:第一話 窓際の少年 3


始業式ならびに入学式が始まろうという時分には、校舎の中はすっかり活気に溢れていた。

懐かしい制服が、見渡す限りを埋め尽くしている。


中でも新一年生は、長い時間を過ごした小学校から、見慣れない中学校へと環境が変わるのだ。

単純に進級をするだけの二・三年生と違って、緊張もピークを迎えている頃だろう。


そわそわと落ち着きのない子、友達とお喋りをして気を紛らわせている子。

多少の個人差はあれ、一様に浮き足立っているのが見て取れる。


大人から見れば小学生も中学生も大して変わらないが、実際に自分がその年齢だった頃には、中学三年生ってのは酷く大人っぽい生き物に見えたものだ。

きっと彼らも、大学生が社会に出る時のような、張り詰めた気持ちでいるに違いない。



ちなみに、俺はというと。

生徒たちと比べれば落ち着いているものの、同じく緊張していた。


沢井先生の後釜に俺のような青二才が抜擢されたと聞いて、3年1組のみんなは落胆しないだろうか。

もしかしたら若僧と舐められて、全く言うことを聞いてもらえないかもしれない。

受け入れてもらえても距離を置かれて、担任として何一つ役に立てないまま任期を終えてしまうかもしれない。


考え出せばキリがなかったし、もう少し猶予が欲しいところでもあった。

いくら準備期間があったとはいえ、担任代理が決定したのは急なことだったからだ。


ただし物は考えようで、一通り焦ってしまえば、もう怖くなかった。

自分は緊張しているんだと、客観的に認識することで、徐々に冷静は戻ってくる。


昔から心配性な性格だった分、後ろ向きな自分と付き合う方法は身に付いている。

少年期の苦労を回顧すれば、この程度のプレッシャーなど負担の内に入らない。

そう思える程度には、俺も大人になったのだ。


そうだ。大丈夫。

今までだってクリアできたんだから、これからもきっと、なんとかなる。

すべてが丸く収まらずとも、生きてさえいれば、なんとかなるんだ。


そう。

生きている限り、俺の世界は終わらない。


見ていてくれ、父さん。

俺、絶対に、途中で投げ出したりしないから。

ようやく歩き始めた人生を、あなたのように後悔しないためにも。


俺が教師になった理由を一言で表すとするなら、それは。

あなたへの反面教師が、全ての根底にあるからだ。




**


式の内容は、生徒の点呼起立、お偉がたの挨拶、クラス担任を受け持つ先生がたの紹介を主に構成されている。

俺も期間限定の代理ではあるが、新三年生の担任の一人として、葛西先生らと共に壇上に立った。

新任ともあって浮いていた感じは否めないが、生徒達からも先生方からも温かい拍手を頂いたので、第一印象は問題なしと喜んでいいだろう。


その時に、例の3年1組の様子を見たのだが、困った。

一瞬すぎて、誰がどれだか分からなかった、というのが率直な感想だ。


特に奇抜なビジュアルをしている奴はいなかったし、一見して普通のクラスだったが、実際はどうなのだろう。

見た目で判断してはいけないと思うが、はっきり言って、コテコテのヤンキーを相手に毅然としていられる自信はない。


無事に出番を終えた後も、考えるのは今後についてばかりだった。




「───ほら、みんな静かにー。

教室に戻るまでが始業式だからなー」


「遠足みたーい」


「一番右座ってたハゲのおっさん見た?」


「見た。めっちゃバーコード」


「スマホで読み込んだら、どっかのサイト飛ぶんじゃね」


「男子早くしてー。早く教室帰りたいんだからー」



式の終了に伴い、教師陣は会場の後片付け。

生徒たちは学年の生活指導に連れられて、体育館から教室へと移動を始めた。


俺は周りの流れを見て、最も人手の少なそうなパイプ椅子の片付けをやることにした。



「───叶崎先生。叶崎セーンセ!」



しばらくして、ステージに飾られていた花を抱えた古賀先生がやって来た。



「残りの始末はこっちでやっとくんで、先生はもう教室行っていいですよ」



そう言われて会場を見渡してみると、先生がたも続々と体育館を後にしていた。

クラスを受け持っている人は、一足先に作業を切り上げていいらしい。



「わかりました。じゃあ、後お願いします。お先に失礼します」


「はいはーい。また後でねー」



最後に抱えていたパイプ椅子を片してから、俺も古賀先生に断って体育館館を出た。


職員室に立ち寄りつつ向かった先は、下級生は滅多に寄り付かない、校舎の三階。

3年1組の教室だ。


この辺りの景色も昔と全然変わっておらず、教室の中からは生徒たちの話し声が漏れ聞こえている。


奇遇にも、当時の俺も3年1組の生徒だった。

この教室で最後の一年間を過ごし、見納めしたのも、ここが最後だった覚えがある。


いよいよか。

クラス名簿や教材など、必要の資料を腋に抱えて、深呼吸をする。



「がんばってね」



一足遅れて階段を上って来た葛西先生が、俺に笑顔で会釈をして、3年2組の教室へと入っていく。

俺と違って躊躇がない辺り、赴任初日と二年目の差を感じる。


懐かしいチャイムが校舎中に響き渡る。

俺も背筋を伸ばし、最初の一歩を踏み出した。


最初にまず何と挨拶するかを短く復唱、ホームルームの手順を今一度頭の中で確認。

丁寧に引き戸を引き、教室に入る。



「………。」


「………。」


「………。」



俺が姿を現すと同時に、生徒たちの話し声がぴたりと止んだ。

代わりに、痛いほどの視線が注がれるのを感じる。

人から注目されるのが苦手な俺は、愛想が悪いかなと思いつつも、顔を上げずに引き戸を閉めた。


脇目を振らず黙々と歩き、壇上に立つ。

生徒たちの顔をやっと見渡すと、品定めでもするような目玉が何個も並んでいた。

一瞬でも気を抜くと、予習してきたことが真っ白になりそうだった。



「───えーっと。改めて、おはようございます。

今日から数ヶ月間、沢井先生が戻られるまで、このクラスを受け持つことになりました。叶崎かなえざきゆたかといいます。

担当科目は保健体育で、学生時代はバスケ部に所属していました。

担任の先生としては、正直わからないことの方が多いので、色々教えてもらえると助かります。

短い間だけど、1組のために精一杯やるつもりなので、これからよろしくな」



事前に用意してきた自己紹介をすると、窓際の列の一番手前に座っていた少年が、率先して歓迎の拍手をしてくれた。

彼に続いて、他の生徒たちもパラパラと拍手し始める。

俺はすかさず持ってきたクラス名簿を開き、最初に拍手をしてくれた少年の名前を確認した。


あの席にいるのは、あおい俊介しゅんすけくんか。

爽やかな短髪に、春でも微かに日に焼けた肌。加えてあの体格とくれば、野球部所属なのも頷ける。

前年度にはクラス委員長を務めていた人物ともあるし、学業成績も優秀のようだ。


リーダーシップを備えたスポーツマンで、気配りができ、おまけに顔もハンサムときたか。

間違いなく3年1組で一番モテるのは彼なんだろうが、将来的にはこの手の器用なタイプが、意外と苦労したりするんだよな。

接し方には気を付けよう。


名簿に記載されている名前にざっと目を通して、再び顔を上げる。

すると葵くんの隣に座っている女子が、ニヤニヤした顔でこちらを見ていた。


しまった、目が合ってしまった。

なんだかな予感がする。



「あー……、うん。歓迎してくれて、どうもありがとう。

普通なら、生徒の自己紹介も続けてやるもんだと思うが……。

みんなはもう、一年一緒に過ごしてきたわけだし、クラスが変わってないなら、別に必要ないよな。

出席とるけど、その前に何か、俺に質問とかあるか?」



二年から三年に進級する際のクラス替えは行われない。

クラスメイト一人一人の自己紹介は不要と判断し、先に出席をとることに。


ついでに質問はあるかと投げ掛けると、待ってましたとばかりに先程の女子が手を挙げた。

俺はまた名簿に目を落とし、女子の名前を確認した。


東野あずまの依里那いりな

読めなくはないが、いかにもな当て字は、俗にキラキラネームというやつだろう。


縮毛矯正をかけた長髪に、ぱっちりとした二重瞼、密度の高い睫毛。

手首にはピンク色のシュシュを巻き、紺色のブレザーの下からは、いわゆる萌え袖のカーディガンが覗いている。

下は規定違反のミニスカートを履いていて、年頃の生足が惜し気もなく晒されている。


一目見ただけでも、今時なタイプの子供であると推測できるが、どうやら化粧はしていないようだ。

元々の顔立ちが整っているので必要がないのか、生活指導の古賀先生が厳しく注意しているのか。

こちらから指摘する手間が省けたのは有り難い。


しかし、彼女のような怖いもの知らずは、粘着されると厄介だったりする。

人より可愛い容姿をしている自覚がある分、自制心が馬鹿になっている可能性も高い。

年上の異性としては、面倒事に巻き込まれないよう、一定の距離を置いて接するのがベターか。



「じゃあそこの、東野さん。質問どうぞ」



仕方なく東野に発言を許してやる。

東野は悪戯っぽい笑みを浮かべて答えた。



先生は、彼女とかいるんですかー?」



やっぱり。

どうせそんなことだろうとは思ったが、本当にテンプレ通りの質問がくるとは。

俺のような若い教師が新任でやってきた場合、男女問わず色恋の話題を言及されるのが、教育業界の通過儀礼となりつつあると聞いたことがある。



「せんせー、質問に答えてくださーい」


「彼女いるんですかー?結婚はしてますかー?」



東野の突発的な発言により、静かだった教室が、また俄にざわつき始めた。

女子たちは黄色い声を上げながら、ひそひそと内緒話。

調子のいい一部の男子からは、正直に答えろと煽られる。


やばい。めんどくさい。中学生ってこんな陰湿だったっけ?

内心やや困惑しながらも、俺は精一杯の作り笑顔で答えた。



「結婚はしてないし、恋人もいません」



簡潔に述べると、生徒たちは途端に盛り上がった。

意味もなく爆笑する女子と、酔っ払い親父のように口笛を吹く男子の声とが入り交じる。


よく見ると静かで大人しい反応をしている子の方が多い気がするが、どこにでもお調子者ってやつは存在するらしい。

これじゃあ、まるで動物園だ。


1組はどちらかと言うと真面目で大人しいクラスだと聞いていたから、ちょっと、いやかなり驚く。

平均的には真面目な子が占めているが、数少ないお調子者のテンションが振り切れてるってことかもしれない。



「あー……。他には何か───」



頭痛がしそうになりながら他の質問を促すと、一斉に七人の男女が挙手をした。

東野に続けと言わんばかりに、やけにキラキラとした目でこちらを見上げている。


くじけるな、俺。

こんなとおも年下の餓鬼どもに振り回されるな。

取り沙汰されるのも、きっと初見の今日だけだ。

三日も経てば、俺に対する興味も薄れて、少しずつ扱いやすくなっていくはずなんだ。


大丈夫。

訳もなく無視をされたり、嫌がらせをされたりするよりは遥かにマシ。

好意的に接してくれるだけ、ラッキーと思うことにしよう。

初日から参っているようでは体が持たないぞ。頑張れ、俺。


胸中に過ぎった"前途多難"という言葉には見ないふりをして、俺は二人目の生徒に発言を許可した。


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