:第八話 破けた殼 3
「おー、二人ともお疲れさん。今まで作業してたのか?」
「そーそー。
ついさっき午前の分が終わって、やっとこ昼メシタイムなの。なあ俊介?」
「ああ。腹へった」
雪崩れ込むように俺たちの前を横切ると、谷口は手前のベンチにどっかりと腰を下ろした。
その後ろをゆっくり付いてきた葵くんは、丁寧な所作で谷口の右隣に座った。
俺の目の前に谷口、相良の目の前に葵くんがいる構図となった。
「実行委員も楽じゃないな。
急いで食って、喉詰まらせないようにな」
少し疲れた様子の二人に、俺は労いの言葉をかけた。
「はい」
「ハー……───」
葵くんが直ぐに返事をしてくれた一方、谷口は途中で声を途切れさせてしまった。
はっと何かに気付いた目は、真っ直ぐに俺の手元を捕らえている。
「ね!それってカナエちゃんが作ったの?」
こちらに身を乗り出した谷口は、俺の箸に摘ままれた唐揚げを顎で示した。
「これか?そうだよ」
「うまそう!」
谷口の眼差しがキラキラと輝きだす。
その姿はまるで腹を空かせた犬というか、激しく揺れる尻尾が俺には見えるようだった。
「食う?」
「いいの!?」
本当は相良にやるつもりだったんだけど、本人たっての希望とあれば仕方ない。
体の向きを変え、今度は谷口に向かって唐揚げを差し出す。
谷口は上向きに大きく口を開くと、期待に満ちた表情で目を閉じた。
俺は慎重にブツを運び、谷口の口内に収めてから箸を引っ込めた。
口一杯に唐揚げを頬張った谷口は、もぐもぐとよく噛んで味わった。
「どう?」
俺の代わりに、葵くんが感想を求める。
ごくりと音を立てて唐揚げを飲み込んだ谷口は、ひときわ高い声で嬉しそうに言った。
「ウマー!
カナエちゃんこれめっちゃ美味いよ!お店出せる!」
谷口からの素直な称賛。
俺は相良に傷付けられた自尊心が、一気に回復していくのを感じた。
やっぱり、アホの子はいい。谷口はかわいい。
相良と葵くんという気難しいコンビに挟まれての状況だからか、谷口の子供っぽい仕種が尚さら癒しに感じる。
今時の男子中学生が、大口を開けて食い物をねだるなんてことも、なかなかないだろう。
そういう純真なところは、逆に相良に見習ってほしいくらいだ。
これでもう少しタッパがなくて、筋肉が控えめだったら、もっと可愛いんだけど。
最近急にゴツくなってきているし、谷口は早めに成長期が来るタイプなのかもしれない。
「ハハハハそうだろう。
さすが谷口は分かってるな」
「こんだけ出来りゃあ、もう結婚しなくていいね!」
「……そう、ですね」
後に続いたトドメの一言。
無邪気100パーセントで言ってくるものだから、こちらも怒るに怒れない。
「ンフッ、フフフッ」
「んぐ、………ふっ」
俺達のやり取りを見て、葵くんは顔を背けて笑った。
相良も自前の弁当を食いながら、吹き出すのを堪えている。
相良は勿論のこと、葵くんが生理的に笑うのはとても珍しい。
日頃から優しげな笑みを湛えている彼だが、友達と馬鹿やって笑っている姿はそう見ない。
このクールな二人を、一瞬で笑顔にしてしまうなんて。
谷口って、実はすごいヤツなのかもしれない。
さりげなく未婚をディスられた件については、今回は聞かなかったことにしてやるか。
「あ、じゃあこれは?この煮物的なやつ」
「見たまんま煮物的な煮物」
「へー!カナエちゃんって和食得意なんだね!地味だね!」
口を開く度に余計な一言が付いてくる谷口。
煮物の方も味見してみるか聞くと、そこは牛蒡も人参も好きじゃないからと拒否された。
代わりに、唐揚げの方には関心を示さなかった葵くんが、谷口と交代で俺の弁当を覗き込んできた。
「本当によく出来てますね。
男の人が作ったとは思えないくらい」
「そうか?今時これくらいのやつ、ザラにいるよ。
そんなに難しいことしてないし」
「習うより慣れろってやつですね」
「そうかもな。
試しに一口味見してみるか?食えないことはないと思うよ」
駄目元で葵くんにも味見を勧めてみると、葵くんは頷いてこちらに顔を向けた。
この展開は、ひょっとして。
内心ドキドキしながら、煮物の人参を箸で摘まみ、葵くんの顔へ持っていく。
すると驚くことに、彼も口を開けてアーンを受け入れてくれた。
男同士でそういうのはちょっと、とスマートに自分の箸を取り出すかと思いきや。
谷口が先にやった手前、流れに合わせてくれたんだろうか。
あの葵くんが普通の子供みたいなことをしている、と妙な感動が俺の中で沸き上がる。
「うん。美味しいです」
じっくり煮物を味わった葵くんが微笑んだのを見て、俺は密かに胸を撫で下ろした。
どうやら俺は、葵くんに対して苦手意識を持っていたようだ。
中学生を相手に何をそんなに緊張しているのかと自分でも思うが、葵くんってばオーラが怖いんだもの。
俺の一挙一動に目を光らせているようで、下手なことを出来ない気持ちにさせられる。
音楽室で話をしたあの日から、ずっとだ。
だからこそ余計に、たった一言の"美味しい"が、気持ち悪いくらい嬉しかった。
「聞いたか相良?美味しいってよ。
葵くん、俺の作った煮物、美味しいってよ」
「ハイハイ良かったですね」
「ここは一つ、真偽を確かめるために、君も試食すべきでは?
まだ両方とも残ってるし」
「だからおれはいいって。自分のあるし。
あんま摘まみ食いしたら、先生の食う分がなくなるじゃん」
勢いに任せて、再び相良にアタックする。
相良は自作の卵焼きを頬張りながら、俺の弁当箱を箸で指した。
自分までお零れに預かったら、当の俺が食いっぱぐれると気遣ってくれたらしい。
どうしても嫌だと言うなら無理強いはしないが、本当にこんな調子で大丈夫だろうか。
俺が一食抜くのはまだしも、相良は午後からも競技に参加する身だ。
選抜リレーでは選手の一人に選ばれているし、このままでは体育祭が終わるまで持たない気がする。
強がりじゃなく、本当に事足りているなら良いのだけれど。
またすぐ腹が減って、倒れたりしないか心配だ。
「あんま、つれないこと言うなよ楓。ここは一口くらい貰っとけ」
俺が諦めかけた、その時。
自前の弁当を膝に広げた葵くんが、横から助け舟を出してくれた。
隣では谷口が既製品のコロッケパンを貪っており、葵くんの言葉にうんうんと頷いている。
二人とも俺のフォローに回ってくれるのは嬉しいが、谷口よ。
喋る時はまず、口の中を空にしなさい。
パンくずがボロボロと零れ落ちるだけで、さっきから何言ってんのかさっぱりだ。
「でも……」
「前に給食で唐揚げ出た時、普通に食ってたじゃん。嫌いなわけじゃないんだろ?
だったら先生のも食ってみろよ。本当に美味いから」
「ふぉーわほははわ。はまえひゃんよはわあえはんまい」
尚も煮え切らない反応をする相良に、葵くんは駄目押しした。
谷口の方は相変わらず何を喋ってるのか聞き取れないが、"カナエちゃんの唐揚げは美味い"と言ったんだと思う。
悩んだ相良は、観念した様子でこちらに顔を向けた。
「じゃあ、ちょっとだけ」
ようやく応じる姿勢を見せてくれた相良に、俺はすかさず弁当を差し出した。
相良は自分の箸を使って俺の唐揚げを一つ取ると、さっと口に運んだ。
せっかくだから相良にもアーンしてやろうと思ったのに、そこは普通にスルーされた。
葵くん達を含めた三人の視線が、相良の顔に集中する。
音なく唐揚げを味わった相良は、飲み込んだと同時に鼻から溜め息を吐いた。
「まあ、美味しいんじゃないですか」
言い方こそぶっきらぼうだったものの、その横顔には穏やかな表情が浮かんでいた。
「ついでに、これとこれも」
「なに、まだ食わすの?」
それからも何だかんだと理由を付け、俺は自分の弁当を一通り相良に食わせた。
最初は渋っていた相良も調子が乗ってきたのか、"餌付けでもする気?"などと言いつつ楽しそうだった。
万事滞りなく、とはいかなかったが、俺の目論みは一応成功した。
味の感想を聞きたかったというのも嘘ではないが、実のところ俺は、相良に出来るだけ飯を食わせてやりたかっただけなのだ。
これじゃ量が足りないから俺の分も、とストレートに迫ったところで、相良はきっと受け入れなかった。
だから、たまたま助っ人に入ってくれた葵くん達の力も借りて、味見だなんだと遠回しに食わせることにした。
おかげで、相良の顔色もだいぶ良くなった。
体調が悪かったのは、空腹のせいもあったんだろう。
葵くんが助け舟を出してくれたのだって、恐らく彼も同じことを考えたからだ。
相良の弁当を見て表情を曇らせていたし、彼なりに相良のプライドを傷付けないよう配慮したんだと思う。
ただの同級生というより、葵くんは相良を弟のように感じていそうな節がある。
「───さて。
まだ時間あるし、俺はちょっと、一服してくるかな」
「わー、カナエちゃん不良だ〜」
「俺はとっくに大人だからいいんですー」
楽しかった昼食を終え、休憩時間は残り20分を切った。
俺は駐車場の方で、軽く一服してくることにした。
「お前らは、午後からリレーだろ?
怪我しないように、準備運動忘れんなよ」
「気を付けます」
「まっかしといて~」
選抜リレーに参加する三人の俊足に向かって声をかけると、葵くん、谷口の順に頼もしい返事が返ってきた。
最後の一人はというと、何故か俺と一緒に席を立った。
「なんだ、お前も一服か?珍しい」
「便所だよ便所。
休憩終わる前に行っとこうと思ったの」
俺がからかうと、相良は鼻で笑った。
午後の競技が始まる前に、用を足しておきたいとのこと。
葵くん達と別れて観客席を下りていくと、後ろから相良がのそのそと付いてきた。
地上に出てからは、俺は駐車場へ、相良は外トイレへと向かった。
この時、慣れたニコチンを噛み締めていた俺は、想像さえしなかった。
少し目を離した隙に、相良の身に思いもよらぬ出来事が起きてしまうことを。
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