:第一話 窓際の少年



4月7日、早朝。

暦では随分前に立春を迎えたはずだが、外の気温はまだ悴むほどに肌寒い。

空からはちらちらと霰も降っていて、息を吐くたびに淡い白を連れてくる。


足元に目を落とすと、溶けきっていない灰色の根雪が、道路にしぶとく根を生やしているのが見て取れた。

こいつらが完全に姿を消すには、あと十日はかかるだろう。



「───今朝マジ寒すぎん?」


「これで春とか信じられん~」


「桜満開の新年度とか、一回くらいは味わってみたいよなぁ」



周囲には、通勤途中のサラリーマンや、登校中の学生の姿がある。

何枚も肌着を重ね着した者、マフラーや手袋で脇を固めた者、いっそ冬物のコートを着込んできた者。

装備は三者三様だが、時期外れの寒気に肩を竦ませているのは皆同じ。


俺はというと、季節らしい格好をと薄手のブルゾンを羽織って来たのだが、失敗だったかもしれない。

これならコートを着ている奴の方が正解だったと、今さら後悔したところでもう遅い。



「ほんと、なんも変わってねえな、ここは」



北海道、冬見ふゆみ市。

全道一降雪量が多いと言われるこの土地で、俺は生まれ育った。


そして、つい最近戻ってきた。

少し前までは札幌で一人暮らしをしていたのだが、故あって再び地元に移り住むこととなったのだ。



本州と比べて長く冬が続くことから、その名が付いたとされる冬見市は、他県の奴らからは地味だと笑われたり、冴えないイメージを持たれがちだ。

確かに札幌や函館なんかと比べると活気は劣るし、雪害による不便も少なくないので、華やかではないという意見には俺も同意する。


ただ、あまり取り沙汰されないものの、冬見は意外と食い物が美味い。

有名な観光名所もいくつかあるので、住んでみれば快適な街だったりする。


現に、冬見出身の人間は地元愛の強い傾向と聞く。

俺自身、冬見を好いている一人だ。

なので札幌から急きょ戻ることになっても、特に不満には思わなかった。




「(こっちの玄関から入んのって、なんか変な感じだな)」



目的地の前で足を止めると、中学校の大きな校舎が視界を埋めた。

付近には登校し始めている生徒もおり、彼らに倣って俺もそそくさと中に入る。

学生の彼らは正面玄関、教師の俺は裏口の教員用玄関からだ。


"西嶺せいりょう中学校"。

冬見市で四番目に大きいとされる西嶺中は、俺の母校であり、今日からは新しい勤め先となる懐かしい学び舎である。

なんでも、今年は創立50年を迎える記念すべき年だそう。

校舎の内外問わず、50の数字が点在している。


そんな節目を迎えた母校で、俺は担任としてクラスの受け持ちが決まった。

配属された学年は三年。高校受験を控えている分、最も注意が必要な学年であり、本年の卒業生だ。


通常、入学から卒業までの三年間で、担任の教師が入れ替わるのは一度が規定。

在校生が一年から二年に進級した際に一度きりの入れ替えが行われ、その時に担任となった教師が来年度も同じクラスを受け持つ。


つまり生徒は、二・三年生としての期間を、同じ先生の元で過ごすのが普通のはず、なのだけれど。

本年の卒業生の中には、訳ありのクラスに在籍する生徒達がいるらしい。



今から一年前の春。

当時の2年1組のクラスに、新しく担任として配属されることになった男性教師。

名前を、沢井さわい敏之としゆき


彼が先日、表舞台から姿を消した。

今年に入ってから事故に見舞われ、私生活に影響が出るほどの大怪我を負ってしまったというのだ。


一口ひとくちに事故といっても、車に跳ねられたのではない。

本人の不注意で階段から転落しただけなので、骨折以外に目立った外傷はないとのこと。

話によれば、内蔵や脳の方にも異常はなく、治療が済みしだい職場復帰する予定だと聞いている。


ネックとなったのは、転落した際の打ち所。

後遺症が残らない代わりに厄介な箇所を痛めてしまったとかで、しばらくの間は療養に専念すべきとドクターストップをかけられたらしい。


よって、沢井先生が引き続き受け持つ予定だった今年の3年1組は、一学期目だけ担任不在という異例の事態に陥ってしまったわけだ。



そこで白羽の矢が立ったのが、偶然にも今年の春から赴任することになった、俺だった。


現在も入院中の沢井先生が、怪我を治して現場復帰されるまでの数ヶ月間。

沢井先生の教え子たちが在籍する新3年1組を、期間限定で俺に受け持ってほしいと。

平たく言えば、ピンチヒッターのようなものだ。


とはいえ、代理でもクラスを持たせてもらうのは、俺の短い教師人生で初めて。

せっかく任せてもらうからには、精一杯やりたかった。


ただでさえ、慣れ親しんだ沢井先生が突然いなくなって、不安を感じているだろうから。

少しでもその穴を埋めてやれるように、頼りにしてもらえるように。



「───行くか」



俺が直接指導をする、35人のうら若き少年少女たちと共に。

彼らがいつか大人になった時、たまにでも思い出してもらえる先生になれるよう、今日から。


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