:第四話 頼りない結び目
翌日。
相良の秘密が発覚してから一夜が明け、俺の頭も幾ぶん冷えた。
だが、昨夜の出来事を忘れてやるつもりは毛頭ない。
不明な点は未だ多く、課題は山積み。
現時点で判明していることといえば、あいつが父親に暴力を振るわれていることと、学校に秘密でアルバイトをしていることくらいだ。
それでも、確かだと言える答えが一つだけある。
きっと相良は、誰かに助けを求めている。
口ではそんなもの必要ないと強情を張っているが、今にも倒れてしまいそうだと、苦しくて堪らないのだと、あいつの全身が叫んでいるのが俺には分かる。
相良の傷は、恐らく俺が想像するより根深いだろう。
自らSOSを発する余裕もないほどに、今のあいつは追い詰められている。
なにかが、誰かがそうなるように、相良を作り替えてしまった。
ああも頑なに心を閉ざしてしまったのには、原因があるはずなんだ。
だから俺は、相良の心に切っ先を向けると決めた。
もし本気でやめてくれと懇願されたなら、その時に改めて対処を考えればいい。
殴られて突き飛ばされて、いい加減やめろとあいつが怒らない限りは、俺はあいつを諦めたくない。
まだまだ青二才で、何事に於いても精一杯な俺だけど。
俺みたいな欠陥人間には、あいつを救ってやることも、癒してやることさえ出来ないかもしれないけれど。
やってみる前から、無駄だと匙を投げることはしたくない。
俺がやる。
他の誰でもなく、俺が、あいつを守る大人になってやるんだ。
俺が教師になったのはきっと、相良のような子供に寄り添うためだったのだろうと。
手前勝手な理屈であれ、決意してしまったから。
***
「───相良。ちょっと」
朝のホームルーム終わり。
トイレに立とうと教室を出た相良を、俺は背後から呼び止めた。
廊下の真ん中で足を止めた相良は、一拍の間を置いてこちらに振り向いた。
「なんですか?先生」
真っ直ぐには目を合わせたがらない顔には、見慣れた笑みが貼り付けられていた。
学校にいる間は優等生を演じきるつもりなのか、まるで何事もなかったように澄ました態度だ。
しかし既に相良の本性を知っている俺には、その笑顔の裏に何が隠されているかが透けて見えた。
"しつけえんだよテメエ。学校では俺に話し掛けんな"。
言動には出さずとも、相良の心の声がダイレクトに伝わってくる。
俗に言う、思っていることが顔に書いてある、というやつだ。
俺以外に相良の裏の顔に気付いていそうな奴は、今のところ見当たらない。
これだけ爽やかなオーラを纏っているのだから、中身も信用されるのは当然か。
俺ですら、昨夜見た相良と目の前の相良は本当に別人なのでは、なんて気がしてくるほどだ。
この激しすぎるギャップの差には、まだ戸惑いを感じるのが正直なところ。
だが一度正体を見切ったからには、二度と同じ手は通用しないし、させない。
もう今までのようには丸め込まれてやらないから、覚悟するといい。
昨夜のあれで突き放した気になっているなら、それは大間違いだってことを、これから教えてやる。
「実は、お前に話したいことあるんだ。
急で悪いんだけど、昼休みにでも時間作ってくれないか?」
「えっと……。
それって、今日じゃなきゃ駄目な話なんですか?今日の昼休みは、おれ他に用事あって───」
途中までは気さくに応じてくれたのに、いざ本題を切り出すとこれだ。
予定が合わないなどとゴネ始め、こちらの要求を一考する素振りさえない。
ここまでは、以前までの展開と全く同じ。
軽やかに回避されて、取り付く島もない。
当時の俺だったら、遠ざかっていく相良の後ろ姿を、指をくわえて見ているしか出来なかっただろう。
「そんなに拘束はしないから大丈夫だよ。
ただ、昨日の件で二・三確認したいことがあるだけだからさ」
今日の俺は、今日からの俺は違う。
こうすれば必ずそう来るだろうと予測していたので、すかさず先手を打ってやる。
わざと昨夜の出来事を蒸し返すような言い方をすれば、惚けられても無視は出来まい。
「………。」
すると予想通り、相良の表情が固まった。
悔しそうにぐっと言葉を詰まらせ、恨めしげな目付きでこちらを睨みつけてくる。
無論、相良の秘密を口外する気など最初からない。
確認したいことがあるという文言にも、特に深い意味はない。
でも、相良にとってはそうじゃない。
相良は俺の思惑を知らないし、俺を信用していないからこそ、いつ秘密が暴露されるか気が気でないはずだ。
相良の異様なまでの警戒心を逆手に取り、先んじて退路を封じる。
実に単純な手だが、俺の考えた新しいアプローチ方法だ。
「えー、なになにカナエちゃん。
いつの間に優等生と仲良くなってんのさー。浮気だぁー」
教室から顔を出した東野が、俺と相良の間に割って入ってきた。
東野は慣れた手つきで俺の腕に絡み付くと、不機嫌そうに唇を尖らせた。
今回ばかりはナイスタイミングな登場。
人目がある内は、さすがの相良も堂々と嘘は付けないはずだ。
なにせ相良の嘘が嘘であることを知っている、俺という証人が目の前にいるのだから。
お得意の煙に巻く戦法も、少しタイミングをずらしてやるだけで、こんなにも簡単に無効化できる。
更にこちらから畳み掛けてやれば、お前はもう言い逃れ出来ないだろ?相良。
卑怯だろうがなんだろうが、お前を捕まえるためなら、俺はもう手段を選ばない。
「浮気じゃないし、そもそも俺はお前の旦那さんじゃなくて、担任のセンセイな」
「悲しいこと言うなよー、つめてーなぁー。
てか昨日の件ってなに?昨日二人でなんかあったの?」
「ちょっとな。授業で使う資料とか、色々纏めんの手伝ってもらったんだよ。
だからそのお礼も兼ねて、みたいな」
「お礼ってなに?お菓子!?」
「さあ?だったとしてもお前にはあげない」
いつものテンションで迫ってくる東野を、いつものように軽くあしらう。
だんまりの相良に改めて向き直ると、死んだ魚と同じ目をしていた。
「そういうわけだからさ。頼むよ、相良。少しだけなら構わないだろ?」
我ながら意地が悪いと思うが、最早なりふり構っていられないのだ。
こうして退路を封じても尚、是が非でも逃げようと抵抗するのであれば、深追いはしない。
俺の目的は相良を困らせることではなく、あくまで相良に近付く機会を得ることにあるから。
さあ、どうする。相良。
嫌なら嫌と言ってくれていい。
ただし今日の受難をクリアしても、明日も逃げられるとは限らないぞ。
たとえ毎日でも、俺はお前にアプローチをかけ続ける予定だからな。
お前に残された選択肢は二つだ。
俺の要求を受け入れるか、全面的に拒否するか。
強情なお前に立ち向かっていくためには、こちらも強引な姿勢で臨ませてもらうしかない。
かなりウザい責め方だということは自覚しているが、他に上手いやり方が思い付かないので勘弁してほしい。
「……わかりました。
少しでいいなら、大丈夫です」
いつになく強張った笑顔を見て、しぶしぶといった承諾の返事を聞いて、俺は思わずガッツポーズをしそうになった。
昨夜で相良の尻尾を確認したとするなら、たった今その尻尾を掴んだようなものだ。
なんにせよ、相良の掴み所は把握できた。
あとは、俺の教師としての手腕と度量が試される。
相良を捕まえて目標達成なのではなく、やっとスタートラインに立っただけ。
ここからが、いよいよ本番だ。
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