17 ヘドロデスマッチ

眼の前の巨体が、体をぶるぶると震わせている。その度にひどい悪臭が立ち込めてきて、俺は顔を歪めずにはいられない。威嚇にしては長いと思い、様子を見ていると、とある変化に気づいた。

….どんどん「震え」が大きくなってないか?

ヘドロスライムのそれは、見るからに勢いを増しているのだ。


「んおっ....!!」


突然、べちゃりと粘り気のある音とともになにかが飛んできた。間一髪で避け、後ろの方に飛散したのは「ヘドロ」だった。これか、ミルシェの言っていた「一週間は臭いが取れなくなる」というやつは。


「う、おえっ.....確かに、このひどい匂いの中でもわかるほど臭い....!」


目玉焼きサイズのヘドロからすら、違いがわかるほどの匂いを発しているのだ。これは絶対に当たりたくない...!しかし、ヘドロスライムの震えは止まらない。そして同時に、撒き散らされるヘドロの量も増してきている。


「ぐおおおお!気合で避けろっ!そんで考えろ!!」


飛んでくるヘドロを避けつつ、なんとか攻めの糸口はないかと思考する。

ギンの使う盾では、真っ向から奴の弱点である核を破壊することができない。何か、他の方法を探さなければいけないのだ。しかし、このままではジリ貧だ。


「どんどん勢いを増してやがる....!タイムリミットはあと少しか.....!」


明らかに飛び散っているヘドロが多くなっている。このままだと回避し続けるのは不可能だろう。


「────ってか!っくっせええーよ!スライムてめぇ!!」


四方八方にばらまかれたヘドロのせいで、さっきよりも匂いが強烈になっている。回避以前に、

視界の端で倒れている獣人のように匂いでKOしてもおかしくない。


「あーくさ!あーどうしよう!あーくせー!」


臭さのあまり、集中力が切れてくる。おまけに思考もまとまらなくなってきた。だが無慈悲にも、ヘドロスライムのヘドロは依然として増えてくる。


「......ん?」


俺はふと、体に違和感を感じた。「なにか」が当たったような気がしたのだ。いや、頭ではその「なにか」は分かっていた。しかし、そうであってほしくないという一心があったのだ。


俺は恐る恐る視点を体に向けた。そしてその「なにか」を認識し、一瞬にして俺の全身は鳥肌を立てた。

昔、PCでゲームをしている時、脛からゴキブリが登ってきたことがあった。まるでその時のような、全身が反射的に仰け反るようなそんな感覚を覚えた。


「ぎゃあああああ!!!」


俺のちょうど胸あたりにそれはついていた。「なにか」は当然、奴のヘドロだった。あの、吐き気を催す悪臭が至近距離で漂ってきて、喉の奥から別のなにかがこみ上げてきそうになる。


「.....!!」


なんとか口の中でそれをせき止め、俺は思った。


(呪う........!!一時間前の俺!!)


しかしそのように悶えその場に留まることで、最悪の展開を迎えることに俺は気付けなかった。ヘドロがスプリンクラーのごとく撒き散らされる所で立ち止まる。するとどうなるのか。


──────結果として、俺は大量のヘドロを身に纏う事になった。


(.....................)


しかしそんな状況の中。不幸中の幸いというべきか、俺の嗅覚はこの臭みに順応してきていた。ずっと悪臭漂う空間の中で、更に悪臭の塊であるヘドロを浴びたのだ。もはや臭みなど克服した。


「はぁー....最悪な状況だが、逆に清々しい」


未だヘドロを撒き散らす諸悪の根源を前に、俺は悠然と歩き出した。


「もう!俺に失うものはない!!」


俺は勢いをつけ、震える巨体に体を突っ込んだ。

───避けながら考えていた策の一つに、ヘドロスライムの体に侵入し無理やり核を破壊するというのがあった。出発前に調べた情報によればスライム種は大抵物体を溶かす能力を持つので、スライムに飲み込まれると危険だ。しかし俺の防御力であればそれは凌げるだろう。

ただもちろん、そうなれば体中ヘドロまみれになり、あまりの臭さにそのまま失神する可能性があったので実行はしなかった。だが、


(......墓穴を掘ったな、ヘドロスライムよ。お前のヘドロが俺の嗅覚を適応させたのさ.....!)


今の俺ならばこの匂いにも耐えられる。体を前に伸ばし、スライムの体の奥まで腕を伸ばす。体内は多少の動きづらさがあるが、腕は核へと真っ直ぐ進む。そして明らかに異質な、硬い物体と衝突した。


(コイツが核だな....?)


リンゴ大の硬い球を掴んだ。少し力を入れた程度ではびくともしないので、俺は思い切り力を込めた。すると、途端にそれは割れ砕け散った。その瞬間、ヘドロスライムの動きが止まる。そして楕円形の形をとどめていたヘドロの塊は徐々に形を崩していった。


「───ぶはっ!」


 ヘドロから体を引っこ抜く。体にひっついたヘドロが一緒に持ち上がって、ぼとりと地面に落ちた。

俺の上半身は、さながら泥を浴びた豚の如き様相を呈していた。ヘドロスライムの体内では呼吸を止めていたため気にならなかったが、改めてヘドロの発する臭いに顔を顰めざる終えない。慣れはしたが、こんな状態は流石に厳しいものがある。


「...さて、こっからどうすっかな」


全身ヘドロまみれの男は、未だ臭さに失神する獣人を見て頭を抱えるのだった。

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