着ぐるみとケチャップ

俺、フリーター30歳。

ある日、元カノから連絡が来た。


『久しぶり!元気してた??ちょっとさー、偶然あんたのアパートの最寄り駅に来ちゃったから、良かったらお茶しようよ!』


まあ、彼女とは別れた後も普通に仲は悪くなかったので、会うことにした。とはいえ、流石に家に入れるのも違うなと思って返信すると、駅横の喫茶店でいいと言うから、そこへ向かった。



「あー、久しぶり。なんだよ、地方に就職してたんじゃないの?」

「まあまあ!色々あってさ〜。コーヒーがいい?カフェラテ?アタシが奢ってあげるよ!」


別にいいと返したものの、何故かしきりに奢りたがるので、お言葉に甘えることにした。


「…へえ、まだフリーターやってるんだ。ウケるね。」

「ウケないけどな別に。まあボチボチやってるよ。」

「お金とかちゃんとしてんの?」

「……ボチボチな。」


忘れてしまったが、彼女はたしか田舎にある変な名前の町に就職して、デザイナーの仕事をしているはずだ。正社員に比べられると、甲斐性がないのは仕方がない。


「ふーん…。ちゃんと食べてる?お金なくても、健康には気を遣った方がいいよ。」

「体にいいもんは高いんだよ。ムチャ言うな。」

それを聞くと、彼女はしめたという顔をして、バッグの中をゴソゴソと漁りだした。


「あのね、スーパーに売ってる調味料って、高いくせに不健康でしょ?…だけど、コレは違うの!」


彼女がテーブルにドン!と置いたのは、ケチャップだ。


「市販のケチャップは、過剰に加工されていたり、糖質が多かったりするんだけど、このブランドは違うの!農家が丁寧に有機栽培で育てたトマトから作られてて、減塩されてるのに濃厚で美味しいの!」


何か始まったようだ。


「それだけじゃない。トマトたちには毎朝モーツァルトのソナタを聴かせて、愛情たっぷり、栄養たっぷり!しかも、農家の努力によって、販売価格はなんと一箱2980円!!」

「じゃ、俺は帰るな。達者でやれよ。」

「待てい!あんたも金が欲しいだろ!」

「ホレ見ろ!金儲けの話じゃねーか!ケチャップで俺の生活が豊かになるかっ!」


立ち上がり帰ろうとする俺を引き止めながら、彼女は鞄から1枚の紙を取り出した。


「こんな仕事頼めるの、あんたしかいないのよ〜!お願いしますっ!!」


見ると、それは彼女が描いたと思われるキャラクターの絵だ。『ケチャップの妖精”ケチャピー”』と銘打ってある。


緩華楽ゆるきゃら町の新キャラクターデザインコンペで、最終選考まで残ったの!最終審査は着ぐるみオーディションになってて…もう作ってあるから!」

「は?」

「採用賞金100万円!残る敵はあと2体!決して勝てない勝負じゃないの!選ばれたら10万あげるから!」

「………。」


俺は描かれたケチャピーの熱い眼差しを感じ取り、渋々彼女の手を取った。


「…15万だ。いいな?」





控え室にて…。


俺は彼女が作ったケチャピーの着ぐるみを被っていた。

暑苦しいものの、ケチャップの造形をしているため下半身がゆったりしていて、その中でちょこちょこ歩けるようにはなっている。腕はペンギンのヒレみたいなのが付けられており、それを上下にペチペチ動かすようだ。


「いい?これからあんたはケチャップの妖精だから。それらしく振る舞ってよ。」

「俺、ケチャップ科の妖精は見たことねえよ…。参考データがねえのよ…。」


演技用の小道具であるリアルケチャップを渡されていると、担当の係員が呼びに来た。俺と彼女が廊下に出ると、そこには既に1組、参戦者が佇んでいる。


「お…お前はッ…!」


彼女が臨戦態勢を取ると、その着ぐるみは悠々とこちらに立ちはだかった。

大きな和太鼓のキャラクターらしい。顔から膝上まで太鼓の造形に覆われていて見えないが、グレーのストッキングを身に着けた人間の両腕・両脚がそのまま飛び出している。


「あらあら、新人さんですか。ケチャップねえ…。フフ、若さとは羨ましいものです…。」


中の人が喋っているのかと思ったが、太鼓の背後から半身を覗かせている女性が声の主のようだ。


「お前、こいつを知ってるのか?」

俺がボソッとケチャピーの中から尋ねると、横にいた彼女は歯を食いしばりながら答える。


「…昨年のファイナリスト、『デデドン』…。こんな猛者が今年も出場していたなんて…!」



そのとき、係員に連れられたもう1組が、別の控え室から現れた。


「あーあ、まさか最終選考まで残るとはなあ。フザケて応募したのに。凛子、歩けるか?」

「歩けるけど…恥ずかしいよお兄ちゃん…。」


その姿を見て、またしても彼女が息を呑んだ。


「あれは……『ゲジんぼ』!!ゲジゲジというセンセーショナルなデザインで予選から投票者を騒然とさせた、超ルーキー!やはり勝ち上がってきた…!」


ゲジゲジのコスプレをさせられた小柄な妹が、お兄ちゃんに着いてトコトコ歩いてくる。本人は可愛らしいのだが、体側に付けられた大量の触手が揺れ、見る者を圧倒する。



「それでは、3組揃いましたね。審査会場にご案内します。」



6人は係員に連れられて、互いに牽制し合いながら会場へ向かった。





「えー、ファイナリストの皆様。今回は緩華楽町のイメージキャラクター選考会にご応募いただき、ありがとうございます。」


会場は小さなバレエスタジオで、審査員席には2人の男が座っている。


「前優勝者の『そんたくん』が任期を終えましたので、緩華楽町の地域振興課では、次期代表キャラクターを探しておりました。これから皆様には最終オーディションとして、それぞれのPRを行っていただきます。ではまず、デデドンさんのチームからどうぞ。」


デデドンが審査員の前にやってくると、セコンドの女性デザイナーは椅子から立ち上がり、その隣にやってきて受け答えの準備をする。



「…コンセプトは太鼓ですか?」

「はい、デデドンは緩華楽町の夏祭り名物、『ゆる音頭』に用いられる和太鼓をモチーフとしています。」

「これ…手足が丸出しですけど、そこまで含めて造形ですか?去年も伺いましたけど、設計のときにキモいと思いませんでしたか?」

「キモければ、取り外しも可能です。」

デデドンはギョッとしてデザイナーの方を向いた。

「ですが、手が出ているメリットもあります。お腹の太鼓を、自分で叩けるんです。」

「そうですか。やってみてください。」

デデドンは予想外のフリに数秒たじろいだが、すぐに順応し、自分の腕を振りかぶって叫ぶ。

「ヨォォ〜ッ!」

ポン!…とは鳴らず、お腹の綿がパフㇲと地味な摩擦音を奏でた。

デザイナーはデデドンの頭を上からガッシリ掴んで、顔を近づける。

「太鼓が喋っていいのかしら……?」

「あッすいません……。」

質問をしていた面接官が、横の男に向き直った。

「課長、どうですか?」

「う〜ん、キモいね。」

「ではありがとうございました。次の方どうぞ。」



ゲジんぼが恐怖に震えながらやってくる。何度も後ろを振り返っているが、お兄ちゃんは参戦しないらしい。おそらく、可愛い妹だけで押し切る作戦だろう。


「えーっと君は…昆虫かな?」

「ゲジ…ゲジゲジです…あっ。」

ゲジんぼは突然ダッシュでお兄ちゃんの下に駆け寄り、何か呟いた。お兄ちゃんがそれに答えると、また面接官の前に戻ってくる。

「喋るタイプのゲジゲジでした。」

「そうですか。ゲジゲジになったきっかけは?」

「おにい…兄が『ギャップ萌えでワンチャン』と言って、私はゲジゲジにされてしまいました。」

「いや、ゲジゲジのデザインになったきっかけを聞いたのですが…。」

「あ!すいません…!えっと…町の森にある洞窟にゲジゲジがいっぱいいたので…。」

「ゲジゲジが町のPR資源になると思いましたか?」

「えーっと…そうだ!この前、食用にされているのを、YouTubeで見ました!」

「ゲジゲジが?」

「YouTubeも見るタイプのゲジゲジです。」

「いや、ゲジゲジが食用にされている事実を確認したのですが…。」

「あ!すいません…!」

面接官は横の男に向き直る。

「課長、どうですか?」

「う~ん、カワイイんだけどね。」

「ではありがとうございました。次の方どうぞ。」



とうとう俺の番だ。やだ、もう帰りたい。

この流れでケチャップはこき下ろされるに決まっている。


重い足をちょこちょこ動かして正面に立つと、彼女も隣にやってきた。


「お名前は?」

「ケチャピーです!ケチャップの妖精です!私がデザインしました!」

こいつ、なんでこんな意気揚々としてるんだ…。なんか、別れて良かったな。怖いもん。


「どうしてケチャップなんですか?」

「緩華楽町では、トマトの収穫が盛んです。町のPRにはうってつけかと!」

「確かにトマトの収穫量は他の作物と比べ多いですが、全国的に見れば平均を少し上回る程度です。いささか弱いのでは?」

「でもっ…!それだって十分町の支えになりますし、これからもっと頑張っていけば…。」

「地域振興課のPR活動には、多額の血税が充てられています。もっと回収が見込めるテーマにするべきでしょう。」

「でも…!そんなこと言ったら、こんな小さな町に全国規模の資源なんて…。」

「それを探すのが地域おこしというものです。」


彼女はだんだん面接官に言い負かされ、萎れていく。あれほど熱を持っていた声が小さくなっていくのを聞いて、俺はケチャピーの中で拳を握りしめた。


「おい、俺は喋るタイプのケチャップなんだな?」

「…えっ?」


面接官はケチャップの妖精が一歩前に踏み出すのを見て、息を呑んだ。


「聞いてください。ケチャップというのは見た目も味も、料理に彩りを添える欠かせないものですが、ともすればジャンクフードの刺客…いわば、ハンバーガーの使い魔です。体に悪いと分かっていても、人はケチャップに心を委ねてしまう…そんな存在なんです。」


俺はそこで、持たされていたケチャップを堂々と見せつける。


「しかし!このケチャップは違う!緩華楽町の農家が有機栽培によって育てたトマトはモーツァルトを聴いて愛情たっぷり!栄養たっぷり!そしてなんと……!」


ドン!と面接官の目の前にケチャップを突き出す。



「2980円……!!」



ケチャピーの顔面に詰め寄られた面接官は、しばし言葉を失っていたが、やがて「ふう…」と溜め息をついて立ち上がった。




「全く…皆様ねえ、そんな真剣にアピールしても、無駄なんですよ。これは出来レース…勝者は既に決められているのです。」

「なんだって?」


男は、やれやれと髪をかき上げる。


「いいでしょう、お見せします。お役所仕事の前では、どんな奇策も通用しないということをね。……では課長、どうぞ。」


言われると、課長はいそいそと部屋を出ていった。




…5分後。




ガチャ。

部屋に入ってきた大物に、ファイナリストたちは驚愕する。

憎たらしい表情で札束の小道具を抱え、額に「¥」のマークが描かれたそのマスコットは、3人のデザイナーたちにとっての憧れであり宿敵。

その名も…。


「そんたくん…!なぜあなたがっ!」


彼女が後ろで叫び声を上げた。


なこの緩華楽町では、役人の忖度そんたくによって不利益を被った住民が、ジョークでこのキャラクターをエントリーさせてきました。『もはや潔い』という理由で最終選考まで駆け上がった彼は、『もはやウケそう』という理由で我々に採用され、前シーズンの代表マスコットとなったのです…。」


面接官は後ろで指を組みながら、コツコツと部屋の中を闊歩する。


「しかし、住民に反対派がいたのも確か。我々はその声を聞き流すため、『一応次期オーディションはやったけど、やっぱりそんたくんが一番でした』という体裁を取ることにしたのですよ。」


デデドンのデザイナーが抗議した。


「そんなことアリなわけないでしょ!!しかもそれを私たちに説明するなんて!」

「開き直っているからこそ、このキャラが幅を利かせているのです!第一、既に多額の住民税を注ぎ込んだマスコットをたった1年で交代させられるわけが……あっ…!」


面接官はそこで歩みを止めた。

そんたくんが、太鼓とゲジゲジとケチャップに囲まれていたからだ。



「僕が何のために言いなり太鼓芸をさせられたと思ってるんだ…?」

「触手の製作費と羞恥心を返してください!」

「ムダに俺の元カノを萎れさせてくれたな…!」



3匹でボコボコにしてやった。

額のとこに、ちょっとケチャップも付けてやった。






最後は結局大揉めして、緩華楽町の次期キャラクターは『ゲジんぼ』となったが、俺は後悔していない。

元カノとはこれを機にヨリを戻した。


ケチャップは俺の生活を豊かにしたというわけだ。

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