第3話

――ドンドンドン!


 分厚い扉を殴りつけるようなノックの音が響きました。


「ステラ! そこにいるのはわかってるよ。街中探して残るのはこの館だけ。一週間もフラフラとほっつき歩いて、ただじゃすまないからね!」


そう怒鳴るのはモレロ家のおかみ。思いどおりにならないと大声で文句を言うので、その金切り声は有名です。ルークはなだならない雰囲気に立ち上がり、すでに大男に変身したサイラスに目で合図を送りました。


「おい! 今は鑑定中だぞ!」


扉を少し開けてすごむサイラス。それで大抵の人は怖気づくのですが、さすがはスラム街を牛耳るモレロ家のおかみ。壁のように立ちふさがる体を押しのけて中に入ってこようとしました。どうやら夫妻だけでなく、家来のような仲間をたくさん連れてきているようです。


「ステラ、あの衣装だんすの中に隠れておいで。絶対に出てきちゃダメよ」


小声で言いながらエヴァは部屋の奥にある古い衣装だんすにステラを隠しました。たんすの扉を閉めるのと入れ違いで、赤く重い扉がむりやり押し開けられます。ドドッと男たちが何人も館の中になだれ込み、サイラスは思わず尻もちをつきました。エヴァの表情が厳しくなります。


「うちは予約制よ。約束のない人は出ていってちょうだい!」


言いながら両手をかざすとモレロ家の家来たちが軽々と宙に浮き、地に足がつかない男たちは慌てふためきながら手足をジタバタさせます。何もできないまま外に追い出されました。


「お前たち、何してんだい! 魔法なんて力ずくでねじ伏せるんだよ」


金切り声のおかみの掛け声で、閉じられようとする赤い扉が丸太でドスンと押し突かれました。扉を支えるちょうつがいがガタガタ震えます。


「あいつら家を壊す気か?」


サイラスは両手で扉を押さえますが、ドスンドスンと重い音が三度繰り返されたところで分厚い扉は外から叩き割られてしまいました。丸太を抱えた男たちが勢いよく中に走り込み、ソファや戸棚を突き倒していきます。テーブルの上に乗ったエヴァのコーヒーカップが粉々に割れるのを見て、ルークは目を吊り上げました。両手の指に十個の火をともすと、なだれ込んだ男たちに爪先を向けて次々に炎を飛ばします。


「熱っ! あちちち!」


服や帽子が燃え出して男たちは床の上を転げまわり、サイラスはその一人一人の首根っこをつかんでは館の外に投げ飛ばしました。外には仁王立ちのおかみと、猟銃を構えたモレロ家の親父が見えます。


「ステラを出せ!」


ガサガサした耳障りの悪い怒鳴り声が聞こえたかと思うと銃声が響きました。サイラスが後ろに倒れ込み、慌ててエヴァが駆け寄ります。弾が頬をかすって血が一筋にじんでいました。


「なんで銃なんか持っているの? 軍人以外が銃を持つことは禁止されているはずよ」

「スラムのボス、モレロ様をなめるんじゃないよ」


低く笑いながらモレロはさらに二発、銃を撃ちました。館の中に掛けられた絵や家族写真に銃弾が穴を開けます。


「ちっ! 調子に乗りやがって」


舌打ちをするルークは天井から吊った鳥かごに向かって口笛を吹き、青い鳥ラーラを呼び寄せます。指先に止まったラーラをなでて「フェニックスにおなり」とささやくと、小さな青いラーラは燃える炎をまとう巨大な火の鳥に変わりました。館から出ようとするラーラの背にルークが飛び乗ります。


「あいつらをやっつけて!」


ラーラはバイオリンで高音を奏でるような声で鳴くと、モレロたちに火を噴きます。ゴオゴオとあたりの草まで燃やしてラーラは家来たちを追い回しました。


「火の鳥だぁ! 逃げろ!」

「逃げるんじゃない! ステラをつかまえるんだ」


ちりぢりに逃げ回る家来たちを叱りながら、モレロはやみくもに銃を打ちまくりました。館の窓ガラスは割れ、外壁には穴が開き、部屋の奥の衣装だんすの中からは少女の悲鳴が上がります。物が壊れる音とたくさんのわめき声に恐ろしくなったのでしょう。


「ステラ、やっぱりいるんだね!」


金切り声のおかみはその声を聞き逃さず、館の中にズカズカ入り込んできました。怖がる様子もなくエヴァの前に立ってにらみつけます。


「あの子を渡してもらうよ」

「これじゃまるで人さらいだわ」

「アンタには関係ない。ステラはあたしたちの言うことを聞いてればいいんだ」

「ひどすぎる!」


 おかみの後を追って中に入ってきた家来たちが館の中を勝手に探し始めます。奥の衣装だんすに近づく者を見て、エヴァはとっさに手を伸ばしました。バチッと火花が散って家来は跳ね飛ばされ、たんすの扉は開けられずに済みましたが、エヴァの抵抗はステラが中にいると教えたも同然。おかみは止めようとするエヴァを押しのけ、衣装だんすの扉を開けてしまいました。


「きゃあっ」


思わず悲鳴を上げるステラは、たんすの中にあった帽子やかばんをやたらめったに投げつけます。でも、そんなものにはビクともしないおかみは、構わずステラの腕をつかんで引っ張りました。


「痛い! やめて! あそこにはもう帰らない!」


ステラは泣きながら足を踏ん張り、頭をぶんぶん横に振りました。


「嫌がっているじゃない! ……もう許さないわよッ」


制止をきかないおかみにエヴァは目を吊り上げ、ぐっとこぶしを握ったかと思うと、パッと手を開いておかみにかざしました。雷のような電気が走って、さっきの衣装だんすと同じくバチッと火花がはじけます。


「いやあああ!」


静電気の刺激に驚いたのか、おかみは金切り声を上げて倒れ込みました。

 ええ、驚いてその場にしゃがみ込んだのだと誰もが思ったのです。


「ひえぇっ! おかみが……」


そばにいた家来が崩れ落ちたおかみを見て目を丸くしました。


「おかみが、泥になっちまったぁ!」


そう、モレロのおかみは一瞬で泥人形に変わってしまったのでした。


「まさか! 雷の魔法はちょっと驚かせるだけのものよ。どうして、こんな……」


エヴァが魔法を使ったのは乱暴なおかみを止めるためで、彼女を泥人形に変えるつもりはありませんでした。そもそも人間を泥人形に変えるような魔法を使った覚えもありません。愕然とするエヴァの耳に館の外から一段と大きな悲鳴が飛び込んできます。


「うわあっ! おやっさんが泥になったぞ!」


驚いて外に飛び出すと、モレロの親父だったであろう泥人形が倒れているのが見えました。


「ラーラが火を噴いただけなのに。ぼく、魔法なんか使ってない」


ルークは呆然として言いましたが、家来たちの目には恐怖がにじみ、立ち上がるのもままならないまま逃げ出しました。


「こいつら、バケモノだ!」

「早くずらかれ! 俺たちもやられるぞ」

「だから言ったんだ。千里眼の魔女に手を出しちゃいけないって!」


それぞれが情けない声を上げながら、振り返りもせず走り去っていきました。


――クスンクスン。


 泣きじゃくっているのはステラ。館の中からエヴァに歩み寄ると、背中に隠れるようにして泥人形になったモレロを見下ろします。


「ありがとう。エヴァ」

「いいえ、私じゃないわ。ルークでもない。これはいったいどういうこと?」


わけがわからないエヴァにサイラスが手を差し出して何か渡します。そこにはめったに見られないはずの紫色の石がありました。


「アマル?」


泥人形のモレロのちょうど心臓のあたりがきらめいていて、そこには大きなアマルの結晶が光っていました。


「母さん、モレロの親父とおかみは本当に人間だったのかな?」


賢いルークはひとつの仮説を立てたようです。サイラスも「こいつらは人間じゃない」と畳みかけます。


「ふたりは元から泥人形だった、ということ?」


エヴァが答えを述べるのに対して、双子は同時にうなずきました。


「アマルの結晶を使って泥人形をモレロ夫婦に仕立てたのね。でも、誰がそんなことを。アマルを操るなんて、そこらへんの魔法使いには無理よ。魔王でもできるかどうか……」


エヴァの目が泳ぎ、手は襟の下に隠したアマルのペンダントを探りました。いつもは自信家の魔女の顏に不安がよぎります。


「おい、おまえは何者だ?」


サイラスは鋭い声でステラを問いただしました。無邪気な少年の顔が険しく歪んで、まるで全部おまえのせいだと言わんばかりの詰問でした。


「わからない。本当にわからないの」


年上の少年ににらまれて怖いのか、ステラのラベンダー色の瞳には涙がじわりと湧き上がります。


「やめて、サイラス。この子を責めてもしょうがないわ。むしろ被害者よ」

「だって、こいつが来て家がぐちゃぐちゃになっちゃったんだよ。見てよ」

「確かに。とりあえず中を掃除しないと」


ふたりの言うとおり、占いの館は窓ガラスが割れて壁がところどころ剥がれ落ち、赤い扉はなくなって部屋の中もしっちゃかめっちゃかです。


「ごめんなさい……」


申し訳なさそうに謝るステラの肩を抱いて、エヴァは仕方なく苦笑いするしかありませんでした。

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