上の手頃な張り出しに登ると、「あおおおおおおおんっ!」と遠吠えのような声をあげる!


 かと思うと、何やら満足げに降りてきて、「お肉! お肉! ご主人さま、ボク、おなか空いちゃった!」と、朝食を要求してきたものだから、これで話は終わったのかと思って食事を始めたんだ。


 で、俺たちは思わず立ち上がって得物を抜き、アバルは悲鳴をあげてスープの器をひっくり返して、さらに悲鳴を上げる羽目になったんだ。


「ご主人さま! みんな来たよ!」

「……来た、な」


 シェリィは俺を見上げて笑うと、前に進んできた片目の狼に向けて、狼たちに返す分となる肉を指差した。

 狼たち──特に片目の狼は俺の方をしばらくじっと見つめていたけれど、やがて皆に合図をするような仕草をした。それを見た周囲の狼たちが、解体された肉の方に向かうと、めいめい、口にくわえてもっていく。それなりに量があったように感じたけれど、狼たちは全て持って行き、茂みの中に姿を消した。


 片目の狼も、つがいの狼と一緒に俺たちを見つめ、なにやら頭を垂れる仕草をしてみせてから、茂みの奥に消えていった。


「よかったね、ご主人さま!」


 うれしそうなシェリィの頭を、「ありがとな」とわしわしなでる俺。

 デュクスはため息をつき、アバルは信じられないものを見るような目で、俺たちを見つめる。


「お前、ひょっとして魔獣遣いの素質があるんじゃないのか?」


 アバルがそんなことを言ったけれど、あの狼たちはシェリィが呼んでシェリィが交渉したんだから、そんなゲームのキャラみたいな素質が俺にあるはずもない。


 それより肉だよ、肉!

 解体作業は本当に大変だったんだ!

 新鮮な肉を火であぶっただけの肉!

 うーん、原始肉って感じて、ほんとに美味そうだ!

 これぞまさにジビエ料理ってやつだよな!


 と思ってかじったんだよ。


「……これは……!」

「どうだ、美味いだろう!」


 デュクスが満面の笑顔で、同じように肉にかぶりついている。シェリィも、顔中を脂まみれにしてご満悦のようだ。


 ……でも、この肉々しい、というべきなんだろうか、この……。

 うん、はっきりいうけど、くさみがすごいんだよ! 焼肉のタレってやつがいかに肉を美味しくしているか、よく分かったよ! 豚肉の生姜焼き、あれの美味しさは醤油と生姜が作り出してるって、心の底から分かったよ!


 ジビエ料理の味がやたら濃い理由が今わかった気がする! そうでもしなきゃ美味しく食えないからだな! 鹿肉に塩を振っただけの焼き肉の味、正直に言う! 心の中で全力で叫ぶ!


 頼む、せめて胡椒をくれえええええっ!




 その後は特に困るようなこともなく、薬草採集は順調に進んだ。ものによっては思わぬ収穫もあったそうで、帰り道のアバルはホクホク顔だった。


 そして、ゲームだと8Gゴールドなど安価に買える「やくそう」だけど、少なくともこの世界ではそんなに安く買えるものじゃないことも知った。


「例えば、『ウラジロ』はどこでも採集できるから安い。まあ、採れる場所や鮮度によって、効果の強さは変わってくるがな」


 アバルが、袋から取り出した、乾いた葉っぱのようなものを見せてくれた。ウラジロを乾燥させたもののようだ。


「こいつを水でふやかしてすり潰し、傷口に塗ると、一応、血止めの効果は期待できる。だが、それでも新鮮なものには全然かなわない。あればいい、ってわけじゃないってこった」


 そう言って、今度は赤い、テングサを乾燥させたようなものを見せてくれた。


「コイツは、腹の虫に効く『カイニンそう』というヤツだ。『むしくだし』として有名だ。ただ、海で採れるものだからな、なかなか高い」


 さらに、一言で「薬草」といっても、出血を伴う傷の手当てに絞り汁を使うもの、火傷に当てて効くもの、煎じて飲むものは解熱・解毒・下剤など、さまざまな効果を持つものがあることが分かった。


 アバルはそれらを、一つ一つ、見せてくれた。現代日本の薬には到底及ばないんだろうけれど、それでもそれら一つ一つが、この世界に生きる人たちの、工夫と知恵なんだろうなあ、と感心しながら聞いていた。


 ゲームだと「やくそう」の一言で終わりだけれど、色々あるってのが分かった。ゲームの「やくそう」は、きっと「ウラジロ」のようなものに違いない。


「カズマ、それだけ薬草に興味があるならワシのところに来い。いい薬師に仕立て上げてやるぞ。そっちのチビと一緒にどうだ」

「カズマ、分かってると思うが、この男はそこの嬢ちゃんを魔獣除けに使いたいだけだぞ」


 アバルの勧誘を、間髪入れずに切り捨てるデュスク。アバルは「営業妨害だぞ」と笑いながら続けた。


「冒険者なんぞ、そう長くは続けられん。怪我でもしたらおしまいだ。いやいや、怪我で済めばまだいい、命の保証だって無い。だが薬師なら、街や村に店を構えれば一生安泰だ。自分で薬草を採りに行ってもよし、仕入れてもよし。どうだ、ワシの弟子にならんか」


 そう言いながら、時々チラッとシェリィを見る。「獣人ごときに気付けの酒を使うのか!」と言っていたのに、現金な人だ。いや、役に立つものは何であろうと役立てるという現金さが、商人として重要なんだろう。


「すみません、ありがたい話なんですけど、俺、つい最近冒険者ギルドに入ったばかりで。そっちの義理もあるんで、また今度……」

「入りたてなら、立てる義理もそう多くないだろう?」


 なぜか妙に食い下がられたけれど、丁重に断った。薬草のことをいろいろ教えてもらえてありがたかったけれど、俺はこの木刀と共に生きていくって決めたんだ。それに、冒険者をやっていれば、もしかしたら、日本に帰る手がかりが見つかるかもしれないじゃないか。




 こうして、俺の初めての仕事は終わった。夕日を浴びてきらきらと輝く街の城壁の尖塔が森の切れ目から見えたとき、やっと帰ってきたと、心の底からホッとしたよ! 無事とは言えないけど、とにかく帰ってこれたからさ!


「気が早い上に大袈裟なやつだな」


 デュクスはそう言って笑ったけど、俺自身、狼に食われかけたし、シェリィだって腕に大怪我をしている。早く清潔な包帯に変えてやりたかった。


 「その程度、なめときゃ治る」とデュクスはあきれてみせた。「本当に大袈裟というか、甘やかし過ぎだろう」なんて言われたけど、シェリィは俺のために必死になってくれて、それで怪我をしたんだ。できるだけのことはしたいさ。なんたって女の子なんだし。


「外に出れば男も女も関係ねえ。生き汚いヤツが生き延びる、それだけだ。それができねえ冒険者は、早々にこの世から退場だ。あんまり甘いことばかり言ってると、お前を身一つで邪小鬼ボゥグルの巣穴にでも放り込むぞ」


 笑うデュクスは、騎鳥シェーンの速度を上げる。アバルも同じだ。俺も慌ててそれを追う。俺の後ろに乗っているシェリィが、きゅっと、腕に力を込めた。


 みんな帰ってきた。

 帰って、これた!


 いろいろと思っていたのとは違ったこともあったけれど、それでも冒険者としての最初のミッションを、俺はやり遂げたぞ!

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