:第五話 少女Sの告白 4



「───そうか。うん。

いじめの件も含めて、頭に置いておくよ。ありがとう。

最後にもう一つ、確認したいことがあるんだけど、いいかな?」


「はい。なんですか?」


「相良と鈴原先生の件が、いつ起きたことなのか、聞いてなかったと思ってね。

君への嫌がらせを相良が止めたのが、その少し前の話だって、さっきは言ってたけど。具体的な日時は覚えてる?」



流れ的に日時の話にはならなかったので、俺は当時の背景をより詳しく冴島さんに尋ねた。



「あ……。それもそう、ですよね。いつのことだったか、言うの忘れてました。

えっと、具体的に、何日の何曜日だったかは、わたしの記憶が合ってるか、自信ないんですけど……。

三学期でした。三学期の、確か二月の、はじめくらい」



こめかみに人差し指を当て、冴島さんは自信なさげに言った。

彼女の口から明かされた運命の日に、俺は背筋が粟立った。


三学期の二月。

"ある人"から教わった、"ある出来事"が発生した時期と、奇しくも同じタイミング。


相良と鈴原先生の密談を"冴島さん"が目撃したのが、三学期の二月。つまりは半ば頃。

音楽室で一人泣いている相良を"葛西先生"が見掛けたのが、三学期の終わり頃。

二つの出来事と時期を照らし合わせてみると、一つの推測が導き出される。


もしかして相良は、勇気を出して秘密を打ち明けた鈴原先生が、自分の体裁ばかり守っていたのが悲しくて、泣いていたんじゃないだろうか。



「せんせい?

大丈夫ですか?顔色が……」



考え込む俺を見て、冴島さんが心配そうに顔を覗いてくる。

ここは一先ず、冴島さんとの対話に集中しよう。



「大丈夫。

君のおかげで、相良の人となりも、大分はっきりしてきたよ」


「わたしは別に、何も……」


「今後のことは、まだどうなるか分からないけど。

あいつのために、俺は俺の、出来ることをやるよ」


「……はい。

こちらこそ、お時間いただいて、ありがとうございました」



そう言うと冴島さんは、丁寧な挨拶を添えて頭を下げた。

今時珍しいくらい礼儀正しい彼女に、今日だけで何度感心させられたか分からない。



「けっこう長居しちゃったね。

そろそろ切り上げないと、時間が───」



もうじき部活動が本始動する時間帯。

ここらでお開きにしないと、冴島さんが美術部に遅れてしまう。

俺が腰を上げようとすると、冴島さんが服の袖を掴んできた。

まだ何か言いたいことがあるようだ。



「せんっ、叶崎先生は、知らないと、思いますけど。

相良くんはきっと、先生が思ってるより、先生のことを信用してると、思います」


「そうなのか?」



冴島さんは小さく頷いたが、握り締めた袖は離そうとしなかった。



「わたし、よく相良くんを見てるから、相良くんが誰を好きで嫌いかとか、なんとなく分かるんです。

だから、分かるんです。先生と話してる時の相良くんは、みんなと話してる時より、ちょっと乱暴な言葉遣いになるけど。先生と話してる時が、一番普通なんです。

みんなからは、優等生って言われてるけど、わたしは、先生と話してる時みたいな、自然な相良くんが一番いいと思います」



俺と接している時が、相良が最も自然体でいられる時。

冴島さんからの思いがけない指摘に、俺は驚くと同時に嬉しくもなった。


相良をよく見ている彼女が言うのだから、俺は自分が思うよりは相良に嫌われていないのかもしれない。

"好きではないが悪い奴でもなさそうだ"、くらいの印象を持ってくれているものと解釈していいのだろうか。



「相良くんは、本当に、いい人なんです。わたし、相良くんに幸せになってほしいんです。

本当は、わたしが助けてあげたいけど。わたしの力じゃ、相良くんを助けられないから。だから、先生しかいないんです。

だから、……っお願いします、先生。どうか、相良くんを助けてください……!」



再び思いが込み上げてきたようで、冴島さんは泣きながら俺に縋り付いた。

その悲痛な声は彼女の優しさを表し、同時に相良の痛みを代弁しているかのようだった。


まだ中学生とはいえ、彼女も一人の女性なのだ。

大切な相手が苦しんでいれば、助けてやりたいと思うのは当然のこと。

思慕の感情に、大人も子供も関係ない。


きっと、傍から見ているしか出来なかった彼女も苦しんだはずだ。

どうにかしてやりたくとも、自分ではどうにもならないもどかしさは、俺にも分かる。


だが、彼女の存在は、それだけで大きな意味を持つ。

相良にも少なからず味方がいるのだということが、彼女のおかげでより確かになった。


葛西先生や葵くん、そして冴島さんに、俺も。

苦境の中でも、せめて四面楚歌でないことを伝えられたら、あいつの苦しみも少しは和らげてやれると思うんだけどな。



「俺も、あいつを助けてやりたいと思ってる。

けど、俺みたいな若輩じゃ至らないこともあるから、その時は冴島さんも、力を貸してくれるかい?」


「……!

はい!わたしに出来ることなら、なんでもします。

相良くんを、よろしくお願いします」



勢いよく顔を上げた冴島さんは、ぱっと嬉しそうな表情を浮かべて、赤く腫らした目に美しい弧を描いた。




**



音楽室を出た後。

冴島さんは美術部の部室に、俺は職員室に戻るため別れた。



"───たとえ拒絶されようとも、声をかけるべきだったんです。

気付いた私が、歩み寄ってあげるべきでした。"


"───先生の推測は当たってます。

あいつのことは、オレもずっと心配してます。"


"───三学期でした。三学期の、確か二月の、はじめくらい。"



少しずつ集まってきた、相良の情報。

冴島さんに期待を持たせることも言ってしまった手前、本腰を入れて本人と向き合う頃合いかもしれない。


まずは、この件を葛西先生にも報告すること。

アルバイトの件は俺と相良だけの秘密だが、虐待の件は恐らく彼女も察している。

葛西先生になら打ち明けても構わないだろう。


悩みどころなのは、前任の鈴原先生のことだ。

同じ職場に勤めているなら、今からでも追求に行きたいくらいだが。

生憎と彼は今、他校に赴任されている。俺との間に、個人的な面識もない。

鈴原勇次という一人の男がどういう人間なのか、俺はよく知らないままだ。


伝え聞いた話によれば、明朗快活にして才気煥発、教師の鑑のような人物であったという。

しかし、そんな華やかなイメージからは想像もつかない出来事が、相良との間に起きた。

鑑だなんだと言われていた人ですら、相良の問題を解決するには至らなかったわけだ。



例えば、学業成績が思わしくない子がいるだとか、生徒同士で不和が生じているだとか。

あくまで学内で発生した案件であるなら、教師が力を尽くすのは当然のことだ。


だが相良の問題は、家庭内で起きている。

それも実の親からの虐待となれば、一教師が取り持つのは難しい。

解決できなかったからといって、単にお前の力が足りないせいだと責められる話ではない。


この件で重要視すべきは、鈴原先生が相良を救ってやれなかった"事実"ではなく。

鈴原先生が相良を救うために努力をしたかという、"プロセス"にあるだろう。


大事なのは、結果よりも過程だ。

結果がどうあれ、自分のために努力してくれた人が一人でもいたなら、相良も気持ち的には救われたはず。



思うに、鈴原先生は決して悪人ではないが、自分の立場や経歴に傷がついたらと懸念して、生徒の家庭問題にまで介入することを躊躇ったのではないか。


モンスターペアレントとやり合うだけでも相当にリスキーなのに、相手は実の子供に暴力を振るうクソ野郎。

本気でなんとかしようと思えば、ほぼ間違いなく児童相談所や警察が絡んでくる。


鈴原先生には、そこまで深く関わる勇気がなかったってことか。

上手くいけば英雄、下手をすれば火に油を注いだだけの無能。

躊躇う気持ちは、わからないでもない。




「連絡、した方がいいのかなぁ」




二年前、相良との間に何があったのか。

いや、何もなかったのかを問い質すためにも、鈴原先生ご本人と連絡を取りたいところ。

反面、見て見ぬふりをしただけの人に、今さら話を聞いても仕方がない気もする。


やはりここは葛西先生だけじゃなく、本命の沢井先生にも相談するべきかもしれない。



「………あれ?」



ここまで考えて、俺は一つの違和感に気付いた。

そういや沢井先生は、このことを承知しているんだろうかと。


既に把握しているのであれば、俺にも事情を教えてくれたはず。

でも沢井先生は、何も言っていなかった。

いずれは自分が現場に戻るのだから、そこまでは伝える必要がないと判断したのか。


それに、さっきの冴島さんの台詞も引っ掛かる。

相談するのは俺が初めてのような口ぶりだったし、彼女は沢井先生には何も伝えなかったのだろうか。

だとすると、本命の沢井先生ではなく、代理に過ぎない俺を相談相手に選んだ理由とは。



なんだろう、この感じ。

なにかがずれているような、間違っているような。


相良が心を閉ざすようになったのは、鈴原先生との一件があって、教師に対する不信感を持ったからだと思ったのだが。

もしかして、他にもあるのか。俺はどこを見落としている。


単に相良が"虐待を受けている"だけでは済まない問題な気がするのは、俺の思い過ごしなんだろうか。


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