第6話:冒険者の生き様と死に様と
シェリィと並んで手ごろな石に腰掛けながら、朝日できらきらと輝く川の水面を眺めていた。
太陽は明るく力強くて、光り輝く水面は綺麗だった。この世界にも太陽があって、日本と変わらないところもあるのだという感慨が湧いてくる。と同時に、帰る術はあるのだろうかという不安もよぎる。
ただ、にこにこと隣で微笑んでいるシェリィが、ふかふかのしっぽをくねらせるようにしながら俺の手に絡めてくるのが、今は救いだった。せっかく知り合えた知人だ。彼女の言う「恩返し」の期限がいつまでなのかは分からないけど、できれば長く一緒に居られたらと思う。
来ることができたのだ、帰る方法もきっとある。まずはこの世界を知ろう──そう思って立ち上がると、人の声が聞こえてきた。悲鳴、驚き、そういったものが感じられる声。
──ああ、畑の惨状を目にしたに違いない。俺はシェリィを見た。彼女は不安げに俺を見つめる。
さっきまでの姿も、ふかふかモフモフで悪くない。けど、今は今で、こんなに綺麗で可愛い女の子だ。同一人物には絶対に見えないはずだ。
「……行こう。大丈夫、俺が絶対に守るから」
立ち上がって手を差し出すと、シェリィは緊張した面持ちのまま、俺の手をしっかりと握って立ち上がった。
畑はとんでもない有様だった。酷く食い散らかされた死体に、上半身と下半身が分断された死体。撒き散らされた臓物。それらが、おぞましいニオイを放っていた。
俺が着いた時には、村の人たちはそれらをどうするかと、誰もがため息をつきながら話し合っているところだった。急いでそこに向かうと、最初は当然のように警戒されたけど、自分が昨夜の生き残りであることと、埋葬を手伝うことを話したら、そこからは話がスムーズに進んだ。今も、死体の後片付け中だ。
「カズゥマさんは、あとから来られたんですね」
「はい。残念ながら怪物を追い払うだけで精一杯でしたが……彼らの冥福を祈るのみです」
俺はしれっと答える。嘘は言ってないぞ、嘘は。
「ところで、本当にいいんですか? 古着の代金とか、その……」
お金の持ち合わせもないのにお金を払うような物言いは心苦しかった。でも、ただでもらうというのも気が引けたからだ。そんな俺に、古着をくれた村の女性は、にこやかに首を振った。
「困ったときはお互い様ですから。丈がちょっと合わないのは、ごめんなさいね」
「いえ! 本当に助かります!」
最初、シェリィには苦肉の策で、素っ裸の上に俺のワイシャツを着せていたんだけど、どう考えてもそれで過ごすなんて無理があった。そんなわけで今、俺もシェリィも、このお姉さんから譲ってもらった古着を着ている。俺の方はやや小さく、逆にシェリィの方はブカブカだけど、とりあえずは我慢だ。
「この畑の有様を見れば、本当に恐ろしい怪物だったんだってわかります。それなのに獲物──と言っては亡くなった方々に失礼ですけれど、食べずに逃げたということは、それだけカズゥマさんがお強くて、恐れをなしたってことですから。本当にありがたいです」
そう言って微笑むお姉さん。この村は辺境に位置するらしくほとんど自給自足、森で採れる野草や薬草の類、リスクはあるが動物を狩った時に得られる毛皮などによる現金収入は貴重なのだという。
そんな村で、古着とはいえきっと貴重な布である服を無料でもらうのは、心苦しかった。だからこそ、それを譲ってくれるという言葉には感謝しかない。
村の人たちは、おおむね親切で優しいと感じた。だけど、そんな村の人たちも、「ケモ耳シェリィ」を見ただけで露骨に顔をしかめていた。古着を譲ってくれたお姉さんも、例外じゃなかった。
「カズゥマさん、多分、躾はきちんとしてあるんでしょうけれど、その獣人が畑を荒らしたり家畜を食べたりしないように、ちゃんと見張っておいてくださいね」
そうやって、しっかり釘を刺されたんだ。つまり、獣人に対する差別意識ってのは相当に根深いんだろう。ただ、それを聞いても、シェリィは特に気にする様子もなく、俺のそばで、毛繕いをするかのようにしっぽをいじっている。差別的な言動には、ある程度慣れているようだ。
しかし、こんな彼女を討伐対象にするって、シェリィの奴はいったいどれだけ畑を荒らし続けたのだろうか。本人は大したことをしていないみたいなことを言っていたけれど、ただでさえ現金のない村人が、冒険者に討伐依頼を出すくらいだ。よほど腹に据えかねていたはずなんだ。
そんな状態で「もふもふシェリィ」を見られていたら、どうなっていたか。シェリィが姿を変えることができる獣人で、本当に良かったと思う。
今のところ、村の人はどうやらシェリィを俺の「所有物」扱いしているらしい。誰もが彼女に対して見て見ぬふりをしているような状態だ。嫌な気分だけど、村人の心証をこれ以上悪くしたくなくて、あえて何も言わずに黙々と作業を続けていた。
そのときだ。「おい。お前さんか、昨夜を生き延びたヤツってのは」と呼ばれて振り返ると、革製の鎧のようなものを着た男がいた。
──冒険者⁉
全滅したと思っていた!
あの夜を生き延びた人が、俺とシェリィの他にもいたなんて!
同時に、昨夜の冒険者たちがシェリィを毛皮にすると言い、誰も止めなかったことが思い出される。思わず彼女を背後にかばうようにして前に出た。
ところが、身構えた俺に対して男はにやりと笑い、無精髭の生えたあごをなでて笑ったんだ。
「ああ、別に他意はない。そこの獣人にも興味はないさ、安心してくれ。あの惨状を生き延びたヤツがどんな面構えをしているのか、知りたかっただけだ」
「……あの夜、どこにいたんですか?」
昨夜、こんな人、いただろうか。夜の暗さと今の明るさで印象は変わるのかもしれないけれど、この人があの場にいた記憶はない。
あれを仕留めたのは俺だということを確認して、どうするつもりなのだろう。
「そう身構えるなって。オレはあの夜、小屋の屋根をぶち抜いてきたナニかの不意打ちを食らってな、気がついたら夜が明けていたんだ」
──俺のせいだったっ!
そういえば、昨夜この世界に落ちてきた時、巻き添えにした人がいたっけ!
「奴らとつるんでも、あまり気が乗らねえ仕事ばかりだったからな。それもまた冒険者の生き様の一つではあったんだが……ま、潮時だったってことだろう」
俺の苦悩に対して、この人は特に気にした様子もない。
「気が乗らないって、それはなぜですか?」
「決まってるだろ」
その男は、肩をすくめて笑ってみせた。
「このデュクス、ケダモノの皮剥ぎなんぞのために冒険者をしてるんじゃねえからな。だが……」
デュクスと名乗った男は、俺の顔を覗き込むようにして、続けた。
「あいつらをあんな肉塊にしやがった化け物と戦って生き延びたお前には興味がある。何がどうなったんだ? あとで聞かせてくれ」
そう言って、デュクスは死体をいじり始めた。
「な、何してるんですか!」
「何って、遺品の回収に決まってるだろ。
デュクスはそう言って、革ひものようなものに繋がれた小さな金属プレートを見せてきた。でも、他にも死体の腰の部分に縫い付けられている革袋のようなものを切り取ったり、ブーツの中にあった短刀なども抜き取ったりしていく。
どう見ても死体漁りにしか見えない。思い切って聞いたら、「当然だろう?」と平然と答えられてしまった。
「これが冒険者の生き様と死に様と……ってヤツだ。死体にはカネも薬も武具も不要だ。生きているオレたちが有効活用すべきだし、みんなそうしている」
そう言ってから、彼は納得したように続けた。
「ああ、なるほど。お前さんの取り分の話か。こういうものは山分けだと言いたいんだな? 心配するな。オレもしみったれたことをする代償として、背後から狙われる──そんな面倒ごとを請け負う気はないんだ」
そういう意味で聞いたんじゃない!
でもよく考えたら俺、この世界のお金とかそういうものなんて、何一つ持っていないんだ。それにゲーム──特にRPGとかだと、イベントで別れる仲間の装備を丸ごと剥がすって、実際よくやることだ。
みんなそうしている──その言葉に、俺は釈然としないながらも乗ることにした。
とりあえず、俺とシェリィがしばらく困らない程度には。
土饅頭の上に石を乗せただけのシンプル過ぎる墓の前で、数人の村人たちが祈りを捧げる。俺は少し離れたところで、シェリィのしっぽや髪についた土を払ってやりながら、それを黙って眺めていた。デュクスも、俺の隣で干し肉のようなものをかじりながら、同じように黙って見ている。
「仲間だったんでしょう? 最後のお別れはよかったんですか?」
「なに、冒険者の末路なんて、埋葬する余裕すら無いことも多い。死んだ奴らが遺したものを酒に変えて、飲んで騒いで語り合う。それが冒険者流の弔いなのさ」
そう言って、デュクスは「だから今夜は酒でも飲んでとっとと寝ようぜ。なあに、いくらこんな村だって、酒くらいあるだろう。金を払えば売ってくれるさ。明日には街に帰るんだし、それくらいいいだろう」と背を伸ばし、けれど何かに気づいたように「おっと」とこちらを振り返ってニヤリと笑った。
「そっちにはソレがいるんだったな。それなら夜の邪魔はしないぜ。お前に宿を貸してくれるあの姉ちゃんも結婚間近なんだろうし、今夜はにぎやかになりそうだな?」
「どういう意味ですか?」
「そのままじゃねえか。まさか気づいてないのか? 見ろよ」
デュクスがあごで示した先の木の陰で、例のお姉さんが、男の人と一緒にいた。男の人はお姉さんの頭巾を外して、その髪をなでているように見える。
「あれが、何か?」
「何か、じゃねえだろ。オトコがオンナの髪をなでてんだぜ? だったらあの二人、じきに結婚する仲だってことくらい、分かるだろ?」
首をかしげると、デュクスは「おいおい、冗談だろう? そのなりなんだし、女ももう
いや、女のひとを
そんなわけで、シェリィのことも、実は正直言ってどう扱えばいいかよく分からない。とりあえず、シェリィ自身は恩返しのつもりで今、ここにいてくれているらしいので、この世界に慣れるまでは──できれば長い間──話し相手にでもなってもらえたら、と思っている程度だ。
ただ、今回の死体処理、シェリィは体が汚れるのも構わずに頑張ってくれた。とても働き者でいい子だと思う。それだけに、思いやりのない発言は不快だった。だから無表情でいたら、デュクスは「なんだ、気に障ったか? 男同士の会話だろ?」と笑った。
「髪や尻尾をなでても怒らないほど躾けてあるんだ。今さら誤魔化す必要なんてないんだぜ?」
「……それって、どういう……」
「いいってことよ。
腕を組み、一人でうんうんと何かに納得している。変な人だ。
ただ、悪い人ではないのだろう。あからさまにシェリィを蔑視・無視する村人に比べて、この人は彼女を俺の付属品扱いするけれど、露骨に見下げるような様子が無い。それだけでもマシに思えた。
「ま、そんなことよりもだ。お前、さっきの話だと、その棍棒でデカブツの頭をカチ割ったんだよな? どこで手に入れたんだ」
俺の木刀を指さすデュクスに、俺は正直に答えた。
「棍棒じゃないですよ。木刀です。爺さんから、鍛錬の素振り用にもらいました」
「素振り用……? いやどう見ても実戦用の棍棒だろう!」
言われてみればボートのオールのようにも見えるし、口の悪い友人からは「まな板ブレード」とも言われたこの木刀、確かに熊の一撃から盾みたいに俺を守ってくれた瞬間もあったし、意外と実戦にも使えるのかもしれない。そういえばさっきデュクスに貸したとき、やたらと驚いていた。
『こんなものを毎日振り回しているだと⁉ しかもこの重さで木刀⁉ 信じられん、鉄芯でも入っているんだろう!』
信じられんと言われても、それで毎日鍛錬してきたのだから、俺にとっては慣れ親しんだものだ。ただ、この世界に来てから、この木刀が妙に軽く感じる。知らず知らずのうちに緊張していて、アドレナリンでも出まくってるんだろうか。
この世界に来て二度目の夜。
やっぱり月が三つもある。日本で見ていたのとは全然違う模様の、銀色の月。青く光る月。そして小さめの、赤い月。
それらの月が照らす静かな世界──俺は、村のお姉さんから宿として貸してもらえた部屋の、一つしかないベッドの上で、シェリィと対峙していた。
本当は、女の子と一緒にベッドで寝るわけにもいかないし、だからといって他に寝る場所もないからと、俺は床で寝るから君はベッドで、と言い張ったのに、そうしたらこいつ、ボクも床で寝る、とか言い出したのだ。
それじゃ、ベッドの意味がない。で、じっと俺を見上げる彼女と、ベッドの上で二人、にらめっこ中というわけだ。
「カズマさま、ボクの髪、なでてくれたから」
俺の手を自分の頬に擦り付けるように、シェリィは目を細めて微笑む。
粗末ながらも洗い上げられたばかりの白いシーツの上で、白い肌が月の光に浮かび上がる彼女は、昨夜までのふかふかな姿とは全然違う。昨夜の喧嘩腰だった態度とも違い、彼女の腰から垂れるふかふかなしっぽは、ベッドの上で、ゆっくりと左右に揺れている。
「ボク、知ってるよ。オトコのヒトがオンナのヒトの髪をなでる意味くらい」
そう言って、シェリィは頬を染めて、耳をぱたぱたと動かした。
──男が、女の、髪をなでる。
そういえば、それって確か、重大なキーワードだった気がする。誰が言っていたっけ。
「ボクはもう、あなたのものだから。……その、えっと……そ、そう! ご恩を返すためなら、なんだってするから。だから……」
そう言って、月明かりの中で輝くような微笑みを見せて、そっと、俺に身を寄せてくる。月を映す、その吸い込まれそうに透明感のある瞳にどきりとする。
……でも、やっぱり「恩返し」のため、ただそれだけなんだよな──勘違いしそうになっていた自分に苦笑いした、その時だった。
「何も聞こえねえってことは、寝てるのか?」
薄い板一枚の薄い壁を、四角く切り抜いただけの窓。そこからひょっこり顔を見せたのは、デュクス!
まさか人が覗いてくるなんて思わなかったから、「うわあっ⁉」とベッドから転げ落ちる俺。カッコ悪いっ!
「……なんだ、
「ま、待ってくださいデュクスさん! 何があるんですか、俺も行きます!」
慌てて体を起こし、立てかけておいた木刀を手に取ると、あっけに取られたような顔のシェリィに留守番を頼む。シェリィも我に返ったようで、「ぼ、ボクもお供するっ!」と、ベッドから飛び降りてきた。
「デュクスさん、何があるんですか?」
「なに、ちょっとしたお客さんが来る予定でね。冒険者の生き様と死に様の話、その2だ」
デュクスがニヤリと笑みを浮かべた。
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