なにも、していない

をを

第1話

 小さい頃より、大切な友達が、二人いた。

 高校生になり、最近同性の女の子と遊び始めた私にとっては――特別女の子たちと不和だったのではない、みんな好きだ、ひとえに私が馴染み深さと、気が置けない関係を好み――少なくとも、二人は親友と呼べるほどちかしい友達だった。

 子供の時分に比べて、ずいぶん背が高くなった痩せ形のしーちゃんは、泣き癖があったが今や笑み笑みとしていて私が守ることは無くなったし、だいぶん体格がおおきくなった逞しいくーちゃんは、実によくほがらかに笑っていたが今や私に笑顔を見せてくれることはなくなった。

 ずっと、女の子だからと優しく接してくれていたくーちゃんとしーちゃんだけれど、私は恋愛の感情を意識した機はなかった。まわりの男の子や女の子に二人との仲の良さを言われてみても、そうした『好き』と二人を結び付ける想像さえ難しく、常に小首を傾げた。これは恐らくくーちゃんとしーちゃんだって、心底否定したのだろうとおもう。

 でも……思い返したら。

 くーちゃんは、学校の廊下で同級生に、私を好きかと訊ねられていた際、そんなわけないだろ、友達だよって明るく笑い飛ばして、そうだよなーと納得し気ままに立ち去る男子の後ろ姿を眺め、なんだかやけにまじめな顔をしていた。教室の中にいた私は不思議に見詰め、こちらを見向いたくーちゃんと目があって、くーちゃんは、泣きそうな、というか、なんともいえぬ表情で微笑していた。ふぁいとふぁいと! って、長年何度も同じ問いをされて困っているんだろう様子のくーちゃんに満面の笑みで両手を拳にしガッツポーズで応援した。すると、へらりと、くーちゃんは頬笑んだ。やわく、はかなく、めずらしく。久しぶりにわらってもらえて嬉しがった私は、歯をさらして元気良く一笑した。

 でもな、どういうのかなあ。やっぱり私と近すぎて、辛かったのかなあ。くーちゃんは――無論、しーちゃんも、だ――優しいから。

「……っく……っ、っ……」

 潮騒が響く、暗い夜。

 陸とのさかいが消えて、すべてがひとつになる闇。

 私は、海の匂いが苦手だ。命のまざりあった、匂いがするから。

 でも、しーちゃんとくーちゃんは海をすこぶる気に入っていて、一番遊びに向かったのは近場の海岸だった。

 くーちゃんとしーちゃんと一緒にいたいわたしは、いやなそぶりを一切しないようにして、にこにこと波打ち際を歩いた。いやいや、とっても楽しそうに私に話しかけてくれたり水を掛け合っていたりするふたりを目にしていたら自然と笑勝ちになり、この場を避けたい精神を忘れることが出来た。

 海の水には、足首を浸すだけ。

 足の先以上を入らせると、自分が命の水のうちに溶け込んでいきそうな気を起こし、嗅覚がますます過敏になる。

 しかし、しーちゃんとくーちゃんが共に居てくれるならば、海で耐えられない体験をしたのでもないのに生まれるこうとうむけいな恐怖もはね除けられた。時折全く無考えに私は彼らにひっついていたが、海水に濡れる二人の肌は、海を感じさせない甘く爽やかで良い香りがした。

 現在は。

「……しーちゃん……かえろうよ……」

 砂浜で、背を丸めて膝を抱え泣きじゃくるしーちゃんの、横にかがみ、わたしはしーちゃんのふわふわした髪に触れつつ言う。

「はいちゃん……。………………」

 しーちゃんは泣き濡れた面で私を見遣す。しばらく目と目を合わせ、やがて俯いて、鼻を啜り、ごめんねと口にする。

 だめみたい。

 私は静かにしーちゃんの隣の砂地に尻をつけ、背高なしーちゃんの華奢な肩に手を回して引き寄せた。

 ――くーちゃんが、事故に遭った。

 朝、通学路の横断歩道で、歩行者の信号機が赤に切り替わっても道の端にいたところをバイクにはねられ、コンクリートの道路に頭を打ち付けた。

 くーちゃんが欠席の理由を先生が皆に告げた放課後急いで訪れた病院で、瞼と目尻を赤くして普段通りにほほえんでくれようとするくーちゃんのお母さんが、しきりに謝するバイクの運転手が伝えた話をしーちゃんと私に教えてくれて、聞いた限りでは、接触した瞬間振り向いたくーちゃんには酷く驚いた気色が見受けられたらしかった。

 幼少の砌には、気を付けて渡るんだぞとしーちゃんと私の手を頼もしく引いてくれたくーちゃんが、もしも、考え事をしていて足を止めたとか、ならば己のせいかと思考すれば、私は涙が出るはずもない。

「……今日は部活で、先に学校に行っちゃったんだ、……でも、僕がくーちゃんといってたらっ……」

 省みるのは仕方がない、だがしーちゃんの後悔はしなくていいものだ。何故なら見て見ぬふりをしたんじゃあない、何事かありそうだと察知していて関わらなかったんじゃない、寧ろくーちゃんは無事に登校すると信じて疑わなかったのだ。

 それはあたりまえだ。日々積み重ねていって、人生の幸せに繋げていくあたりまえの一部だ。

 あたりまえはかけがえのないものなのだ。

 私はしーちゃんの肩口に添えている掌に力をこめる。

「……しーちゃん……」

 しーちゃんの大きく細い手指がわたしの手を上からそっと握った。

 そして泣く泣くしーちゃんは、頭をもたげて私の方を視一視し、

「……僕なんかより悲しいよね、……ごめんね……」

 と、切ない声音で謝った。

 くーちゃんの気持ちに気付けなかった私が、悲しんでいいのか。

「……」

 無言で、微笑し、首を左右に振った。

 しーちゃんは美しい顔立ちを歪め、声をあげて泣きだした。

「大丈夫、大丈夫」

 年齢や見た目が成長しても、変化せず残っていたしーちゃんのおさなさに、ほんの僅かに懐かしさを覚えながら、昔みたいに言葉にする。

 しーちゃんはしゃくりあげる。

『ほら。ハイ、シロ。大丈夫だ。……おっ、泣き止んだか? ……じゃあ、元気になるために、お菓子、食べよう? みんなでな』

 ちょっとした事で涙をあふれさせるしーちゃんのそばに歩み寄り私は大丈夫と言い続け、そんなしーちゃんと私の肩を笑い顔で抱いて、しーちゃんと私を笑わせるのは、決まってくーちゃんだった。

 でも、もうくーちゃんは来ない。

 私はしーちゃんの涙を止める方法をもたない。

「大丈夫、大丈夫」

 海が、私としーちゃんを包む。

 思わずしーちゃんにくっついて服の間近で気息する。

 あまやかな香は即座に掻き消える。

 まるで。

 まるで、命を刻み付けるごとく。

 海の――命の匂いは、強かに。

 四方に広がる暗闇から、二人しかいない様に狭いせかいから、触れあっている、目の前のしーちゃんから、漂っていて。

 呼吸のたび空気が重くなる、底なしを抜け出す術を、思いつける訳はなかった。

 これから絶対に昇る、射して、光る、目映くきらめく朝日を視ても。

 しーちゃんと私の心に、太陽は、ない。

 小さい頃より、大切な友達が、ひとりに、なった。

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