俺を殺してお前も死ね

：第二話 秘密

４月１４日。

西嶺中学校に赴任されて、今日で一週間。

我ながら、スタートダッシュは良い調子で切れたのではと思う。

クラスの子たちの名前もちゃんと全員分覚えられたし、新任だからと遠慮されることも少なくなってきた。

今では一部の生徒から、"カナエ先生"というアダ名で呼ばれるようにもなった。

担任の先生をやっている実感が、日増しに湧いているところだ。

これで件の彼（・・・）も、大人しいままでいてくれたら。

厄介なトラブルに巻き込まれたりしないでくれたら、文句ナシなんだがな。

＊＊＊

「───相良！」

廊下で擦れ違った茶髪頭に向かって声をかける。

茶髪頭の少年は、一拍遅れてこちらに振り返った。

出席番号６番、相良楓。

我が３年１組において、二番目に優秀な学業成績を収めている優等生であり、俺の中で最も注意すべき重要人物。

「なんですか？」

前髪から覗く大きな瞳と、キメの細かい白い肌は、思春期の男子にしては繊細すぎるほどに綺麗だ。

成長過程で華奢な体つきをしている生徒は他にもいるが、相良ほど霞を食って生きていそうなヤツはいない。

「お前、今朝のホームルームん時、ずっと机に突っ伏してたろ？

顔色も良くないし、どっか具合悪いんじゃないのか？」

遡ること、今朝のホームルーム。

多くの生徒が背筋を伸ばして座っている中で、相良だけは机に伏せったままでいた。

出席確認の際には顔を上げてくれたが、心ここにあらずといった様子で、表情も乏しかった。

相良が俺の朝礼に関心を示さないのは元からでも、あんなにぐったりした姿は初めてだった。

もし体調が優れないのであれば、保健室に行かせるか早退を勧めようと考えていたのだ。

「別に、なんでもないですよ。

ただ今朝は、ちょっと寝不足だったんで。うとうとしちゃっただけです。

以後、気を付けまーす」

一方的に告げた相良は、俺の心配など歯牙にもかけずに去っていった。

残された俺は、相良の後ろ姿を見送りながら、またも煙に巻かれてしまったと溜め息をつく他なかった。

西嶺中に赴任して、相良と出会って、今日で一週間。

俺は贔屓ととられない範囲で、本人にも悟られないよう相良の動向を窺ってきた。

一見すると完璧なまでの優等生だが、観察しているうちにボロを出してくれるかもと期待、いや警戒して。

そして現在。出た結論は一言。

わからない。というか、どこも変じゃない。

葛西先生が深刻な言い方をするものだから、つい偏った目で見てしまうのだけれど。

それにしても、相良には一切の欠点が見当たらなかった。

頭脳明晰、運動神経抜群。

無断遅刻ゼロ、無断欠席ゼロ。

宿題は必ず期限を守って提出、予習復習・家庭学習あたりまえ。

目上の相手に礼儀正しく、クラスメイトと分け隔てなく接し、自ら風紀を乱す真似は絶対にしない。

部活動（クラブ）には所属していないため、授業が終われば寄り道せずに帰宅する。

強いて欠点を上げるとするなら、あの髪型くらいのものだが、それも過去に口頭注意されただけで問題視はされていないらしい。

生活指導の古賀先生によると、髪型以外は極めて真面目で優秀な生徒なので、成績を落とさないことを条件に特例で見逃しているのだそうだ。

まさに、絵に描いたようなスーパーキッズ。

外身（そとみ）はちょっと変わっていても、中身（なかみ）は教科書に載せていいレベルの品行方正っぷりだ。

一体あの笑顔の裏に、どれほどの二面性を隠しているのか。

当初はかなり疑ってかかってしまったが、二面性なんて最初から無かったのかもしれない。

彼が抱えていたとされる悩みも、葛西先生の知らない内に解消されていただけなんじゃなかろうか。

「───カーナーエちゃん！」

教室の前で突っ立っていた俺に、背後から誰かが飛び掛かってきた。

腹に腕を回され、ぎゅっと抱きしめられる。

この甲高く甘ったるい声は、思い当たる限り一人しかいない。

「こんなとこで、なに電柱みたいになってんのー？教室入んないの？」

「次の時間、３組と４組が体育じゃん。うちらはこれから数学だし」

「あ、そっか」

友達に対してと全く同じテンションで絡んできたのは、うちのクラスの東野。

加えて、郷田（ごうだ）夕貴（ゆうき）という女生徒だった。

つるんでいる場面が多いので、クラスでも特に仲の良いペアなんだろう。

郷田の方はスカート丈もさほど短くなく、髪型も子供らしいショートボブで、派手な東野と比べると控えめな印象を受ける。

ただし、言動はほぼほぼ一緒。

整った顔立ちも双子のように似ていて、首筋からは揃ってベリー系の香りを漂わせている。

俺が中学生だった当時にも、香り付きの制汗スプレーをコロン代わりに使っていた女子がいた。

そこら辺の文化は、未だに続いているようだ。

「いきなり飛び付いてくんじゃないよお前は。滑ったら危ないだろ」

「んじゃー、私が怪我したら、カナエちゃんお嫁にもらってくれる？」

「だめ。俺はお前と違って奥ゆかしい人が好きなの」

べたべたと纏わり付く東野が、上目遣いでこちらを見上げてくる。

俺は回された腕をそっと離して、東野から距離をとった。

フレンドリーに接してくれるのは嬉しいんだが、あまりスキンシップが過ぎると古賀先生に睨まれるので勘弁してほしい。

今のご時勢、可愛い子に懐かれちゃったヤッター、なんて呑気に喜んではいられないからな。

「ひどーい！大事な生徒に向かってそれはないっしょー！

そんなんだから彼女いないんだー、ぜったい。

奥ゆかしい女とか、付き合ってもつまんないだけなのにさー」

「そんな怒んなって。カナエちゃんにも色々立場とかあるんだよ」

あしらわれたのが不満だったのか、東野はブーブーと文句を垂れた。

隣では郷田が、呆れたような笑みを浮かべている。

東野のハイテンションは平常運転として。

郷田の方は何故か、相良が消えていった曲がり角の方を、ちらちらと気にしている。

「そいやカナエちゃん、いま相良くんと話してたよね。なに喋ったの？」

今度は郷田が尋ねてきた。

さっきの俺達のやり取りを、どこからか眺めていたようだ。

「あー……、ちょっとな。

具合悪いんだったら保健室行くか、早退してもいいって伝えるつもりだったんだけど……。

こっちが全部言い終わる前に、逃げられちゃったよ」

「あー。相良くん真っ白だもんね。

日焼け止めとか全然塗ってないのに、うちらより美白だし」

朗らかなキャラクターで知られる相良だが、不健康そうという相反したイメージも強いらしい。

毎日休まずに学校は来るものの、今にもぶっ倒れそうな血色をしているせいで、古賀先生や保健医からも心配されているのだと。

言い方は冗談めかしているが、郷田自身もちょっと心配そうだ。

「なにカナエちゃん、あいつと仲いーの？」

相良の名前に反応した東野が、先程より強い力で俺の腕にしがみついてきた。

「なんだお前、相良のこと嫌いなの？イケメンは正義って言ってたくせに」

「確かに顔は良（い）んだけどさー。なんか感じ悪くない、あの人？

自分だけ正しいと思ってるみたいなさー。ノリも悪いし」

あひるのように唇を尖らせて、東野はぼやいた。

本当に相良に対して好意を持っていないんだろう。近寄りがたい存在と敬遠している口ぶりだ。

片や郷田は"そうかな？"と首を傾げていて、二人の認識に差があることが窺える。

評判の良い話しか聞いてこなかったし、てっきり誰からも好かれる人気者なのかと思いきや。

皆が皆そう、というわけではないようだ。

一人でも相良の悪口を言うヤツがいるなんて、意外だ。

おまけに東野は自他共に認める面食いだから、むしろ相良みたいな美少年は好みだろうと予想していたのに。

「お前が男子の悪口言うのとか珍しいな。相良のどこがそんな気に食わないんだよ。

あ、もしかしてフラれたか？」

「そんなんじゃねーから！うちが相良ヤな理由はもっと───」

何気なく鎌をかけてみると、東野はプリプリと怒って俺の腕を叩いた。

だが肝心の、相良を苦手としている理由については、明かされる前に本人が口を閉ざしてしまった。

何者かの手が途中でぬっと伸びてきて、東野の頭を後ろから鷲掴んだのだ。

「おい。

お前、あんま先生のこと困らせんなよ。

つぎ授業あんだから、さっさと解放してやれ」

葵くんだった。

死角から現れた彼は、ギャーギャーと嫌がる東野の後頭部を押さえ付けて、下へ下へと沈めてしまった。

そんな二人を郷田が指差して笑い、抵抗らしい抵抗が出来ない東野は、腹立ち紛れに"死ね"と叫んだ。

口調が荒い割にどことなく嬉しそうなので、葵くんのようなイイ男に構われて満更ではないらしい。

やっぱり面食いなんじゃないか、東野よ。

「先生、次３組が体育なんでしょう。

こんなやつ放（ほ）っておいて、早く体育館行った方がいいですよ」

隙を見てようやく体勢を立て直した東野が、葵くんに向かって反撃の蹴りを繰り出す。

葵くんはノールックで躱してみせると、冷静なトーンで俺に改めた。

指摘を受けて腕時計に目を落とすと、もうじき次の授業が始まる時間だった。

次は３組と４組が体育なので、俺もそろそろ持ち場に向かわなければならない。

「ホントだ。

さすがにこれ以上は遊んでらんないな。ありがとう葵くん。

東野ー、あんまり委員長に迷惑かけるんじゃないぞ」

「こんな委員長、別にいなくていーし！」

「また後でねー、カナエちゃん」

三人と別れて、俺は歩き出した。

東野は葵くんに怒りながら返事をし、郷田は笑顔で手を振ってくれた。

新学級委員長こと葵くんは、東野を無視して俺に頭を下げた。

葵くんが間に入ってくれたおかげで、絡んでくる東野から逃げることが出来た。

にしても彼は、先程の話をどこから聞いていたのだろうか。

相良の影があるところに現れるというか、彼の登場の仕方はまるで、東野に相良の話をさせたくないようなタイミングだった。

「（葵くんって、たまに目が笑ってないんだよな……）」

葵くんのミステリアスな振る舞いに違和感を覚えながら、俺は体育館へと急いだ。