晩春滴る 2

 男はふやけた紙製のストローの不満を零しながら、残り少ないアイスコーヒーを啜った。左手首に光る腕時計はカフェテリアのライトを反射して輝いている。息を整えた彼がこちらの話を聞く体勢になるのを待って、俺は椅子の背もたれから身体を離した。

「つい先日のことです。シルバー&ブラック探偵事務所に、とある依頼が舞い込みました。依頼人は五十代の女性。他に頼る当がなかったらしく、藁にもすがる想いだったでしょう。依頼内容は人捜しでした。いや、安否確認、の方が正しいのかな」

「安否確認?」

「ええ。依頼人の女性は水無川みながわさんと言いましてね、水の無い川と書いて水無川さん。珍しい名字だと思いませんか」

「そう、ですね」

「綺麗な名字ですねと言ったら、彼女は返答に困っていましたよ」

 冗談交じりに言うと、男も愛想笑いを返す。

 彼の視線がうろうろと定まらない。当然だ。彼にしてみれば、得体の知れない自称探偵の独白。動揺もするだろう。

 だからこそ、意味がある。

「水無川さんは、娘の行方を捜していたんです」

「……娘さんの?」

「ええ。行方不明になったのは水無川さんの一人娘である水無川真理みながわまりさん。ここ大岐大学に通う二年生で十九歳。彼女は今から四日ほど前の夜に家を出て以来、戻ってきていないどころか、連絡も付かないでいます」

 事務所に訪れた水無川真理の母、聡子さとこを思い出す。彼女は甚く傷心しており、娘の安否を心配していた。

「依頼者曰く、原因は親子喧嘩だそうで」

「親子喧嘩? それってつまり、四日間の家出……ということなのでは」

 拍子抜けしたように男は言って、俺はそれに頷いた。

「確かにその通り。普通に考えれば大騒ぎするようなことじゃない。ですが、水無川真理がそのような行動を取ったことは初めてでした。両親にしてみれば不安で仕方ない。家出の翌日、母は行方を捜して、娘が高校時代から親しくしている友人に連絡を取りました。友人の名前は仮に田中さんとしますが、田中さんからは、『私も連絡が取れなくて心配している』という返事があったそうです」

「ご友人も連絡が……?」

「双方に共通するのは、既読は付くが返事が来ない、という点です。さらに田中さんは、依頼者をより不安にさせるとある情報をお持ちでした。実は田中さんは、真理さんが家出した当日、真理さんを繁華街で目撃していたそうなんです」

「え?」男は目を見開く。

「繁華街とは言え、一人で歩いていたなら大したことはない。大人ですから、そういうこともあるかもしれない。が、田中さんは彼女を一目見ただけで不安に駆られた。それは何故か。真理さんは、男性と一緒だったんです。しかも、親子ほど年齢の離れた男性と」

「親子ほど。それって……」

 俺は目で頷く。

「真里さんが、所謂パパ活ってやつをしているんじゃないかと、田中さんは疑ったそうです。だからこそ田中さんは、真里さんが家出したことを知らない段階から、何度も真理さんに連絡を試みています。メールの文面を拝見しましたが、さすがに『あの男は誰だ』とは聞けず、『さっきどこにいた?』という曖昧な訊ね方に終止しています」

 男は机の上に手を置いて、こんこんと小さく音を鳴らす。指につけられた指輪が机とぶつかって、時折硬い音を響かせる。

「なるほど。それを知ったのなら、ご両親が探偵に依頼するのも納得できますね。それにしてもパパ活ですか……。確かに大学生くらいの女の子が手を出しているイメージがあります。でも、水無川さんはパパ活なんてするほどお金に困っていたのでしょうか。家庭に大きな問題がないとするなら、目的はお金以外には思いつかないのですが」

「水無川家自体は至って普通の家です。特段貧しいこともないですし、家族関係に悩んでいた節もない。ホストにハマっているなんてこともなさそうですが、ただ田中さん曰く、真理さんはアルバイトを週に七日、つまり毎日入れているそうです。理由は分かりませんが、お金を稼ぐことにはこだわっている」

「推し活、というやつでは?」

「ご両親、田中さん双方から聞く限りでは、それもなさそうです」

「それなのに、お金に困る理由があったと」

「しかし、真理さんはこの大岐大学での学びを最優先にしていました。だからこそ大学を休むことは決してなかった。真理さんはこの頃、体調を崩すことが多かったそうです。心配した両親は、『学びが大切ならばアルバイトを減らすべきではないか』と説得していた。親子喧嘩の引き金はこのことだったようですよ。真理さんは両親に対して『何も知らないくせに』と声を荒らげたそうです」

「なるほど……」どこかわざとらしく、男は腕を組んで言った。「それで喧嘩にまでなるんですから、何か特段の事情がありそうですね……」

 重大事を語るように低い声音で話す男に、俺は返事をしなかった。特別、反応もしなかった。彼が発する言葉に返事をしようという気が起きなかったのだ。

 わざと作り出した沈黙で間を置き、咳払いをして、俺は言葉を継ぐ。

「もう一つ田中さんから得た情報として、両親が知らなかったことがあります」

「田中さんだけが知っていたこと、ですか」

「ええ。真理さんは幼少期から現在に至るまで、両親には良いことも悪いことも包み隠さず話す性格でした。それは大人になっても変わらなかった。そんな彼女が言わなかったこと、つまり隠していたこと。それは、真里さんには一年ほど前から交際している男性がいたということです」

「は、はあ……。まあ大学生ですから、彼氏というものがいてもおかしなことではないと思いますが――」

 ――ぽこっ、と音がした。

 SNSのメッセージを受信した音だ。

 俺ではなく、男のポケットから鳴った。

「見なくても?」と促すと、男は、「ああ、そうですね」と言って、ポケットからスマホを取り出した。水色のカバーの付けられた、大学生らしい可愛らしいものだった。

 男は画面をちらりと見ると、すぐにスマホをポケットに戻す。

「話の腰を折ってしまったようで申し訳ない」

「いえ」

 俺が水に手を伸ばすと、彼もコーヒーを手に取り、飲み干した。俺は一口分をペットボトルに残し、話を続けた。

「問題は彼氏がいたという事実よりも、それを隠していたという点にあります。田中さん曰く、彼氏というのは大岐大学の学生とのこと。それ以上のことは田中さんも教えてもらえなかったようです。情報は少ないながら、友人には話せたそれを、どうして真里さんは両親に隠していたのでしょう。男女交際は高校生の頃にもあったそうですが、そのことについては嬉々として話していた娘がどうして、今回は両親に言わなかったのか」

「あの、探偵さんの仰る意味が、イマイチ分からないのですが」

「何か裏があると思いませんかってことです」

 俺がわざとらしく口角を上げると、男は苦笑いを浮かべて眉間を指先で掻いた。

「何故真理さんは彼氏がいるにもかかわらずパパ活と疑われるような行動を取ったのか、何故家族のみならず友人からの連絡にも返事をしないのか、何故彼氏の存在を隠していたのか、そして、四日間も家に帰っていない彼女は、一体今どこにいるのか。俺はそれを調べているんですよ。俺がここに来た理由、分かっていただけましたか?」

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