銀色デミオと黒色ワンボックス
壱ノ瀬和実
晩春滴る 1
梅雨も間近に迫って湿度を含んだ空気は、春と夏の間を右往左往しながら、季節を着実に前へと進めていた。
冷房の効いたカフェテリア内はそれでも外気の暑さに抗えず、大学敷地内にあるコンビニエンスストアで買った水のペットボトルは汗をかき、机の上には水たまりを作り出していた。動きさえしなければ涼しいと感じられる人間と違って、物というのは正直である。
大学名を改めて間もない
中でも異質な建物は、学食に位置づけられるカフェテリアだった。外観から店内に至るまでデザイン性に富んでおり、吹き抜けた天井は開放感に溢れ、なるほど洒落た名付けにも納得がいく。
俺は窓際の席で外を眺めながら、学生のお財布に優しい低価格なサンドイッチを頬張って時間を味わった。
大学内の施設に静寂を求めるのは酷というものだ。若さという有り余った情熱は小洒落た店内であっても活動的であり、午後三時のカフェテリアは雰囲気と比較すればやや賑々しい部類になるだろう。俺は耳に当てたスマホに向かって、少しだけ声を張る。
「――現時点で分かっていることは以上。半分は推測だけどな」
『推測を分かっていることの範疇に入れるのやめてくれる?』
向こう側から聞こえる声は相も変わらず呆れたように言う。
「何が事実で何が推測かは文脈で判断してくれ。まあでも、大半はお前の推理通りだろうと思うが。あとは首尾よく頼むよ」
『はあ』
あからさまな溜息が聞こえる。
「なにか不満か?」
『面倒事はいつも私』
「適材適所、自分たちのできることをやる。それが俺達だろ?」
『助けてもらえるのが当たり前だと思ってる感じがする』
今度は俺が息を吐く。
「もしかしてお前、何か土産買ってこいって言ってる?」
『言ってない』
「お前がそういうこと言うときって大体そうだろ」
『言ってない』
「何か買っていこうか」
『……いつまでにやればいいの』
分かりやすいやつだ。
「いつまでか……そうだな……」
ふと、視線を感じた。
不意に訪れた気持ちの悪い感覚の出どころを探る。スマホを耳から離さないようにしながら、目で周囲を見渡した。
大学構内から直結するカフェテリア入り口の方に目を向けると、一人の男がこちらに近付いてくるのが分かった。
彼だ。こちらを直視しないよう目線を散らしながら、しかしその足は確実にこの場所へ向かってきている。
「客人だワンボ、なるはやで頼む」
『なるはや?』
「可及的速やかにってことだよ。じゃあな」
『ちょっ……』何かを言おうとしたようだが構わず通話を切った。あいつならこの意味を分かってくれるはずだ。
「もし。相席よろしいですか」
低い声の男が話しかけてきた。
スマホを内ポケットに仕舞う。
空席はいくらでも存在するが、テーブルを挟んだ席を手で示して相席を受け入れる態度をとる。
水色のポロシャツにカーゴパンツを穿いた男は、透明なプラスチック容器に入った氷のないアイスコーヒーをテーブルに置いた。あまり整っているとは言えない黒髪を掻き揚げ、汗の滲んだ額を腕で拭いながら対面の椅子に座る。
「いやぁ暑いですね。ここは冷房の効きが弱くて……お電話中でしたか」
「もう終わったので大丈夫ですよ。学生さんですか」
「ええ。よく分かりましたね」
男は困惑したような様子で、口許に笑みを浮かべる。
俺は、男が小脇に抱えた新品と思しきルーズリーフを指さした。
「それ、そこのコンビニで買ったものですよね。レジで貼られるシールが付いてる。俺もさっき同じ店で水を買ったので分かるんです。学内のコンビニでルーズリーフを買うって、なんだか学生らしい行動じゃないですか」
「それが理由ですか」
「はい。あとは、ただの勘です」
もちろんそれだけが理由ではないが。
「そうでしたか……いや、突然申し訳ない。学内で見ない顔だったので、気になって話しかけてしまったんです」
「不審に映りましたか」
「いやいや」男は手を小さく左右に振って否定する。「綺麗なスーツ姿だったので、少し興味が湧いただけですよ。ここじゃあまり見掛けない。。それに、その髪色も」
男の目線は俺の頭部に向けられる。成人男性の銀色の髪は、確かに少し珍しいかもしれないが。
男は隣の椅子に荷物を置き、まさに腰を据えて話をしようという気概が全身からにじみ出る。
俺はすっかりぬるくなった水を一口含んで、唇を湿らせた。
「なかなか大学内に入るということもないので、悪目立ちしてしまったかと心配しました。仕事でこちらに来ていましてね。仕事も落ち着いたので一休みしていたところなんです。ほら、カフェテリアなんて洒落た名前をしていますが、ここも一応学食でしょう。外で食べるより随分と安く済む。こういうものは利用しない手はない」
「はは、確かに。ここはケーキもおすすめですよ。手作りしているらしくてね」
男は小さく笑う。
俺はスーツの内ポケットから名刺入れを取りだし、そう多くは用意していない名刺を一枚、相手に差し出した。
受け取った男は会釈するような仕草で、
「生憎切らしていまして」
と言って、名刺に視線を落とした。
「シルバー&ブラック探偵事務所……。あなた、探偵なんですか?」
「ええ。探偵が二人の小さな事務所なんですがね。所長兼探偵をやっています、
「探偵さんが仕事で大学に?」
ニックネームはスルーされた。
「別に訝られるような仕事じゃないですよ。私立探偵の仕事なんて浮気調査か人捜しか素行調査が関の山です」
「調査対象がこの大学内にいる、と」
「そうとも言えますし、そうじゃないとも言えます」
男は首を傾ぐ。
俺は思わず失笑し、
「そうですよね、分かりづらいですよね。失礼、ちょっと意地悪をしました」
「は、はあ」
男はコーヒーを一口啜ると、喉仏を大きく上下させた。
カフェテリア内の賑やかさは、さすが十代から二十代を中心にしたコミュニティの集合体。学外の人間と思しき女性たちのティータイムもそれなりに騒がしく、多様な人物で溢れた大学内の雰囲気は、居心地云々を語るほど落ち着いてはいない。静寂に包まれているなら困ったことだが、この賑々しさは都合が良い。
「そうだ!」と、少々わざとらしく手を叩く。
男が虚を突かれたように目を見開いたのを見て、俺は口角を上げた。
「折角ですからお話ししていきませんか。俺が何故ここに来たのか、何故ここに来る必要があったのか、誰かに話したくて仕方なかったんです。帰るのはもう少し肌寒くなってからの方が良いでしょう。俺好きじゃないんですよ、汗掻くの。時間つぶしには、もってこいだと思いませんか」
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