:第八話 破けた殼 2
午後12時36分。
長いようで短かった午前の部が終了し、個人競技は大健闘の末に幕を閉じた。
我が3年1組の生徒は、どの種目でも大いに活躍してくれ、総合成績はトップを独走状態にある。
ただし僅差で争っているため、団体競技でも勝ち抜かなければ、完全な勝利とは言えない。
ラストの選抜リレーで順位を落とすようなことがあれば、それだけで形勢を逆転される可能性もある。
今は一番だからといって、油断は禁物だ。
**
午後の部を開始する前に一時間の休憩時間が設けられ、生徒たちは各々好きな場所で、持参した昼食に有り付くことになった。
俺は自分で拵えた弁当を片手に会場を彷徨い歩き、やがて目的の相良を発見した。
見たところ、観客席の隅っこに一人で座っている。
誰からも一緒に食べようと誘われなかったか、声をかけられる前にさっさと群れを出たのだろう。
周囲がキャッキャウフフと語らいながらランチタイムを楽しむ中、淡々とエネルギーを摂取しようとする姿勢は、寂しいを通り越して拘りすら感じる。
「よ。さっきは大活躍だったな」
俺が近付くと、相良はゆっくり顔を上げた。
これから食べるところだったようで、膝の上には弁当箱の包みが乗せられている。
「隣、座っていいか?」
顔色は、先程と比べると少し良くなったか。
でも、目の下にはうっすらと隈がある。
どことなく疲労感も滲んでいる。
元から虚弱体質であるとはいえ、流石にこれは、ぐったりし過ぎではないだろうか。
最中に暑さでやられたというよりは、体育祭が始まる前から体調が芳しくなかったのかもしれない。
「いいけど……。
おれと食ってもつまんないよ。どうせなら、古賀先生ンとことか行けばいいのに」
覇気のない声の割に、機嫌は悪くないらしい。
相良は嫌がらずに、俺との相席を承諾してくれた。
こうしていると、いつぞやに公園のブランコに並んだ記憶が蘇る。
「いいんだよ。
つまるとかつまらないとかの問題じゃねえから」
俺は相良の左隣に腰を下ろした。
片や相良は、自分の弁当箱の包みを解いた。
育ち盛りの男子中学生にしてはあまりに小さい、シンプルなデザインの一段弁当箱だ。
こんなに小さな弁当箱を持ってきているヤツは、他にいない。
小柄な女子ですら、もう少し食べ応えのありそうな昼食を用意している。
そうでなくとも、体を動かすイベントに相応しい量とは言えない。
しかし、驚かされたのは弁当箱のサイズだけではなかった。
「おま……。
まさか、これだけか?持ってきたの、これで全部?」
「そうだけど」
「他には何もないのか?パンとかオニギリとか」
「ないよ。本当にこんだけ」
「マジか……」
可愛らしいサイズの弁当箱の中には、可愛らしいでは済まない内容が詰まっていた。
ただの白飯が少々と、小松菜の炒め物的なおかずが少々。
それから、スタンダードな卵焼きが二つ。
これだけ。マジでこれだけ。これで全部。
てっきり別個にサンドイッチやら握り飯なんかが付いていて、この中にはおかずだけが入っているのかと思いきや。
オレンジ二つ分ほどの枠に収められていたのは、まんま相良の昼食一式だった。
量の少なさは勿論のこと、おかずのラインナップも地味を通り越して貧相なレベルだ。
栄養バランスは悪くないかもしれないが、圧倒的に肉が足りない。
健全な男子中学生ないし高校生の弁当と言えば、むしろバランスは二の次で、とにかく腹が一杯になりそうなおかずを好んで詰めるものじゃないのか。
女子と違って見栄えを気にすることもないから、好きな肉類ばかりを選んでいく内に、全体的に茶色い弁当が仕上がってしまったり。
それが、真っさらな白飯に葉野菜に卵だと。
今どき坊さんでももうちょっとバラエティーに富んだ昼メシ食ってるぞ。
「普段の食事ならともかく、体育祭の最中にこれじゃあ、いくらなんでも体力持たないだろ。
自分で作ったのか?」
「まあ」
当たり前のように頷く相良。
この弁当は全て本人の手作りで、スーパーの惣菜などは利用していないとのこと。
よく見ると、卵焼きには焦げの一つも見当たらないし、小松菜のなんとかも味は悪くなさそうだ。
種類が少ない割に一つ一つの出来は良く、几帳面な相良らしい、纏まった弁当という印象を受ける。
だが、消費量に対して熱量が全く足りていないことには変わらない。
いくら出来が良くとも、もっとスタミナのつくものを食わなければ。
「フーン……。
まあ、中三男子でこんだけ出来りゃ、立派なもんだわな。
けどこれじゃ駄目だ。たとえ味が良くとも、栄養がぜんぜん足りてない」
「さっきからブツブツブツブツうるさいな。
別におれ一人が食べるんだからいいじゃん」
横から口出しする俺に、相良は溜め息混じりに反論した。
余計なお世話であることは承知の上で、俺は尚も突っ掛かった。
「いや良くない。
お前一人が食うものだからこそ良くないよこれは」
「……そこまで言うんなら───」
すると相良は自前の箸を手に取り、先端を俺に向かって突き付けてきた。
「あんたはさぞゴージャスな弁当持ってきたんだろうね?」
いつもとは違う意味での、挑発的な態度。
俺は待ってましたとばかりに自分の弁当を袋から出し、膝に広げた。
包みのナプキンを解くと、相良のものより一回り大きい弁当箱が顔を出した。
相良のものが一段だったのに対し、こちらは大容量の二段だ。
「どうよ」
訝るような目付きで、こちらを凝視してくる相良。
俺は相良に見せ付けるようにして、勢いよく弁当箱の蓋を開けた。
「……これ、全部あんたの手作り?」
「モチロン。
昨日の夜に下拵えして、ほとんど今朝作った」
相良は俺の弁当の中身を食い入るように見詰めた。
思いのほか素直にリアクションしてくれるのが嬉しくて、俺はわざわざ早起きした甲斐があったと内心ドヤ顔をキメた。
いや、ぶっちゃけ普通に表に出てたかもしれない。
内容は、まず一段目がおかずだ。
鶏の唐揚げ、卵焼き、ほうれん草の胡麻和え、人参と牛蒡の煮物、鮭の塩焼き。
煮物は作り置きしておいたのを詰めただけだが、唐揚げは昨夜の内に味を漬け込んでおいて、今朝揚げた。
鮭の塩焼きは切り身がスーパーで半額だったので、せっかくだからと小分けにして、余ったスペースに捩じ込んだ。
こいつのせいで結構ぎゅう詰めになってしまったが、おかずは多ければ多いほど見栄えがいいし、なによりバランスが整う。
あと魚入ってるだけで、なんとなく料理できる男って感じがする。個人的に。
二段目には、これまた昨夜の内に準備しておいた炊き込みご飯が詰まっている。
おかずのラインナップを充実させたので、こちらにはあまり具を混ぜなかったが、味は保証できると思う。
改まってみると、我ながらやり過ぎた感が否めないが、色々と作っているうちに止まらなくなってしまったのだ。
嫁さんいなくても、ちゃんとしたものを食ってるってことを、周りにアピールしたかったのもある。
揶揄だろうが憐憫だろうが、"これだから独身は"などとは、誰にも言われたくなかったのだ。
「どうした?感動して言葉も出ないか?」
押し黙ったままの相良に、俺はニヤニヤを隠すことなく返事を促した。
ようやく背筋を戻した相良は、無表情のまま静かに口を開いた。
「なんていうか」
「なんていうか?」
「独身こじらせた感が出てる」
「なん……、だと………」
ズバリと言ってのけた相良に、俺は返す言葉が見付からなかった。
まさか張り切りすぎたせいで、却って独身感が全面に出ようとは。
人に指摘されると、確かにそんなような気がしてくる。
これは所謂、独身貴族の生態というやつではないだろうか。
なんでも一人で熟していく内に、軒並み家事スキルが上昇。
嫁さんいなくても何とかやっていける体制が整ってしまう。
なんだか急に恥ずかしくなってきた。
驚く相良に調子こいてドヤ顔キメてたのがアホみたいだ。いやアホだ。
「───確かに、お前の意見も一理ある。
でも独身こじらせたおかげで、これだけ料理も出来るようになったんだとは思わないか?
なんでも奥さん任せにして、自分では一切家事を手伝わない亭主よりはマシだと思いませんか?」
「なんで敬語?」
「とにかく。
試しにちょっと食べてみてよ、美味いから」
「別にいらな───」
「いいから!食べてみてって!
そして美味しいと言え!俺の心の健康のために!」
必死になって詰め寄る俺と、呆れた眼差しを返してくる相良。
相良がうんざりした顔をするほどに、俺のテンションは反比例して上がっていくようだった。
「さあほら!」
「なんなの!うざ!」
取り出したばかりの割り箸で唐揚げの一つを摘まみ、相良に向かって差し出すと、相良はいやいやと首を振った。
それでも引き下がれない俺は、相良の口まで強引に唐揚げを持っていこうとした。
「───カーナーエちゃん!
なーにこんなとこでイチャイチャしてんのー?あんま相良のこといじめちゃダメよ~ん」
「そうですよ先生。
楓は頼まれると断れない性格なんですから」
そこへ、グラウンドから来たらしい谷口と葵くんが現れた。
二人とも、昼食らしき袋を手に下げている。
葵くんは生徒会長として、谷口は実行委員長としての仕事があるため、みんなよりも一足遅れて休憩を取ることになったのだろう。
キャラクター的には正反対と言っていい二人だが、共にスポーツマンなだけあって体格は似ている。
谷口も黙っていればハンサムなのだから、たまには大人しく読書でもしてみたらいいのに。
と一瞬思ったけれど、口に出すのはやめておいた。
気取った姿も見たくないわけじゃないが、黙ったら黙ったで、こいつの個性死んじゃうし。
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