俺を殺してお前も死ね

：第三話 分厚い殻と柔らかい棘 3

常葉亭から車を走らせること、２０分弱。

目的地の公園に着いた俺たちは、敷地内の駐車スペースに車を停めた。

薬川通りの一角に設けられている、広さが売りの市民公園。

それがここ、"西条（さいじょう）公園"である。

平素は休日平日問わず近隣住民の憩いの場として賑わっているそうだが、この時間帯では流石に誰も寄り付かないらしい。

閑散とした広場は夜の闇色に染まっていて、人っ子一人いる気配がない。

月明かりと街灯がなければ、軽い散歩も出来なそうな雰囲気だ。

駐車スペースには他に二台、軽自動車が停めてあるが、ドライバーの姿は見当たらない。

この様子だと、公園に用があって駐車しているのではなく、単純に放置されているだけなのだろう。

今のところ、俺と相良を除けば、公園の中は無人だ。

「───じゃー、そこの自販機で飲みモン買ってくるから。

先に広場のほう行って、ちょっと待っててくれるか？」

「……わかった。

適当に座ってるから、見付けにきて」

車を降りた後は二手に別れ、俺は近くの自販機まで一走りした。

自分用にコーヒー、相良用にココア。

それぞれの飲み物を購入し、踵を返して先程の場所まで戻ると、もうそこに相良の姿はなかった。

"適当に座ってる"とか言ってたし、そんなに離れてはないと思うんだけど。

あいつ存在感あるくせに、忍者みたいに気配を消すから、うっかりしていると見落としてしまいそうだ。

「どーこ行ったアイツ。暗くて全然わかんねえ……」

静まり返った広場へ足を延ばし、あてどなく相良を探し回る。

ふとブランコの方に目をやると、内のひとつに相良が座っているのが見えた。

とんずらされたのではと一瞬過ぎったので、逃げずに待っていたことに安堵する。

俺が近付いていくと、足音に気付いた相良は力無く顔を上げた。

街灯の光が弱いせいかもしれないが、その顔は少し青白かった。

「なんか……。

今にも死にそうな顔してるな。大丈夫か？車酔いした？」

「別に。なんともない。ちょっと疲れただけ」

「あー……。そうだよな、悪い。

バイト終わりで無理やり連れ回されたら、そりゃ疲れるよな。

……とりあえず、これ。自販機で買ったやつ。あったまるから」

相良のブランコの隣に腰掛け、買ってきたホットココアを差し出す。

相良は無言で受け取ると、容器のラベルに目を落とした。

表情はなにか言いたそうだが、自分から切り出してくる素振りはない。

意図して黙っているというよりは、意見する気力も残っていない感じだ。

俺に問い詰められるのが余程イヤなのか、単純に仕事終わりで疲れているだけか。

丸まった背中には生気がなく、どこか浮浪者のような雰囲気を放っている。

こうして黙っていられると、まるで幽霊がそこにいるみたいで、迂闊に声をかけられない。

学業と併行してアルバイトもやるなんて、体力的に無理があるんじゃないだろうか。

年齢の割にがっしりとした体格をしているならともかく、相良は見ての通りの華奢な少年だ。

休まず学校に通うだけでも立派なのに、生活費も自分で稼ごうだなんて。

はっきり言って、彼の身には余るオーバーワークだと俺は思う。

それに。

今夜は賄いで済ませたと言っていたが、普段の食事はどうしているのか。

父子家庭の二人暮らしということは、家での食事は相良が担当しているのか。

虐待の疑いがある父親が息子のために料理を作るとは思えないし、まともに食っていたら相良はこんなに痩せていない。

だとすると相良は、暴力を振るわれているだけじゃなく、ネグレクトも同時に受けてるってことか。

こうして近くに感じるほど、相良に対する疑問や感情が沸々と湧いてきて。

なにから向き合えばいいのか、処理すればいいのか、分からなくなってくる。

聞きたいことはたくさんある。時間も惜しい。

せっかく二人きりになれたのだから、単刀直入に切り込んでしまいたい。

急いだ思考ばかりが働き、歯痒さから自然と体温が上がる。

だが、下手を打って相良を傷付けたくない。

俺の言葉が、態度が、なにが相良を苦しめるきっかけになるか分からない。

親切のつもりでかけた一言が、思いがけず相良の心に爪痕を残してしまうかもしれない。

そう考えると、少し怖い。

あれほど一対一の機会を狙っていたというのに、いざ本番を迎えると、自分で自分が嫌になるほど腰が引ける。

最初の一歩を踏み込んでいくのに、強烈な迷いを、躊躇いを覚える。

こんな時、一人の大人として担任の先生として、俺はなんと言ってやればいいのだろうか。

ここが正念場というところで、自分はつくづく詰めが甘いということを、改めて痛感する。

「（どうしよう。

変に間（ま）開けたら、余計気まずくなってきた）」

第一声に困った俺は、挙動を誤魔化すためコーヒーに口を付けた。

「───で、話ってなんなの」

黙っていることに飽きたのか、先に相良が沈黙を破ってきた。

ココアの容器に頬を当てながら、横目でじっとこちらを見つめている。

これまでのような敵意が感じられないのは、目付きの鋭さが鳴りを潜めているからだろうか。

「変に気遣わなくても、今さら逃げたりしねーよ。

……言いたいこと、あるんでしょ。時間なら心配しなくていいし、質問あんならさっさと聞けば」

ぶっきらぼうに告げた声は、疲労にしゃがれていた。

口調も辛辣なタメ口で、いつもの御淑やかさは微塵も窺えない。

恐らくだが、こっちが彼にとっての素なのだろう。

学校にいる時の相良は常に物腰穏やかで、端正な笑顔と品のある仕種が印象的な、まさに絵に描いたような優等生だ。

対して今の相良は、姿勢が悪ければ言葉遣いも悪く、そこらのチンピラのようなオーラを出している。

それはつまり、学校にいる時の彼が猫を被っているということ。

その完璧なまでの二面性は、いっそ恐怖すら感じさせるほど洗練されていて、言いようのない悲しさが俺の胸に込み上げた。

自分で自分を偽るのは、そうする必要があるからだ。

そうしなければならない理由がこいつにはあって、だから相良は誰にも心を開いていない。

こうも達者に演じ分けが出来るくらいだ。

相当な動機と確固な意志、孤独に耐えうる精神と地道な努力がなければ、他人を欺く力は手に入らない。

そうまでして本当の自分を隠そうとする相良が、俺にはとても哀れに見えて。

薄く強張った肩に、つい触れてしまいそうになるのだ。

「じゃあ、遠慮なく聞かせてもらうけど。

校則を破ってまでアルバイトをしてるのは、生活費の足しにするためか？

それとも、なにか欲しいものでもあるのか」

考えるほど混乱していくので、俺は思考回路を一時停止することにした。

相良は俺から目を背けて、ぼそぼそと答えた。

「別に、大した理由はないよ。

ウチは金持ちじゃないけど、生活できないほど貧乏ってわけでもないから」

「だったらどうして働く必要がある？遊ぶ金欲しさで、とかだったら、俺はお前を止めなくちゃならない。

内密にしてほしいなら、本当のことを話してくれ。

俺も、できる限りお前の事情を汲んでやりたいから」

俺は敢えて厳しい言い方で問い詰めた。

こちらがハッキリとした態度を示せば、相良もお茶を濁せないはずと思って。

「遊ぶための金も、ほしくないわけじゃないけど。そんなものは別に、なくたっていい。

ただおれ、部活とかやってないし。どうせ暇なら、利益のあることをしようと思って。

貯金はないより、ある方がいいでしょ」

「貯蓄のためね。それでアルバイトを始めたのか。

いつからだ？」

「二年の夏休みから。

家でだらだらしてんのも、なんか……。退屈だったし。

だから、店のおじさんとおばさん説得して、中学生でもバイトさせてくれって頼んだんだよ」

「なるほどね」

相良の言い分は一見、正当なものだった。

特に小遣いが欲しかったわけでも、生活が困窮していたわけでもなく。

どうせやることがないなら、お金を貯めてみようかと。

単純な動機で、アルバイトを始めることを思い立ったのだと。

確かに、貯蓄は無いより有った方がいい。

どうしても働かなければならない理由はないが、無駄に時間を持て余すくらいなら実になることをしたい。

考え自体は不思議じゃないし、子供なりに筋が通っていると思う。

ただ。

今の台詞を聞く限り、単に金を集めたいから始めたことではない気がした。

「"退屈だったから"じゃなくて、"家に居たくなかったから"、じゃないのか？本当は」

相良の肩がぴくりと反応する。

俯いた横顔は長い髪によって遮られているため、表情は見えない。

だが今の一瞬で相良の感情が揺れたのが、気配で分かった。

どうせだったら利益になることをしたいという理由も動機も、嘘ではないのだろう。

しかし、それで全てが収まる話でもない。

部活は金がかかるから出来ないし、塾も金がかかるから行けない。

かといって、帰宅後まっすぐ自分の机に向かい、ひたすら自習に勤しむだけかと言えば、そういうことでもない。

相良はただ、家にいるのが嫌だっただけ、なんじゃないだろうか。

だからあれこれと理屈を捏ねて、帰らなくても済む方法を模索した。

その結果、見付けた逃げ道が定食屋のアルバイトだったのも、食い扶持を増やすためなら父親も文句を言わないだろうと思ったからではないか。

これらはあくまで俺の憶測に過ぎず、本人から直接意見を聞いたわけではない。

それでも俺には確信があった。

相良は賢い子だ。

そこらのガキと違って将来設計も立てているだろうし、今の内から足場を固めておきたいという気持ちも持っているはず。

故にこそ、余計に違和感を覚えるのだ。

必要に迫られたわけじゃないのに、中学生が夜中まで働く理由としては、不十分なんだ。

だったら遊ぶ金欲しさの方が、まだ納得できる。

違うんだよ。相良。

お前の言っていることは、至極真っ当なようでいて、矛盾している。

特別暮らしに困っているわけじゃなく、欲しいものがあるわけでもないのに。

ましてやお前は、子を持つ親ではなく、親の居る子なのに。

確かな目的を持たず、ただ貯蓄のために労働をするのは、大人の仕事だ。

それも、守るべきものを持つ、人の親の役目だ。

漠然と将来のために金を貯めるだなんて、大人でさえモチベーションを保つのは難しいことだ。

たとえ叶わぬ夢であったとしても、目標がなければ、人間は歩いていけない生き物だから。

つまり、お前は金が欲しいんじゃない。

家に居る時間を短くするため、父親と二人でいる時間を減らすため。

そのための言い訳が、お前は欲しかっただけなんだろ。違うか？