第5話:きみは、こんなに綺麗だと

「そういえば、シェリィ」


 俺は、気になっていたことを聞いてみることにした。


「お前、この村の畑、今まで相当に荒らしてきたんだろ? そんなに食べ物に困ってたのか?」

「ぼ、ボク、そんなに食べてないもん」


 ほんとだよ、と訴えてくるシェリィだけど、毒団子まで使って彼女を狙った村人のことを考えると、かなり迷惑をかけていたことは間違いないだろう。それとも、あの冒険者たちが嘘をついたってことなんだろうか。ひょっとして、シェリィを追い詰めるために彼女への対策だと出まかせを言っただけで、あの毒団子、本当は熊対策だったとか?


 ただ、いずれにしてもシェリィは村人から「討伐」の対象にされてしまった身なんだから、村には入れないだろう。

 それに、赤髪の冒険者はシェリィのような獣人の毛皮について、死体を拾って皮を剥いだことにすれば問題ない、みたいなことを言っていた。その話を信じるなら、今後、連れ歩くようなことをしたら、彼女が無法者につけ狙われることになるかもしれない。もしそんなことになったら、俺が一人で守りきることは難しいだろう。


 そう考えると、せっかく知り合った子だけど、一緒に行動することは難しそうだ。村人が畑に出てくる前に、森に帰ってもらった方が本人のためだろう。

 そう言ったら、ひどく狼狽された。


「だ、だって、えっと、……そ、そう! ボク、まだ、ご恩、返せてないもん!」

「恩なんて大げさな。俺だってお前に助けられたんだ、それでチャラだよ。……また機会があったら、会えるといいな」


 そう笑ってみせたけど、シェリィは一緒に行くと言って聞かなかった。思いつめた様子で、シャツの裾をつかんで放さない。


「そんなにダメ? ボクが、ケダモノの姿だから?」

「そんな顔をするなって。別にお前が悪いわけじゃない。ただ、その姿は、悪い人間に見つかったらよくないことになりそうだからさ。森で静かに暮らしていた方がいいだろうっていうだけの話だよ」

「じゃ、じゃあ、ボクがこんな姿じゃなかったら、連れて行ってくれるの……?」

「こんな姿って……。俺はお前のこと、嫌いじゃないよ。むしろふかふかで手触りもいい。ずっとなでていたいくらいだ。……お互いに縁がなかっただけだよ」


 そう言って頭をなでてやると、シェリィは上目遣いに俺を見上げてつぶやいた。


「……ボクのこと、きらいじゃ、ない?」

「当然だろ? 嫌う要素がどこにあったんだ」

「……じゃあ、ケダモノじゃないなら、いいんだね?」


 言葉の意味がよく分からずに首をかしげると、シェリィはしばし目をそらしたあと、何かを決意したように俺を見上げた。


「ボクのこと、きらいじゃないなら……あなたのこと、信じたい。これから話すこと、秘密にするって、約束してもらえる?」

「秘密? ……ああ、いいけど……」


 シェリィは少しだけためらう様子を見せたあと、胸のふかふかの毛を右手できゅっと握るようにして、まっすぐ俺を見上げた。


「ボクの一族はね、他の獣人と違って、姿を変えられるの」

「姿を、変える?」

「……うん。一族の秘密だからって言われてて……。でも、もう一族っていっても、家族はボク以外、もういないし、あなたなら、きっと約束、守ってくれるって思うから……」


 姿を変える……なんだろうか、狼男みたいに、犬そのものの姿になるとか?

 さすがにそれはないだろうと思いなおし、きっとカメレオンみたいにある程度、体毛の色を変えたりできるんだろうと予想する。でも犬の姿になれるなら、たしかに飼い犬みたいなポジションにしておけば、獣人として狙われることもない気がする。


 そんなことを思いながら、俺は「俺を信じてくれるのがうれしいよ。約束は守る、絶対に」と胸を叩いてみせた。

 シェリィは、上目遣いに、「ほんとうに、ほんとうに、だれにも、いわないでね……?」と言って四つん這いになってみせる。


 まさか、本当に犬の姿になれるんだろうか。でも、魔法がある世界だ。もしかしたら──そう思って見守っていると、シェリィは、きゅっと目を閉じた。四肢を踏ん張るようにして、歯を食いしばると、うなり声のようなものがその口からもれ始める。


「ふっ──う、うあ、あああっ……!」


 苦しげな吐息と共に、その体から、青い光が放たれ始める。

 同時に、全身の長い体毛が波打ち、短くなり始める……!

 犬らしい鼻面が、徐々に短くなっていく……!


「え……? まさか……!」


 その時間は、一分もかからない程度だっただろうか。

 だけど、その一分は俺にとってあまりにも長かった。

 特撮じゃない、本当に変身できる存在がいるなんて!


 荒い息を吐きながら、それでも「彼女」は、にっこりと俺を見上げた。

 そう、「彼女」は、それまでの「ヒトのような、直立する犬」ではなかった。

 もはや体を覆っていた体毛はほとんどない。ふかふかのチビだった存在は、そこにはもう、いなかった。


 金色のふわふわの長い髪。

 頭の上には 先が少し垂れた三角の耳。

 腰からふかふかのしっぽが生えている。

 そして、白磁のように滑らかで、白い肌。


 そこにいたのは、ケモノの耳としっぽを持つ、ひとりの、女の子だった。


「……どう、かな? すこしは、かわった……?」


 額に汗を浮かべてゆっくりと立ち上がったシェリィは、一糸まとわぬ姿で微笑んでみせる。

 その艶やかな白い肌を、ふっくらした胸を、惜しげもなく日の光にさらして。


 綺麗だ──

 それしか言葉が思い浮かばなかった。

 それしか言葉が思い浮かばない自分の言葉の限界が、悔しいと思うほどに。


 朝日を浴びる、滑らかな白い肌が、

 ふわりと風に揺れる、金色の髪が、

 ぴこぴこと動く、三角の犬の耳が、

 柔らかそうな、ふかふかしっぽが、

 何もかも、綺麗に輝いていたんだ。


「これなら、ケダモノって言われないかな……?」

「あ、ああ、……たぶん、きっと……」


 うなずくことしかできない俺に、シェリィがとびっきりの微笑みを向ける。


「よかった……。ご主人さま、おねがい……。だれにも、言わないでね?」


 いまだに信じられない思いで何度もうなずくしかない俺。


「……も、もちろん秘密は守る。けど……でも、なんでだ?」

「ボク、ほんとはケダモノなんだって、ヒトに知られたら、ボクも、他の獣人の仲間も、きっと……」

「……そ、そうか。秘密って、そういう……」


 元の姿があれほど差別されているのに、姿を変えられる奴がいるってことが広まったら、他の獣人も、「ケダモノ」が変身した姿、って疑われて……ということか。

 もしそんなことになったら、あれほどシェリィを差別的に扱っていた冒険者たちみたいな金の亡者が、ふかふか獣人が化けているんじゃないかって疑って、魔女狩りみたいにケモ耳の獣人への迫害を始めかねない。たしかに、絶対に知られちゃいけないことなのだろう。


 でも、今はそれよりもだ!

 目をそらしながら、ごくりとつばを飲み込む。

 あのチビが、こんな綺麗な姿になるなんて!

 

 慌てて彼女に背を向けてワイシャツを脱ぐと、「ごめんっ!」と向き直ってシャツを渡し、なるべく見ないようにしながらシャツを羽織らせる。


 で、着せ終わってから背後に回ればよかったことに気づいて、自己嫌悪だよ!


「……やっぱりボク、そんなに、みにくかった……?」


 なんだか泣きそうな感じの声に、俺は背を向けたまま叫ぶ。


「それはない! お前……アナタは、とっても、綺麗だ……デスヨ!」

「じゃあ、どうして……?」

「一つ……ひとつだけ言わせろ……クダサイ!」


 あのふかふかチビがこんなに綺麗な女の子になるなんて、いったい誰が予想できるっていうんだ! この世界、反則過ぎだろ!

 男だと思い込んでたって言うのもアレなのに、あんな綺麗な体、目の前で見せられて、何にも思わない方がどうかしてる!


「ホントはケダモノって、そんな言い方するな──しないでクダサイ! アナタは綺麗デス、すごく、とても!」

「き、れい、……かな?」

「そうデス! 綺麗デス! いまだって……もちろん、さっきまでのふかふかなお前──っと、アナタだって綺麗……デスカラ!」


 女の子だからってわけじゃない。朝日に輝く金色の体、マフラーのような首周りのふかふかした長い毛だって、もふもふなしっぽだって、みんな綺麗だった!


 そう叫んだら、チビ──シェリィの奴、すごく寂しそうな顔をした。


「あの……話し方、へん……。どうして、さっきまでみたいに、話してくれないの?」


 言われて気が付いた。こんなに綺麗な女の子になったから、緊張しすぎて丁寧語、しゃべってたよ!


 二人して顔を見合わせて、笑い合う。

 肩の力が抜けて、今度は、自然に笑えた。


「お前、ホントに、すごく綺麗だ。いや、その……綺麗なのがいいってだけじゃなくてさ。俺が目を覚ますまで一緒にいてくれた、その心遣いが、すごくうれしい」


 自分をケダモノだと卑下するシェリィを励ましたくて、俺は彼女の頭を撫で……ようとして慌てて手を引っ込めた。犬の姿のときにはできたけど、三角の耳が生えているとはいえ、女の子の頭を撫でるなんて、さすがにためらわれた。


 ところが、シェリィの方は手を引っ込めた俺の手を見て、「なでてくれない……やっぱりボクが、みにくいから……?」とひどく悲しそうな顔をしたんだ。


 そんなわけがあるか!

 もう一度手を伸ばし、その頭をわしわしと撫でる。こうなったら何度だって言ってやるよ。きみはこんなに、綺麗だと。すごく、すごく綺麗だと。


 俺の言葉に、シェリィは耳をぱたぱたと動かし、落ち着きなくしっぽが揺れる。


「やっぱり髪、なでてくれるんだ……」


 髪というか頭を撫でたつもりだけど、シェリィは目を輝かせて俺を見上げる。


「うれしい……! ボク、どこまでもおともするよ。この身の全て、あなたに捧げるから」


 さすがに「恩返し」でそれは大げさすぎるだろう。桃太郎が犬をお供にした場面が思い浮かんで、とにかく照れくさい。


 ぶかぶかの俺のシャツを着て、頬を赤く染めて上目遣いに見上げるシェリィは、すごく綺麗で可愛くて……おまけにそんな彼女に「どこまでもおともする」なんて言われて、胸のドキドキが聞こえたらどうしようと思った。


 同時に、「恩返し」なのだから、それが終わるまでの期間限定、ということを思うと、ドキドキするぶん、それがいつまでなのか、ちょっと寂しくも感じた。

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