:第三話 分厚い殻と柔らかい棘 2



注文した"白身魚のフライ定食"は、10分もしない内に運ばれてきた。

正直言って、美味しいかどうかは殆ど分からなかった。

作ってくれたご主人には申し訳ないが、食事中も相良に意識が向いて、味わう余裕がなかったのだ。



「お冷やのおかわり如何ですか?」


「あ、お願いします」



俺がフライに齧りついている間にも、相良は孝太郎さんと連携してテキパキと働いていた。

軽いフットワークで店中を動き回り、端正な笑顔を惜し気もなく曝し、常連客から絡まれる場面があっても毅然と対応する。

見ていて気持ちがいいほどの接客ぶりは、子供ながらに称賛に値するものだった。


"彼もうちの大切な戦力ですので"。

先程の孝太郎さんの台詞は、俺を黙らせるための方便ではなかったらしい。

ご主人や女将さんとも親しそうだったし、少なくとも半年は勤めていると思われる。

賢いヤツは何をやらせてもソツがないんだと、相良には感心させられてばかりだ。




**



食後。

会計がてら、俺はご主人と女将さんに挨拶をしに行った。



「───さっきは変な空気にしちゃって、すいませんでした。

どのお料理も美味しかったです」


「あら、どうもありがとうございます」


「こっちこそ、大したモン出せなくてごめんね!」


「とんでもないです。ご馳走さまでした」



ご主人と女将さんは、俺を全く警戒しなかった。

彼は楓くんの学校の先生らしい、なら粗相のないようにしなくちゃねと。

むしろ居心地よく過ごせるよう遇されたほどだ。

対照的な孝太郎さんが悪いのではないが、全員から腫れ物扱いされなかったのは幸いだった。



「良かったらまた、いらしてくださいね」


「いつでも歓迎するよー!」


「どうも」



会計を済ませ、相良の元へ向かう。

客足が途切れた合間に小休止中か、相良は店の隅っこでスツールに腰掛けていた。



「相良」



びくりと肩を揺らした相良は、恐る恐ると俺を見上げた。



「話あんだけど、後でちょっと時間もらえるか?」


「……はい」



逃げられないと観念したのか、相良は俺の要求に従った。


雲を掴むより困難と思っていた相良の確保が、こんなに簡単に成功してしまうなんて。

ちょっと拍子抜けな気もするが、まぁいい。

念願の機会が巡ってきたのだから、これまでの苦労は水に流すとする。



「あんまり長居するわけにいかないから、俺は一旦出るけど……。

お前のシフト終わるまで待ってるから、何時ぐらいに店じまいするかだけ、教えてくれるか?

帰りは車で送ってやるから、遅くても気にしなくていいぞ」


「店が閉まるのは、夜中の12時だけど。おれはいつも9時とか、10時前には上がらせてもらってるから……。

たぶん、今日も帰んのは9時以降とかに、なると思います」



俺の質問に、相良はとつとつと答えた。


急に従順になられると、却って調子が狂う。

そんな思い詰めた顔をしなくても、取って食ったりはしないのに。



「わかった。じゃあ、そのへんで適当に時間潰してるから。

終わったら、この番号に連絡して」



相良のアルバイトが終わった後に落ち合うことを約束して、俺は自分の携帯番号を記したメモを相良に渡した。

相良は一言"わかりました"と返事をすると、受け取ったメモをエプロンの胸ポケットに仕舞った。


会話が途切れると、気まずい沈黙が流れた。

俺達のやり取りに聞き耳を立てているのか、孝太郎さんの視線も感じる。

これじゃあまるで、俺が相良に意地悪をしているみたいだな。



「すいませーん」



どこからか、従業員を呼ぶ声が上がった。

座敷に座っている、若いサラリーマンの二人組だった。

メニュー表を手にしているので、注文が決まったんだろう。


孝太郎さんはカウンターで接客中。

手が空いている相良が対応するしかない。



「今いきます!」



相良は素早く立ち上がり、サラリーマン客に明るく返事をした。

俺は最後に相良の肩を叩き、一方的に告げた。



「密告する気はないから、あんま深刻に考えんなよ」



相良に背を向けて歩き出す。

玄関の引き戸を開けると、昼間より肌寒い風に髪が踊った。

真昼の暑さには毎年げんなりさせられるが、日が落ちると涼しくなってくれるのは、北海道の良きところだ。



「ありがとうございましたー!」



相良以外の重なった挨拶をバックに、今度は引き戸を閉めて外へ出る。


約束の時間まで、どう暇を潰そうか。

駐車場へ向かいながら、"暇を潰す"の選択肢を頭に浮かべる。



「あんな顔もするんだな……」



"学校側に密告をする気はない"。

そう告げた時の相良の目は、あまりに綺麗だった。




**


最寄りのネットカフェで暇を潰すこと、一時間強。

知らない番号から電話が掛かってきた。


相良だった。

常葉亭の家電いえでんを借りて連絡してきた相良は、今しがた仕事を終えたと教えてくれた。

先生を待たせてはいけないからと、孝太郎さんが早上がりにさせてくれたのだという。

店に迷惑をかけた詫びと礼をしに、近々また伺わなければ。


ネットカフェを後にし、急ぎ車を走らせる。

常葉亭の軒先には、既に帰り支度を済ませた相良が立っていた。

私服らしきラフな服装に着替え、アルバイト中に身に付けていたバンダナやエプロンは外している。

学校の制服は、手持ちのトートバックにでも隠したんだろう。



「おーい、相良ー!」



運転席の窓を開け、近所迷惑にならない声量で呼び掛ける。

気付いた相良は、重い足取りでこちらに歩いてきた。



「待たせて悪かったな。

うちまで送ってやるから、乗りな」


「……はい」



覇気のない返事をして、相良は助手席に乗り込んだ。


店で外してきたのは、バンダナとエプロンだけじゃないらしい。

アルバイト中の可愛らしい笑顔はどこへやら、項垂れた横顔には暗い影が落ちている。



「シートベルト、締めたか?」


「はい」



相良は私物を膝に載せ、俺は開けた窓を閉めた。



「よし。じゃ、出すぞ」



ハザードランプを消し、ウインカーを出し、車を発進させる。

すると相良は、短く驚きの声を上げた。



「えっ。はなしするんじゃないんですか?」



俺は運転しながら返事をした。



「お前んって、薬川やくせん通りにあるアパートだろ?

あのへんって確か、結構でかい公園あった気すんだけど……。違ったか?」



事前にリサーチしておいた情報によれば、相良の自宅は常葉亭から車で20分程かかる"薬川通り"にある。

団地を中心に、公民館やら公園やらを有する地区だ。

後者の公園は広くて緑が多いため、市民の間ではちょっと知られたスポットとなっている。


俺にとっては馴染みのない地区だが、公園だけは何度か足を運んだことがある。

ナビを使わずとも、迷う心配はなさそうだ。



「合ってます。

じゃあ、その公園で話す、ってことですか」


「この時間だと喫茶店もやってないし、未成年を居酒屋に連れ込むわけにもいかないからな。

───あ、そういやお前、メシは?食ってないなら、途中でコンビニ寄るか?弁当でもカップ麺でも、好きなもん買ってやるぞ」


「メシは店の賄いで食わせてもらったんで、大丈夫です」



態度こそ素っ気ないが、密室に二人きりとあって無視はされない。

今なら、忙しいからなどと理由を付けて逃げられもしない。


ただ、無視がなくても無理はあるというか。心底イヤそうというか。

渋々付き合ってくれてる感が如実で切ない。

可愛らしい営業スマイルを見た後にこれだと、落差を実感してヘコむ。



「いつもは帰り、どうしてるんだ?9時以降となるとバスもないだろ。

けっこう距離あるけど、歩いて帰ってるのか?」


「いつもは孝太郎さんが車で送ってくれてるんで、大丈夫です」



話題を変えてもう一度トライしてみるも、やはり撃沈。

助手席からの景色を眺めているのかいないのか、相良はこちらに目もくれない。


執拗に付き纏っていたこともあるし、俺は本格的に相良に嫌われてしまったのかもしれない。

人には知られたくない秘密に踏み入ろうとしているのだから、当然か。



「そっか。

じゃあ、そういうのも含めて、改めて今度、お礼しに行かないとな」



溜め息を吐きたい気分だが、これ以上相良の機嫌を損ねるといけない。

ここは運転に集中し、目的地に着くまで自主的な発言は控えよう。


そう心に決めて、僅か一分後。

何故か相良の方から俺に話し掛けてきた。



「怒んないの?」


「フェッ?なん、なにが?」



いきなりだったものだから、聞き返す声が上擦ってしまった。

相良は構わず続けた。



「おれ性格悪いし、こそこそバイトなんかしてるし。

先生にも散々失礼なことしたのに、───なんで怒んないのさ」



俺をぞんざいに扱ってきた自覚はあるらしい。

内心どう思われているかを気にしていたなんて、意外と可愛いところもあるんじゃないか。

ふてぶてしいのは相変わらずだけど。



「別に、怒るほどのことじゃないさ。

ぜんぜん相手にしてもらえなかったのは、悔しかったけどな」


「チクんないの?」


「しないよ。

本当は駄目なことだけど、それぞれ事情があるし。

お前だって、ルールなんかクソ食らえと思って、わざとやってるわけじゃないんだろ?なら仕方ねーよ」


「………。」


「ただ、違反行為を黙認するのはアウトだから、俺とお前の秘密な。

今日あったことを俺は見なかったことにするし、今日ここに俺が来たことも、お前はなかったことにしてくれ。

そうすれば、なにも問題ない」



本人はアルバイトの件を学校側に通告されるのではと恐れているようだが、俺にそんな気は更々ない。


相良の家が貧しいことは知っている。

秘密裏に働いているのだって、きっと生活費の足しにするためだ。


遊ぶ金欲しさでとか、軽い動機でやっているのであれば、ひとつふたつ言いたいこともあったけれど。

家庭の支えになろうと頑張っている少年に、ルールだから諦めろなんて言えるものか。



「前から思ってたけど、あんたってお人好しだよね」



赤信号で停車する直前。

エンジン音に掻き消されそうなほどの小さな声が、俺の耳に届いた。


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