:第五話 少女Sの告白 3
「本当は、人の内緒話をこっそり聞くなんて、しちゃいけないことだと思いますけど……。
その時の相良くんの声が、すごく真剣で、悲しそうだったから。
駄目だって分かってたけど、つい、聞いてしまったんです」
悪気がないとはいえ、人の秘密を盗み聞きしてしまったことに対し、冴島さんは負い目を感じているようだった。
目の当たりにした当初から、ずっと罪悪感を抱えて過ごしてきたのだろう。
「ちなみにそれは、どっちから始まったことなのかは分かるかい?
相良の方から相談があるって持ち掛けたのか、たまたま二人になったタイミングで、そういう流れになったのか」
「わたしは途中からしか聞いてないので、詳しいことは分からないですけど……。たぶん、相良くんの方からではない、と思います。
その頃、相良くんの成績がいきなり下がったり、体育の授業をよく休むようになった、らしいから。
それで先生の方から、どうしたって、呼び出したんだと思います」
「なるほどな。
二人が話していた場所は?」
「教科準備室です。一階の」
教科準備室とは、各学年に一つずつ用意されている資料室のこと。
文字通り、教科に使用するテキストやらを保管しておくための部屋だ。
そこで相良は鈴原先生と二人きりの状況となり、思いきって自分の悩みを告白した。
といっても相良の方から切り出したのではなく、たまたまタイミングが合ったからそういう流れになったのだろうと冴島さんは言う。
当時の相良は、頻繁に体育の授業を欠席したり、成績が落ち込むような不調に陥っていたとのこと。
故に鈴原先生は、その不調の原因を探るつもりで、相良を呼び付けたのではないかと。
この経緯はあくまで冴島さんの憶測だが、可能性は高いと思われる。
性格的な問題ならともかく、当時から相良は、学業成績だけは良い生徒だったそうだから。
そんな奴が急にテストで悪い点を出せば、担任として気にかけるのは当然だ。
これで、相良が鈴原先生に相談を持ち掛けたこと、そこに至るまでの経緯が分かった。
大事なのは、その
相談を受けた鈴原先生が、その
相良自身の境遇は、どうなったのか。
聞かずとも、今のあいつの様子が、全てを物語っているのだけど。
「うん。
問題はその
冴島さんの目から見て、鈴原先生と相良の様子は変わったかい?」
ふと息を詰まらせた冴島さんの瞳が、みるみるうちに潤んでいく。
しまった、泣かせてしまったか。
俺は一瞬背筋が冷たくなったが、よく見ると彼女の頬に涙は伝っていなかった。
あと少しでも感情が揺れたら溢れ出す、泣き崩れる一歩手前ってところだろうか。
「なにも。
おかしいくらい、本当に、なにもなかったんです。
なにもなさ過ぎて、なにも変わらな過ぎて。あの時見たのは、私の見間違いだったのかなって思ったくらい。
先生も相良くんも、全然どこも、変わりませんでした」
小さく首を振った冴島さんは、悔しげに上唇を噛み締めながら答えた。
「それは……。
鈴原先生は、相良のために動いてくれなかったってこと?」
「……わたしは、相良くんとは違うクラスだから、表面的なことしか見えてなかったと思うけど。
先生は、相良くんになにも、してあげなかったと思います。
あの
逆に相良くんは、前と同じで、暗いままだったから。
……もし、わたしが知らないだけで、裏では色んなことがあったんだとしても。
だったらもっと、相良くんは元気になってたはずだし。夏場でもずっと、長袖の服を着てたし。
やっぱり解決してないんだなって、思いました」
言葉を紡ぐほどに気持ちも高ぶってきたのか、冴島さんの声は徐々に揺れていった。
「それで、ある時、見たんです。
部活中に、汚れたパレットを洗いに行こうと思って、一階の水道のとこに行ったら、先に相良くんがいて。一人で、手を洗ってて。
めくった袖から、火傷みたいな跡と、黒っぽい痣が、肘の辺りに残ってるのが見えて。
ああ、やっぱり相良くんは虐待を受けてるんだなって思って。まだ、虐待を受けてるんだなって、思って」
込み上げる思いをとうとうセーブし切れなくなったのか、途中から冴島さんは大粒の涙を零し始めた。
「泥棒みたいに、こそこそ隠れて手を、洗ってるのが、───っすごく、可哀相で……!」
彼女の言う"水道"とは、一階の人通りが少ない場所に設置された手洗い場を指す。
使用しているのは、部室が近くにある美術部の生徒くらいだと聞いている。
だから相良は、傷痕を人に見られないようにと考慮して、あそこを選んだのだろう。
残念ながら、冴島さんにだけは目撃されていたわけだけど。
「辛いことを思い出させてしまったね。話してくれてありがとう。
……君は、相良のことをずっと気にかけていたんだね。誰もあいつを心配していなくても、君は、ずっと」
冴島さんの嗚咽が治まってきたのを見て、俺は改めて声をかけた。
冴島さんは掌で涙を拭いながら頷いた。
「わたし、一年生の時に、相良くんに助けてもらったことがあるんです」
「どんなことで?」
相良が自分にとってどれほど大きな存在かを証明するためか、冴島さんは躊躇なく自分の弱みも告白してくれた。
「相良くんが鈴原先生に相談した日よりも、前のことになるんですけど。
わたし、違うクラスの人に、───いじめ、みたいなこと、されてて。
それで、わたしが悪口言われて、困ってる時に、相良くんが止めに入ってくれたんです。
相手は三人もいたのに、相良くんは、一人で止めに来てくれたんです」
冴島さんはいじめを受けていた。
それも、他クラスの生徒から数人がかりで。
嫌な言い方になってしまうが、冴島さんのように気性の大人しい子は、いじめの標的になりやすい。
決して冴島さんが悪いわけではないが、いじめっ子気質の輩からすれば、抵抗の出来なさそうな相手は恰好の獲物なのだ。
ノリが悪いだとか、つまらないだとか。
根拠のない因縁をつけ、相手を虐げる理由をでっちあげる。
故に彼ら・彼女らは、自分に非があるとは微塵も思っていないし、いじめられる奴こそ悪いなどと反省もしない。
俺が中学生の時にも、その手の輩は一定数いた。
こればかりは、抑止をしようにも御しきれない部分がある。
しかし冴島さんの場合は、救いがあったようだ。
いじめっ子達から集団で詰め寄られていた際に、相良が割って入ってくれた。
おかげで冴島さんは難を逃れることが出来た。
当時はきっと、相良も苦しい時期の真っ只中。
自分のことだけでも精一杯だったはずなのに。
それでも、あいつは助けに行ったんだ。
面倒事に巻き込まれるかもしれないのを承知で、あいつは冴島さんを見捨てなかった。
冴島さんを救っても、自分が救われるわけではないのに。
そのエピソードを聞いただけでも、なんだか俺まで泣けてしまいそうだった。
「そうか、相良が……。
ちなみに、君に意地悪をしていた生徒が誰なのか、嫌でなければ教えてくれるかい?
もし今でも続いているようなら、俺も出来る限り対処して───」
俺が強気な姿勢を見せると、冴島さんは途端にあたふたし出した。
「いっ、いいえ、いいんです!それはもう、いいんです。
相良くんが止めてくれたおかげで、もう、変なことはされなくなったから」
「
君をいじめてた奴らは、ちゃんと君に謝ったの?
ただ有耶無耶にされただけじゃないのか?」
「それでも、いいんです。
形だけイヤイヤ謝られても、あの人たちは、反省するつもりとかないだろうし。
放っておいてくれるなら、それでいいんです」
いくら本人が許すと言っても、いじめという卑劣な行為が行われた事実はなくならない。
冴島さん自身が望まない限り、俺は生徒同士のコミュニティーに干渉できないけれど。
単に手を引いたから解決、という形で納めてしまうのは腑に落ちない。
今さら罰則を与えることはないにしても、またいつ冴島さんに対する嫌がらせが再開されるかも分からない。
もしそうなった場合、こちらもすぐ対処できるよう、相手の名前だけでも把握しておきたいところだ。
「───わかった。
じゃあ、こっちが余計に手を出すことはしないから、相手の名前だけ教えてくれるか?
今後も何もないようならそれでいいし、なにかあった時には、すぐ動けるように」
俺は尚も食い下がった。
冴島さんは困ったように眉を下げると、ぼそぼそと小声で答えた。
「4組の、菊地さんって人と……。
1組の、東野さんと、郷田さん、です」
告げられた加害者は三名。
そのうち二名は、俺もよく知る生徒。
東野と郷田の名前が上がった瞬間、俺は思わずあいつらかー、と声を上げてしまいそうになった。
言われてみればそんな気がしなくもないが、あいつら表では可愛らしい女子を気取りながら、裏では卑劣を働いていたのか。
特に東野の方は何故か話す機会が多いので、明日から見る目が変わってしまうな。
もう一人の菊地とかいう生徒も、面子的に女子だろう。
他クラスのことまでは把握できていないので、どんなやつか調べておこう。
"確かに顔は
ここで回収された伏線が、更にひとつ。
郷田の方はともかく、東野が相良を敬遠していた理由だ。
いじめを止められた相手には、さすがの東野も苦手意識を持つらしい。
イケメン好きの東野が相良を嫌っているのは妙だなと思っていたが、そういう理由であれば合点がいく。
改めて、ここまでで判明したことを整理してみよう。
まず、一年の時に冴島さんはいじめを受けていて、それを相良が助けた。
以来、冴島さんは助けてくれた相良が気になり始め、相良の動向に注目するようになった。
そんな折、たまたま通り掛かった一階教科準備室にて、相良と鈴原先生が話しているところを冴島さんは目撃した。
密談の内容を立ち聞きした冴島さんは、相良が虐待を受けていることを間接的に知った。
しかし当の鈴原先生は、相良のために行動を起こさなかった。
以降も相良は野放しにされたまま、日常的に虐待を受ける日々を送った。
冴島さんは相良の身をずっと案じていたが、別々のクラスで友達関係にもなかったため、相良の問題に関与することが出来なかった。
そして現在。
珍しく相良が親しくする先生、つまりは俺が現れ、俺なら相良をどうにかしてくれるかと思い、冴島さんは相談を持ち掛けてきた。
俺の解釈も混じっているが、纏めるとこんなところだろう。
恐らく冴島さんは、窮地を救ってくれた相良に好意を抱くようになり、今度は自分が助ける番だと立ち上がったのだろう。
俺に相談を持ち掛けるのだって、相当な勇気を要しただろうし。
彼女の行いはとても気高く、立派なものだ。
ただし。
相良の抱えている問題があまりに深刻であるため、冴島さんの勇敢さを素直に称賛してもいられない。
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