晩春滴る 3
カフェテリアの喧騒はそれなりのものだが、かといって席が隙間なく埋まっているかといえばそんなことはなく、それぞれが一定の距離を取って座席を確保しているからか、各座席が隔絶された空間のように感じられた。
各々が発する声に遠慮というものは見受けられない。プライベート空間のように錯覚してしまうこの環境に、俺の話し声もつい大きくなってしまう。
目の前の男は、時折窓の外を見る。話を聞いてはいるのだろうが、あまり俺の目を見ようとはしていなかった。興味があるのかないのか、傍目に見れば分からないだろう。
「それで、大学にやって来た探偵さんは水無川さんについて情報を得られたのですか?」
今も男は俺ではなく、テーブルをノックする指を見つめながら言う。
少し癪だが、それも仕方のないことだろうと自分を納得させる。
「水無川真理さんについてということであれば、新たに分かったことは三つあります。一つは、大学の友人からの連絡さえも、真理さんは既読をつけるのみで返信をしていないということ。二つ目、その友人たちも真理さんの交際相手について知る者はいなかったということ。そして三つ目。この一週間、真理さんは大学に来ていないということ。……こればっかりは、本当におかしなことです」
「おかしい?」
男がこちらを見た。
「毎日アルバイトをするような特段の事情があったとして、それでも学業を怠らなかった真理さんが、よもや親子喧嘩程度で大学を四日も休むなんて普通じゃない。彼女はこの大学に入ることにこだわりを持っていたと言います。そのことについては両親も友人も証言している。真面目だった彼女にとって大岐大学での学びは何より優先されるものだった。にもかかわらず、彼女は大学に来ていない。何故来ていないのでしょうか。それとも、来られない事情が、来たくても来られない何かが、あるのでしょうか」
男は黙った。相槌も打たず、ただ左手の指輪に視線を落とす。
二人の間に流れた静寂に、カフェテリア内の喧騒が少しばかり割って入る。
鼻で息を吸う音がして、男は思いついたように口を開いた。
「アルバイトはどうなんですか。彼女は職場には」
「来ていません」
男が言い終わるのを待たなかった。
もちろんそんなことは調査をしている。いの一番に調べたことだ。男が聞きたいことは、聞こうと思えることは、せいぜいそれくらいなのだろう。
彼だって、俺がどう答えるかくらいは分かっているだろうに。
「水無川真里さんは今どこにいるのか。それを解き明かすには、彼女にまつわる謎を解かなければならないわけですが……」
言葉を断ち切るように、胸元でブルルと、振動を感じた。今度は俺のスマホが震えたのだ。
「失礼」俺はスマホを手にし、画面をちらりと見る。表示されたのは、シルバー&ブラック探偵事務所に勤めるもう一人の探偵の名前だった。
「――さすが」
メッセージに目を通し、俺は笑った。声に出してはいない。ただニヤリとして、返信という名の感謝を送る。
「どうかされましたか?」
俺は首を横に振る。
「いや、少し話し過ぎてしまったなと思っただけです。そろそろ幕引きにしないと俺が怒られる。なので、最後に一つだけ、あなたの意見を聞いておきたい」
「意見、ですか」
「話を聞いてばかりじゃ退屈でしょう? せっかくですから、ここまでの話を聞いて、水無川真里さんの身に何があったか推測ができますか」
男は鼻で笑う。「私に分かるわけが」
「あなたの意見を聞きたいんですよ」
言葉を被せた。彼の声を、俺の声が上書きする。
「誰でもない、あなたの」
こっちを見ろ、と、口にはしないが。
俺は男の双眸を睨む。
薄ら笑いを浮かべた男は、小首を傾げるようにして、
「私は探偵ではないので、分かりません」
そう言って、愛想笑いをテーブルに落とした。
俺は、目を閉じ、鼻息を数秒吐いた。
「……そう、ですか」
目を開けば、少しばかり眩しい光が、窓外から眼球に向かって差し込んでくる。
徐々にピントを合わせていく視界で、それでも彼の姿だけは、その瞬間から掴んで離さなかった。
「では、代わりに俺があなたに聞かせましょう。現時点で分かっていること、そこから推測できること――」
両の手のひらをぱん、と叩き、
「シルバー&ブラック探偵事務所の探偵、この奏実桜が、謎を解く番です」
銀色デミオと黒色ワンボックス 壱ノ瀬和実 @nagomi-jam
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。銀色デミオと黒色ワンボックスの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます