第24話:追剥狼のつがいの恩返しは
「なあ、シェリィ」
「あふ?」
二人で毛布にくるまり、星空を見上げながら、俺は聞いてみた。
「シェリィは……その、どうして、俺のことを、『ご主人様』って呼ぶんだ?」
前に聞いたかもしれないけど、と付け加える。
「……ご主人さまは、『ご主人さま』って呼ばれるの、いや?」
「俺は、シェリィと仲良くしたいとは思ってるけど、『ご主人様』なんて呼ばれるようなことはしてないし、どっちが上でどっちが下、なんて考えてもいない。俺は俺、お前はお前。……名前、教えただろ?」
すると、シェリィは目を丸くして、そして、うつむいてしまった。
「だ、だって……ご主人さま、ほんとはお貴族さま、なんでしょ?」
「貴族? 誰が?」
「ご主人さま」
「なんで?」
「だって、
シェリィの言葉で、気がついた。
そうか。この世界の人は、名字を持っている人は身分が高いのか。というか、やっぱりこの世界にも身分みたいなのはあるんだな。
今まで、変に気を遣わせてきたみたいで、ちょっと申し訳ない気分だ。
「……分かった。シェリィ、一応聞いておくけど、俺の名前は分かるよな?」
「トーノ・カズマさま、ボクのご主人さま」
ちゃんと覚えていてくれた。
だけど、それが変な誤解を招くなら、あえて名字を名乗る理由はない。
「それは無しだ、忘れてくれ。俺はカズマ。貴族なんかじゃない、ただのカズマだ」
そう言って頭をなでる。ちゃんと覚えていて、敬意を払ってくれていたことは素直にうれしいけど、いつまでも「ご主人様」扱いなんて、他人行儀っぽいからな。
ところが、シェリィは目を見開いて、そして「はふ……」とうれしそうに笑うと、言ったんだ。
「うん、分かった。ボクのご主人さまは、お貴族さまってことを隠してるんだね」
「……は?」
我ながら、間抜けな返事だったと思う。
隠してる? どういう意味だ?
シェリィの言っている意味が呑み込めず、頭が混乱する。だけどシェリィは、うれしそうに俺の肩に頬をこすりつけながらつぶやいた。
「分かった。ご主人さまは、とくべつなヒト。ボク、ご主人さまがお貴族さまってこと、ないしょにする。ぜったいに」
「あ、いや、その……」
「えへへ、ご主人さまはボクのひみつ、知ってて、ボクもご主人さまのひみつ、知ってるの……。うれしい、すごく、うれしい……」
「……シェリィ?」
はふぅ──うっとりした顔で、肩に頬をこすりつけてくる。
「ご主人さま、ボクのご主人さま……。だれにも言っちゃいけない、ボクだけの、とくべつな、とくべつなヒト……」
それがものすごく幸せそうで、なんだか誤解を解くのが申し訳なくなってくる。俺は貴族なんかじゃないってのに。いつまでこの誤解が続くんだろう。
でも、シェリィの存在が、なんだかすごくあったかいんだ。誤解が誤解のまま続いていくのは良くないとは思うんだけど、この関係が、このまま続いてくれたら……なんて考えてしまう。
先輩みたいなデュクス──実際、冒険者の先輩だけど──もありがたいけど、シェリィは俺という人間を必要としてくれるような感じで、俺も彼女のために頑張りたくなってくるんだ。いつまでなのかは、分からないけど。
……そうだ。「いつまで」なんだ?
シェリィは、あの最初の夜の「恩返し」のために、今は俺のそばにいるんだった。いつまで彼女は、そばにいてくれるつもりなんだろうか。それまでには誤解を解いておかないと。
「シェリィ。あのさ……」
「なに? ご主人さま!」
話しかけられたこと自体がうれしいのか、毛布の下で、しっぽがバサバサっと動いた。見上げる彼女の、透き通るような瞳に、言いたかったことが、胸でつかえたかのように出てこなくなる。
「あ、いや……シェリィは、その……。い、いつまで……」
その時だった。
シェリィの耳が、パッとある方向を向く。
「ご主人さま! だれか来た!」
すぐさま立ち上がったシェリィが、茂みの奥をにらみつける。
「誰かって……誰か、分かるのか?」
「この足音、昼間のひとたち!」
昼間の「ひと」たちと言われて、一瞬、誰のことかと混乱して、そして気がついた。
──
くそっ、諦めたわけじゃなかったのか!
「デュクス、起きろ! 狼だ、昼間の奴らだ!」
木刀を手にして立ち上がると、ありったけの声で叫ぶ!
それまで岩壁にもたれかかって、剣を抱くようにして眠っていたデュクスがバッと目を覚まして立ち上がる!
「カズマ! どこだ!」
「シェリィ! 連中は──」
「あっち!」
たき火の明かりが届くか届かないかという茂みの向こうを、シェリィは指さす。
「やっぱり
デュクスが、折りたたみ式のクロスボウに矢をつがえた時だった。
片目の狼が、俺たちの前に姿を現した。あの、昼間の奴だ、間違いない。
群れてはいない。ただ、そこかしこに光る眼がある。……囲まれている!
「カズマ、アレか? お前が言っていた『片目』って奴は」
デュクスの言葉にうなずく。あの大きさ、潰れた片目と傷跡。昼にぶん殴ったところの影響だろうか、若干、びっこを引くようにしながら、それでも堂々たる姿だ。これが野生で生きてきた群れのリーダーという奴なんだろう。
「引いてくれそうにない、か?」
デュクスと共に、俺も木刀を構える。
昼間、あれだけぶっ叩いても、自分のつがいを取り戻すために、真正面から牙を剥き続けた奴だ。追い剥ぎ、という名は、彼には少し、そぐわないかもしれない。とはいえ、こちらだって黙って喰われるわけにはいかないんだ。
「シェリィ。アバルさんを起こすんだ。起こしたら、俺たちの後ろに下がれ」
「わかった」
その時、片目の狼が俺たちの方に向かって、ゆっくりと、こちらの反応をうかがうように歩いてきた。
周りの狼たちは動かないようだ。片目だけが、こちらに向かってくる。
ゆっくり、こちらの反応を確かめるように。
「デュクス……あいつはいったい……?」
「まだ手を出すな。オレが射たら、間髪入れずに出ろ。いいな?」
デュクスの言葉にうなずき、木刀を握り直す。
片目は、真っすぐに俺を見つめながら、ゆっくり、こちらに向かってくる。
そう、奴は他の誰でもない、俺をまっすぐに見つめていた。
ほかの狼たちに動きはない。
片目狼だけが、真っすぐ、ゆっくりと、俺に向かってくる。
「ひいっ⁉ お、おい! さっさとアレを
起きた瞬間、騒ぎだしたアバル。集中力が乱れる、ちょっと起こしてしまったことを後悔する。
けれど、片目の奴は一向に気にしないようだった。慎重ではあったけれど、こちらに歩き続ける。
やがて、奴は歩みを止めた。俺たちと、仲間たちの、ちょうど真ん中くらいの場所で。そこで決闘でも申し込む気か、と思ったくらいの、堂々とした姿だった。
「……なにをする気だ?」
つばを飲み込む。俺が下手な動きをすれば、周りの狼が一斉に襲い掛かってくるような気がして、気が気じゃなかった。
ところが、片目狼は後ろを向くと、小さく吠えた。
それを受けてか、茂みの向こうから、何かを引きずるような音と共に、また一頭の狼が、何かをくわえて引きずってきたのだ。
「……鹿?」
もう一頭の狼が引きずってきたのは、鹿だった。角がないから、牝鹿だろうか。片目は一度引き返すと、もう一頭を手伝うように、一緒にそれを引きずって来る。
そして、俺たちと自分たちの群れの中間地点までそれを引きずって来ると、二頭そろって、俺をじっと見つめてきた。
あとから姿を現した狼を見て、俺はふとしたことに気づいて、シェリィに聞いてみる。
「なあ、あの……片目の隣にいる奴って……」
「うん、片目さんのつがい」
……ああ、あの、俺が木に叩きつけた奴か。
とりあえずあのあと、死んではいなかったんだな。
「……じゃあ、あの鹿は?」
「つがいじゃないよ!」
……それは分かるよ。
狼たちは、しばらくじっと俺とシェリィを交互に見つめていたけれど、やがてきびすを返して、茂みの中に消えていった。鹿を残して。
「……なんだったんだ?」
デュクスが、気の抜けたような声を漏らした。
俺だって分からない。あいつらは鹿を残して、どこかへ行ってしまった……分かるのはそれだけだ。
「ご主人さま! あのひとたちが置いてった鹿、食べよう!」
シェリィが急にとんでもないことを言う。
「え、アレをか?」
「うん! 片目さんのおくりものでしょ?」
「贈り物? アレが⁉」
「うん! 負けたのに見逃してくれたからって。つがいさんも、ぶじだったからって」
俺はデュクスと顔を見合わせる。
「……ホントにか?」
「うん!」
シェリィはにこにこしている。
狼たちは、現に、鹿を置いて去っていった。
状況を考えるなら、シェリィの言うことは、分からなくもない。
……でも、野生の狼の群れが、こんなこと、する?
「……聞いたことがねえなあ」
デュクスも苦笑いだ。
「だが、獲物をわざわざ持ってきて、解体させている間に襲う、なんて器用な真似をする狼の話もまた、聞いたことがねえ。……嬢ちゃんの言う通り、これはヤツらなりの返礼なのかもしれねえぜ? 受け取っとくか」
「ば、バカなことを! 狼だぞ! それもタチの悪い、
「毒ってんなら、ヤツら、自分の口しか操れるモノがねえんだぜ? 毒を仕込もうとするなら、自分が毒を喰らって死んじまうよ」
デュクスは笑いながら、ナイフを取り出した。
「カズマ、どうする? この獲物、狼を信じてもらっちまうか? それとも……」
デュクスの言葉に、俺はシェリィを見た。シェリィはまっすぐ俺を見つめ返す。
「……シェリィの言葉を信じよう。狼なりに義理を通したんだよ、きっと」
「そんなバカな話があるかっ!」
アバルは相変わらず「信じられない!」と騒ぎ続けたけど、俺はデュクスの指示に従いながら、鹿の解体を手伝ったのだった。
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