:第八話 破けた殼 4
無人の駐車場で一本だけ吹かし、およそ10分後。
気分が落ち着いた俺は、足早に競技場まで戻ろうとした。
しかし道中で予想外の現場に遭遇してしまい、とっさに歩みを止めた。
「────私、ずっと前から好きで……。
いつか告白したいって思ってたけど、今更どんな顔して言えばいいのかって、ずっと悩んでて……。
それで、なかなか言えなくて……」
なんと、騒がしい舞台の傍らにて、甘酸っぱい青春が展開されていたのだ。
観客席の真裏に位置する、
競技場からは上手い具合に死角となった場所で、程よい静寂と薄暗さがある。
頭上を覆う木々が周辺の喧騒を遮断してくれるため、互いの声が掻き消されることもない。
まさに、秘密の告白をするには打って付けなシチュエーションだ。
ここを校舎に置き換えるなら、いわゆる体育館裏に近いかもしれない。
「(タイミング最悪……)」
俺は先ほど相良が入っていったトイレの物陰に避難し、こっそりと様子を窺った。
プライベートな場面を立ち聞きするのは良くないけれど、もはや動くに動けない状況だった。
「だから、あの……。もし、好きな人いないなら……。
私と、付き合ってくれませんか」
照れ臭そうに俯きながら、上擦った声で想いを告白する女生徒A。
最初は誰だか見分けが付かなかったが、その声を聞いて正体を確信した。
郷田夕貴。
うちのクラスに在籍する生徒の一人だ。
物陰から顔を出してみると、確かに郷田の姿がそこにあった。
学校指定のTシャツにハーフパンツ、背中には選手ゼッケンを着用した彼女は、いつにない乙女チックな表情で赤面していた。
ひょっとして何かの罰ゲームという線も考えられたが、この分だとマジの告白なんだろう。
あの郷田が、片思いをしている相手がいたなんて。
ましてや、自分の方から付き合ってほしいと告白するなんて。
俄に信じられない光景ではあるが、そこはまあいい。
生徒同士の交際については、俺は特にやかましく言うつもりはない。
「あ、あの、相良くん。聞いてる……?」
なにより驚きだったのは、相手が相良だったことだ。
郷田と向かい合っているらしい相良の顔は、こちらに背を向けているせいで確認できない。
でも、分かる。
遠目にも見て取れる線の細さと、男子にしては長い茶色の髪。
あの後ろ姿は、間違いなく相良だ。
これは本当に、意外な展開だ。
郷田と相良の接点といえば、冴島さんのいじめの件が真っ先に思い起こされる。
当時いじめっ子グループの一角だった郷田と、彼女らのいじめ行為を抑止した相良。
接点というよりは寧ろ、確執に近い繋がりじゃなかろうか。
よっぽど特殊な嗜好でも持っていない限り、好意を抱く対象にはなりにくい。
となると、郷田は例のいじめが発生する前から、相良を好いていたということか。
仮にそうだとして、あいつは集団でいじめを行っていた現場を、よりにもよって好きな相手に止められてしまったわけか。
それは、かなり、気まずいんじゃないか。
集団いじめなんて悪質なことをやっていた奴を、擁護するつもりもないけれど。
自分の後ろ暗い部分を相良に知られて、郷田は相当に傷付いたはずだ。
単に目撃されただけならまだしも、相良の場合は自ら介入していったわけだし。
そんな因縁のある相手に改めて好意を伝えようだなんて、郷田はよく分からない方向に勇気があるな。
この二人がクラスで話しているところは滅多に見ないから、相良の方が郷田をどう思っているかは分からないけど。
「聞いてるよ。話は分かった」
少しの間を置いてから、相良は徐に口を開いた。
その声は普段より幾ぶん低く、相良の中の"男性"が強調して表れているようだった。
「(どうすんだ、相良。
OKすんのか、断んのか)」
いつの間にか俺は、立ち聞きは良くないという罪悪感を忘れて、二人の行く末に目を見張っていた。
どうせ出ていくタイミングはないのだから、彼らの密会が終わるまで見守ってやろうではないか。
「じゃあ、返事は……?」
枝葉がそよぎ、木漏れ日の白がちらちらと形を変える。
二人の足元に幾つも落ちたそれは、散りばめられたガラス片のようにも見えた。
「悪いけど、寄ってたかってイジメなんかするような人を、おれは好きになれない。
はっきり言って、そういう陰湿なの、おれすげー嫌い」
恐る恐る返答を促す郷田に、相良は向かい合ったまま淡々と返した。
あの相良のことだから、優等生らしくやんわりお断りするのかと思いきや。
予想とは裏腹の辛辣な答えに、俺は口を開けてしまった。
「………ッ、」
郷田の顔が悲しげに萎んでいく。
今にも泣き出しそうな雰囲気だ。
もしここで相良がOKをして、二人が付き合うようなことになったら、同じく相良に好意を寄せる冴島さんにとっては酷だった。
だから、全く応じる気のなさそうな相良の姿勢には、正直ほっとした。
俺が思っていた以上に、あいつは筋の通った男だったようだ。
郷田の立場を考えると、ちょっと可哀相な気もするが、自業自得としか言えない。
気付けば冴島さんの視点で二人を見ていて、彼女にとって悪い展開にならないでほしいなどと思い始めている自分がいる。
「で、も……。
でもそれは、自分でも、よく分かってる。悪いことしたって思ってる。
でも、もうやってないから!あの頃とは違うから!」
「違うって、なにが?」
「だ、から……。
いじわる、みたいなことも、もうしてないから。
変わったんだよ、私。あの頃の私とは、ぜんぜん。反省して、自分を変えたの」
冷めたトーンで話す相良と、必死に食い下がる郷田。
詳しい背景は分からないが、いじめ行為はもうやっていない、という言葉は事実なのだろう。
当の冴島さんも、相良が介入して以降は被害を受けていないと言っていた。
郷田たちが別の人物にターゲットを変えた動きも見られない。
曲がりなりにも、相良に咎められて改心したのは本当と思われる。
しかし相良は、本心から反省している様子の郷田を前にも、全く絆される気配がなかった。
いじめという要素が余程あいつの怒りに触れたのか、珍しく冷たいオーラを発している。
頑丈なバリアで全身を覆い、相手に付け入る隙を与えない。
俺と知り合った当初の頑なさを彷彿とさせる姿だが、あの時とはまた違った冷ややかさを今は感じる。
"おっかない"というよりは、ただたた"怖い"の一言に尽きる。
「君が変わったかどうかは別にどうでもいいよ。
反省しようがしまいが、過去は無くならないわけだし」
「でも─────」
「そっちは気まぐれでやったことかもしれないけど、冴島さんにとってはそうじゃない。
君達はいつか忘れても、冴島さんは一生覚えてるよ。
それくらい、君達はあの子に酷いことをしたんだから」
怒っているでも呆れているでもない、一切の感情が添えられていない空虚な声で、相良は畳み掛けた。
すると郷田は、とうとう我慢が利かなくなったのか、嗚咽を殺して泣き始めた。
さすがに、想いを寄せる相手にそこまで詰められたら、泣くしかないだろう。
相良の物言いはかなりキツいが、言っていること自体は間違いじゃない。
故にこそ、言われている方は反論できず、辛いのだ。
全面的に自分に落ち度があって、そのことを好きな人から指摘される。
郷田の気持ちを考えると、俺まで胃が痛くなってきそうだった。
こういう時の正論は、下手な暴言や説教より、精神的にくる。
「……ごめん。さすがに言い過ぎた。
でも、どうしてもおれは、君の気持ちには応えられないから」
郷田の涙で冷静になったらしい相良は、申し訳なさそうに自分の項を撫でた。
「わたしが、ヤなやつだから……?」
「違う。
君だから駄目なんじゃなくて、相手が誰でも断った」
通路に一筋の風が流れ込み、一枚の落葉が二人の目の前を横切る。
「おれは、人に好きになってもらえる人間じゃないし、好きって言われても、素直に喜ぶ資格がないから。
……散々キツいこと言ったけど、おれは別に、君が嫌いなんじゃない。
ただ、おれが無理なんだ。おれには、誰かと付き合うとか、そういうの、できないから。
………ごめん」
最後に相良がそう告げた直後。
競技場の方から、ポーンと高い音が響いてきた。
実行委員によるアナウンスの予告音だ。
『間もなく、午後の部が始まります。
参加選手、関係者の皆さんは、速やかに競技場まで集合してください。
繰り返します───』
実行委員の女生徒の声で、同じ内容が繰り返される。
腕時計に目を落とすと、予定された時刻まで残り5分を切っていた。
当事者の二人には消化不良なタイミングかもしれないが、ここで集合が掛けられたのは良い頃合いだろう。
お互いまだ言い分があったとしても、それはきっと胸に秘めておいた方が懸命なものだ。
下手に探り合って収めるより、いっそ強制終了させられてしまった方が、切り替えられる時もある。
「だってさ。戻る?」
「うん……」
「……大丈夫?」
「大丈夫……。いいから、先行って。
一緒戻ったら、誰かに見られた時、あれだし」
心配そうに声をかける相良に対し、郷田は溢れる涙を両手で拭いながら答えた。
「そう……。
じゃあ、先行くから」
先を促された相良は、何度か後ろを振り返りつつ、競技場まで駆けていった。
相良に気にされていることに郷田は気付いていたが、一度も顔を上げようとはしなかった。
自分のぐしゃぐしゃな泣き顔なんて見られたくないだろうし、好きな人にだったら尚更か。
間もなく相良は曲がり角に入って姿を消し、通路には郷田のみが残された。
郷田は暫し天を仰ぐと、重い足取りで相良の後に続いていった。
やがて郷田も曲がり角に入り、辺りは完全な静寂に包まれた。
「ッハー………」
俺は溜まっていた息をようやく吐き出した。
ほんの僅かな息遣いや衣擦れの音すら拾われてしまいそうだったので、今の今まで落ち着いて呼吸を出来なかったのだ。
二部が開始されるまで、あとたったの数分。
もう隠れる必要はなくなったし、俺も持ち場に戻って、競技の準備を手伝わなければ。
「なにやってんだよ、俺は」
そう、思うのに。
急に足腰に力が入らなくなり、俺は物陰から動けなくなってしまった。
どうやら、思っていた以上に神経が擦り減っていたらしい。
疲労感と虚脱感とが全身に回り、膝から崩れ落ちそうになる。
まったく情けない。
いい大人が、これしきのことで動揺するなよ。
自嘲気味に一つ笑みを零し、ゆっくりと背筋を伸ばすと、腰の方から骨の軋む音がした。
ずっと前屈みの姿勢を保っていたせいで、すっかり体が強張ってしまったようだ。
"おれは、人に好きになってもらえる人間じゃないし"。
"好きって言われても、素直に喜ぶ資格がないから"。
相良たちの行った道を辿りながら、相良の置いていった言葉を反芻する。
好きになってもらえる人間じゃない。
仮に好かれたとしても、自分にはその好意に応える資格がない。
改めてみても、あいつらしい謙虚な返しだったと思う。
前後はともかくとして、お前に原因があるから付き合えないと言われるよりは、郷田の傷も浅く済んだはずだ。
ただ、どうしようもなく苦い。
濃いブラックコーヒーを飲んだように、糖度の低いチョコレートを食べたように、口の中がざらつく。
思わず顔を顰めたくなるような渋味が、舌に纏わりつく。
俺はあくまで第三者で、二人のやり取りを傍観していた野次馬に過ぎないのに。
どうしてこんなにも、締め付けるような苦さが、爛れるような熱が、抉るような痛みが、激しく鳩尾を刺すのか。
"だって、あなたは私が好きじゃないでしょう?"。
考えるな。思い出すな。
もう、終わったことなんだから。
過ぎた過去なんだから。
いつまで、昔の記憶に引っ張られるつもりだ。
いつまで、昔の過ちを悔いるつもりだ。
いつになったら俺は、俺の傷は、膿を持つのをやめてくれるんだ。
その答えは、たぶん一生だ。
俺はまた一つ笑みを零して、競技場の喧騒に飲まれていった。
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