荒ぶる獅子女と奥手な乙女男(仮
沙木貴咲
0.プロローグ~結婚式~
第1話
結婚式とは厳かで美しく清廉なものだと思っていた。
そして、たくさんの人から祝福され、あたたかく慶ばれるものだとも。
しかし、純白のウェディングドレスを纏った私は今、悲鳴と怒号が飛び交う中で弓を引き絞っている。
やたら長いベールはティアラごと放り投げ、煩わしく引きずるドレスは膝のあたりで破り捨てた。
「皇太子様! 九時方向から敵二人、斧と剣です!」
私の声に反応して丸腰の皇太子は白いタキシードの裾を翻らせる。
素早く左を向いて敵兵が振り下ろす斧を交わし、長い脚で思いきり蹴り飛ばした。
そこに間髪を入れず襲いかかる2人目は私が射る弓に首を射抜かれる。
鎌型の刀剣を振りかぶったまま膝から崩れ落ちた。
「お前、ただの姫ではないな……!」
皇太子は振り返って怪訝な顔をするけれど、今はおしゃべりなんかしている暇はない。
腹を蹴り飛ばされた敵が起き上がり、ふたたび斧を構えるのを見て私はもう一度弓を引く。
矢は心臓をひと突き。
敵兵は不自然に体を反らして床に倒れ込んだ。
「な……!」
皇太子が言葉に詰まるのも無理はない。
あなたは自分の妻が外出すらままならない病弱な女と思っているでしょうから。
敵国の兵士に襲われて逃げるどころか、豪胆に弓を引いて応戦する様を見て混乱しないはずがない。
とはいえ、今なにより大事なのは命を守ること。
あなただけでなく、私にだって言いたいことは山ほどある。
ここで死んでしまったら何の意味もない。
私はすでに持ち主が亡くなった長剣を床から拾い上げ、皇太子に放り投げた。
「早くお逃げください! 戦えば不利になります」
器用にグリップをつかみ取って長剣を構えるも、皇太子を狙う敵兵は次々に集まってくる。
国王や王妃がすでに逃げた今、退かずに執拗な攻撃を仕掛けてくるのはターゲットが皇太子だからだろう。
騒動を聞きつけて味方が加勢しているものの、結婚式はそもそも軍を引き連れてするものじゃない。
教会の外に控えていたのは限られた側近と従者だけ。
敵はこの結婚式に戦い慣れた人間はほとんどいないと踏んで襲撃したのか。
スパイを潜り込ませて襲いやすい状況を作っていた可能性もある。
「このまま律義に戦っていたら負ける……」
私はじれったくなって思わず呟きを漏らした。
皇太子を取り囲む敵兵たちを一人ずつ倒していったんじゃキリがない。
頭をめぐらせて教会内をぐるりと見渡し、数メートル先で対峙する皇太子と敵兵の距離を目で測る。
「賭けになるけど、やるしかない!」
私は一か八かで天井に矢を放った。
「皇太子様、三歩下がってください!」
「?」
少し動揺しつつも私の声に従い、長い足が後ずさる。
――ガッシャンッ!!!
「うわあああッ!」
「ぐうううう!」
皇太子のつま先数センチのところに巨大なシャンデリアが落ちた。
豪華で重そうな鉄製シャンデリアの下で敵兵たちが苦痛の悲鳴を上げている。
「今のうちに皇太子様を外へ! 早く!」
皇太子の腕をわしづかみにすると、味方に援護を求めながら敵がもっとも少ない扉まで無理やり引っ張った。
それが無礼な誘導であることは百も承知。
けれど、ターゲットがいなくなれば敵も退くしかないはず。
「姫様、私が王子をお連れします」
プラチナブロンドの長髪男が駆け寄り、皇太子を自分の背中に隠すように付き添った。
この男、皇太子と初めて会ったあの時も見た気がする。
肩幅の広さや胸板の厚さ、隙のない佇まいはただのお付きじゃなさそう。
「姫もご一緒に」
長髪男は手を差し伸べたけれど私は左右に首を振った。
「まだやらなければいけないことが……」
戸惑う長髪男が何か言いかけるが、私は二人を外に押し出して教会の扉を無理やり閉める。
そして、くるりと向き直り一段と大きな声で教会内に告げた。
「敵軍に告ぐ! 命を失いたくなければ撤退せよ。今なら追わぬ」
言いながら弓を捨て、すでに持ち主のいない長剣を床から拾い上げた。
私の言葉が聞こえないのか、まだ残る敵兵が私の周りを囲い始める。
「しかし……もし抵抗するならば容赦はしない。一切を殲滅する!」
言い終わる前に、唸り声を上げながら巨体の敵兵が突進してきた。
せっかく親切に言っているのに退く気はないらしい。
私は躊躇なく剣を振り下ろした。
◇◇◇
15分後。
教会の中には勝利を祝う鬨の声が上がっていた。
屈強な兵士たちは私を囲って勇ましく叫んでいる。
「ダイアナ姫は戦の女神だ!」
「我がデーン国に光をもたらす女神だ!」
くすぐったい賛辞を口々に言ってくれるのだが、そんな私はというと髪は乱れに乱れ、真っ白だったドレスは泥と血で汚れ、むき出しの腕と足には剣がかすめた傷がいくつもできている。
女神と呼ぶにはあまりにも小汚い有様だった。
「……」
皇太子が訝しげに見つめたくなる気持ちもわかる。
教会から逃がした後、皇太子はすぐに味方を連れて戻り、あっという間に敵軍を蹴散らした。
使い慣れた自分の剣を手にした彼は圧倒的に強く、近くに寄るのも躊躇するほどの威圧感があった。
冷たく鋭い眼差しが狙いを定めれば命を落とすのは必至。
まともな感覚を持つ人間なら全身の毛が逆立つほど戦慄して逃げ出したくなるだろう。
“デーンの死神”。
戦場でそんな異名を持つのも納得の凄みがあった。
そんな皇太子は表情の読めない顔をおもむろに近づけ、私の耳元で小さく尋ねる。
「お前は影武者か?」
「いえ! 私は紛れもなくダイアナです」
そう聞きたくなるのも無理はないだろうが、私は影武者じゃない。
「ただ……」
影武者ではないけれど、私には説明しなければならない事情がある。
「我が国王陛下の書状にもありました通り、本来輿入れするはずだったリリベットの持病が悪化してしまい、代わりに姉である私が参りました」
「……書状?」
わずかに首をかしげる皇太子を見る限り、陛下の書状は読んでいないと思われる。
私は苦笑いするしかない。
この人はいったい誰と結婚しようとしていたのか。
「身代わりの姫か」
「はい」
それも、輿入れ直前に国王の養女になった替え玉の姫。
本当は公爵家の娘でスティッチランド軍少佐といういわく付き。
「……」
無言で何か考え込む皇太子の心は読めない。
何を思っているのか、彼の発言次第で私の身の振り方はだいぶ変わるはず。
心臓をギュッとわしづかみにされるように不安が襲った。
私は自分が“姫”の器でもなければ、“皇太子妃”の器でもないことくらい充分わかっている。
そもそも政略結婚なのだから、適当に放っておいてくれれば戦場で弓を引き、デーン国の役にも立とう。
私の本分はもとより戦闘なのだ。
女として扱ってほしいなんて願わない。
ほかに側室をもらってもいい。
だからどうか、私を国に送り返すことだけはご勘弁願いたい。
私が今ここにいるのは、妹のように大切なリリベットを守るためなのだから。
「お前、誕生日はいつだ?」
「は?」
しかし、皇太子が私に投げかけたのは実に奇妙な質問だった。
最悪のシチュエーションまで思い浮かべただけに気が抜ける。
「生まれ年と月と日だ。スティッチランドの産まれか?」
「はい。ガリウス歴1005年の7月30日ですが……」
「なるほど」
曖昧な相槌を打つと、皇太子は踵を返して教会を出て行った。
「え?」
質問の意図もわからなければ、身代わり嫁の私をどう思っているのかもわからなかった。
戦場では冷静沈着かつ冷酷に骸の山を築く“デーンの死神”が何を企むのか。
私はいまだ兵士たちが賑わう中で不安に心を揺らすしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます