俺を殺してお前も死ね

：第五話 少女Ｓの告白 2

「（───そういや先日、葵くんと話をしたのも此処だったな）」

当時のことを想起しながら、冴島さんと音楽室の中に入る。

時おり教室の前を運動部の子たちが駆けていく点を除けば、辺りに人気（ひとけ）はない。

少々の雑音は紛れてしまうが、話をするだけなら申し分ない場所だろう。

「あの、どこ座ったらいいですか？」

「どこでもいいよ。

あ、たまに廊下が騒がしくなるから、窓際の席のがいいかな？」

「わかりました」

どこか適当に着席するよう俺が促すと、冴島さんは窓際の一番前の席を選んだ。

その右隣に俺も腰を下ろし、それぞれ椅子を横向きに座れば、文字通り膝を突き合わせる形となった。

「ここなら滅多に人が来ないし、立ち聞きされる心配も、多分ないと思うよ。

……早速だけど、話したいことっていうのを、聞かせてもらっていいかな」

念のためもう一度周囲を確認してから、俺は冴島さんに訳を尋ねた。

冴島さんは俯き、スカートの端を握り締めながら語りだした。

「えっと……。実は、あの……。

先生のクラスの、相良くんのこと、なんですけど……。

叶崎先生、最近、相良くんと仲いい、ですよね」

冴島さんの口から唐突に出てきた名前。

まさか相良の話題を振られるとは思わなかった俺は、一瞬呆気にとられてしまった。

だが、あまり露骨に反応すると、いらぬ誤解を招き兼ねない。

冴島さんにこちらの心情を悟られないよう、冷静なトーンで返すことに努める。

「うーん。仲いいってほどでもないけど……。まあ、最近は少し話すようになったかな。

相良に限らず、１組の子たちとは、みんな楽しくやらせてもらってるよ。

……その相良が、どうかしたのか？」

もしかして、俺が相良を贔屓していることを見抜かれたのだろうか。

内心ヒヤヒヤしつつ言及すると、冴島さんは顔を上げて俺の目を見た。

緊張しているせいか唇は震えているが、顔付きは何やら意を決した風だ。

「先生だから、こんなこと言うんですけど。

叶崎先生は、───ッ相良くんが、人に隠していることを、知っていますか？」

微かに上擦った声で、冴島さんはそう尋ねてきた。

相良の隠し事を知っているかと。

口ぶりからは明確な意思が感じられ、彼女の中で一つの区切りがついていることを窺わせた。

恐らく、彼女は相良の隠し事について、大方の事情を知っているのだろう。

問題なのは、彼女の言う"隠し事"が、相良の抱える秘密のうち、どちらを指しているのかだ。

学校に無断でアルバイトをしている件か、父親に虐待を受けている件か。

どちらの事情も把握している可能性もゼロではないが、なんとなく、彼女は相良の一側面しか知らない気がする。

俺はどう答えるべきか。

葵くんと対峙した時にも似たような緊迫感を味わったので、この状況はある意味デジャヴだ。

「その質問は、俺には答えられないかな」

悩んだ末、ここは正直に明かすべきだという結論に至った。

「どうしてですか？」

「俺の考えていることと、君の考えていることが違う可能性があるからさ」

「………？」

「確かに相良は変わった子だし、それなりに事情を抱えている子だってことを俺は知ってる。

でも、俺と君とでは、相良を見る目が違うかもしれない。だから、相良の名誉を守るためにも、俺の方からこれか（・・・）と切り出すことは出来ない。

もし君の考えと俺の考えが違っていた場合、俺たちは互いに陰口をしたことになるからね」

冴島さんが相良を案じているのは本当だろう。

彼女と相良の間にどんな関係性があるかは知らないが、少なくとも彼女は、相良の優等生キャラには裏があることを看破している。

ただし、同じく相良を心配しているらしい葵くんとは、相良を見る目も相良に対する気持ちも異なるように感じられる。

食えない葵くんは俺を試すような手を使ってきたが、冴島さんは俺の腹を探ろうとしているわけじゃなさそうだ。

相良の隠し事を知っているかという問いも、鎌をかけるつもりで言ったのではないのだろう。

だったら、こちらも下手に誤魔化すのではなく、正直に白状するべきと考えた。

もう半分は、他にどう答えていいか分からなかったってのもあるけど。

「そっか……。

そう、ですよね。そんな簡単な問題じゃないですもんね。

個人的な、プライバシーに関することですもんね」

「分かってもらえて良かった。

はっきり答えてやれなくてごめんね」

「いえ、いいんです。わたしが聞き方を間違えただけなので。

……でも、質問の内容を変えれば、大丈夫ですよね？

先生の方から"これ"って言うことは出来ないけど、わたしが"これ"ですか？って確認して、それに先生が"うん"とか"いいえ"って答えるのは、大丈夫ってことですよね？」

「そう……、だな。それだったらギリギリセーフ、になるかもな。

ここだけの話にしてくれるなら、だけど」

冴島さんは直ぐに俺の意図を理解したようだった。

そして続けざまに、こう言った。

こちらから出す選択肢に、俺が有無を答えるだけなら問題ないのだろうと。

彼女と俺の考えが合致すれば、互いに告げ口をしたことにはならない。

それも此処だけの話にしてしまえば、相良の秘密が外部に漏れることもない。

そんな冴島さんの言葉を聞いて、俺はまたしても驚かされた。

大人しそうな見た目をして、実際のところ彼女は、太い芯の通った子なんだと。

飲み込みが早いだけでなく、今できることを即座に導き出せるのは、彼女が理知に長けているからだ。

彼女が相手なら、どんな内情も口外される恐れはないだろう。

むしろ俺の方が、貴重な意見を賜る側として頭を下げる立場かもしれない。

「じゃあ、仕切り直そうか」

俺が改めると、冴島さんは短く息を吐き、スカートを握っていた手を解いた。

「───先生は、相良くんが虐待を受けていることを、知っていますか？」

"虐待"というキーワードが出た瞬間。

俺は内心そっちの方かと納得しつつ、鳩尾を抉られるような感覚を覚えた。

"虐待を受けている可能性がある"ではなく、"虐待を受けていることを把握しているか"と。

間違いなく冴島さんは、相良が虐待の被害者であると確信している。

ならば、こちらとしても話が早い。

彼女がどこで情報を得たのかは置いておくとして、相手も把握済みなら嘘をつく必要はない。

「知ってるよ。

といっても、ちゃんと認識したのは、つい最近だけどな」

「やっぱり……。

どうして分かったんですか？」

「ただの勘だよ。なんか妙に陰のある雰囲気だったし。それに……。

相良の体に残ってる傷痕を見て、そうじゃないかと思ったんだ」

冴島さんは"やっぱり"と呟くと、腑に落ちた表情をした。

「冴島さんこそ、どこで、このことを？」

逆にこちらから言及すると、冴島さんは言い辛そうに視線を泳がせた。

膝に載せた手を動かしたり、指を絡ませたりして、なんと答えようか悩んでいる。

「わたし、が、知ったのは……。偶然、話を聞いたから、です」

「相良から直接、相談をされたってことか？」

「はい。

……あ、いえ。私じゃなくて。

相良くんが人に相談しているところを、私がたまたま見ちゃったっていうか、聞いちゃっただけなんですけど……」

冴島さん曰く、相良が誰かに虐待の旨を相談しているところを、たまたま通り掛かった際に目撃してしまっただけなのだという。

相良自身から聞いたことであるなら、信憑性はほぼ１００パーセントと言っていい。

気になるのは、相良が相談していた相手とやらが、誰だったか。

「そうか。

じゃあ君は、本当に偶然、相良の隠し事を知ってしまっただけなんだね」

「はい」

「ちなみに、そのとき相良が相談してた相手ってのは、誰だか分かってるのかな？」

「……鈴原先生、って知ってますか？」

聞き覚えのある響きに、俺の心臓がどくりと反応する。

「ああ、うん。知ってるよ。

今は他所の学校にいらっしゃるみたいだけど、二年前までは、相良のクラスで担任をやってらしたって」

鈴原先生といえば、相良たちが一年生だった頃、相良のクラスで担任を務めていたとされる男性教師の名前だ。

明るい人柄で生徒からの人気も高く、他校に赴任されることが決まった際には、彼を慕っていた女生徒がショックで寝込む事態もあったとか。

些か、嫌な予感がする。

だいたいの結末は予想できるが、この予感は外れてほしい。

「その人です。相良くんが相談してた相手」

先程までとは打って変わって、冴島さんは不快そうに眉を顰めた。

「わたしは、二人がこっそり会話しているのを、たまたま聞いちゃったんです」

冴島さんのくれた情報のおかげで、不明瞭だった点が今一つ、明らかになった。

いつぞやに葛西先生が助言した通り、相良は鈴原先生に相談を持ち掛けていたのだ。

気付かなかったが故に、知らず知らずと素通りしてしまったのではない。

実際にＳＯＳを受けていたにも拘らず、鈴原先生の方が問題を解決できなかっただけの話だったのだ。

相良はちゃんと、葛西先生の助言を実行していた。

適当に相槌を打ってやり過ごそうとはせず、葛西先生の言葉が正しいものとして受け止めていた。

彼女の真摯な態度は、しかと相良の胸に届いていたんだ。

しかし、喜んではいられない。

事実を明かした上でどうにもならなかったのだとすれば、相良にとっては酷く消化不良な出来事になる。

なまじ人に相談していなかった方が、傷は浅く済んだかもしれない。

「続けて」

冴島さんから真相の一部が明かされるかと思うと、好奇心が揺さぶられる反面、少し怖い。

今の相良の人格が、どのようにして形成されたのか。

それを知って俺は、今までのように明るく、あいつに接してやることが出来るだろうか。