ファザー・マザー

れいとうきりみ

ファザー・マザー

 決して悪い人生を歩んでいるわけではなかった。むしろ幸せな人生を歩んでいた。家族もできて、子宝にも恵まれて。まさに幸福の最高潮だった。

 

 でも、あの日それはぶち壊された。


 交通事故。どうやら赤信号を渡ろうとした子供を助けようとかばって車にはねられたらしい。仕事中に彼女の訃報を聞き、僕は急いで駆け付けた。

 「もう、30分ほど前に息を引き取りました」

医者の冷たく枯れた声。体の中にある何か温かい部分が凍り閉ざされた感覚がした。

 「お子さんもいますし、保険が適用されます。詳しくは別室でお話ししますので」

相変わらず医者は事務的な、淡々とした態度だった。

 

 何もかもの手続きを終え、家に帰宅したときにはどっと疲れが押し寄せてきた。最愛の妻を失った今、何に対してもやる気が起きない。とりあえず子供のために夜は久々にデリバリーを頼むとしよう。「お金かかるから。我慢も大事」一切食卓に並ばなかった総菜やテイクアウト商品。でもそんなものがかすむほど、彼女の料理はおいしかった。もう食べれない。そう思って涙が流れてきた。

 

 「夜ご飯だよー」

 「はーい」

 「今日はお父さん疲れちゃったからデリバリー頼んじゃった。はい、莉子の好きなハンバーグ」

 「やったー!」

このことをどうやって伝えよう。莉子はまだ知らない。そもそも伝えるべきなのだろうか。

 「あれ?お母さんは?」

 「…?ああ…。今長い出張に行ってるからしばらく帰ってこないんだ」

 「ふーん、そっか」

僕はその場を濁した。娘に初めて嘘をついた。これから大変になるってわかってるのに。今は伝える気にとてもなれないのだ。僕はこれからのことを考えることにした。

 とりあえず葬儀の準備をして、訃報の連絡を親戚にして―

「あれ?お父さん何で泣いてるの?」


 次の日、僕は会社を休んだ。会社の人は、「流石にそんな状況で出勤させる訳にはいかない」とのことで、案外すんなり休ませてくれた。僕は二人の思い出の車の走らせ、葬儀屋へと向かった。

 葬儀の予定は意外と簡単に立ち、早くも明後日には行えるとのことだった。担当者にお礼を言って、葬儀屋を出る。

 帰りにコンビニにより、グラタンを買った。あれだけ節約節約といって総菜を買わなかった彼女の、それでも食べていた商品だ。僕はスプーンでほおばる。またもや涙があふれてきた。グラタンは総菜特有の冷たさがあって、彼女のご飯の味に慣れた僕には、さほどおいしくなかった。


 「ただいまー」

 「あっ、おかえりー!」

莉子は無邪気に僕を迎えたくれた。

 「今日も総菜だ。ごめんな」

料理なんてやったこともなかったし、やる気も起きなかった。それでも家事は溜まっていく。僕は自分に鞭を入れ、家事を始めた。

 ここで一つ気づかされた。僕は今までものすごい量の家事を彼女にさせていたということに。よく記事なんかで、「母はいなくなってからその大切さとありがたみに気づく」と書かれているが、まさに今それを実感した。洗濯に風呂掃除、皿洗いに子供の世話…。僕はどれほど彼女に負担をかけていたのだろう。

 「お母さんはどこ?」

全ての家事を終えて疲れ切った僕に、莉子はそういった。

 「だからこの間言ったろ!?母さんは今出張中なんだ!莉子はもう寝なさい!」

 「…」

 「お父さん、怖いよ」

それだけ言って、莉子は自室に戻っていった。疲れと悲しみ、苦しさを莉子にぶつけてしまった。そうしてまた泣いた。泣いて、泣いて、とにかく泣いた。明日、ちゃんと莉子に話そう。何があったのか、何でこんなことになったのか。その日はそのままリビングで寝てしまったらしい。


 朝起きると、毛布が掛けられていた。リビングのドアから顔をのぞかせる莉子。昨日のことでまだ怖がっているんだとすぐに合点がいった。

 「莉子!昨日はごめん!」

寝癖も直していないまま、僕は真剣な顔でそう言った。

 「莉子に話さなければいけないことがある」

鼓動。心臓の胸打つ速度が速くなる。集中。気を引き締める。

 「お母さんは…死んだんだ」

莉子は最初驚いたが、直にこう言った。

 「お母さんは…出張行ってない…。死んじゃった...」

 「信じられないかもしれない。そして今まで黙ってごめん!」

僕は頭を下げた。

 「お母さんは死んじゃった…。もう会えない...」

莉子は泣いた。つられて僕も泣いた。二人で泣いた。顔がぐちゃぐちゃになるまで。泣きに泣いた。

 

 その日の葬式は、一般の葬式と何ら変わりもなく順調に終わった。莉子は骨壺を見て、「これ何」と聞いてきた。

 「その中にはお母さんが眠っているんだ。あの大きなお母さんがこんなちっちゃい壺の中に入ってるんだ。不思議だな」

 「この中にお母さんがいる…。ここならいつでもお母さんにあえる!」

莉子は笑顔で、目が光っていた。僕もそんな莉子に元気をもらった。これから先どんなことがあっても何とかやり遂げられる気がする。僕は少し笑って先に歩いて行った莉子を追いかけた。

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ファザー・マザー れいとうきりみ @Hiyori-Haruka

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