:第六話 鳴らない電話は親愛の始め



5月3日。

気付けば暦は五月に差し掛かり、早くも初夏を感じさせる季節になってきた。

桜は今が見頃の時期だが、いつ盛りを終えてしまうか分からない。

やっと春の陽気を感じられるようになったかと思えば、傍らで夏の熱気が準備運動を始めている。

それが北海道の春というものだ。


来月には体育祭、九月には文化祭が控えており、本番に向けての準備も着々と進められている。

生い先短い桜をいつまでも愛でていれば、あっという間に周囲のペースに追い付けなくなるだろう。



夏休み到来まで、残り三ヶ月ほど。

来たるその日を指折り数えるのも女々しい話だが、俺が3年1組の先生でいられるまで、あとたった三ヶ月だ。


クラスのみんなと出来るだけ思い出を作って、相良の問題を解決するための糸口を見つけておきたいところ。

後者はまだ手探りの段階なので、もうワンランク上のステージへ進むためには、また何かしらの変化を促さなければならない。




**


放課後。

帰りのホームルーム中に谷口が鼻血を出してしまったため、俺は彼の介抱をしてから1組の教室を後にした。


職員室を経由して体育館へ向かってからは、古賀先生と共にバスケ部の指導を行った。

ここまでは、普段となんら変わらない、いつも通りの一日だった。


だがここで、いつも通りではない出来事が発生してしまった。

相良からの定時連絡が来ないのだ。


いつもなら、この時間にはアルバイト先に着いたとのメールが届く。

なのに今日に限って、一切の音沙汰がない。


もしや、俺との約束を忘れたのか。

あるいは、忙しくて携帯を見る暇もないのか。

向こうの事情も考えて待ってはみたが、定時から一時間を過ぎても、相良からの連絡はなかった。

こちらから催促のメールを送ってみても、やはり返信はなかった。


一体どうしたのだろうか。

そもそも、この定時連絡は業務が始まる前にやらせていること。

忙しいからという理由で、すっぽかしたとは考えにくい。


アルバイトのシフトが入っていない場合にも、それならそれで休みだからと連絡してくるはずだ。

となると、相良からの連絡がないのは、相良の身に予期せぬ事態が発生したってことになる。


今まで一度も約束を怠らなかった、あいつのことだ。

わざとでもうっかりでもなく、やむにやまれぬ事情があって、こうなったのだろう。


もしかして、職場に向かう途中で事故に遭ったとか。

父親から急に呼び付けられて、自宅に監禁されているとか。

考えだすと悪い想像ばかりが膨らんでしまい、バスケ部の練習風景なんて殆ど目に入らなかった。



「───すいません、古賀先生。ちょっと……」



悩んだ末、俺は古賀先生に断って、相良の勤め先まで様子を見に行くことにした。


帰り支度を済ませ、車を走らせること40分弱。

間もなく18時を迎えようという時分に、俺は相良の勤め先こと、常葉亭の入口を跨いだ。



「いらっしゃ────。先生?」



ホールで接客業務中だった孝太郎さんが、俺に気付いて声をかけてくる。

この時間帯に俺が来るとは予想外だったのか、孝太郎さんは一瞬目を丸くしていた。



「あ、───と。

ちょっと待って下さい」



先客の注文を取り終えてから、孝太郎さんは駆け足でこちらに近付いてきた。

俺は頭を下げ、突然の訪問を詫びた。



「どうも、ご無沙汰してます。

お忙しいところ、お邪魔してすみません」


「いえいえそんな。

それで、今日はどうされたんです?

お客様としていらしたんなら、お席にお通ししますけど……」


「いえ。今日はちょっと、確認したいことあって。

相良、今こっち来てますか?」


「楓なら、今日は休みになりましたよ?」


「えっ、休み?

そんなこと一言も……」



孝太郎さんに相良の所在を尋ねると、やはり今日は非番とのことだった。

ホールには孝太郎さんと、若い女性の従業員がいるだけで、肝心の相良の姿はない。


そんな気はしていたが、なぜ相良は教えてくれなかったのか。

以前バイトがお休みだった時には、ちゃんとシフトを報告してくれたのに。


俺が眉を寄せると、孝太郎さんは何かを思い付いた顔をした。



「もしかして、まだ聞いてませんか?」


「え。な、なにをですか?」


「あいつ、ついさっき携帯がバカになったらしくて。電源入んなくなっちゃたみたいなんですよ。

それで、近くの公衆電話からこっちに連絡してきて……。

修理に出してくるから、ちょっと遅れるかもしれないって言ってきたんで、じゃあ今日は休んでいいってことにしたんです」


「……元々はシフトが入っていたけど、携帯を修理に出さなきゃならなくなったので、急遽そっちを優先することにしたと?」


「そういうことです」



孝太郎さんによると、相良が今日非番であるのは、シフトが入っていなかったからではなく。

もともと出勤予定だったのが、急きょ休みに変更されたためだという。



今までの経緯をざっと纏めると、こうだ。


学校を出た相良は、いつも通りに帰路に就き、自宅に寄ってから常葉亭へ向かおうとした。

しかし道中、携帯の調子がおかしくなっていることに気付いた。


困った相良は、携帯を修理に出してから出勤することにし、公衆電話を使って孝太郎さんに連絡した。

相良の非常事態を知った孝太郎さんは、そういうことならこっちは気にしなくていいと、相良のシフトを非番に変更する対応をとった。


おかげで相良は私用に専念でき、相良の空いた穴は、孝太郎さんと別のアルバイトさんとで埋め合わせることになった、というわけだ。



なるほど。

そういう事情なら、辻褄も合う。

孝太郎さんが顛末を話してくれたおかげで、一応の経緯は理解できた。


公衆電話から連絡が可能だったなら、俺にも一報入れてくれたら良かったのに。

とも少し思ったが、その辺りはだいたい察しがつく。


恐らく、あいつは俺の電話番号が頭に入っていなかったんだ。

アドレス交換をした際に電話番号の登録もしたが、通話は一度もしていない。

電源が入らなければアドレス帳も確認できなかっただろうし、頻繁にやり取りしていない番号を覚えていないのは無理からぬことだ。


ともあれ、相良が事故に遭ったわけではないと分かって、ほっとした。

あいつの立場を考えると、ちょっとしたアクシデントも全て大袈裟に感じてしまうので、酷く心臓に悪い。



「あー、でも、なんとかして先生の連絡先も探すって言ってましたから、多分その内に電話が───」



孝太郎さんが言いかけた直後に、タイミング良く俺のスマホが鳴った。

鞄から引っ張り出してみると、画面には"相良楓"の文字があった。

俺はすぐに通話の表示を押し、相良に喋らせる前に捲し立てた。



「相良!!無事か!?今どこにいる、家か?怪我はしてないのか?」


『え、あ、先生?どしたの、そんな慌てて。

別になんともないよ、普通に家にいるし』



電話に出るなり俺が大声を上げたものだから、珍しく相良は素っ頓狂な反応をした。

こんな刺のない声を聞くのは初めてだが、今はそんなのはどうでもいい。


普通に家にいるということは、ショップでの手続きとやらは済んだのか。

こうして通話できているのは、代替で貸し出された機種を使ってるってことになるのか。



「そ、か……。

家にいんのか。そうか……」



相良の無事を確認し、俺は安堵の溜め息を吐いた。

状況を察した孝太郎さんは、俺に目配せをして業務に戻っていった。

それに俺も会釈で返し、他の客の邪魔にならないよう外へ出た。



『もしかして、なにかあった?』


「あー……。まあ、ちょっとな。

いつまで経っても連絡こないから、心配になって、お前の勤め先まで見に来ちゃったんだよ」


『えっ。じゃあ今、常葉亭にいんの?』


「そう。孝太郎さんから事情も聞いた。

携帯壊れたんだって?修理の方はどうなったんだよ」


『さっき手続き終わって、戻って来るのは大体一週間くらいって言われた。

小学生の時から使ってたやつだから、いい加減ガタきてたっぽい』



声色だけじゃなく、よく聞くと喋り方も穏やかになっている。

普段のつんけんとしたキャラも少し作ったもので、今のような普通っぽい態度こそが、本来の相良なのかもしれない。



「そっか。

大事ないなら、もうなんでもいいや」



日が落ちるに伴い、じわじわと空が暗くなり始める。

俺は常葉亭の路地裏に入り、壁に背を預けて相良の顔を思い浮かべた。



「けどお前、よく俺の番号わかったな。ギリギリ頭に入ってたのか?」


『いや……。

修理出して、代わりの携帯貰って、家帰ってきてから、前に配布されたプリントとか色々、引っ張り出したんだよ。

確か、非常時の連絡先って、あんたの番号も載ってたなと思って』


「あー、最初に作ったやつか。よく覚えてたなぁ、そんなん。

じゃあ、そのプリントに書いてあった番号見て、わざわざ電話してきてくれたんだ」


『まあ……。そういう約束だったし』



本人いわく、用事を済ませて帰宅した後、俺の連絡先を記した物がないか、家中を探し回ったのだという。

そして以前配布されたプリントに、非常時の連絡先として俺の携帯番号が記載されていたことを思い出し、それを引っ張り出したと。


相変わらず、妙なところで律儀というか。

俺のために必死こいて引き出しを漁ってくれたのかと思うと、なんだか嬉しくて笑ってしまう。


俺が言うのもなんだが、悪気がないなら一日すっぽかすくらい仕方ないのに。

面倒事を放置せず、ちゃんと処理しようという心掛けは、一人の稼ぎ手として働くうちに養われたものなのかもしれない。



「今は、家に一人か?」


『……一人だよ』


「……そうか」



もう一つ気掛かりだった父親との接触もなかったと分かり、俺は落ち着いて呼吸が出来るようになった。

もしまた父親に手を上げられていたらと思うと気が気でなかったし、実際にそうだった場合には、今からでも相良の自宅に突入してやろうと考えていた。

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