:第四話 頼りない結び目 2
昼休み。
相良との約束の時間を迎え、俺は一足先に体育館へと向かった。
話し合いの場として体育館を選んだ理由は、以下の二つだ。
一つ。意外と人目に付きにくい場所であるから。
この時間帯の体育館は全面使用不可となっているため、滅多なことでは誰も寄り付かない。
強いて例外を挙げるとするなら、体育の科目を担当する教師くらいのもの。
つまり今だけは、殆ど俺のテリトリーってわけだ。
二つ。そこらの空き教室を指定すると困る理由が、俺の方にあったから。
あの相良と密室に二人きりというシチュエーションは、まだ俺には早いというか間が持たないというか。
先日の車移動の時間があまりに気まずかったので、同じ失敗を繰り返さないようにと考慮した結果、こうなった。
終始こちらを睨みつけてくる相手と狭い空間で対峙すれば、控えめに言って胃が死ぬということを前述の件で学んだのだ。
その点、体育館は密談には不向きかもしれないが、広さがあるぶん開放的でリラックスできる。
肩肘張らずに話し合うためには、まず気持ちを落ち着かせるのが大切だろうってことだ。
**
ステージ上で座って待つこと数分。
見るからに不機嫌そうな顔をした相良が、俺の前に現れた。
このシチュエーションを誰かに見られないかが、よほど心配なんだろう。
そして苛立ちを抑えきれない様子でずかずかと歩いて来ると、俺を睨んでこう言い放った。
「あれだけハッキリ言ったのに、まだ分かんないの?あんた。
必要以上におれに関わんなって、ちゃんと忠告してやったよね」
眉を寄せ、首を傾げ、溜め息混じりに静かに怒る。
そんな相良の姿を見て、俺は内心吹き出しそうになった。
だって、こんなにうんざりした顔をしているのに。
心底、不本意であるはずなのに。
俺の一方的な要求なんて、無視しようと思えばすっぽかせたはずなのに。
ぶつくさ文句を言いながらも、こいつはこうしてここにいるのだから。
そういう律儀なところが、ちょっと可愛らしいなとか思ってしまったのだ。
「まあまあ、そんなカッカすんなよ。
二度目ということもあってか、相良に凄まれても俺は動揺しなくなっていた。
普段の優等生キャラはあくまで芝居で、実は激しい二面性を秘めた奴なんだと把握していれば、何度も驚くことではない。
それに、いくら睨みを利かせたところで、相手は中学生だ。
冷静になって考えてみれば、この程度の威嚇なんてむしろ可愛いものだ。
「他には誰もいないから、安心して素のチンピラキャラに戻っていいぞ。この猫かぶり少年」
自分の隣をポンポンと叩き、側に来るよう促す。
すると相良は、ますますムッとした顔になった。
俺の余裕な態度が癪に障ったらしい。
反して俺の心中は、相良のイライラが加速していくほどに落ち着いていった。
キャンキャンと執拗に噛み付いてくる勇猛さも、まるで野性の子犬か子猫のように見えてきて、全く脅威に感じない。
多分、このやり取りに慣れてきたってことなんだろう。俺が。
「なに急に偉そうになってんの?いつの間に自分が優位に立ったとか勘違いしてんだよ」
「勘違いはしてないぞ?お前の弱みを俺が握ってるんだから、俺が優位にあるのは当然だ」
相良のペースに飲まれないよう、こちらも少し横柄な言い方をしてやる。
たちまち顔色を変えた相良は、上擦った声で言い返してきた。
「バラす気はないって───」
「言ったな。けど、それはお前の態度次第だ。
いつまでも大人を侮ってると、つい俺も気が立って……。うっかり口を滑らせてしまうかもしれん」
高飛車な物言いをしていたかと思えば、予想外の展開に表情を固まらせたり。
先日までの落差も含めて、相良の百面相ぶりが楽しくなってきた。
言ったら百パー怒られるから黙ってるけど。
「チッ。そんなんだから彼女の一人もいねーんだよ」
腹を立てても無意味と悟ったのか、相良は露骨に舌を打ちながら俺の隣に腰を下ろした。
「で、わざわざ呼び出して
言っとくけど、あんたと仲良くする気はないし、昨日のこと掘り下げられても、話せることないから」
先程よりは柔らかくなった声で相良は尋ねた。
その視線は自分の足元に落ちていて、こちらには目をくれようとしない。
俺はズボンのポケットからスマホを取り出し、相良に向かって差し出した。
「お前、携帯持ってるか?」
相良が怪訝そうに顔を上げる。
「は?いきなりなんだよ」
「いいから。持ってるのか持ってないのか」
「……持ってるけど」
「今は?」
「なんで」
「いいから。いま手元にあるのか」
意図が分からず何度も聞き返してくる相良に、俺は敢えて詳しくは答えなかった。
「なんなのさ、もう……」
相良は歯切れ悪そうに、もごもごと不平を零した。
いつも自分が捲し立てる側であるためか、逆に有無を言わせてもらえなくなると弱いようだ。
「出せばいいの?」
「あるならそうしてくれ」
相良はスラックスのポケットに手を突っ込んだ。
取り出されたのは、やっぱりというかなんというか、見るからに古い機種のガラケーだった。
貧しい家庭事情から察するに、きっとそうなのではないかと予感はしていたけれど。
他のクラスメイト達が当たり前にスマホを所持している中で、相良だけが唯一ダサいガラケーのまま。
とはいえ、本人が気にしている素振りはない。
流行りものには一切関心がない様子で、使えりゃそれでいいだろうという姿勢でいる。
俺は周囲に流されやすい性分なので、今時珍しいガラケーを所持しているだけでも、一周回って相良が格好よく見えた。
「よし。じゃあアドレス交換しよう。
俺の先に教えるから、お前の携帯からこっちにメールして」
「……っえ、ハア!?や、ちょっと待ってよ。なんでそうなんの。
おれあんたと仲良くする気ないって言ったじゃん!」
いやいやと首を振った相良は、取り出したばかりのガラケーを両手で握り締めた。
「あれ、お前もしかしてメールしないの?メールのやり方知らない?」
「ば、そんくらい知っとるわ!店とのやり取りだって殆どメールで───」
「じゃあ大丈夫だな。どれ、そのダサいやつ先生に貸してみなさい。ちゃっちゃと登録済ませてやるから」
「人の話聞けや!!」
こちらがぐいぐいと迫るほど、反対に相良の威勢が衰えていくのが分かる。
口ではギャーギャーと騒いでいても、本気で怒っているわけではないのが分かる。
今までアプローチに失敗していたのも、中途半端に遠慮してやっていたからかもしれないと思えてきた。
最初からこの調子でどんどんアタックしていれば、意外と簡単に絆されてくれたんじゃないだろうか。
ガードの堅いやつほど、強気な姿勢とは裏腹に、押しには弱いものだったりするし。
昨夜と比べて、言い返してくる姿も元気だ。
これだけテンションが上げられるということは、この話題は相良にとっても許容範囲内ってことなんだろう。
連絡先の交換くらいなら、吝かでないものと思われる。
「さっき自分で言ってたけど、お前、職場との連絡手段にはメール使ってるんだろ?
店の親父さんとか、孝太郎さんだっけ?がオッケーなら、別に俺が相手でも構わないよな?」
「いや構うから。つかあんたとアドレス交換なんかしても、メールとかしないからねおれ。話すことないし」
俺の押せ押せなアプローチに、相良が動じなくなってきた。
さすがにこれ以上は、単にゴリ押しするだけじゃ難しそうだ。
強引に連絡先を交換しても、肝心のやり取りが成立しない。
こちらから一方的にメールを送り付けたとして、相良は絶対に返信してくれないだろう。
それならそれで構わない気もするが、やっぱり一方通行のままじゃ駄目だ。
お前がマメに返事を寄越してくれることに、一番の意味があるのだから。
「いいか?相良。
確かに俺は、お前のアルバイトを見逃してやってもいいと言った。けどそれは、決して推奨してるわけじゃない。
事情があるなら仕方ないという意味であって、校則違反であることは変わらないし、褒められたことじゃないんだ。
お前自身、その辺はよく分かってるだろ?」
俺の駄目押しが効いたのか、急に相良が大人しくなった。
優等生を演じることに神経を尖らせているこいつだからこそ、"校則違反"というキーワードを何より重く感じるのだろう。
「……じゃあつまり、あれなわけ?
見逃す代わりに、あんたとアドレス交換すんのが条件ってこと?」
「簡単に言うと、そうだ。それが俺から出す最低条件。
今のご時世、なにがあるか分からないからな。ましてや中学生が、あんな遅くまで働くなんて……。
万が一でも、事故や事件に巻き込まれたりしたら大変だろ」
「そんなに心配しなくても、帰りは孝太郎さんが送ってくれるから大丈夫だって」
「だとしても、念には念だ。絶対に安全とは言いきれない環境に身を置く以上、俺は担任として、───いや、大人として。お前を見守る責任がある。
孝太郎さんや、お店のことを信用していないんじゃない。これはお前と、俺の問題なんだよ」
真っすぐに相良の目を見つめて言い聞かせる。
相良はしばらく俯いた後、諦め顔で溜め息を吐いた。
「わかったよ。
それで黙るってんなら、断れないし」
相良のガラケーが俺に向かって差し出される。
受け取ると、微かに相良の体温が残っていた。
「で?
おれはいつ、具体的にどういうことを、あんたにメールすればいいわけ?」
「文言は任せる。ただ、学校終わりに職場に向かう時、バイト終わりに家に帰った時に、無事であることを一言伝えてくれればいい。
毎日二回、お前から現状を報告するだけだ」
「今からバイトに行く、もう家に着いたってことだけ、あんたに言えばいいんだね?」
「そうだ。それくらいなら出来るだろ?」
先ほど相良も言っていたように、俺たちには共通の話題がない。
だから、無理にコミュニケーションを取れとは言わない。
そもそも相良は、俺に接近されること自体を嫌がっているわけだし。
俺の望みは目下一つ。
必要事項の連絡だけ、毎日欠かさないこと。
たった一言でも構わない。
ただ、お前が今を無事に生きているということが、側にいない時でも分かるように。
俺が目を離している間にも、お前の身に何かあったら気付いてやれるように。
それさえ守ってくれるなら、余計な干渉は極力控えてもいい。
「わかった。
じゃあそれで、秘密は厳守って、約束ね」
どんなに些細な変化であったとしても、お前自身に意思はなかったとしても。
万一の事態が発生した時には、必ず見抜いてみせる。
お前の鼓動が乱れたなら、すぐに駆け付けてやれるよう。
お前を縛り付ける不幸の連鎖を、いつか俺が打ち止めにしてみせる。
やっと、はじめの一歩だ。
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