:第一話 窓際の少年 4



「年齢はいくつですか?」


「今年で27になります」


「好きな食べ物はなんですかー?」


「和食全般と甘いもの」


「前の学校では、部活の顧問とかやってたんですか?」


「顧問ではないけど、バスケ部のコーチみたいなことはしてたかな」


「沢井先生とは、いつ交代になるんですか?」


「具体的な日取りは未定らしいけど、遅くても二学期までには復帰したいと仰ってました」


「好きな女性のタイプはなんですかー!」


「前向きでしっかりしてる人」


「巨乳派ですか貧乳派ですかー」


「大きさに拘りはないが、形が綺麗なのがいいかな」


「なにフェチですかー!」


「脚と背中。

言っとくけど、これ他の先生には内緒な。

こんな馬鹿なこと喋ってたのバレたらゼッテエ怒られるから。俺が」



その後、挙手をした生徒たちから怒涛の質問責めに遭った。

中にはアホかと突っ込みたくなるような内容もあったが、俺は彼らからのアプローチに真面目に応えてやった。




「───そろそろ時間だから、質問タイムはこれにて終了!」



最初の7人全員に返答したのを最後に、俺はそれ以上の延長を却下した。

ホームルーム終了の時間が差し迫っていたのと、個人的に身が持たなくなってきたためだ。



「あんだよケチー!」


「もうちょっとくらいいいじゃーん」


「つまんなーい」


「器が小さいぞ変態教師!」


「ハイハイなんとでも言ってね」



一部の生徒からは幼稚なブーイングが出たが、文句を言う割にみんなの顔は楽しそうだった。

短いやり取りの間にも距離が縮まったようで、先程まではぎこちなかった表情が、いつの間にか自然な笑顔に変わっている。


やはりコミュニケーションは重要ということらしい。

こうして向き合ってみると、素直で可愛い子達かもしれないと思えてきた。

さすがに巨乳派か貧乳派かという問いには答えるべきか迷ったが、馬鹿なことを聞くなと無下にしないで正解だった。


教室を今一度見渡してみると、誰しもが顔を上げて俺を見てくれている。

おどけている子も、隣の子と喋っている子も。やり取りに積極的に参加はしないものの、しっかり話は聞いている控えめな子も。

みんなが俺を先生として認識し、受け入れてくれている。

なにより今は、純粋にそれが嬉しい。



「じゃあ、ちゃちゃっと出席確認すませるぞ。

名前呼ばれたら返事してなー」



ただ。

一人だけ、全くこちらに関心を向けずに、じっと窓の向こうの景色を眺めている生徒がいた。


窓際の列の、一番奥の席。

教壇から離れた位置にいるし、ここなら何をしても目に付きにくいだろう、とでも思っているのか。


先程から一度も、こちらを見ない。見ようともしない。

まるで自分は存在していないとでも言うように、虚ろな表情を浮かべているあの少年の名は、確か。



「───井澤義史」


「はーい」


「岡田徹」


「はい」


「片山───」



振り分けられた番号順に男子の名前を読み上げていき、呼ばれた順から短い返事が返ってくる。



「───相良さがらかえで


「はい」



そして件の少年の名を呼ぶと、彼はやはり、こちらに目をくれずに返事をした。


白い肌、細い首、薄い肩。

明るい茶色の髪は男子にしては長く、見るからに繊細といった容姿を持った彼は、一見すると女子のようだった。

だが返事をした声は思いのほか低く、華奢だが骨張った体つきをしていて、ちゃんと男子としての特徴は備えていた。



「立川佑介」


「はい」


「野島───」



以降も出席確認は続き、俺は名簿にある通りに生徒の名前を読み上げていった。

しかし頭の中は、あの少年のことで一杯だった。


かえで。相良楓。

髪を染めるのは校則で禁止されているし、当然アウトなのだけれど。

その割に何というか、暗い印象を受けた。


茶髪イコール不良と決め付けるのも良くないが、逆を言えば、不良でないなら髪なんて染めなければいいのに。

せっかく真面目に授業を受けていても、そんな見た目をしていれば、損をすることの方が多いだろうに。



「せんせー、チャイム鳴ったー」


「オレ便所行きたいでーす」



全員分の出席確認が済んだ後は、一学期の日程についてなどを手短に説明した。

ホームルーム終了のチャイムが校舎中に響き渡ったのは、これらの話が終わったタイミングだった。



「はい、ホームルーム終わり。

くれぐれも、さっきの質問の答えを、教室の外に持ち出したりしないように」



次の授業に遅れるといけないので、俺は無駄話を控えて名簿を閉じた。



「せんせーしつこーい」


「しつこいくらい注意しとかないと、お前ら面白がって触れ回るだろ。

駄目だからな、ほんと。怒られんの俺なんだから。今の時代ほんと色々大変なんだから」


「モンスターペアレントとか?」


「そうそうそういうの。

親御さんにも、新しい先生が変態だったとか言わないでね」



軽口を交えて、みんなに暫しの別れを告げる。

昼になれば嫌でも顔を合わせることになるので、話をするならその時でいいだろう。


なんといっても、今日から俺は3年1組の担任なのだ。

生徒と親交を深めるための時間なら、まだ余裕がある。

物覚えも悪くない方なので、二日あれば全員の顔と名前を一致させるくらい、訳無い。


思っていたより、ずっとスムーズな滑り出しだ。

彼らとなら、きっと上手くやっていける。

この調子でいけば遠からず、友達のような関係を築けるかもしれない。



「せんせー、叶崎せーんせー!」


「こっち見てせんせ!」



資料を片手に教室から出ようとすると、"先生バイバーイ"と明るい声が聞こえてきた。

振り向くと、笑顔で手を振る数人の女子の姿があった。



「おー、バイバイ。また後でな」



俺も彼女らに適当にやり返し、今度こそ教室を出た。

向かう先は、二階の職員室だ。


今日はどのクラスの時間割にも、保健体育の授業は組み込まれていない。

今日中に済ませなければいけないことと言えば、保健の授業で使うプリントの作成と、保護者に配布する用の資料のコピーだったか。

あと、数学の佐伯先生に頼まれていた教材の仕分けも。




「───叶崎先生!」



擦れ違う他クラスの生徒と挨拶を交わしつつ、三階の階段を下りた時だった。

ふと背後から声をかけられたので振り返ると、たった今下りてきた踊り場に誰かが立っていた。


葵くんだった。

俺は歩みを止めて、"どうした"と返事をした。

葵くんは駆け足で階段を下りてくると、俺の隣に並んだ。


先程は椅子に座っていたので分からなかったが、間近に立たれると、やっぱこいつデカいなと実感する。

ガタイは流石に俺が勝っているが、背丈はほぼ一緒だ。

顔立ちにあどけなさが残っている点を除けば、ぱっと見ふつうの大人に見える。

最近の中学生は発育がいいらしい。



「すいません、急に呼び止めて。忙しかったですか?」



丁寧な口調で葵くんは断った。

爽やかな見た目に反さず、中身も育ちがいい感じを受ける。



「大丈夫だよ。

君の方こそ次、移動教室だろ?急がなくていいのか?」


「はい。走れば余裕なんで」


「走れば、か。

あんまり口うるさく言いたかないけど、できるだけ廊下は走らないようにな」



次の授業に遅れないかという俺の心配に対し、葵くんは走るから大丈夫だと当たり前のように返してきた。

予想外な反応に、俺は思わず笑ってしまった。


今さら真面目に守ってるヤツもいないだろうが、廊下とは原則、走ってはならないものである。



「で、どうした?俺なにか、伝え忘れたことでもあったかな」


「いえ。そういう訳じゃないんですけど。

オレ、二年のとき委員長やってたんで」


「ああ、そうらしいな。

新しいクラス委員は今週中に決める予定だけど……。

そのことと、何か関係あるのか?」



俺の目を真っ直ぐに捉えて話す葵くん。

俺はまた、同世代と接している気分になった。

年頃の割に礼儀がしっかりしてるのを含め、大人相手にこうも物怖じしない子供は珍しい。



「今期のクラス委員については、正直まだあんまり考えてないんですけど……。

この前、沢井先生に頼まれたんです。新しく来る担任の人に、わからないこととか、色々教えてやってくれって」



葵くん曰く、沢井先生から頼み事をされたのだという。

俺は彼の言わんとしていることを、だいたい理解した。


つまり沢井先生は、代理で宛がわれた俺を心配して、しっかり者の葵くんに世話を頼んだんだろう。

新任ゆえに分からないことも多いはずだから、君が相談に乗ってやってくれと。


それで葵くんは、そのことを俺に伝えるために、わざわざ追い掛けてきたってわけか。

律儀だな。



「なるほど。君は沢井先生に信頼されてるんだな。

じゃあ、お言葉に甘えて。わからないことがあったら、君に相談させてもらうとするよ。いいかな?」


「もちろんです。オレで良ければ、いつでも聞いてください」


「ありがとう。助かるよ。

……話は、これで全部かな?わざわざ来てもらっちゃって、悪かったね。

君ももう行っていいよ」



葵くんが追い掛けてきた理由が判明したところで、俺は踵を返そうとした。

すると葵くんは、"もうひとつ"と俺を引き止めた。



「先生は、───叶崎先生は、沢井先生から、なにか聞いてたりしますか?」


「沢井先生から?

そりゃあ、まあ。引き継ぎに必要な諸々は、事前に教えてもらったけど……。

それがどうかしたか?」



先程までとは打って変わって、葵くんは言い辛そうに目線を下げた。



「うちの生徒のことなんですけど。

なにか、言われなかったですか。

こいつのことは特に気にかけてやってくれ、とか」


「うーん……。個人的なことは、特に言及されなかったと思うけど……。

もしかして、クラスメイトの間で、なにか問題があるのか?いじめがあったとか」


「いえ……」



葵くんが微妙に濁した言い方をするせいで、なかなか要領を得ない。

こちらから明言せずとも察してほしい、ということなのかもしれないが、いかんせん与えられたヒントが少な過ぎる。


沢井先生が俺に伝えたこと。それも、生徒の個人的なことで?

思い当たるとすれば、誰に対しても分け隔てなく接してやってほしい、的な当たり障りのないコメントは貰った気がするけど。




「なにも聞いてないなら、大丈夫です。

変に付き合わせちゃって、すいませんでした」



自力で答えを導き出せなかった俺に諦めたのか。

葵くんは申し訳なさそうに頭を下げると、話を途中で打ち切りにしてしまった。



「えっ……。ちょ、ちょっと待って。なにかあるから聞いたんじゃないの?」


「なんでもないです、本当に。

そろそろ移動しなきゃなんないので、オレ行きますね。失礼します」



最後にそう言い残すと、葵くんは逃げるように去っていった。



「なんだよ……」



あんな気になることを言われて、答えが何であるのかも教えてもらえないまま、俺の胸に残ったのは不透明な謎だけ。

察してやれなかった俺が、担任として不甲斐ないのかもしれないが。

それにしても、なぁ。



「思春期って難しいな……」



虚空に向かってぼやいた独り言は、じわじわと胸に沁みていくだけで、返事をしてくれる相手はいなかった。


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