第3話:破邪顕正のチカラを、俺に
ここからは、俺の戦いだ。俺は俺の道を生きるだけだ。野球のバットを持つように垂直に刀を構える「八相の構え」で、俺は怪物と対峙した。
今度は、すぐには襲い掛かってこないようだ。俺の木刀を警戒しているのだろうか。月に向かって垂直に伸びる木刀が、奴の警戒心をかきたてるのかもしれない。
このまま奴が逃げてくれたら──そんな願望が湧いてくる。でもそれはきっとありえない。じりじりと、緊張と焦りが嫌な汗を噴き出させる。
──動いた!
様子を見るように左右にうろついていた怪物が、ゆっくりとこちらに向かってくる姿に、脚がふるえてくる。
……ふざけんなっ!
訳の分からない世界に放り出されて、冒険者の集団に捕まったと思ったらこんなデカい熊の怪物に喰われて死ぬだって?
──誰だ、こんな理不尽な筋書きを書いた奴は!
やられてたまるか、俺は絶対に生き延びてやる!
奴はゆっくりと近づいてくる──と思ったら突然、突進して噛みついてきた! かろうじてかわしたと思ったら、奴は素早くこちらの間合いから離れる。そしてまた噛みついて来てはまた離れて様子を見る。
……こいつ! 一撃必殺の突進から、ヒットアンドアウェイ戦法に切り替えやがった! 立ったら3メートルはありそうな図体で、すばしこすぎるだろっ!
「うらあッ! おりゃああッ!」
せめて気合負けするものか!
雄叫びと共に、何度も打突を鼻面にぶっ放す!
だけど、何度目かに奴の爪がシャツに引っかかった瞬間、あっと思う間もなく刹那の浮遊感、そして地面に叩きつけられる衝撃!
とっさのことで受け身も中途半端になってしまい、痛みをこらえて必死に立ち上がろうとした時には、既に奴が目の前にいた。
悲鳴を上げる間もなかった。
世界が妙にスローモーション。
死ぬ──そう感じた瞬間だった。
「こっち。ケイオスの魔物さん、こっち」
背後から聞こえたのは、高く澄んだ声だった。
怪物の目が、俺からそれる。
奴の視線が追っていたのは──
「……チビ⁉ お前、どうして……!」
逃げたとばかり思っていた、チビの姿だった。月明かりの下で、ふわふわの毛並みをなびかせるように、チビは俺たちに、
「グルゥオオオゥッ!」
吠えた怪物が、チビの背を追って走り出す!
「ば、バカ! 背を向けるなって、走るなって言っただろう!」
「こっち、こっち……」
俺の叫びなど聞こえないかのように、チビは走っていく。時々止まっては、「こっちこっち」なんて言いながら。
バカ野郎! そんなふらふらした脚で!
ああ、噛みつかれる! 逃げろ、喰われてちまう! もういい、俺が行く! 逃げろ、逃げるんだ!
痛む肩を押さえながら、俺は必死でチビのもとに走り出した。あんな無茶なこと、ほっとけるか!
その時だ。
離れていたし、月明かりで暗いのに、はっきり分かった。
チビはこっちを見た。
見て、首を振ったんだ。
それは一瞬のことだった。
チビが奴に追いつかれるまでの、ほんの一瞬。
小さな体が、黒い腕に薙ぎ払われて、吹っ飛ばされる。
まるで、スーパースローの動画を見ているみたいだった。
いったい、何メートル吹き飛ばされたのだろう。金と白の毛玉が、何かの冗談みたいに俺の方まで飛んでくると、地面を大きく一度、そして二度、三度とバウンドし、転がり、動かなくなる。
「……うわああああっ!」
無我夢中で駆け寄ると、腰のあたりを赤く血で染めたチビが、苦しそうな息遣いで、うつ伏せに倒れていた。
「チビ、おいチビ! しっかりしろ!」
俺はチビを抱き起こす。
ふかふかな毛は泥まみれだったが、上半身には目立った外傷は見られなかった。
でも、チビの腰に、じわじわと赤い染みが広がっていく……!
声をかけて揺すぶると、チビは薄目を開けた。
そして、笑ったんだ。
犬の笑顔なんて知らない。でも──
「にげ、て……。うらみっこ、なし……」
確かにチビは微笑んだ。
柔らかな微笑みだった。
そのまま、目を閉じる……
「グフウウウウウ……!」
──怪物のうなり声!
奴は距離を置きつつも、ゆっくりと歩きながらこちらをにらみつけている。
砕けんばかりの勢いで歯を食いしばると、俺は素早く立ち上がり、木刀を正眼に構えた。
チビの馬鹿野郎、なにが「恨みっこ無し」だ。
ふざけんじゃねえぞ、俺のセリフを横取りするな。
チビ、お前が初めてなんだぞ。
この理不尽な世界で、あんな柔らかな微笑みを俺に向けてくれたのは。
……ずっと不機嫌で、怯えたり噛みついたりしてきたお前が。
みんな死んだ、死んでしまった……喉の奥にこみ上げてきた言葉を、無理矢理噛み潰す。
まだ終わってない!
あのふかふかの体は、小さくて、軽くて、やわらかくて、温かかった。
……温かいなら、まだ死んでなんかいないはずだ!
死なせてたまるか!
あの腰の傷だって、手当てすれば絶対なんとかなる!
にじむ涙をシャツの袖で拭いながら、木刀を強く握りしめたときだった。
『よいか、
不意に、剣術を教えてくれた爺ちゃんの言葉が脳裏をよぎる。
『だが、後になって悔いる生き方をするな。己を恥じる卑怯者にだけはなるな。蛮勇は勧めんが、ここ一番というときに踏み
木刀に刻まれた、
「武道で心身を鍛え、その力を正しい行いに用いるべし」という爺ちゃんの願い。
鍛えた心身で、人助けに生きる──俺の願い。
震える脚を、腕を、心の中で叱咤する。
あんなに俺のことを嫌いだとか何とか言っていた子が、初めて見せた笑顔……
あいつが走り出さなきゃ、俺はとっくに喰われていた。
今度は俺だ。俺以外のいったい誰があの子を助けるんだ!
踏み止まれ、誰かの為に命を張る勇気を持つヒトになれ!
夜の底を震わせる恐ろしい咆哮と共に、怪物が距離を詰めてくる!
逃げるなんて選択は無し──全力で地面を蹴り、気合一閃!
鼻面をぶん殴られた奴は、首を振りながら後ずさりし、一度立ち上がって威嚇をしてみせてから、再び距離を詰めてくる!
ガリッ──!
打ち込んだ直後に、奴がパワーショベルのような手でぶん殴ってくる! とっさに盾にした木刀ごと吹き飛ばされたけど、今度は受け身が取れた。この木刀でなかったら、そのままへし折られて俺は死んでいただろう!
すぐさま響く、すさまじい咆哮! 牙が月明かりにギラリと輝く。
──負けられるか! 勇気を振り絞れ!
上段の構え──木刀を振り上げ、この一撃に賭ける!
「爺ちゃん、チカラを!
その瞬間──月明かりの加減だろうか、木刀が青い光に包まれた気がした。
叫び声と共に飛び掛かってくる怪物を、
渾身の力をこめて振り下ろした木刀が、
その真っ黒な鼻面を叩き割る!
硬い衝撃と共に飛び散る、すさまじい青い火花!
身のすくむような恐ろしい怪物の叫び声と共に、衝撃で身体が弾き飛ばされる!
何が起きたのか俺自身わからないまま、それでも受け身を取って立ち上がる!
──右手が痺れてうまく握れない!
けど俺は生きてる……まだ戦える!
必死に立ち上がって木刀を構えると、鼻面を押さえていた怪物めがけてもう一度、全身全霊の一撃を振り下ろす!
「くらええええっ!」
ドガガガァァァンッ! のたうつ大蛇のようにほとばしる青い稲妻!
「グギャオオオオオオッ!」
腹の芯まで響いてくるような、怪物の叫び声!
またしてもその衝撃に吹き飛ばされる──でも、俺はかろうじて衝撃を受け止めるように受け身を取り、足を踏みしめ木刀を八相に構える!
だけど怪物の方は、鼻面を押さえるようにして恐ろしい悲鳴を撒き散らしながら、首を振って苦しげに悶えつつ、森の方に逃げていく……!
姿が消えても恐ろしげな唸り声が響いていたが、しばらくして、辺りは元の静寂を取り戻したようだった。
「……た、たす、かった、のか……?」
妙に体に力が入らない。
俺は木刀に寄りかかるようにして、かろうじて体を支えようとした。
で、飛びついてきたふかふかな何かに押し倒されたのが、記憶の最後だった。
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