:第八話 破けた殼 5
二部開幕はじめの種目は、"ごった煮競争"。
これは
平たく言うと、運動オンチ強制参加イベントだ。
身体能力の低い生徒でも活躍できるよう、レース中には様々なギミックが仕掛けられている。
途中、用意された飴やパンを早食いしたり、簡単なクイズに答えたり。
指定されたアイテムを選手以外の誰かから借りてくる、なんて連携が必要な場面もある。
とどのつまり、このレースは俊足であれば勝てるわけではない。
クイズで思いがけず足止めを食ったり、指定されたアイテムが手に入らなかったりと、予想外のアクシデントが次々と起こる。
スポーツなんて大嫌いだとゴネていたやつが、ぶっちぎりで一位を持っていくこともあるので、ゴールの瞬間まで目が離せない。
それが"ごった煮競争"の醍醐味であり、生徒たちの間でも面白いと評価されている所以だ。
『二年生の皆さん、お疲れ様でした。続いて三年生の───』
「いよいよオレらのターンじゃ!お前ら小道具の準備はいいな!」
「去年出されたお題分はバッチリ揃ってるぜ!」
「あと問題なのはクイズの難易度と?」
「パンが喉に詰まらないかじゃない?」
「去年の悪夢が甦るな……」
そして、ガチ勢こと三年のターンが回ってきた時。
俺は
相良がいない。
先程まで一組の皆と観客席に座っていたはずなのに、いつの間にか姿が見えなくなっているのだ。
あいつは後半の選抜リレーに出場するので、ごった煮競争には関係ない。
別に抜け出しても構わないのだが、クラスメイトの応援もそっちのけで、一体どこへ行ったのだろうか。
席を立つなら立つで、その旨を担任の教師に、つまりは俺に一言伝えるようにと、実行委員からも言われているのに。
「あれ?カナエちゃんどこ行くの?」
「ああ、ちょっとな。すぐ戻る」
「ふーん?はやく戻ってきてね~」
俺は観客席を離れ、消えた相良を探すため再び地上へ降りた。
トイレは済ませていたから違うと思うが、絶対にないとも言いきれない。
あるいは郷田と話した時に落とし物でもして、それを探すために周辺を回っているのかもしれない。
相良の居そうな場所を虱潰しに当たるつもりで、手始めに例の通路へ行ってみることにした。
「………いた」
予想的中。
郷田と話をしていた正にその場所に、相良はいた。
壁に寄り掛かって座り込んでいるが、ひょっとして腹痛だろうか。
すぐ目の前にトイレがあるのだから、こんなところでじっとしていないで、さっさとそちらに行けばいいのに。
「相良!」
俺が駆け寄ると、相良はゆっくりと顔を上げた。
その顔は、いつにも増して真っ青だった。
「どうしたんだよ、こんなとこで」
相良の傍で膝を着き、相良の顔を覗き込む。
顔色も最悪だが、よく見ると唇も血の気がない。
額にはうっすらと冷や汗が滲んでいるし、右手は鳩尾の辺りを押さえている。
これは相当、参ってるな。
「具合悪いのか?トイレ行くか?」
医務室へ連れていくべきか考えながら、とりあえずそこのトイレまでと俺は尋ねた。
相良は首を横に振り、掠れた声で"いい"とだけ答えた。
念のため相良の首筋に触れてみると、汗ばんでいる割には熱くなかった。
この程度なら、熱中症ではなさそうだ。
にしても、勝手に触っても抵抗されないどころか、声すら上げないなんて。
いつもはあんなに敏感なのに、俺の動きに反応する余裕もないほど憔悴しているのか。
「腹、痛いのか。吐きそうか?」
「……すこし」
「もしかして、食あたりか?今日そんな暑くないはずだけど……」
一度目の問いには肯定し、二度目の問いにはまた首を振って否定した。
「実は、今朝からあんまり、腹の具合、良くなくて……」
静かに口を開いた相良が、とつとつと訳を話し始める。
「原因は?寝てる時に冷やしたとか?」
ぜえぜえと胸を上下させながら、相良はまた首を振った。
「昨日、寝てる時に、父さん、起こされて。
それで、背中、とか、腹とか、蹴られたりして。
そん時からずっと、腹、気持ち悪くて、寝れなくて」
どうやら相良は昨日、いや今日の夜中も、父親から暴行を受けたようだ。
自室で横になっていた相良の元へ、突然やって来たという父。
なにが気に食わなかったのか、父は寝ていた相良を叩き起こすと、有無を言わさず殴る蹴るを繰り返したらしい。
その際に腹部を強く蹴られたせいで、相良は夜通し苦しんだようだ。
暴行された後は、ほとんど眠れなかったんだろう。
思えば今朝から調子が悪そうだったし、目の下の隈も浮かび出している。
まさか俺の知らないところで、そんなことが起きていたなんて。
相良の父親に対する怒りと、相良の痛みに気付いてやれなかった自分自身への怒りから、俺は無意識に奥歯を噛んだ。
「じゃあ、その時からずっと、腹痛かったのか?」
「いや……。
明け方に一回吐いて、ちょっと楽になった。
でも、あんま重たいもん入れたら、また吐きそうだったから。
だから、朝はスープとか、軽いのしか食べてこなかった」
その瞬間、俺は全てを悟った。
そうか、相良は。
また腹の具合が悪くなるかもしれないと懸念して、朝から出来るだけセーブしてきたんだ。
持ってきた弁当の内容がえらくシンプルだったのは、それしか詰めるものがなかったのではなく、胃に負担がかからないものを選んだからだったんだ。
全部、こいつなりに考えて、工夫して。
人に心配をかけないよう、自分の力だけで何とかしようと、気丈に振る舞って。
なのに、俺は。
そのことに気付いてやれなかったどころか、余計な世話を焼いて、却って相良を苦しめた。
たぶん、相良の具合が急に悪くなったのは、俺のせいだ。
相良はちゃんと自分の体を考慮していたのに、俺がお節介で色々食わせたりしたから。
自分の弁当だけで済ませていれば、こんな風に消化不良を起こすこともなかっただろうに。
馬鹿野郎、俺。
「ごめん、相良。
俺が余計なもん、色々食わせたりしたせいで、却ってお前を───」
「違う」
ふがいなさから俺が拳を握ると、相良の腕が伸びてきた。
華奢な指が、力無く俺の袖を掴む。
改めてそちらに目を向けると、相良は睨むような目付きで俺の顔を見上げていた。
「あんたが、悪いんじゃないから。あんたは何も悪くないから。
だから、余計なこととか、思ってないから、あんたも、自分のせいとか思うな」
上擦りそうな喉を気合いで堪えて、芯の通った力強い声で相良は言った。
殺気紛いの眼差しから、強張った爪先から、相良の意思が伝わってくる。
まさか、俺を庇ってくれる日が来るなんて。
妙に感慨深い気持ちになったが、悠長に構えている時間はない。
「わかった。ごめん。
……とにかく、こんな所にいてもしょうがないから、移動するぞ。
医務室まで連れてくから、歩けるか?」
とりあえず、相良を医務室まで運ぶことに。
あそこならベッドがあるし、急病用の薬も常備されてある。
腹痛を和らげる薬も、何種類かは置いているはずだ。
「だい、じょうぶ」
「おぶさるか?」
「いい。自分で歩くから、肩だけ貸して」
本人が自分の足で歩きたいというので、俺は相良の腰を支えて立ち上がらせた。
俺の肩に腕を回した相良は、よたよたと覚束ない足取りながらも、歯を食い縛って地面を踏み締めた。
「吐きそうだったら言えよ」
「ん……」
相良を支え、相良の歩調に合わせて、一歩ずつその場を離れる。
残念ながら、次の選抜リレーは棄権させるしかなさそうだ。
相良の浅い呼吸と、弱々しい鼓動を供に、俺はそう決意した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます