第8話:水上にそびえる街バージス

「カズマ、お前、村に残っても良かったんじゃねえのか? 『記憶を無くした』っていうんなら、もう、どこに住んだって変わらねえだろうに」

「そうなんだけど──おっと」


 慣れない手綱たづなさばきにバランスを崩しかけるけれど、後ろでしがみついているシェリィのおかげもあって、なんとか体勢を立て直す。


「いい、上手いぞ。初めてのヤツってのはもっと怖がるし、慣れるにも時間がかかるものなんだがな。お前さん、馬か何かに乗っていたのか?」

「分からないけど、デュクスが言うなら、そうなのかもね」


 デュクスに教えてもらいながら、俺はこの世界の「馬」みたいに乗る生き物の練習をしていた。

 それは、「騎鳥シェーン」というものだそうだ。この村に来た冒険者たちが乗ってきた大型の飛べない鳥で、枯れ草色の羽に覆われた、「首があまり長くないダチョウ」みたいな鳥だった。またがってみると結構背が高くて怖く感じたけど、きちんと躾けられていたのか、意外におとなしくて乗りやすかった。


 自転車を乗り回していたのも、多少は有利に働いているのかもしれない。固定されているハンドルと違って手綱というのは難しかったけれど、少し乗ればコツがつかめてきた。


「騎獣に乗り慣れていて、腕っぷしも立つ。爺さんから学んだとかいう剣の記憶もある。それなのに、生まれ故郷のことも、家族のことも、一般常識も抜けている。『記憶を失う』ってのは難儀なものだな」


 デュクスは苦笑しながら、俺の前を騎鳥シェーンで歩いていく。


 そう。

 俺は色々と自分を説明することができなくて、「記憶がない」ということにしたんだ。「日本から来た」で分かってもらえるならいいんだけど、それが異世界だなんて言ったら、どんな目で見られるか。獣人が、毛皮にされるような世界だ。異世界からやってきた人間がどう扱われるか、分かったもんじゃない。


「だが、逆に面白いヤツだな、お前は。普通、冒険者なんてなりたがるもんじゃないんだぜ? 一攫千金にしか興味がない博打ばくちうち、訳ありの食い詰め者、脳みそまで筋肉、働いたら負けかなと思ってるヤツ……そんな連中の掃き溜めだぜ、冒険者ってのは」


 あきれたように言うデュクス。自分も冒険者だというのに、言葉に容赦がない。


「でも、昨日全滅した人たちみたいな人ばかりでもないんだろ?」

「あいつらは野獣退治で小銭を稼ぐ、食い詰め者の代表格みたいな連中だったからな。ま、オレもしばらく『冒険者稼業』から遠ざかっていたこともあって、腕ならしにしばらく付き合っていたから、同じようなものだが」


 デュクスの話では、昨夜の冒険者たちは悪人というほどではないらしいが、だからといってガラが良いとも言えない連中だったらしい。ということは、ガラが悪くない冒険者になればいいだけだ。この世界には、危険な動物がいて、それに困っている人がいる。そして偶然もあったとはいえ、とりあえず戦えることがわかった。


 冒険者なら、あちこち旅をしても不思議じゃないだろうし、もしかしたら、旅の中で日本に帰る方法が見つかるかもしれない。そう考えたら、冒険者という選択肢は、今の俺にとって、かなり魅力的だった。


「シェリィ、お前も手綱を握ってみろよ。シェリィも上手く乗れるようになっておくと、きっと便利だぞ?」

「いいの。ボク、ご主人さまとずっと一緒にいるから」


 比較的短時間でコツをつかめた俺と違って、シェリィはどうも慣れないようだった。でも、俺の後ろに飛び乗って、大して気にする様子はない。まあ、「恩返し期間」が終わればこの関係は終わるんだろうし、俺と行動する限りにおいては、俺に任せて後ろに乗っていればいいという判断なんだろう。


「……まあ、いいけどさ。それより、なんで『ご主人様』なんだ?」

「ご主人さまは、ボクのご主人さまだからだよ?」

「いつの間にそうなったんだ?」

「もうずっとだよ?」


 ずっとって、いつからだよ。俺は思わず苦笑する。一昨日の夜、シェリィに噛みつかれた腕には、今も包帯が巻かれている。本当に痛かったんだぞ、あれ。

 でもシェリィはそんなことがあったこともまるで覚えていないかのように、背中に顔をこすりつけてくる。鼻水でも拭いてるのか、という感じで。


「はふ……ご主人さま……」


 妙にうっとりとしたような声を出されて、俺はまた、苦笑いするしかない。


「カズマ、それでお前、本当に冒険者になるんだな?」


 前を行くデュクスが振り向いた。


「オレが紹介してやることはできるが、あくまで紹介だけだ。お前がギルドに入ることができるかどうかは、お前次第だからな?」

「ありがとう。それだけでもいいよ」

「フン……。同じギルドに入るって言うなら、しばらくは世話を焼いてやることもできるがな。もし手を貸せというなら、格安で貸してやらんこともないぞ」


 そう言って、デュクスは騎鳥シェーンの速度を上げる。


「待ってくれよデュクス、速い……!」

「まだまだ素人くさくはあるが、それだけの手綱さばきができているなら問題ない。ついてこい、カズマ」


 慌てて、デュクスに置いて行かれないようにこちらも拍車をかける。


「ひゃん! ご、ご主人さま、速いよ、こわい……!」

「しっかりつかまってろ」


 つかまってろ──言ったのは確かに俺だけど、突然後ろからぎゅっとしがみつかれて、驚いてもう少しでバランスを崩すところだった。

 女の子の体って、その──柔らかいんだよ、いろいろとっ!




 ふた晩続けて魔獣の襲撃を撃退したということで、俺は、村人からちょっとした英雄みたいなものに祭り上げられていた。もうしばらく泊まっていってはどうか、と村長さんらしい人に言われたけど、デュクスが街に帰ると言うので、それについて行くことにした。


 歓迎ムードは確かにうれしい。でも、いつか来る三度目、四度目の襲撃を一人で迎え討つなんてことになったら、生き残れるかどうか分からない。後ろ盾が欲しかったんだ。


「バージスの街っていうのさ。王都まではちょっと遠いが、街道が整備されているからそれほど遠いとは感じない。いろんなものが集まる、なかなか住み心地のいい、ゴキゲンな街だぜ」


 昼過ぎに村を出発して騎鳥シェーンの足で半日──もう、すっかり夕方の空が赤い。腰が痛い、はやくベッドで横になりたいところだ。


 ベッドといえば、昨夜は大変だった。

 結局、魔獣退治の後始末でほとんど夜通し起きている羽目になって、夜明け近くになってやっと寝ることができたんだ。

 貸してもらえた部屋まで、へとへとになった体を引きずるようにして──シェリィは半分寝てたから文字通り引きずってきて──ベッドに倒れ込んだあとの記憶は無い。朝起きたら、俺はベッドから落ちて床で大の字になっていて、シェリィはベッドで丸まっているというありさまだった。

 今日こそは、まともに寝たい。切実な願いだった。


「もうすぐ森が開けて丘になる。そしたら、街まですぐだ」

「そこで、冒険者ギルドに登録ができる……ってこと?」

「そうだな。お前さんの腕っぷしなら、心配することはないだろうが──そっちはどうするんだ?」


 デュクスは、後ろのシェリィを見た。


「冒険者として登録するのか? それとも、登録はせず従者扱いか?」

「ボク?」


 俺のわきから顔を突き出してきたシェリィ。

 くりくりした目で俺を見上げてくる。


「シェリィが? 多分、そんなこと望んでは──」

「よくわかんないけど、ボク、ご主人さまが言うなら、なるよ?」

「……お前、人間が嫌いなんじゃなかったのか?」

「ご主人さまのおそばに居られるなら、ボク、なんだってするもん」


 シェリィの言葉に、デュクスが笑う。


「随分と懐かれてんなあ。だが、きちんと躾をしておかねえと、そのうち牙を剥かれるぞ?」

「牙を? ……それって、どういう……」


 デュクスは笑いながら、それには答えてくれなかった。ただ、森の木々の隙間から見える夕陽を見ながら、「今夜の宿はどうする? ギルドなら、一応は仮眠くらいはできる部屋があるが」と聞いてくる。


「ええと、それは一晩、いくらくらいで……」

「お前さんはまだギルドの一員じゃないから宿代は必要だし、食い物を頼めば別料金だが、オレの紹介があれば、寝るだけなら無料だぞ」

「それならぜひ!」


 正直に言えば、路銀は心許ない。だから、とりあえず寝床を確保できるというのはありがたかった。

 一応、路銀としては死んだ冒険者たちの遺品から得たもの、そして金策として倒した二頭のイノシシもどきの「ひづめ」がある。街に着いたら、それを売って路銀の足しにするつもりだ。


 特にひづめは価値が高すぎず、しかし時間の経過で価値が下がらないもの、ということでもらったんだ。これを売れば、「ちょっとしたお金」にはなるそうだ。でも、あくまでも「ちょっとしたお金」程度ならば、節約できるならそれに越したことはない。


腐肉喰らいカダヴァクスのひづめがあるんだ、宿なんざ気にしなくてもいいだろうに」


 そう言ってデュクスは笑い、「ギルドに泊まるとなると、大部屋だからな。今夜のお楽しみ・・・・がお預けになるぜ? いいのか?」などと下品な冗談を言う。大人ってこれだから嫌だ。


 ……意識しちゃうだろ!


「ははは、お前さんもおかしな奴だな。──ほら、森が切れた。見ろ、あれだ。オレがねぐらにしている街、バージスだ。このあたりの大きな街の中間に位置するような場所でな、人もモノも集まる街だ。お前さんの素性に関わる何かが手に入ることもあるかもな」


 この丘の下に広がる景色は、なかなかのものだった。

 沈んでいく夕日が、地平の向こうの山に差し掛かっている。

 この丘の下の森を抜けた先は草原や畑が広がっていて、大きな川が、きらきらと夕日を反射している。

 その川の中州をそのまま街にしたような三角形に似た形の、水上にそびえる街、それがバージスらしい。


 街の中を、網の目のように水路が走っているのが分かる。その網目の中で、赤茶色の屋根の家々がひしめき合っている。イタリアにあるヴェネツィアの街のように、川の水を運河に利用しているのかもしれない。

 街の小高くなった場所には大きな建物が見えるほか、広場のようなものも見える。ひょっとしたら、領主の家だろうか。


 街をぐるりと囲む城壁のようなものがあることから、川が、日本の城の堀のようにも見える。そして、バージスの街を中心にするように広がる田園を貫くように、なかなか立派な街道が走っているし、その街道沿いにも集落があるようだ。この街は、このあたりの中心地なのかもしれない。


 さらには、街を中心にするようにしてY字に分岐しているこの川の水上を行き来する、小型の帆船が見える。川自体も、運河のように運用されているんだろう。交易の主要ルートになっているということなんだろうか。


 ということは、この世界ではそれなりに発展した街なのかもしれない──そう思って聞いてみたら、「まあ確かにバージスはそれなりに大きな街だがな。あんな規模で大きいなんて思っていたら、お前、王都に行ったらひっくりかえるぞ」と笑われた。


 いや、それを言ったら日本の東京なんて行ったら、お前のほうが泡吹いて倒れるに決まってるからな!




 分厚い木の板を鉄の鋲で補強したような、重厚な跳ね上げ門に圧倒される。

 デュクスは「それなりの街」なんて言ったけど、なかなかどうして、実際に街をぐるりと囲む城壁と、備え付けられた出入りのための門の大きさには圧倒される。

 日本の城の城門みたいな観音開きではないけれど、扉の分厚さはすごい。

 そして、その門のそばの石壁にぶら下げられている、水晶の結晶をいくつも束にしたようなものからは、明るい光が溢れていて、まるで電灯のようだ。


「冒険者か。ふむ、そこの二人は……あんたの従者?」


 門の前に立っていた男が、俺たちを胡散臭そうな目で見る。だけどデュクスが笑って手に何かを握らせると、「む……まあ、そうだな。従者か。通っていいぞ」とぶっきらぼうに言って目をそらした。

 賄賂というやつだろうか。なんだか、借りを作ったみたいでモヤっとする。


「何を言ってんだ。この時間だ、そんなことを言ってると入れなかったんだぞ? 感謝してもらいたいねえ」


 どうも、日が沈んでからは身分の怪しい人間は街の中に入れないという決まりなんだそうで、俺やシェリィのように身分の保証がない人間は、城壁の前で野宿するしかないんだそうだ。


「まあ、近くの集落まで行って泊めてもらうってのもありなんだが、お前さん、冒険者ギルドに入りたいんだろう?」


 デュクスはそう言って笑ってみせると、「ほら、あそこだ。あの赤い屋根の建物、あれが冒険者ギルドだ」と指を差した。


「我らが冒険者ギルドへようこそ。明日の世の謎を一つ解くために、今日のお前の命を捧げるべし。……創世の女神サマが創りたもうた、この世の謎を解くためにべられる使い捨ての命に栄光あれ、だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る