第19話:気が抜けると、あんな姿に

「う〜……腕が痛い!」


 宿に戻ってきた俺は、パンパンに張った腕をぐるぐる回しながらベッドに倒れ込んだ。


「ご主人さま、だいじょうぶ?」

「平気平気、大丈夫!」


 心配そうに顔をのぞき込んできたシェリィの頭を、「心配してくれて、ありがとうな」と言いながらわしわしとなでる。

 俺を見上げながらうれしそうに目を細めるシェリィが、また可愛い。そんな彼女に、心配なんてかけたくなかった。


「ただの疲れだよ。今日もらった剣は木刀よりずっと振りやすいけど、その分、いつもと違う筋肉を使った感じだからな」


 剣道の竹刀は「刀」という両手剣だけど、基本的には左手が重要になる。だからこそ俺は、あの「まな板ブレード」とからかわれる例の木刀だって、左腕一本で振れるくらいに鍛えた。


 ところが、片手半剣バスタードソードは基本的に右手で扱う片手剣だ。もちろん、右手を鍛えてこなかったわけじゃないが、使う筋肉が根本的に異なるはずだ。明日からしばらく筋肉痛だろう。こういうのも久しぶりだ。


「それにしても、昨日のデュクスとの模擬戦、随分とたくさん賭けられていたんだな。こんなにも買い物ができたなんて」


 ベッドに積み上げられた買い物の山に、俺は苦笑する。古着屋で買った服は、マーテルさんが手配をしてくれた荷運び人さんが宿に送ってくれたし、鎧やバフコートは、店で「着る練習」と「着慣れる練習」のために身につけ、そのまま一日を過ごしたから、その「買い物の量」を意識していなかったんだ。

 改めて、こんなにも買い物をしたということを思い知った気分だ。


 その時、ドアをノックされた。


「よう、湯浴みの湯だ」


 宿の店主が、手桶に一杯ずつ、湯を持ってきてくれたのだ。


「ご主人さま、おふろ、おふろ!」


 昨夜と違って、妙にうれしそうに手桶を受け取るシェリィ。昨日の湯浴みで、湯を浴びるという行為に慣れることができたんだろうか。しっぽがパタパタと揺れているのが、また可愛い。……ああ、可愛すぎるよ!


「ご主人さま! ボク、ご主人さまの体、洗うよ!」

「そいつは勘弁してくれ、背中も自分でやるから!」


 そう言ったら、ものすごーく悲しそうな顔をされた。

 でもだめだ、そこは譲れない。引いた一線は守らないと。


 ……でなきゃ、俺がきっと理性を保てなくなりそうだから!




  ◆◇────・  ⚔  ・────◇◆




 どこまでも続く真っ白な部屋。

 永遠に続くかと思うような落下の恐怖から解放されたと思ったら、気の狂いそうな無限の牢獄に閉じ込められたかのようだ。


「誰か、いないのか……!」


 血を吐きそうなくらいひりつく喉で、かすれる声を必死に絞り出す。

 もう、だめだ……

 これが本当に「床」なのか、それも分からないまま、床に倒れそうになった時だった。


 唐突に、そこに、そいつはいた。


 ギリシャ時代の人が着ていたような、ゆったりとした白い布を巻き付けるようにしている女性……に見える何かが、そこにいた。


 ──すぐ、目の前に。




  ◆◇────・  ⚔  ・────◇◆




「はあっ、はあっ、はあっ……」


 飛び起きるようにして身を起こした俺は、周りを見回す。

 窓から差し込む月の光は、だいぶ傾いていた。夜明けが近づいている、そんな時間帯だろう。


「……夢、か……」


 胸を押さえながら、俺はため息をついた。

 心臓の鼓動がひどく速く感じられる。

 夢を見ていたようだ、それは間違いない。

 でも、どんな夢だったか──今見ていたばかりなのに、どうにも思い出せない。

 なにか、ひどく胸の奥がざわつく夢だったような気がする。

 おまけに昨日の片手半剣バスタードソードの鍛錬の影響だろう、体中がギシギシきしむような悲鳴をあげていて、余計に不安が募る。


「……ふう」


 気持ちを落ち着けるために、大きく息を吐く。寝るか──横になろうとしたとき、「ご主人、さま……」と呼ばれた気がして、そちらを見た。

 すぐそばで、シェリィが眠っていた。


 寝る前、俺は枕を間に置いて、二人のエリアを半分に隔てた。昨夜みたいに、シェリィにピッタリと寄り添われるようなことが今後、何度もあったら、俺が勘違いしてしまいそうだったからだ。


 なのに、近い。

 たぶん、俺が寝ていた姿勢を再現すると、彼女の顔は、めちゃくちゃ近かっただろう。間違いなく俺の顔のすぐ目の前、たぶん彼女の吐息が感じられるほどに近かったはずだ。枕防壁はどこにいった、と思ったら、彼女が抱き抱えていた。抱き抱えながら、こっちににじり寄ってきたのだろうか。


 まったく、俺が反対側に移動したほうがいいくらいだ──そう思って身を起こそうとして、気が付いた。


「……あれ? ……少し、ケモノに戻りかけている……?」


 昼間には、ケモノ耳としっぽが生えている以外は人間そのものだったはずの顔が、妙に毛深く感じられるのだ。

 それだけじゃない。顔つきも、若干、犬っぽくなっている。初めてみた時の、直立歩行する犬というほど犬っぽくはないけれど、でも、犬と人で1:4くらいの比率だろうか。

 金色の産毛に包まれた顔、犬のように若干盛り上がった鼻面。よくみたら、腕もややふさふさの毛で覆われている。


 そっと、軽く握られていた手を開いてみたら、わずかに肉球のような、やや弾力のある感触の部分があった。完全な犬モードではないけれど、もしかしたら、寝ていることで変身が解けかけているのだろうか?


 起こして聞いてみようか迷ったけど、やめた。

 どうせこの部屋は、俺とシェリィの二人だけ。

 今さら叩き起こしても、何のメリットも無い。

 きっと変身を維持できないほど疲れてるんだ。


 彼女がそんなに疲れることがあっただろうか、と考えて、古着屋での一件を思い出す。ずっと知らない女性から話しかけられ、色々な服を着替えさせられて……。彼女なりに緊張していたのかもしれない。

 そっと、その頭をなでる。人の姿の時より、ふかふか度合いが増しているような気がする。


 体をもぞもぞさせて、枕を抱えたまま、俺の方にさらに寄ってくる。


「……おやすみ、シェリィ」


 俺の言葉に微かにうなずいたような気がして、俺はもう一度名前を呼んでみたけれど、今度は反応がなかった。やっぱり寝ているらしい。


 三つの月が、俺たちを見つめるかのように夜空に美しく輝いている。明日は晴れるだろうか。




「ご主人さま! おめざめ、おめざめ!」


 目の前にいるのは、俺の顔の目と鼻の先で、満面の笑みを浮かべるシェリィ。


「……ああ、おはよう」

「おはよう、おはよう!」


 うれしそうにほっぺたを舐めてきたシェリィは、俺の上から降りると四つん這いになり、両腕を伸ばして腰を持ち上げ、しっぽを立てて伸びをする。


 夜中に見た通りだ。初めて遭った時の、あの「直立する犬」のようなシェリィではなく、「人」の姿に変じたシェリィでもない。その中間に位置するような、半人半獣といった感じのシェリィ。


 顔の造形はほぼ「人」だけど、金色のふわふわな毛で覆われていて、若干、その鼻面が盛り上がっている感じ。全身の体格も、ほぼ人間だけど、やっぱり短い毛で覆われている。襟巻きのような首周りの白い毛は、周りの毛よりもふかふからしく、服の胸元がパンパンに膨らんでいる。


「……その格好はどうしたんだ?」

「わふ?」


 どうやら、自覚していなかったらしい。シェリィは自分の手を見ては驚き、顔を触っては驚いていた。


「ど、どうしよう! ボク、こんな……!」

「大丈夫だ。俺以外の誰も見ていないんだから、落ち着いて姿を変えてみろよ」

「う、うう……」


 シェリィはベッドの上で四つん這いになると、その四肢に力を入れ始める。


「あおおおおおおん……!」


 シェリィの体が、青白い光に包まれていく。その光が収まったら、「人」の姿になったシェリィがそこにいるのも、前と同じだった。


「シェリィは、いろんな姿になれるんだな」


 何気なくそう言うと、彼女は恥ずかしそうにうつむいてしまった。


「あ、あれは……。その、気が、抜けちゃってただけで……」

「気が抜けると、あんな姿になるのか?」

「う、うう〜……! 言わないで……」


 シェリィが、頬をますます赤く染める。


「見られて嫌だったのか? あれはあれで、可愛かったように思ったけど」

「うううう〰︎〰︎っ! ご主人さま、からかわないで……」


 蚊の鳴くような声で抗議する彼女が、また可愛らしかった。

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