1.プロポーズと出会いと

第2話

結婚式の2週間前。



私は我がスティッチランドの国境警備のため北の辺境地にいた。

冬の間は戦に消極的だった国々も、頬を撫でる風がぬるくなるにつれてチラホラ動き始める。

軍はにわかに慌ただしくなり、国境や港の監視はそれまで以上に厳重になった。


「ダイアナの五千人隊には北を任せる。国境が隣接するデーン国の王子とリリベット姫の婚礼は来月に迫っている。国王陛下が望むはデーン国との和平であることを忘れるな。何かあっても絶対に争ってはならぬ。友好的に処理せよ」


そう命じたのは父であるセルディック公爵。

スティッチランド軍の大将軍を務める父は、私が年頃の娘らしく振る舞うことをとっくに諦めていた。

華やかなドレスを着てお茶会やパーティーを楽しむより、軍服で弓を引いている方が公爵家のためになると思っているのだろう。


扱いは中将、少将を務めるお兄様たちとさして変わりない。

お母さまだけがいつも困った顔でため息をついている。

でも、物心ついたときにはもう、人形遊びやままごとより乗馬や木登りの方が楽しいと思ったのだからしょうがない。


今や、男だらけの軍隊の中で『少佐』と呼ばれるようになってしまった。

お目付け役のハロルドだけが、たまに『お嬢様』なんて場違いな呼び方をしてくれる。


そんな私が女として真っ当に生きるのは難しい。

一生独り身で弓や剣を振り回し続けるのかもしれない。


公爵という家柄でいえば、皇位継承の可能性が低い他国の皇太子や友好関係にある国の武人に嫁ぐのが妥当だろうが、妻という肩書がつけば城で家事雑事を任されるのは必至。

そんな退屈な日常に私がおとなしく収まるとは思えなかった。


それに、私は誰に似たのか、くせのある赤毛で貴族の娘というには品のない髪色をしていた。

髪の毛なんて生えていれば十分と思うけれど、上流階級では何より見た目が大事らしい。

そんなものクソくらえと思いつつ、時は残酷にも過ぎて、私は今年の夏に18歳を迎える。


同年代の子女はとっくに嫁いでいる年齢なのに、嫁ぎ先の宛てなんかもちろんない。

そして、未だ恋といえるものをしたことがないのも我ながらどうかと思う。



「変わりないわね」


そう呟くと、私は青々と茂る木々しか見えない見張り台を降りた。

その景色はもうとっくに見飽きていた。

敵襲があるわけでもなく、デーン軍の演習が見えるわけでもなく、やっていることは国境警備というよりバードウォッチングに近い。


「周辺を馬で回るか?」


副将を務めるハロルドの質問に頷きながらも、私は手を振って帯同を断る。


「今日は一人で行かせてくれる? たぶん何もないし、一人でちょっと考えたいことがあるから」

「あいにく、俺はセルディック公よりダイアナお嬢様を独りにするなと言われているんでね」


ハロルドは引き下がるも、私はそんな真面目さをあえてからかった。


「私の後を金魚のフンみたいについて回ったって何もないわよ。それより料理が得意な“いい人”に恋文でも書いた方がいいんじゃない?」


ハロルドが何も言えなくなったのは図星だから。

でも、そんな顔しなくたっていいじゃない。

聞いた私の方が気まずくなってしまう。


「あなたのお父上のグレンヴィル伯爵が教えてくれたのよ。西に広い領地を持つ子爵家との縁談が持ち上がってるって」


グレンヴィル伯は私に弓や剣術を教えてくれた師匠でもある。

年頃の男子に嫁取りの話が出るのは至極自然なことで、喜びはしても、気まずく困ることはないだろうに。


「その話はもう断ったよ」

「え……どうして?」


伏せた目を合わせようとしないのは機嫌が悪い時の癖。

ハロルドは面白くないことがあると俯いてだんまりを決め込んでしまう。


「相手の娘は料理上手な器量良しなんでしょ? グレンヴィル伯もだいぶ乗り気だったけど……何か無礼なことでも言われた?」


相応の肩書を持つ人間にとって、結婚とは勢力を広げたり、平和を保ったりするためのもの。

自由恋愛なんてそもそもあり得ない。

婚姻は国同士が条約を結ぶのと同じで、双方にメリットがあれば成立するのが普通だった。


「いや、何もない。先方の令嬢は自分にはもったいないくらいの人だよ。だから、俺じゃなくてもいいんだ」


伯爵家のハロルドからすれば、子爵の娘の方が格下になる。

それに、186センチという長身とそれなりに整った顔立ちは、外見的にもかなり恵まれているはず。

先方の娘がどんな容姿か知らないけれど、ハロルドと釣り合わない女はたくさんいても、見劣りして気が引ける女なんてほとんどいないだろう。


「何か隠してるわね」


腕組みをしてじっと見つめると、視線が痛いのかハロルドは背を向けてしまう。


「何も隠してないよ。俺にはまだ結婚する自信がないだけだ」


「結婚するのに自信なんか要らないでしょ。私たち貴族なんてものは決まった縁談に従うだけよ。断りたい事情があるんなら相談に乗るけど?」


背を向けるハロルドの顔を覗き込むと露骨に顔を赤らめた。


「俺は生涯独り身でいいんだよ。国のために役に立てれば、それでいいんだ」

「伯爵家の長男が何言ってんの! 世捨て人じゃあるまいし」

「じゃあ、ダイアナはどうするんだよ?」


言いたい放題言っていたらブーメランになって返ってきた。


「それは……その……私みたいな女を妻に欲しいなんて人いないでしょ。私は結婚しないんじゃなくて、できないの。貰い手がいないんだもん。しょうがないじゃない」


とんでもない自虐を言っている自覚はあるが、大して心が痛まないのは結婚に夢も期待もないからだろう。

むしろネタにして笑い話にしたいくらい。


「じゃあ、俺がダイアナを妻に欲しいと言ったら結婚してくれるか?」


「え……」


思いがけないハロルドの言葉に私の思考がピタリと止まる。


まっすぐにこちらを見つめる琥珀色の瞳は嘘を言っているようには見えない。

沈黙はわずか数秒だったかもしれないが、私には心が苦しくなるほど長く感じた。


「そんな顔するなよ。冗談だ」


唇の右端だけ少し上げたのは微笑んだつもりか。


「俺も今日はちょっと考え事をするかな」


ハロルドは私に聞こえるように独り言を呟く。


「平和に見えるが油断はするな。何かあったらすぐに笛を鳴らせよ」


呼子笛を投げて寄越すと、ハロルドは馬に跨ってどこかへ行ってしまった。

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