第4話:今日からカズマさまの……

 ──それは、「部屋」と呼んでよかったんだろうか。

 真っ白な部屋、どこまで続くか分からない広さの床があるだけ。

 どこだか分からない、ただ広いだけの空間。

 家族を、友人を、思いつく限り並べて叫び続け、走り続ける。

 反響すらない、この果ての無い不思議な空間で。


 いい加減、声も枯れ果てて座り込んだときだった。


「……、……、…………」


 振り向いたそこには──




 ──ふかふかの毛布を枕にしているようで、いつもの自分の部屋じゃない──奇妙な夢から、さらにまた夢を見ているというような、奇妙な自覚。


 妙に体中が痛い。

 そして、変なところがくすぐったい。

 昨日、全身が筋肉痛になるような練習なんか、したっけ──

 そこまで考えてから、はっと目を覚ました。


「そうだ、熊の化け物……って、いてぇ──ぶふっ!」

「きゃっ……」


 体の節々が痛い!

 起きようとして、結局そのまま起きられなかった。白いふわふわの、でもぽよんと弾力のあるクッションみたいな何かに顔が埋まってしまったからだ。

 そして、その時になってやっと、俺は自分がチビの太ももを枕にしていて、起き上がろうとして失敗して、白い毛でふかふかなチビのお腹に顔をうずめていたことに気が付いたんだ。


「……お前……チビ、だよな?」


 ごろりとまた仰向けになると、困ったような、どことなく気恥ずかしそうに見える表情で、俺の顔をのぞき込むチビの顔があった。

 犬と人を足して2で割ったような顔だ。人とは言えないけど、でも完全な犬とも言えない、そんな不思議な顔。獣人──プリム・ベスティリングとかいったっけ?


「ボクのこと、あなたがチビってよぶなら、ボクが、あなたのチビだよ」


 言葉はとてもはっきりと聞こえる。犬みたいな口から、普通に人の言葉が出てくるんだ。獣人──たしかに、「人」だ。


 なんとなくそう考えていたら、チビのやつ、急にぽろぽろと涙をこぼし始めて、そしてすがりつくように泣き出したんだ。


「よかった……! よかった、このまま起きなかったらどうしようって思ってた!」

「お、おい、大げさだな」

「おおげさじゃないもん! あんな、なんどもなんどもかまれたりなぐられたり! それなのにあきらめなくて、あの魔物をやっつけて! すごいって思ってたら、そのまま倒れちゃって! ボク、すごく、すっごく心配したんだよっ!」


 わんわん泣かれて、大変気まずい。わざとおどけて、「あれ? お前だって噛みついてきただろ? 何を心配したんだ?」と言ってみたら、また顔をくしゃくしゃにして、「ごめんなさい……もうしません、ごめん、なさい……」と泣く。ああもう、やらかした!


 チビが落ち着くまで、時間そのものはそれほど長くなかったかもしれない。

 ただ、チビの太ももの上で、がんばって泣くのをやめようと努力するチビを見上げながら、俺はそのふかふかな体を撫でていた。


 ふわふわで、丸くて、柔らかい。

 撫でさすると、あたたかくて、とても触り心地がいい。

 しばらくその感触を堪能していたら、泣きはらした目で、言いにくそうに俺を見つめてきた。


「あ、あの……あのね、その……くすぐったい、の、その……」


 言い終えて、目をそらす。ふわっと、ふかふかなものが、張りのある丸いところを撫でていた右手に触れた。……しっぽだ。


 ……しっぽに撫でられる、俺の手。


「……え? あっ! す、すまんっ!」


 やっと気づいた、というか、なんで気づかなかったんだ、俺!

 つい犬を撫でるみたいなことやってたけど、どこ触ってたんだ俺!

 慌てて起きようとして痛みに顔をしかめて、そこをチビに押さえられてしまった。


「いいよ。気に入ってもらえたなら、いいの。寝ながら、ボクのこと、さわってて。あんなにこわい魔物と、たたかったあとだから……」

「いや、でも、さすがにだな……!」

「いいの、ボクがそうしたい……されていたいから」


 耳をぱたぱたとせわしなく動かし、目をそらしながら、どこか気恥ずかしそうにチビは続ける。


「……その、えっと……。そ、そう! これは恩返し……恩返しだから。ボクのおじいちゃんが言ってたの、恩は必ず返せって」


 恩返し?

 ……ああ、そうか。一応、あの化け物熊から助けたことになるからか。


 俺は苦笑すると、「いや、いつまでも甘えてるわけにはいかないからさ」と起き上がろうとした。すると、チビはなんだか寂しそうな目で、顔を背けた。


「そ、そう、だよね。ボクみたいな、毛むくじゃら……」


 それがひどく悲しげで、それで思い出したんだ。

 獣人をまったく人間扱いしなかった、冒険者たちのやりとりを。


「……バカ、なんでそうなるんだ。ほら、その……膝枕なんてしてたら、重いし、脚も痺れるだろ?」

「ボクが、したかったのに? やっぱり、ボクは……」

「あああ、違う違う!」


 なぜかマイナス思考なチビを励ますために、俺は必死に体を起こすと、痛みに耐えながらあぐらをかく。


「お前、毛むくじゃらって言うけどな? 俺は大好きだぞ、モフモフ!」

「え? あ、その……だ、だい、すき……?」


 なぜかうつむいてそわそわし始めるチビ。ふっかふかのしっぽが、ぱたぱたと揺れている。


「勝手に触って悪かったけど、ふかふかで柔らかくて、触り心地も良かったし、うん、控えめに言ってモフモフ最高だ!」

「あ、えっと、その……あの……?」

「だからお前も自信を持てって! 毛づやもいいし色も綺麗だし、絶対に女の子にモテるから!」


 獣人がどうやったらモテるかは知らないけど、でも毛並みが綺麗ってのはきっとモテるポイントだと思うからな。褒めとくに越したことはない。

 すると、チビのやつ、目を丸くして俺を見て、「え? ボクが?」ときょとんとしたものだから、その背中を叩いて「そう、お前だよ!」と太鼓判を押してやる。


「い、たい……」


 ひどく顔をしかめられて、で、やっと思い出したんだ。

 チビの奴、あの怪物の一撃で怪我を負ってたってことに!


「ご、ごめん! 悪かった、あのバケモノに腰をやられてたんだよな……! 見せてみろ!」

「え? あ、いや、あの、……ぼ、ボク、だいじょうぶだから……!」

「見せろって! 心配したんだぞ! あの時のお前、ひどい怪我をしてたみたいだったから!」

「や、やあっ……!」


 なぜか抵抗するチビだったけど、俺は少々強引にチビのけがの様子を見た。

 チビが怪我をしていたのは、俺が膝枕をしてもらっていた、その反対側だった。ふかふかの毛は、血で固まってゴワゴワになっている。


 固まった血の様子や引きちぎられた毛の様子を見ると、腰から尻のあたりまでにかけて、鋭いもので引っ掻かれたような跡になっていた。背中も、毛が引きちぎられるような線が幾条もついていて、あの熊の化け物の爪が、いかに凶悪なものだったかを物語っている。


「これはひどいな……。痛みはどうなんだ?」

「……平気。舐めてれば治るから……」


 そう言って、実に器用に自分の腰の怪我を舐めてみせる。

 体がすごく柔らかい……って、感心してる場合じゃない!

 俺はきょとんとするチビを抱き上げた。


「わふん⁉ あ、あの……?」

「やせ我慢はオトコの美学、それは分かる。けどな、こんなに大きな怪我はまずいだろ。せめて傷口を洗うとか……」


 そう言って、井戸か何かないかと辺りを見回していると、チビが、どこか言いにくそうな顔でつぶやいた。


「あの、ボク、おんなのこ……」


 だああああっ!

 俺は慌ててチビを下ろす!


「ま、マジ? え、だって、お前、『ボク』って……!」

「ボクは、ボクだよ……?」

「待て、すまん、なんかいろいろ、ホントごめんっ!」


 慌てて地面に額を擦り付ける勢いで土下座する。

 怪我の様子を見るためとはいえ、腰とか、その……おしりとか、触っちゃったよ!

 ってか、俺、そもそもチビが泣き止むまで待ってたとき、手で撫で回してたよ!

 うわああっ! 俺、どう考えても変態だっ!


 ところがチビの方は、「か、顔、あげて? どうしてそんな、謝るの?」と、かえって困惑した様子だった。


「ごめん! 俺がいたところじゃ、『僕』ってのは基本的にオトコが使う言葉だったから、お前のこと、てっきり……」

「……じゃあ、ボク、もう、『ボク』って、いわないほうがいいの?」

「い、いや、そういう意味じゃない。もういいんだ、女の子って分かったから」


 どうにもやりにくい。中学の頃から剣道にのめり込んできたから、正直に言うと、オンナノコって奴の扱い方がよく分からない。


 ……って、オンナノコとかそんなことは後回しだ! 怪我をなんとかしないと!


「チビ、お前さっき大丈夫とか言ってたけど、傷口の近くを触った時、顔をしかめていたじゃないか。本当は痛むんだろう? ……そうだ、そこの村で薬を──は、だめか」


 言いかけて、その村がこのチビの討伐依頼を出していたことを思い出した。だめだ、薬なんてもらえるわけがない! というか、畑の奥、森の向こうの空が、徐々に明るくなってきている。ヤバい、このままじゃ起きてきた村人に見つかっちまう!


「……チビ、少しの間、我慢してくれよ」


 そう言って、チビの身体を改めて抱き上げる。


「きゃうっ⁉ ほ、ほんとに、だい、じょうぶで……!」


 体を丸めつつひどく慌てた様子だけど、渇いた血の塊がべったりとついてる腰を見れば、大丈夫なんて言われたって信じられない!


 体中がギシギシと悲鳴を上げるけど、自分よりひどい怪我をしてる子がいるなら、まずはそっちが優先だ!

 幸い、畑と森の境に、比較的大きな川が流れているのが見える。日本と違って、きっと水は綺麗だろうから、そこで血を洗い流してやることにした。このまま毛皮ごと血がパリパリに乾いたら、きっと行動に支障が出る。


「……ホントに、ボク、だいじょうぶで……」

「やりたくてやってるだけだ。気にするな」

「うう〰︎〰︎……。ほ、ホントにボク、歩けるし……」

「女の子で、しかも怪我してるんだ。おまけに腰だろ、女の子にとって大事なところなんだから無理すんなって」

「うう〰︎〰︎〰︎〰︎っ!」


 ついには何故か顔を手で覆って、なにやらうめき始めた。ほらみろ、やっぱり大丈夫でもなんでもなかったじゃないか──そう言ったら、「ちがうもんっ!」と小さな声で言い返された。何が違うんだよ。




 気温自体は肌寒い程度、川の水も冷たかったけれど我慢できないほどじゃなくて、ひとまずほっとした俺は、ざぶざぶと川の中に、チビを抱えて入っていった。

 女の子といってもこのふかふかだ。体中の泥も落とすために、全身を洗ってやることにした。

 川は幅が広くても深さがほとんどなく、川の真ん中まで入っても膝下程度も無いくらい浅かったから、本人を座らせるようにして洗うのにはちょうど良かった。


 本人の悲鳴からすると、痛みというよりも俺に触れられるのを嫌がっているようだった。……まあ、たしかにそうだろうけど、こればっかりは嫌われたってやった方がいい。


「うう〰︎〰︎! し、しっぽの付け根をさわるなんて……!」

「だから悪かったってば」

「悪かった、じゃすまないよ!」


 朝日が水平に世界を照らすなか、チビはぶるんぶるんと全身を震わせるようにして水気を払った。かなりの水がふっとんできて、隣にいた俺が頭からずぶぬれになる。


 「やったな!」と笑うと、チビは顔を真っ赤に染めたまま、やっぱり恥ずかしそうなしぐさで、上目遣いに俺を見上げる。


「しっぽの付け根をさわった、あなたが悪いんだもん……!」


 真横からの朝の日差しを受けて、チビはやたらと輝いて見えた。淡い金色の毛が、本当に綺麗だったんだ。淡い青紫の瞳も、透き通るような美しさ。

 こんなに綺麗で、そして感情も豊かで、話だって通じる。なのに、ケダモノ扱いなんてひどくないか?


「き、きれいって……! ぼ、ボク、そんなんじゃないもん……!」

「いや、ホントに綺麗だって。お世辞なんて言ったって仕方ないだろ」

「う、う、うう〰︎〰︎っ!」


 毛の色が淡い金色だから、肌の色が透けて見えるのだろうか。犬のような顔のチビだけど、顔を赤くしているのがちゃんと分かる。さっきからずっと、顔が赤い。


「……あ、しまった。そういえば、今までずっとチビって呼んでいたけど、名前、聞いてなかったな」


 すると、チビは「話をそらさないで!」と頬をふくらませつつも、「ボク、あなたのチビになったんだから、チビだよ?」なんてわけの分からないことを言うから、「そういうわけにはいかないだろ」と苦笑い。


「俺の名は一真かずま遠野とおの 一真かずまっていうんだ。カズマでいいよ」


 そう言うと、チビの奴、ひどくびっくりした顔で俺を見上げる。


「……え? おきぞく、さま? じゃ、じゃあボク、いままで……」

「なんでそうなる? それより、お前の名前は?」

「ち、チビでいいよ? あっ……。その、どうか、チビとお呼びください」

「いや、よくないって。というより急に敬語になるなよ、普通にしゃべってくれ」


 なぜかしゅんと耳もしっぽもうなだれさせるチビ。

 だけどうつむきながら、か細い声で答えてくれた。


「……シェットゥラントゥィ。シェルィトゥィって、呼んでくれたら、うれしい」

「わかった。……シェ、ルィ、トゥィ……だな?」


 俺の返事に、ちょっとだけ考えるような顔をして首をかしげて、そして微妙な顔でこくんとうなずくチビ。

 しまった、なんか納得していなさそうだ。たぶん、俺の発音が変だったんだろう。

 ていうか、シェルィトゥィってめちゃくちゃ言いづらい!

 かといって、シェットゥラントゥィって方も、別に言いやすくない。


 ど、どうしよう、チビの方が断然言いやすかった……!

 どうする、今さらチビの方がいい、だなんて言えないぞ⁉

 そんなわけで、しばし全力で考えて出した結論。

 正直に理由を話し、言いやすいニックネームを付けて、それで勘弁してもらおう!


 で、正直に言って何度も頭を下げて提案したニックネームに、チビは、ぱあっと顔を輝かせた。


「シェリィ……? うん、気に入ったよ。ボク、今日から、あなたのシェリィになるんだね」


 やけに嬉しそうに、何度も確かめるように「シェリィ……ふふ、ボク、今日からカズマさまのシェリィ……」と繰り返している。


 とりあえず、起死回生のあだ名作戦が通じてよかった、ホントに。あれで嫌がられてたらどうしようかと思いながら、胸をなでおろす。短い間だろうけど、とりあえず呼び名に関しては、お互いに気分よく過ごせそうだ。


「じゃあ、シェリィ。そういうことで、よろしくな」


 そう言って、握手をしようと手を差し出す。


「……え?」

「握手。……あ、そういう風習、ないのか?」


 シェリィが不思議そうに小首をかしげて、けれど手を差し出してくれたから、それをつかんで握りしめる。


「よろしく、シェリィ」

「わふぅんっ⁉」


 また、ひどくびっくりされた。

 どれくらいかというと、彼女の全身の毛やしっぽの濡れた毛が逆立つくらいに。

 おまけにじんわりと涙を浮かべたものだから、また怒らせてしまったかも、と冷や汗ものだった。


 だから、とびつかれて「ボク、ずっと……ずっと、おそばにいるよ!」となったときには、頭に「?」がずらりと並び続けた。

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