第4話
コンビ二までの一本道を三人で歩きながら、私はたびたび見かける『〇〇高校、二次募集受付中』や『△△高ならまだ間に合う!』というポスターが気になってしまう。それらは第一志望高に落ちた生徒向けのすべり込み受験をあらわしているのだが、ディバイナー学院に落ちたら私も二次募集を受けるのだろうか。ただ、私はそもそも国数英社理の5教科に当てはまらないベネフィック(特殊能力)受験をしている。専門校に入る素質はあるけれど、昔ながらの普通科高校に受かる自信なんてない。5教科の学科成績がポンコツな私の未来は決して明るくない。
「もし、愛海が不合格だったら、プログラミングのテクラボ校を受けたら? たしか補欠募集していたはず」
じっとりした目で二次募集ポスターを見ていたのがバレたのか。それとも真央から何か聞いたのか、蒼生がうれしくも悲しいアドバイスをくれる。
「ていうか、愛海は占いよりプログラミングの方が得意だよね。どうしてディバイナーを受験したの?」
「え、それは……」
真央と一緒にいたいから。
「……占いの方が興味あるから」
嘘をついた。
「ふうん。愛海だったら今すぐにでも就職できそうなのに」
蒼生はお世辞を言うようなヤツじゃない。私のもともとのベネフィックを認めているからこそ、ディバイナー学院を受験したことが不思議でならないのだろう。
私は幼い頃から落ち着きがなく、ひと昔前は扱いが面倒な子どもとして疎まれるような存在だった。でも、集中すればバカみたいにのめり込む特性は、だいぶ前に改定された教育大綱で注目すべき才能に指定されている。そうした生まれつきの個性のほかにもスポーツ、音楽、デザイン、芸能、文芸、占い、プログラミング、マーケティング、起業など、ベネフィックにはさまざまなジャンルがあって、特殊な才能を持つ生徒は世界に通用するスペシャリストに教育される。たとえば、去年の夏季オリンピックでは過去最高の金メダルを取ったらしいが、それは運動専門のモビメント校の貢献にほかならない。
私は小4から始めたプログラミングでベネフィック保有者になり、実力はそこそこ。そんな経緯を知っていれば、私のディバイナー受験を訝しく思うのも当然だろう。
「ねえ、真央もそう思わない?……真央?」
話しかける蒼生の声が届かないのか、真央は雑居ビルに据えられた大型ビジョンを見上げていた。
『生徒会長選挙、明日がいよいよ投票日です! ディバイナー学院生徒会長には大河陽希を! 王の星を持つ大河に清き一票を!』
ディバイナーという単語に耳が反応して私と蒼生も顔を上げる。画面の中ではショートカットの少女が凛とした声で自分への投票を訴えていた。
『生徒会長は神の星のもとに定められるべきである! ディバイナーを治めるは、この貴志匠。この貴志以外に選択肢はない!』
続いて、ストレートボブの銀髪少女が存在感たっぷりに宣言した。鋭い切れ長の目は大人びていて、とても同年代には見えない。
「王の星、神の星……?」
「陽希さんは獅子座のMCカルミネートなんだよ。獅子座は王の星と名付けられているんだ。貴志さんは水瓶座のMCカルミネートで水瓶座は神の星。獅子と水瓶はホロスコープ上でも対極にある星座同士でしょ。この選挙、激戦になりそうだね」
蒼生が真央のつぶやきを拾って説明してくれる。
「MCカルミネートって、1星座につき1人認定されるっていう特待生だっけ?」
姉がすでにディバイナーに通う蒼生から学内のことを聞いた記憶がある。特待生は最大十二人。1星座につき1人の枠しかなく、高度で特殊なベネフィックを持つ生徒しかなれないとか何とか。枠が十二あってもすべての星座のMCカルミネートが揃うことはまずないらしい。
ちなみに、ホロスコープにおいて獅子座と水瓶座は百八十度の位置にあって、真正面から睨み合う関係にある。どちらもカリスマ性があり独特の影響力を持つ星座なだけに、『王』と『神』の戦いなんて穏やかじゃなさそう。
「貴志……さんって人、なんか変な感じがする」
迫力のある二人の弁論を大型ビジョンで見つめながら、真央は首を傾げて言った。
「変な感じ? ウチの姉ちゃんは貴志さんにベタ惚れでさ、隠し撮りした写真をスマホの待ち受けにするくらいなんだけど、変ってどんな風に? 何か感じ取っちゃった?」
私と蒼生は真央の顔をそっと覗き込む。霊感なんてないと言うけれど、凡人には見えないものが彼には見えている。
真央は占いという世界ではかなり高いベネフィックの持ち主に認められている。人見知りの超陰キャでまともに話せるのが私と蒼生くらいなのも目には見えないものを感じ取りすぎるから。真央は自分でコントロールできない部分が多い。
「貴志さん、心がないよ。見失っているっていうか……ううん、奪われてる……?」
「心を奪われてる?」
感じ取ったことをありのまま言葉に綴る真央には何が見えているのか。
「貴志さんが狙っているのは生徒会長じゃない……もっと大きな何か……」
真央の眼はもはや大型ビジョンを見ていない。何もない空虚を見つめているけれど、そこには彼だけに伝えられるメッセージがあるのかもしれない。
何度見ても、暗示を受け取っている真央を見るのは怖い。瞳は大きく見開いているのに、その目に現実は何も映し出されていないから。今ここに身体を残しながら、魂は非現実を覗き込み自在にあちこちへ行き来している。そのままどこかに行ってしまいそうで、私は思わず真央の肩を揺らした。意識を無理やり“こちら”に戻そうとする。
「待って」
そんな私を制するように、誰かが腕を強くつかんだ。
「その話もう少し詳しく聞かせてくれない?」
「えっ……」
振り返ると、ドキッとするようなイケメンが見下ろしていた。
「その子、占いのベネフィックを持ってるね? しかも、かなり強力な」
「どうして、それを?」
「どうしてって、ベネフィックがダダ漏れだよ。全然制御できてない。周りを飲み込むくらいに深い」
素人じゃない。ハッとして、やっと彼がディバイナー学院の制服を着ていることに気づく。
「何が見えるの?」
私を押しのけ、彼は真央の額に手を乗せるとやさしく囁きかけた。
「黒い“念”が渦を巻いてる」
「“念”が渦を巻いてるのはどこ?」
「貴志さんの胸の奥。真っ黒。心が絡め取られて……叫んでいるのに声が届かない」
「貴志さんは何を叫んでいる?」
「……そうじゃない。そんなこと望んでいない。離せ。苦しい……」
「黒い“念”の正体は?」
「しょうたい、は……うっ……ううっ!」
急に真央が眉間に皺を寄せて苦しげに呻き出した。
「ブロックされたか」
イケメンは悔しそうに呟くと、真央の額に自分の額を当てて「カット」とひと言。
「ぷはぁっ! はぁ、はぁ……」
ずっと水に潜っていた人がやっと水面に顔を出したみたいに、真央は大きく深呼吸した。イケメンは「いいこだね」と微笑んで真央の頭をぽんぽんする。
「え、ちょっと!」
男ではあるけれど、馴れ馴れしく触るイケメンにカチンと来た。
「キミはとんでもない眼を持ってるね。怖いくらいに。何座なの?」
きょとんとする真央が「蠍座」と小さく答えるのに対して、イケメンは納得したように「なるほど」と深く頷いた。そして、おもむろに振り返ると私に小声で告げる。
「この子は蠍座の守護星、冥王星にやたら気に入られているね。凡人にはキャッチできない信号を当たり前に受け取っている。それは素晴らしいことではあるけど諸刃の剣になるかもしれない」
「それは、どういう……?」
「見えないものが見える眼は狙われやすいんだよ。しかも、彼は自分のベネフィックをコントロールできていない。無料ワイファイがあれば誰もが自由にアクセスして使おうとするでしょ。それと同じ。悪いヤツに利用されないように注意してあげて、彼女ちゃん」
「か、彼女って! えっと、私はあの、その……」
彼女というセンシティブな単語に私の心臓が一気に跳ね上がる。
「あれ、ごめん。まだ片思い中だった?」
私と真央の本当の関係性を察したのか、イケメンは微妙な笑みを浮かべて私の肩をポンと叩いた。
「あのー、もしかして双子座の速見風吹(はやみふぶき)さんですか?」
私のひそかな片思いが呆気なくバレるなか、蒼生がおずおずとイケメンの襟元を遠慮がちに指さした。そこにはMとCのアルファベットに星が輝くバッジ。
「うん、そうだよ。よく知ってるね。ボクは双子座のMCカルミネート」
知の星、双子座が司るのは豊かな好奇心と社交性。軽やかで親しみやすい双子座には人気者が多いが、この人はきっと女子に大人気に違いない。
「姉からブッキーさんのお話はよく聞いています」
「お姉ちゃんがディバイナーてことは、生徒会長選の話も聞いてるのかな。今回の選挙、蠍座の彼が言うように少しヘンなんだよね。リーダーシップがある大河陽希と、グローバルな視野を持つカリスマ貴志匠の一騎打ちは予想通りではあるけど、匠の主張がなんとなくズレてる。根っからのリベラル派で偏ったことを言うヤツじゃないんだよ」
「ブッキーさんは貴志さん派なんですか?」
貴志匠を詳しく知っているような口調に、彼の投票のゆくえをつい想像してしまう。
「ボクはどっち派でもないよ。陽希と匠、どちらの肩も持つつもりはない。気になるのは匠がかもし出す違和感だけ」
そう言うと、ブッキーは真央に微笑みかけた。
「蠍ちゃん、ありがとね。心の眼を使うときは気を付けるんだよ」
小さい子をあやすように頭をなでなでして、「バイバイ」と手を振る。真央はつられて両手をフリフリするのだけど、ちょっと触りすぎじゃない? ひと言モノ申したくなって口を開くと、
『見つけたぞ』
重く低い声に脳を揺すられて喉に出かかった言葉が引っ込んだ。
「誰だ?」
ブッキーがハッとして辺りを見回す。ということは彼にも声が聴こえているのか。しかし、これは耳に届いている音じゃない。直接脳に響いている。
真央は目を見開き、蒼生はキョロキョロと不思議そうな顔をしている。二人にも聴こえているようだけど、私たちの周りを行き交う人たちは何くわぬ顔で通り過ぎていく。
これじゃまるで、私たちだけを選んで話しかけているような。
『冥王星の使い手を見つけたぞ。来い、こっちへ来い』
再び声が脳に響いて全身に鳥肌が立つ。
「もしかして緋由(ひゆう)?」
『風吹か? なぜ、そんなところに……そうか。お前が冥王星のシグナルをカットしたんだな。どうりで不自然な断ち切られ方だと思った』
「さっき蠍ちゃんの魂を惑わせたのは緋由? まさか、そんな力はないよね。お前は武闘派だから」
私と蒼生はわけがわからず動揺するしかないのだけど、真央は電池の切れたロボットのように無表情のままピクリとも動かない。
ヤバい。また何か見えないものを見ようとしているの?
『ずいぶんと舐められたもんだな。武の星・牡羊座がただの筋肉バカと思っていたら後悔するぞ。オレはそこにいる冥王星の使い手に用があるんだ。おい、こっちだ。こっちに来い!』
一段と強く男の声が脳内に響くと、それまで微動だにしなかった真央がものすごい勢いで走り出した。いや、走り出したように見えただけで、両足は力なくコンクリートの上を引きずられていた。胸元をわしづかみにされて無理やり引っ張られるみたいに、胸をぎこちなく突き出して首はおかしな方向に傾き、真央は振り回されるがまま。何かに強制的に引き寄せられていった。
「真央っ!」
私はつまずき派手に転びながらも必死に真央を追いかける。
「ちょっ……待って!」
人気のない路地裏に引きずられていく真央を追いかけて雑居ビルの角を曲がると、そこには真央を右腕に抱いた赤毛の大男がいた。すでに意識がないのか、真央はぐったりして男に抱えあげられている。
そして、ヤツもディバイナーの制服を着ていた。なんなんだいったい。
「緋由っ! どういうこと? こんなの誘拐じゃないか!」
私の後を追いかけてきたブッキーが大声を出した。ヒユウ、こいつがさっきから脳に話しかけていたのか。
「何が目的? その子はディバイナーの生徒でもないし、関係ないでしょ」
「ディバイナーの生徒かどうかは関係ねぇ。神の星が勝利するためには冥王星の力が必要なんだよ」
「神の星、また匠か」
ブッキーはマイルドイケメンらしからぬ舌打ちをして憎々しげに言い捨てた。
「そこの赤毛! 真央を離しやがれ!」
一足遅れて追いついた蒼生は、言いながら私とブッキーを追い越して一歩前に進み出る。その手には二メートルを越す弓が握られていて、矢がいつでも打てる準備が整っていた。
ヤバい。顔がマジだ。全国弓道大会ジュニアの部・三位の蒼生がガチで打てば、あの赤毛の頭に矢がぶっ刺さってもおかしくない。
「待って、蒼生! 早まらないで」
私は慌てて肩を押さえるも、蒼生は目もくれずに手を振り払った。
「下がってろ! さっきの真央を見ただろ。あんなの普通じゃない。このまま連れ去られたら何されるかわからねえぞ」
「何されるか……って、ええっ!」
考えたくもないけれど、でも痩せっぽちの真央があの筋肉の塊みたいな腕に太刀打ちできるとは思えない。腕力勝負ではどんなに抵抗しても勝てないだろう。
「いや、でも……」
だからといって蒼生が生身の人間に弓を射ていい理由にはならない。
――ビュン!
引き止める間もなく、蒼生は引き絞った弓を躊躇なく放った。矢尻は緋由のこめかみをかすって、タンッと小気味よい音を立てながらコンクリート壁に突き刺さる。短い赤毛がパッと散り、一瞬おいてから血が一筋にじみ出た。
緋由は左手の指先で矢の跡をなぞる。指先の血を一瞥するとニヤリと唇を歪ませた。
「やるじゃん」
そのまま左手を広げて前に突き出し、指先を曲げて力を入れた。
――ゴウッ!
唸るような音と共に、緋由の手の中で炎が燃え上がった。
「え……」
私は言葉を失い、二本目の矢をつがえた蒼生もビクッと肩を震わせる。
「なに、それ……」
目の前の現実が理解できない。
「シェラ・ベネフィックを校外で使うなんて校則違反だよっ! 緋由、やめて!」
ブッキーが大声を出すも、緋由は握った炎を振りかぶると思いっきり投げた。炎を投げるなんて日本語がおかしいのはわかってる。でも、そうとしか表現できなかった。
「やめっ……!」
ブッキーは私と蒼生の前に立ちはだかり両手で炎を受け止めた。急に巻き起こる突風に目を開けていられなくなる。台風のど真ん中にぶち込まれたような、じっと立っているのもつらくなる豪風に足をすくわれそうになった。
「ははは! 風吹、お前も校則違反な」
地面に落ちていた木の葉や紙くずが舞い上がり、小さな竜巻の渦に吸い込まれていく。その渦の中央にもみくちゃになりながら消えかかる炎が見えた。
「こんな状態でおとなしくしていられる? ウチのゴタゴタに学外の人を巻き込むのはやめなよ」
竜巻はブッキーの手の動きに合わせて形を変え、時折バチッと火花を散らした。
「ボクは理不尽なことが嫌いなんだ」
そう言って、両手を上下に重ねるとこすり合わせギュッと握りしめた。竜巻はその動きに合わせて小さくなり消えてしまう。豪風に翻弄されていた木の葉は粉々になり、パラパラと重力に引かれて地面に落ちていく。
こいつら、いったい何? こんなのベネフィックの域を越えている。人間じゃない。
「二本目は外さねえぞっ。早く真央を離せ!」
唖然としていた私は蒼生の声にハッとする。弓をいっぱいに引き絞って緋由を睨みつけてはいるが、その指は小刻みに震えていた。
「威勢がいいな。でも、オレはお前の友だちに用があるんだ。明日の選挙が終わるまでは待ってくれよ」
緋由に抱え上げられる真央はピクリとも動かない。気絶しているのか、それとも催眠術でもかけられているのか。私も赤毛の筋肉バカに文句を言いたいけど、ヤツに立ち向かうだけの武器もブッキーのような魔法も持ち合わせていない。
無力。
蒼生とブッキーの背中を見ながら私は絶望していた。好きな人ひとり守れないなんて。
「真央をどうするつもりだ」
怯まずに言葉を続ける蒼生が羨ましい。
「明日の星周りはグランドクロス。不動の力を手に入れるにはぴったりのスペシャルデーなんだよ。生徒会長選で神の星は絶対的存在になる。揺るぎない統治者を生み出すために、破壊と再生を司る冥王星エネルギーが必要なんだ」
「真央は自分の能力をコントロールできないんだぞ。連れていったって何の役にも立たないだろ」
まるで救世主かの何かに仕立て上げられているけれど、蒼生の言うとおり。真央は少し繊細なだけの普通の男子中学生でしかない。
「へへ、心配するな。俺が脳に直接命令を出すさ」
そう言って緋由は、抱え上げていた真央をまるで荷物のようにぽいと地面へ放り出した。
「何すんのよっ!」
とっさに大声が出た。真央をあんな雑に扱うなんて。
「愛海、警察に電話しろ。あいつ誘拐犯だから」
自分が弓を引いたところでどうにもならないと蒼生もわかっているのだろう。言われるままに私はスカートのポケットからスマホを取り出し1・1・0を押す。
「おいチビ! くだらねぇことすんじゃねぇ」
――ボウッ!
手の中のスマホが一瞬で炎に包まれ、皮膚を刺す熱さと痛みに放り出してしまった。私は尻餅をつき燃え上がるスマホに呆然とする。
「もういい加減にして! 緋由も匠も変だよ」
ブッキーがいら立った口調で言うと、何を思ったか、ズンズン緋由に近づいていった。
「バカやろうっ!」
エラの張った緋由の左頬を思いっきりグーで殴る。
「何やってんだよ、お前!」
さらに続けてグーで殴るも、緋由はその拳をひと回り大きな手で握り返し、たやすく払いのけた。
「効かねぇな。インドアもやしの全力はその程度かよッ」
――ゴツッ!
骨と骨がぶつかる鈍い音がしてブッキーは地面に倒れ込む。殴るというより、上からこめかみを叩き割るようなパンチに平気でいられるわけがなかった。
「ひッ……」
隣で小さく息をのむ音が聞こえる。目玉だけを動かして蒼生を見上げると、弓をつがえる手がブルブル震えていた。
「あおい、やめ……」
言い終わる前に矢は風をうならせて飛び出した。ハッとして目で追う矢は、どこに刺さることもなく緋由の手につかまえられていた。
「さっきの威勢はどうした? こんなヘナチョコ屁でもねぇ」
そして、握られた矢は真ん中から燃え始め5秒もかからず灰になった。開く手のひらからパラパラと矢の残骸がこぼれ落ち、緋由はこびりつく黒い灰を制服のズボンで乱暴に拭う。
「そろそろオレも行かないと。お前らの相手してるヒマなんてねぇの」
よいしょと呟きながら、緋由はふたたび真央を右肩に担ぎ上げた。ぐったりする体はされるがままに揺れ、真央の頭がビルの壁にぶつかる。
私の心にパキンとヒビが入る音がした。
「真央! 起きろ! 真央ぉ!」
蒼生はぐったりする真央に大声で呼びかけ、三本目の矢を躊躇なく放った。
「チッ!」
舌打ちと共に、緋由は首を少しかしげて矢を交わす。そして、左手を大きく振りかぶると蒼生めがけて炎の球をぶん投げた。
「うわあああっ!」
弓に火がついて、あっという間に蒼生の腕に燃え移った。
腕から肩へ燃え広がる炎の柱と、恐怖に見開かれる眼。
「もうやめて! やめてぇぇぇっっ!」
私は絶叫しながら両手で地面を殴りつけた。
――ザアアアアアアアアアアアアアアアア
晴れていたはずの空からバケツをひっくり返したような雨。それは、どしゃ降りと呼んでもまだ物足りない、激しく重い水の塊だった。
大きく燃え上がった火の柱は雨に潰されるように消える。蒼生は少しよろめいて、ぺたんと地面に座り込んだ。
「これは……」
ブッキーが頭を押さえながら起き上がり、快晴の大雨を見上げる。天気雨というには不自然すぎるスコールだった。
ばちばちと顔を打つ雨の中、私は目を凝らして真央を探した。でも、緋由のデカいシルエットはどこにも見えない。
「真央、真央っ!」
立ち上がって緋由がいたはずの場所に駆け寄るも、そこには燃え朽ちた矢の黒い灰が落ちているだけ。
『結構やるじゃねぇか、チビ助。火星に守られるオレは水には弱いのよ。お前が本気出す前にずらかって正解だったな』
脳内に響く緋由の声。
「真央は? どこ行ったのよっ」
『もう一生会えないわけじゃないさ。明日の夜には返してやるよ。じゃあな』
「ねえ、待ってて。待ってよ!」
何度も呼びかけたけれど、緋由が返事することはもうなかった。
感情が根こそぎ引っこ抜かれたみたい。心は空っぽだった。
明日の夜には返してやるだって? 児童養護施設で育った私と真央は、物心ついた時からずっと一緒だった。小学校も中学校も、高校だって真央と同じディバイナーに行くために知恵熱出しながら受験勉強がんばったのに。
痛いほどつむじを打っていた激しい雨がスッと引くように止んでいく。
「きみ、シェラ・ベネフィックを持っているね」
肩にあたたかな体温を感じて顔を上げた。右のこめかみを腫らしたブッキーが優しい目で見降ろしている。
「何座なの? キミは」
まるで友だちのように肩を組むブッキーに、私は口の中で「魚座」と呟いた。
「そっか。海王星に守護される魚座だから雨を降らすのも自由自在ってことね。なるほど」
ゆっくり頷いてブッキーは蒼生のそばまで一緒に歩き、しゃがみこむと袖が燃えてむきだしになった蒼生の腕を確認した。
「ちょっとやけどしてるけど大したことない。火が消えるのが早くて助かったね」
そして、目を見開いて表情も変えず呆然としている蒼生に話しかける。
「そうだよね。あんなの怖いよね。緋由はひどいよ。でも大丈夫。蠍ちゃんを取り戻す方法がわかったから」
私と蒼生がブッキーを見たのは同時だった。
「魚座は海王星が守る水の星座で、拡大と侵入を得意とする『no border(境界線を持たない者)』だ。冥王星は生と死、破壊と再生を操る強力なエネルギーを持つけれど、冥王星が守護する蠍座も魚座には勝てない。魚座は十二星座の最後を締めくくるラストサインだからね。ほかの十一の星座を包括する力を持つんだ。ねえ、魚座のキミ。キミのことだよ」
「え?」
「キミは魚座のシェラ・ベネフィックを持っている。蠍ちゃんを救えるのはキミだけだ」
返す言葉が見つからないのはブッキーの話が理解できないのではなく、他人事にしか聞こえないから。
「あの、シェラ・ベネフィックって……?」
かすれた声で聞く蒼生と同じ疑問を俺も抱いていた。
「シェラ・ベネフィックは類まれなありのままの能力のこと。そして、表の世界で使ってはいけないものでもあるんだ。常識や科学ではもはや説明がつかない力だからね。緋由が操る炎を見たでしょ? 彼は火星が守護する牡羊座のMCカルミネート。特待生なんて聞こえのいい言葉を使っているけど、つまりは要注意人物ってことなんだよ、ボクたちは。学校は特別扱いすることで監視してるんだ」
袖が燃えてなくなった蒼生にブッキーは自分のブレザーを脱いで羽織らせる。あたりに散らばった矢と弓のケースを拾ってまだぼんやりしている蒼生に手渡した。
「愛海がシェラ・ベネフィックを持ってるってことですか?」
「私、全然フツーの凡人ですけど」
フツーというか、落ち着きがなく忘れ物をしまくる遅刻魔というネガティブなおまけ付き。
「ふふ、魚座は普通にしていれば平凡な平和主義者だから。でも、さっき大雨を降らしたのはキミでしょ?」
ふるふると首を振るけれど、そんな私にブッキーは首を振り返してくる。
「眠っていた力が目覚めたんだね。で、どうするの? 蠍ちゃんを助ける? 戻ってくるのを大人しく待っとく?」
「た、助けます!」
待つなんて選択肢はない。私は食い気味に言った。
「OK。じゃ作戦会議を始めようか」
ブッキーは薄暗い路地裏を抜けて歩き出す。私と蒼生はそのあとを慌てて追いかけた。
zodiac secret~星座たちの真実~ 沙木貴咲 @sakikisaki
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