:第一話 窓際の少年 3
午前9時15分。
始業式ならびに入学式の時間が迫ってきた。
当初は疎らだった子供たちの姿も、今や校舎の隅々まで見受けられる。
一人で静かに過ごしている子、友達とのお喋りに花を咲かせている子。
個人差はあれど、みな浮き足立った様子だ。
中でも新入生は、小学校から中学校へと環境自体が変わるのだ。
進級するだけの二・三年生と違って、緊張もピークを迎えている頃合いだろう。
大人からすれば小学生も中学生も大差ないが、自分もその年齢だった当時には、上級生ってやつは酷く大人っぽく感じたものだ。
きっと彼らも、学生が会社勤めになる時のような、大仰な気持ちでいるに違いない。
「(本番まで、あと一時間弱。
ちと早いが、そろそろ出とくか)」
ちなみに、俺はというと。
子供たちと比べれば落ち着いているものの、緊張していた。
沢井先生の代理に俺みたいな若輩が宛がわれたと聞いて、3年1組の生徒は落胆しないだろうか。
もしかしたら、全く認めてもらえないかもしれない。
舐められて遠ざけられて、担任として何一つ役に立てないまま、任期を終えることになるかもしれない。
不安は尽きず、悪い想像ばかりが頭を巡った。
指先が白くなるほどの緊張は、初めて教壇に立った時と同等、或いはそれ以上だった。
「(弱気になるな。
ガキの頃を思えば、こんなもの、プレッシャーの内に入らない。
自分で自分を手本にできる程度には、俺も大人になったんだ)」
故にこそ、逆を意識した。
自分は緊張なんかしていないと、無理に撥ね付けるのではなく。
自分は緊張しているんだと、素直に受け入れてしまう。
自戒よりも自嘲するくらいで丁度いい。
自己不信の強い俺には、駄目で元々を前提にした方が、却って調子が出やすいのだ。
「(そうだ。大丈夫。
今までだって、
全部が丸く収まらなくても、生きてさえいれば、何度でもやり直せるんだ。
生きてさえ、いれば)」
見ていてくれ、父さん。
俺、絶対に投げ出したりしないから。
やっと歩き始めた人生を、あなたのように、後悔しないためにも。
「───叶崎先生、こちらです」
「はい」
俺が教師になった理由を、一言で表すとするなら。
あなたが俺の、反面教師だからだ。
**
始業式ならびに入学式の開幕。
まずは新入生の点呼起立から始まり、次に各学年の代表生徒によるスピーチが行われた。
初々しい一年生、可もなく不可もない二年生、大人顔負けの三年生と、いずれも新年度に相応しい内容だった。
「───続いて、クラス担任の先生がたを紹介します」
そして回ってきた、俺の出番。
クラス担任の紹介をするターンで、俺も沢井先生の代理として壇上に立った。
「えー、お初にお目にかかります、叶崎豊といいます。
現在、怪我で療養中だという沢井敏之先生に代わりまして、3年1組の担任を期間限定で受け持つことになりました。
至らない点もあるかと思いますが、これからよろしくお願いします」
テンプレ通りの文言を述べる。
新任ともあって浮いた感じは否めなかったが、生徒からも先生方からも温かい拍手を頂けた。
俺は心中で胸を撫でおろしながら、三年生の列をざっくり俯瞰した。
「(1組……。あれか。
見た感じ、特に変わったところは───)」
最前列に固まった、3年1組の生徒たち。
一見した限りでは、普通というか無難というか、特筆すべき点のなさそうなクラスと思った。
姿勢を崩さず、私語もなるべく慎む。
態度が良いという意味では、葛西先生の受け持つ2組と近いかもしれない。
少なくとも、飲酒喫煙なんでもござれのヤンキーとは縁がなさそうだった。
"ちょっと心配な子がいるんだけど───。"
でも、いるんだよな、この中に。
葛西先生いわく、"ちょっと心配な子"。
わざわざ取り沙汰するほど、恐らくは後ろ暗い事情を抱えた、謎の問題児が。
「緊張しました?」
「ええ、とても」
「あら、そんな風には見えませんでしたよ?
声も喋り方も聞き取りやすくて、非の打ち所なし!」
「お世辞が上手いですね」
共に壇上を下りた葛西先生に、労いの言葉をかけられる。
俺は彼女に返事をしつつも、頭では再び悪い想像を巡らせてしまっていた。
**
「───みんな静かにー。
教室に戻るまでが始業式だからなー」
「遠足かよーい」
「古賀センまた太ったくね?」
「思った。去年もーちょいシュッとしてた気する」
「そっかぁ?ずっと肉まんやろあの人」
「男子早くしてー。早く教室帰りたいんだからー」
式が終了した後は、教師陣で会場の片付け。
生徒陣は各学年の代表者に連れられて、体育館から教室へと移動を始めた。
俺は周りの流れを見て、パイプ椅子の片付けに着手した。
力仕事は不人気なのか、荷運びを優先したのは俺と古賀先生だけだった。
「センセセンセ、叶崎セーンセ!」
しばらくして、古賀先生が俺に近づいて来た。
先程まで案内用のテーブルを運んでいた彼だが、今は壇上に飾られていた花瓶を抱いている。
「残りはこっちでやっとくんで、先生はもう教室行っていいですよ」
古賀先生に言われて会場を見渡してみると、他の先生方も続々と体育館を後にしていた。
クラスを受け持っている人は、一足先に切り上げていいらしい。
「わかりました。
じゃあ、おさき失礼しますね」
「はいはーい。また後でねー」
最後のパイプ椅子を片してから、俺も古賀先生と別れて体育館を出た。
職員室を経由して向かった先は、下級生は滅多に寄り付かない三階。
三学年の教室がある階層だ。
この辺りの景色も昔と変わっておらず、教室の中からは生徒の話し声が漏れ聞こえている。
奇遇にも、当時の俺も3年1組の生徒だった。
卒業までを過ごした一年間のことは、断片的な部分だけを鮮明に覚えている。
「(いよいよか)」
クラス名簿などの資料を腋に抱え、俺はひとつ深呼吸をした。
すると遅れて、葛西先生が階段を上ってやって来た。
「がんばって」
「どうも」
笑顔で敬礼を示してくれた葛西先生は、立ち止まることなく3年2組の教室へと入っていった。
担任初日の俺と違い、二年目の余裕を感じさせる。
「よし」
キーンコーン、カーンコーン。
全国共通のチャイムの音が、校舎中に響き渡る。
俺は背筋を伸ばし、一歩を踏み出して、目の前の引き戸を開いた。
「………。」
「………。」
「………。」
俺が姿を現すと同時に、生徒たちの話し声がぴたりと止んだ。
代わりに、痛いほどの視線が注がれる。
人から注目されるのが苦手な俺は、注がれる視線の誰とも目を合わせず、無言で引き戸を閉めた。
教壇に立つと、生徒全員の顔が嫌でも視界を埋めた。
能面のような無表情と、光を通さない真っ黒な瞳。
相手の一挙手一投足を焼き付けんばかりの、品定めをしてやろうという意思に満ちた顔だ。
俺は今にも、練習してきたことが真っ白になりそうだった。
「───えーっと。改めて、おはようございます。
始業式でも紹介があったと思いますが、今日から数ヶ月、このクラスを任されることになりました。
担当科目は保健体育で、学生時代はバスケ部に所属していました。
担任の先生としては、正直わからないことが多いので、色々と教えてもらえると助かります。
短い間だけど、1組のために精一杯やるつもりなので、どうぞよろしく」
始業式に引き続き、用意しておいた自己紹介をする。
すぐに拍手で返してくれたのは、窓際の列の、一番手前の席に座った少年。
彼に倣って、他の生徒たちも怖ず怖ずと拍手し始める。
俺は持ってきたクラス名簿を開き、最初に拍手をしてくれた少年の名前を確認した。
「("葵俊介"……。
"クラス委員の経験あり"。なるほどな)」
爽やかな短髪に、薄く日焼けした肌。
加えて、少年にしてはガッシリとした、いわゆる細マッチョな体型。
野球部所属と記されている通り、納得の風貌だ。
前年度にはクラス委員長を務めたともあるし、この分だと学業成績も優秀なんだろう。
リーダーシップを備えたスポーツマンで、頭が良くて気配りに長けて、更には顔もハンサムときたか。
そういや、俺の時代にもいたな。
野球部所属のスーパースペックマン。
「どうもありがと、う───」
顔を上げると、葵くんの隣に座った少女と目が合ってしまった。
すごいこっちみてる。
すごいニヤニヤしながらこっち見てる。
なんだか嫌な予感がするのは、気のせいってことにしていいかな。
「あー……、ゴホン。
みんなも、歓迎してくれてありがとう。
普通なら、みんなの自己紹介も合わせてやるもんだと思うけど……。去年一緒に過ごしたなら、別に必要ないよな。
出席とるから、その前に何か、俺に質問とかありますか?」
二年から三年に進級する際のクラス替えは行われない。
生徒側の自己紹介は不要と判断し、質問タイムを設けてみることに。
すぐに挙手で返してくれたのは、葵くんの隣に座った少女。
俺とバッチリ目が合った、ニヤニヤしながらこっちを見ていた、例の子だった。
俺は名簿のページを捲り、少女の名前を確認した。
「("東野依里那"……。
読めなくはないが、当て字感すごいな。キラキラネームってやつか?)」
縮毛矯正をかけた長い髪に、同じく長い睫毛。
手首にはカラフルなヘアゴムを重ねて巻き、ブレザーの下からは萌え袖カーディガンを覗かせている。
何より決定的なのは、規律違反のミニスカートだ。
春先にも拘らず生足なのは風物詩として、太ももが剥き出しになるほど裾が短い。
足元だけでも、彼女がマセガキに類されるタイプだと分かる。
その割に化粧っ気がないのは、もともとの顔立ちが整っているおかげか、生活指導の古賀先生が厳しく注意しているのか。
なんにせよ、俺から指摘する手間が省けたのは有り難い。
「質問、していいんでしょ、センセイ?」
とはいえ、イマドキのマセガキは粘着されると厄介だ。
下手に接して、やれロリコンだの援助交際だのと疑いをかけられても困る。
面倒事に巻き込まれないためには、一定の距離を置くのがベターな相手か。
「じゃあ、そこの、東野さん。質問どうぞ」
仕方なく東野に発言を許してやる。
東野は悪戯っぽい笑みを深めて答えた。
「センセイは、彼女とかいるんですかぁ?」
やっぱり。
そんなことだろうとは思ったが、そのまんまかよ。
若い教師が新任でやってきた場合、男女問わず色恋の話題を振られるのが通過儀礼なんだと、前の学校でも教えられた。
「せんせー、質問に答えてくださーい」
「彼女いるんですかー?結婚してますかー?」
東野の発言により、静かだった教室がまた俄に騒がしくなる。
ヤバイヤバイと黄色い悲鳴を上げる女子。
正直に答えろと野次を飛ばしてくる男子。
高い声と低い声が入り混じっての不協和音。
クソめんどくせえ。
中学生ってこんな野蛮な生き物だったっけ?
内心かなり困惑しながらも、俺は精一杯の作り笑顔で答えた。
「結婚はしてないし、恋人もいません」
「ギャー!」
「言ったー!」
燃料投下に沸く生徒たち。
女子は意味もなく爆笑し、男子は酔っ払い親父のように口笛を吹いてみせる。
全体的には大人しい子の割合が高いようだが、どこにでもお調子者ってやつは存在するらしい。
四面楚歌でないだけ幸いとして、このお調子者集団をどう収めたものか。
「あー……。他には何か───」
念のため他の質問も促すと、七人の男女が一斉に挙手をした。
東野に続けとばかりに、やけにキラキラとした眼差しで俺を見詰めてくる。
くじけるな、俺。
こうして絡まれるのも、きっと初見の今日だけだ。
三日も経てば興味が薄れて、扱いやすくなっていくはずなんだ。
大丈夫。
訳もなく無視をされたり、嫌がらせを受けるよりは遥かにマシだ。
好意的に接してもらえるだけ、ラッキーと思うことにしよう。
頑張れ、俺。
「(前途多難……)」
過ぎりかけた四文字は無かったことにして、俺は二人目の生徒に発言を許可した。
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