:第六話 鳴らない電話は親愛の始め 3
約束通り唐揚げ定食をご馳走になった俺は、食後に孝太郎さんと店を出た。
せっかくならどこか落ち着ける場所へ移動するべきかとも思ったが、あくまで勤務中の孝太郎さんを連れ回す訳にはいかない。
いつお店から呼び出しが掛かってもいいように、話は俺の車ですることになった。
「───お待たせしました」
駐車場脇に設置された自販機で飲み物を購入し、少し遅れて車に乗り込むと、先に乗車していた孝太郎さんが助手席に座っていた。
俺は運転席に座り、買ってきたばかりの缶コーヒーを孝太郎さんに差し出した。
「どうぞ。
そこの自販機で買ったものですけど」
「ああ、どうもすいません。頂きます」
申し訳なさそうにコーヒーを受け取った孝太郎さんは、慣れた手付きでプルタブを開け、中身に口を付けた。
それを見て、俺も自分のコーヒーを一口飲んだ。
「(真夜中みたいだな)」
ふと辺りを見渡すと、駐車場は夜の闇に覆われていた。
常葉亭の軒先は行灯看板のおかげで明るいが、近辺に連なる民家は家主が不在のようで、どこも電気が点いていない。
閑散とした通りには一切の
とても静かだ。
運転席の窓を少し開けてみれば、どこからか鈴虫の鳴き声が聞こえてきた。
繁華街に行けばもう少し活気があるのかもしれないが、この水を打ったような静けさは地方特有のものだと思う。
こんな静かな夜を、今頃あいつはどう過ごしているのだろう。
気付けばまた相良について考えている自分がいて、あいつの存在がじわじわと生活に侵食し始めていることを実感する。
「話っていうのは、相良のこと、ですよね。やっぱり。
お店の方で、何かあったんですか?」
「いえ、特に問題があったとかじゃあないんです。
ただ、いずれは先生とも、ちゃんとお話するべきだろうと思っていたので。あいつの今後とか、普段の生活のこととか」
「そうですか。
そういうことなら、俺も同意見です」
俺の確認に、孝太郎さんは肯定した。
だが相良の身に異常が起きたのか、という問いには否定を返した。
相良のことで一度真剣に話し合うべきと思っていたのは、彼も同じだったようだ。
しかし、その視線は未だ動かない。
なかなかこちらを見ようとしないのは、特別な思惑があるからなのか。
俺が意識し過ぎなだけなのか。
この人は何を考えているのか分からないところがあるから、心中を見抜くのは難しい。
「先生は、あいつの担任なんですよね?
事情があって、期間限定の代理みたいなことをやってるとか」
「その通りです。
相良から聞いたんですか?」
「ええ。
気が向いた時だけですけど、学校のことなんかを、たまに話してくれるんですよ。
意外でした?」
「意外も意外ですよ。
あいつ、自分のこととなると急に無口になるんで。
……でも、あなたには懐いてるみたいですね。俺とは大違いだ」
孝太郎さんによると、相良は気まぐれに学校のことを話してくれる時があるという。
孝太郎さんが俺の素性を把握していたのもそのためで、彼が相手の時は相良も警戒を解くようだ。
互いに下の名前で呼び合っていることといい、何気ない世間話ができる気楽さといい。
人とのコミュニケーションは一朝一夕で成り立つものではないと承知していても、対応の差がこうも明確に表れてしまうと、流石にへこむ。
孝太郎さんも当初はあいつの頑なさに手を焼かされたりしたのであれば、少しは救われるのだけど。
きっと俺には見せたこともない笑顔や、相良の明るい一面をこの人は知っているんだと思うと、嫉妬に似た感情が込み上げてくる。
まるで横恋慕だな。
「それで、お聞きしたいんですけど。
先生から見たあいつって、どんな子供に見えますか」
ようやく顔を上げた孝太郎さんが、じっと俺の目を見詰めてくる。
俺から見た相良が、どんな風に映っているか。
なんてことなさそうな質問のようで、その実、彼は俺を試しているのだと直感した。
ここで下手な回答をすれば、早くも一線引かれてしまうかもしれない。
そう感じさせるほどの何かが、孝太郎さんの鋭い目付きから伝わってくる。
「そう、ですね……。
学校にいる間は、まさに絵に描いたような優等生って感じですよ。
頭が良くて、落ち着いていて。教師からも同級生からも、一目置かれていて。
見た目はちょっと変わってますけど、今時珍しいくらい、あいつは出来た子供です。
……ただ、初めて見た時から、俺は違和感みたいなものも、同時に覚えてました」
「というと?」
「どうも、あいつの一挙一動が芝居くさいというか、猫被ってんだろうなって気がしたんです。
まあ、隠された本性が、思ったより凶悪だったのには驚かされましたけどね。
……相良の人間性を否定するつもりはないですが、多分あいつは、根っからの優等生じゃない。
あいつ自身で努力した結果、周りの評価が変わったってだけで、最初からとんとん拍子にやってたわけじゃないと思うんです。
だから、子供のくせにキャラクターを演じているあいつを見て、胡散臭いなと感じたのかもしれません」
孝太郎さんの射抜くような視線が痛くて、つい途中で顔を背けてしまったが、質問には正直に答えた。
本当は更衣室での一件もあって、より相良の振る舞いに疑問を持つようになったのだけど。
孝太郎さんがどこまで、相良の事情を把握しているのか分からない。
今は、そのエピソードは省略しておくことにした。
「分かりました。
偉そうな言い方になっちゃいますけど、先生はあいつのことを、よく見てらっしゃるようだ」
「孝太郎さんの持つイメージも、大体は同じってことですか」
「概ねは。
ただ、初めて会った時のあいつは、今よりもう少し暗かったです」
「へえ……」
俺の回答に納得した表情を浮かべると、孝太郎さんはもう一口コーヒーを飲んだ。
「一年前のあいつは、今よりもっと元気がなかったし、もっと痩せてました。
今もかなり細いですけど、当時は本当に、病的なくらいガリガリでしたから」
「一年前って、相良がお店で働き出した頃ですよね」
「そう。
あいつが初めてウチに来た時のことを、今でも鮮明に覚えていますよ」
当時を思い返しているのか、フロントガラスの向こうをぼんやりと眺める孝太郎さんの目は、虚ろだった。
「いきなりでした。
広告を出してたわけでもないのに、いきなり店にやって来て、ここでバイトさせてもらえませんかって。
ちょうど客足が途切れる時間帯だったんで、その時に店にいたのは俺と、親父とお袋の三人だけでしたけど。
あんなに驚いた顔の親父を見たのは久しぶりでしたよ」
今から一年前の夏。
いつも通りに店を営業していた孝太郎さん達の前に、その少年は突然現れた。
年頃に似つかわしくない茶色の髪に、血管の浮き出た白い肌。
普通に立って歩いているのが不思議なほど、痩せ細った華奢な手足。
見るからに不健康そうで、どこか危うさすら感じさせる姿をした少年は、何の前触れもなく店の暖簾を潜って来たという。
そして、困惑する一家に対し、ただ一言こう告げた。
"ここで働かせてくれないか"、と。
聞けば、親の収入だけでは生活が苦しく、自分も稼ぎ手として働かざるを得なくなったのだという。
しかし常葉亭では当時アルバイトの募集を掛けておらず、経営は身内だけで十分に賄える状態にあった。
少年が一体なにを思って、どうしてここで働きたいと決意したのかは分からないが、彼を雇う必要はなかった。
それに、高校生ならまだしも、相手は小柄な中学生。
子供を夜中まで働かせるわけにはいかないし、そもそも彼の保護者や学校が許さないだろう。
少年の話だけは聞いてやった孝太郎さんだが、そういう理由もあって、残念ながらウチでは間に合っているからと、最初は断ろうとしたそうだ。
ところが。
一緒に少年の話を聞いていたご主人から、途中で待ったを掛けられた。
"確かに中学生を雇うのは色々と問題だが、こんなにひもじい子供を突き放すような真似はできない"。
困っている人を放っておけない性分のご主人は、難色を示す孝太郎さんと奥様を説得。
最後には条件付きで、少年を受け入れることを決めてしまったという。
どんな事情があっても、少年を夜の10時まで働かせないこと。
少年が業務を終えて帰宅する際には、孝太郎さんが必ず家まで送り届けること。
勤務中は少年の身分を隠し、高校生を自称させること。
これらのルールを条件に、少年こと相良楓は、常葉亭での従事を認められた。
「俺とお袋は、もう少し考えた方がいいって止めたんですけどね。
あの頑固ジジイ、こうと決めたら梃子でも動かないから。
あの人の見切り発車が原因で、今までどれほど頭を悩まされたことか。
数えだすとキリないですよ」
「あー……、はは。
職人かたぎというか、古き良き日本男児ってオーラありますもんね。
世の不条理だとか、理不尽を許せない性分って感じの」
「そう。まさにそれですよ。
本人は正義に則ってやってるつもりなんだろうけど、付き合わされるこっちの身にもなってほしいです」
孝太郎さんの穏やかな話し声に乗って、当時の光景が俺の頭に浮かび上がってくる。
見知らぬ子供が働かせてくれと訪ねて来て、孝太郎さんもご主人もさぞ驚かれたことだろう。
あの人情味溢れるご主人なら、相良の痛々しい姿を見て放っておけなくなった、というのも何となく分かる。
ちょっと怖面で、取っ付きにくそうな雰囲気をしているけれど、中身はとても大らかで優しい人のようだから。
俺みたいなやつの顔も律儀に覚えてくれるほどだし、きっと相良に対しても父親に似た感情が芽生えてしまったんだろう。
だからこそ無視をできず、厄介事に巻き込まれるかもしれないと承知の上で、最後には受け入れると決めた。
自分が責任を持つからと、妻と息子の意見を却下してまで。
孝太郎さんも孝太郎さんで、口では頑固ジジイなどと悪態をついていても、彼なりにご主人を尊敬しているのが話し方で分かる。
堅物だが思いやりのある父と、献身的に夫を支える母。
ベタベタと引っ付くわけではないが、一番に両親を敬う一人息子。
彼らの生き様を見ていると、まさに理想の親子像という感じがして、一緒にいて気持ちがいい。
一体どうやって、あの頑なな相良を懐柔したのかと、はじめは思ったけれど。
彼らのような善人と接していれば、固く閉ざされた心も、自然と解けていくものなのかもしれない。
こればかりは悔しくとも、真似しようと思って出来ることではない。
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